聖域
「人の命は悪魔に守られてるって言ったら、信じる?」
天使のようにかわいい彼女がそんなことを口にした。
「何それ?」
どう答えていいのかわからず、僕は笑ってごまかす。
「そういう噂があるんだよ」
「噂?」
「そう噂。だけど本当のことだよ」
「どうしてそんなことがわかるの?」
「人は死んだら天使になるでしょ?」
1+1の答えは2でしょ、と当たり前のことを口にするみたいに、天使のような彼女は断言した。
「それも噂?」
「噂だよ。でも真実なんだ」
「……そう、なんだ」
なんだか、ちょっと居心地が悪い。
高校二年生の夏。
クラスの中でも飛び抜けて可愛い女の子に勇気を振り絞って告白した。
天使のようなその子は、恥ずかしそうに微笑んで、こちらこそよろしくお願いしますと言って、僕を受け入れてくれた。
僕は天にも昇りそうな気分だった。
何度かデートのようなことを重ね、夏休みも終わりに近づいた今日の夜。
会いたい、と彼女からメッセージが届いた。
僕は家をそっと抜け出して、彼女に指定された公園へ自転車を走らせる。
「すごい真実を聞いちゃったの」
興奮しながら彼女は言った。
それが、人の命は悪魔に守られているという噂だった。
「その噂は、どこで聞いたの?」
たずねる僕に、彼女はスマートフォンの画面を向けてきた。
『噂に直撃! 真相究明チャンネル。あらゆる謎、伝説、事件、その真実をお伝えします!』
胡散臭さのフルコースみたいな文面が表示されている。
真偽不明のオカルト情報を合成音声で解説するネットニュースだ。
天使のようにかわいい僕の彼女にも、困ったことが一つだけあった。
陰謀論やオカルト情報を配信している番組をこよなく愛し、信じてさえいることだ。
そういうのは殆どが嘘だから、あまり影響されないほうがいいよと、やんわり伝えても彼女の耳には届かなかった。
「今日更新された真相究明チャンネルで、この公園のことが紹介されてたの。すごいんだよ、この公園では絶対に人が死なないんだって!」
好きな映画の話でもするみたいに、彼女は物騒な話題に花を咲かせようとしている。
「そもそも、公園で人が死ぬイメージってないんだけど」
「どんな場所でも、誰かは死んでるよ?」
そんなこともわからないの、とでも言いたげに彼女は首をかしげる。
「この公園では誰も死なないっていう根拠は?」
「あのね、私、ネットで調べられるだけ調べたの。この公園って年に何度も命にかかわるような事故が起こってるのにそれが原因で死んだ人は一人もいなかったの。ブランコで遊んでた子供がふざけて鎖で首を絞められたり、高い遊具のてっぺんまでのぼって頭から落ちた子がいたり、女の子が不審者に刺されたりしたのに、みんな命に別状はなかったの」
「呪われてるんじゃないの、この公園」
「守られてるんだよ、悪魔に」
「そこがよくわからないんだけど、人の命を守るのは天使の役目じゃないの?」
「天使はむしろ、ここで誰かに死んでもらいたがってるんだよ」
「……どうして?」
もしかして彼女は陰謀論にハマりすぎて、天使と悪魔の価値観が逆になってしまったのだろうか。
「人は死んだら、天使になるって言ったでしょ?」
「言ってたね」
「正確には、人は死ぬとその場所で初級天使になって、何百年もその場所を浄化して、やがて天使になれるんだよ」
オカルト番組から叩き込まれたであろう情報を、自分で見つけた真実のように語っている。
「なるほど」
僕は相槌を打つ。
「それでね、この公園はこの国で唯一、誰も死んだことがない場所なの」
「つまりこの公園は、この国でたった一つの、まだ浄化されてない場所ってこと?」
「正解。だから悪魔たちは絶対ここでは誰も死なないように、人の命を守ってるの」
「この国の全体が浄化されると悪魔たちは居場所がなくなるから、悪魔たちは命がけでここで人の命を守ってるってわけだ」
「正解。だからさ、試してみない?」
どこか恥ずかしそうに、天使のような彼女はつぶやいた。
「試すって?」
夜の闇で気づくことができなかった。
彼女の手には、包丁が握られていた。
「ちょ、ちょっと!」
僕は後ずさる。
「あはは、怖がらないでよ。きみを刺したりしないから」
そういうと、彼女は左手を掲げた。
そこには、弱った仔猫の姿がある。
「この子、ずっとこの公園にいるの。どのみちもう長くなさそうだし、試してみようよ。噂が本当なら、この子に何をしても死なないはずでしょ?」
「お、おちついて……ただの噂なのに、そんなの信じるなんて、どうかしてるよ」
「噂は噂だけど、本当かもしれないでしょ?」
包丁の先端が仔猫を貫こうと接近する。
「やめて!」
僕は彼女に飛びかかって、包丁を奪う。
「動物じゃ意味ないよ。ちゃんと人間を殺さなきゃ」
冷静にささやいて、僕は彼女の心臓を刺した。
次に彼女の首を刺した。
おまけに目も刺しておいた。
ジュースをこぼしたみたいに、彼女からどくどくと血が流れていく。
そして彼女の心臓がとまったのをしっかり確認して、僕は家に帰った。
数日後、彼女は病院で目を覚ました。
ベッドのそばにいた僕の姿に気づくと、彼女は悪魔でも見つけたみたいに驚愕したけど、声はまだ出せないみたいだ。
失礼だな、こっちはれっきとした天使だというのに。
「目も心臓も回復してるみたいだね。どうやらあの公園にはそうとう強い悪魔がいるらしい」
僕は彼女に近づき、耳打ちする。
「噂好きなきみに、噂じゃない本当のことを教えてあげるよ。こういう病院みたいな場所は常に浄化の力が不足してるんだ。だから定期的に人に亡くなってもらわないと困るんだ。特にきみみたいに若い女の子は大歓迎だよ。本当にありがとう」
僕はお礼を言うと、彼女の生命を維持している装置の電源をバチンと切断した。
天使のようにかわいい彼女は、もうすぐ本当の天使になるだろう。
了