第1章「邂逅」
社会人になって10年近く。
仕事も、人間関係も、そこそこうまくやってきた「つもり」だった。
だけどある日、後輩のミスで再会することになる。
あの頃、心の底からぶつかり合って、
一緒にバンドをやって、夢を見ていたアイツと。
そして、俺たちの真ん中にいた、彼女とも──
大人になった俺たちは、何を抱えて、何を失って、
そして、何をまだ信じていられるんだろうか。
▽
ノンタイトル。
「音楽と、青春と、日々の暮らし」をテーマにした、
とある中年男の物語。
社内に電話のベルが鳴り響く。
朝一番の静けさを破ったその音に、俺の後輩・佐々木がバタつきながら受話器を取った。
数秒後、顔面蒼白。まるで地球が滅亡する知らせでも受けたみたいな顔して、こっちを見る。
「……どうした、佐々木」
俺がそう言うと、彼は震えた声で答えた。
「す、すいません……例のクマの檻の製作……納期、間違えてました」
背中に一瞬、ヒヤッと氷の塊でもぶつけられたような感覚。
「……で? いつだよ」
おそるおそる訊ねると、佐々木はさらに青ざめながら言った。
「ら、来週です……」
その瞬間、社内の空気が一気に凍った気がした。
俺たちは『北央鉄工株式会社』。北海道の中小プラントメーカーで、従業員は三十人ほど。
営業の俺は、図面とスケジュールに追われる毎日を送っている。
佐々木亮太は俺の後輩。元気だけが取り柄で、お調子者。
だが、仕事のミスは少なくない。というより、けっこうやらかす。
その日も、彼が担当していた新得町の案件で大問題が発覚した。
クマの檻の製作。鉄工所の現場はすでに動いているというのに、契約書が提出されていなかった。
「おい……マジで提出してなかったのか?」
「す、すいません……机の中に、そのまま……」
「なにやってんだ、お前……」
俺の頭は真っ白だった。そこに追い打ちをかけるように、また電話が鳴る。
「……はい、北央鉄工、営業の斎藤です」
電話の相手は新得町役場の担当者、加藤真之介。
俺の高校時代の同級生であり、かつてバンドを一緒に組んでいた因縁の相手だった。
「幸か。久しぶりだな……。こっちはな、檻の設置日がもう迫ってんだよ。書類がねえと動けねえんだ。どうなってんだ」
「……すまない。すぐに確認して、直接持って行く」
「ああ。待ってるよ。なるべく早くな」
電話を切ったあと、俺は佐々木の肩を叩いた。
「……行くぞ。一緒に、謝りに行く」
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車で新得町役場に向かう道中、佐々木は終始うつむいたままだった。
俺も気が重かった。
あいつとまた顔を合わせるなんて。
役場の玄関をくぐると、懐かしい面影がそこにあった。
加藤はスーツに身を包み、かつてのヤンチャな雰囲気を残しつつも、役場の男としての貫禄が漂っていた。
「よお。あの頃からなんも変わってねえな。こっちだ」
うるせえなと思いながら、案内された会議室には、もう一人、女性が座っていた。
整った顔立ちに、落ち着いた雰囲気。
一瞬で、昔の記憶がフラッシュバックする。
彼女の名前は朝倉瑞樹。
高校時代、俺と加藤と共にバンドをやっていた。
彼女がドラム、俺がベースボーカル、加藤がギター。
聞く話によると、彼女は加藤の妻になっていた。
会議室では、加藤が冷静に話を進めた。
「檻の製作は順調なんだな?」
「ああ。現場は問題なく進んでる。ただ……書類の提出だけ、こいつがやらかしてしまってな」
「まあ、過ぎたことを責めてもしょうがねえ。すぐ持ってきたのは助かったよ」
「……すまない」
佐々木は何度も頭を下げた。
加藤はそんな彼に、軽く手を上げて言った。
「気にすんなって。幸の後輩だろ? なら、まあ……それなりに苦労してんだろうし」
その言葉に、なぜか少し救われた気がした。
会議が終わり、役場を出た。
佐々木はポツリと呟いた。
「……奥さん、めっちゃ綺麗でしたね」
「……そうだな」
しばらくの沈黙の後俺は口を開いた。
「おい佐々木、今日反省会の意味も兼ねて、いつものあそこ行くか。」
「は、はい!!もちろん行かせていただきますっ!!」
相変わらず、ホント調子のいいやつだ。そこがかわいいとこでもあるけど。
ひとしきり仕事を終え、暖簾をくぐると、炭火の香ばしい匂いが鼻を突いた。
いつも生意気な佐々木と来る少し昭和じみた焼き鳥屋だ。狭いカウンターに並んで腰を下ろすや否や、佐々木が声を張った。
「すいませーん!瓶ビールと、あと串盛りお願いします!」
ビールが運ばれてくるなり、佐々木はジョッキに勢いよく注ぎ、グイッと一口。
「いやあ、マジ危なかったっす!!さすが幸先輩!対応完璧っした!」
「……お前な。ちょっとは反省しろよ」
俺が言うと、佐々木は「あ、すんません!」と肩をすくめてから、すぐに顔を明るくした。
「でもでも、加藤さんの奥さん、めっちゃ綺麗でしたね!なんかモデルみたいでしたよね、あの雰囲気!」
ビールの泡が喉の奥で引っかかった。
ジョッキを置き、静かに一言だけ返す。
「……そうだな」
「やっぱああいう人っすよね〜。品があるっていうか……」
俺は串を口に運び、無言で咀嚼した。
少し焦げた皮の苦みが、妙にリアルで、口の中に引っかかる。
「……すんません。俺、ちょっと調子乗りました」
「いつもだろ、お前は」
「でも、加藤さんも雰囲気変わりましたね〜。めっちゃ落ち着いたというか……」
「お前加藤のこと知ってんのか?」
「はい!そりゃあ悪いで有名でしたからね!!」
「そりゃ、確かに悪かったけどなあ・・・」
「高校の頃、何してたんすか? 先輩と加藤さん」
「……バンドやってた」
「バンド!?マジすか!」
「……俺がボーカルで、加藤がギター。瑞樹は、ドラム」
「え、ちょ、めっちゃ青春じゃないすか!!なにそれ!」
「青春なんて、そんな甘っちょろいもんじゃなかったよ」
「……」
「だから、今こうしてるんだろうな」
そんなくだらない話を小一時間ほどして帰路にたった。
居酒屋で高校時代の話をしたからか、昔のことがフラッシュバックしてくる。
ほかの連中元気にしてっかなあ・・・
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
物語は、どこにでもいそうな中年男が「とことんついてない日常」の中で、かつての仲間や過去と再び向き合うことから始まりました。
一見、ただの仕事上のトラブルが、長年閉じ込めていた記憶や感情をゆっくりと引きずり出していく。
誰しも、胸の奥にしまったままの「あの頃」があるんじゃないかと思います。
この物語は、そんな“あの頃”と、いまを生きる“この瞬間”が交差する場所を描こうとしています。
次章からは、幸政・加藤・瑞樹、それぞれの高校時代の姿がもう少し色濃く描かれていきます。
彼らがどんな思いで音楽に向き合っていたのか。なぜ、あの日バンドは終わってしまったのか。
過去の小さな出来事が、いまの彼らにどんな影響を残しているのか——
そんな「過去と現在をつなぐ物語」を、これからも丁寧に紡いでいきます。
最後までお付き合いいただければ幸いです。