第1話 紅月の騎士
帝都トリスタンの夜は明るい。
三代前の皇帝アルトリウスは、霊子という物質の研究に心血を注いだ。
その結果、大気中の霊子を取り込んで駆動する霊導器と呼ばれる技術が確立された。
これによって生み出された照明灯の設置によって、帝都は真夜中でも灯りを頼りにすることができるようになったのだ。
しかし、帝都の明るさに反して、その闇はより暗く、深くなっていた。
ある者は暗闇に乗じて自らの欲望を満たし、ある者は私腹を肥やさんと非合法な手段に手を染め、生活に困窮した者たちがあらゆる非道を働く。
とある災厄が帝都を襲い、その国力が低下してからというもの、帝都の治安は日々悪化の一途を辿っていた。
ある貴族の邸宅にて。
「クソッ!! 騎士団が屋敷に迫っているというのは本当なのか!?」
丸々と太った貴族が、どうしたものかと慌てている。
彼の名はドレン。領地も持たぬ小貴族ではあるが、いわゆる成金というやつで、その全身には高価で、それでいて趣味の悪い装飾品がギラついている。
表向きは商会の経営で財を成した彼だが、その成功の裏には様々な違法行為が隠れている。
そのため、ドレンはこれからやってくる来訪者の姿に怯えていた。
そんな彼を安心させようと、金髪の眉目秀麗な騎士――カレルが声をかける。
「確かでございます。ですが、ご安心を。すでに商品と取引に係るあらゆる証書は積み込み済みでございます」
カレルは、ドレンとは裏腹に冷静だ。
ドレンを宥めながら、カレルは屋敷の裏手を案内する。
そこには、霊子駆動式のトラックと呼ばれる機械が置かれていた。
「おお! 気が利くではないか!!」
「騎士団に気取られる前に、私は商品を隠匿して参ります。先頃、購入された別荘では目をつけられやすいので、例の場所が良いでしょう」
「まったく、お前は本当に使えるやつだ。今まで目を掛けてきた甲斐があるというものだ」
「閣下は、いずれ義父となる方です。その成功のために、手を尽くすのは当然でございます。では閣下、フェリクスの対応はお任せいたします。どうせ証拠などありません。シラを切り通せば、痺れを切らして引き上げるでしょう」
「うむ、頼むぞ。我バラン家の命運はお前に掛かっているからな」
そうして騎士カレルはトラックを駆り、帝都郊外へと向かう。
帝都の南西には、ドレンの後ろ暗い取引に用いられる倉庫が存在するのだ。
――ドンッ。ドンッ。
運転席の背後から大きく鈍い音が響く。
まるで、何か生き物が暴れているような音だ。
「チッ、騒がしいクズどもめ」
カレルは悪態をつくと、それを無視して倉庫へと向かう。
倉庫の多くは空であり、一見するとガラの悪い人間が集う廃墟にしか見えないが、奥には厳重に閉じられた大きな倉庫がある。
カレルはその戸を開けて、中へと向かう。
「だ、出してくれ!! 俺たちをどうするつもりだ」
そこには牢があり、浮浪者たちが押し込まれていた。
それこそが、ドレンの扱う商品であった。
日々復興と発展を続ける帝都だが、貧富の差も大きい。
拡張を続ける都市の隙間には、帝国が管理できていない貧民街がいくつもあり、彼らはそこから拉致されてきたのだ。
「いい働き口があるって、あれは嘘だったの?」
「いいや、本当さ。君たちのような無価値な人間には、それに相応しい働き口がある。私はそこに君たちを案内してやろうというのだ」
死んでも誰も困らず、戸籍で管理もされていない。
そんな都合のいい人間を求める者は帝都には数多くいる。
ドレンはそんな相手と商売を繰り返していた。
「それは魅力的なお話ですね。わたくしもぜひ、そちらへ案内していただけないでしょうか」
「誰だ!!」
不意に女の声が響いた。
のんびりとしていて、敵意も感じさせないほど、おっとりとした声だ。
だが、こんなところに聞き覚えのない女の声が聞こえるはずがない。
カレルは驚いた様子で、咄嗟に剣を引き抜く。
「一体、どうやってここを嗅ぎつけた?」
「どうやっても何も、あなたが案内してくださったのですよ? あのトラックという乗り物。すごいスピードが出るんですね。しがみつくのもやっとでした」
酷く苦労したといった様子で女が呟く。
「出鱈目な……一体、貴様は……」
その瞬間、白い光が奔った。
それは目にも留まらぬ速さでカレルを掠め、その右腕をあっさりと切り落とす。
「ぎやああああああああ!!!!」
カレルが情けない叫び声を上げる。
冷静沈着で、人目を引く美貌を持つ彼だが、今は見る影もないほどに表情を歪めている。
「巣をつつけば、慌てて這い出てくる。それも証拠をたっぷり持って。屋敷に向かった騎士団の方々には感謝しないといけませんね」
カレルの前に現れたのは、18かそこらのまだ若い女であった。
騎士然とした格好をしていて、その華奢な体でどう操っているのか、身の丈に似合わないほどの大剣を手にしている。
その紅の髪は倉庫の入り口から注ぐ月の光に照らされて美しく輝き、何よりもその顔には奇妙な仮面がつけられている。
「お、お前はまさか……」
帝都の闇は深いが、それを暴くものも確かにいる。
帝国大法廷、司法省、帝都の治安維持を担当する騎士たち。
だが、彼らとてその闇を全て、浚えているわけではない。
彼らの力の及ばない、より深い闇。
それらを暴く女がいた。
――紅月の騎士。
人々は彼女をそう呼んだ。