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8話 強欲の魔女

 これは、人が人を奴隷として扱っていた時代の話。


 ある貴族に買われた、名前の無い幼い少女。

 家畜と同じ環境で過ごしながら、主人に言われるがままに家畜の世話をして働く。

 およそ人が享受すべき権利を与えられずに生きる、珍しくもない奴隷の一人。


 労働力として使われているのなら、まだ良い方だろう。

 しかし、少女の主人は悪辣だった。

 毎晩のように、その体に鞭を打ち付けて耐え難い苦痛を与える。

 事が済むと、質の悪いポーションを無理やり少女の口に流し込んで命を繋いだ。

 そして夜が来ると、再び同じことの繰り返し。


 このような状況に置かれながら、何故少女は生きることを選択できるのか。

 それは悲しくも、少女自身が己のことを人間であると認識していないからであった。

 生まれて直ぐに戦災孤児となり、物心がつく頃には奴隷として洗脳されていた。

 そんな少女は、奴隷としての日々に不満すら抱いていない。


 ある日、少女の主人の元に一人の女性が訪ねて来た。

 それは煌びやかなドレスに身を包んだ見知らぬ貴族。

 名はノーシャ・ラナ・ヨルベルクという。


 魔法使いであり魔法の研究者であったノーシャは、次代を担う者を探していた。

 そんな中、首輪を付けられて街中を引き回されていた奴隷の少女が目に入る。

 ノーシャは奴隷の主人の居場所を突き止めて、交渉にやって来たのだ。


「その娘を買いたい。言い値でいい」

 

 少女の主人は卑しく値を吊り上げ続けたが、ノーシャが臆することはなかった。

 そして通常の十倍の値で少女は新たな主人に迎えられることとなる。


 ノーシャはドレスが汚れることも厭わず、屈み込んで少女と目線を合わせて言った。


「私の原型魔法は物事の深層と真相を見抜く眼だ。君には類い稀なる魔法の才能がある」

「原型魔法って……何ですか?」

「フフフ、それはゆっくり教えよう。数年もすれば、君は立派な魔法使いさ」


 ノーシャが見抜いた少女の内に眠るモノは、奴隷として埋もれさせてしまうにはあまりにも勿体ない天賦の才。

 少女にはリデューという名を与え、更には奴隷という地位を捨てさせて自身の養子に迎えらるように手を回した。


 こうしてリデューは人としての暮らしと、魔法を学ぶ機会を手に入れた。

 貴族たちが魔法の知識と技術を独占していた時代において、奴隷の中からリデューの様な才能の原石を見つけるに至れたのは奇跡と言えるだろう。


 リデューが案内されたのは貴族の屋敷。

 今まで馬小屋の一角で寝泊まりしていたリデューは困惑を隠せない。


 ノーシャは使用人に任せることなく、自らリデューを入浴させた。

 この時代においても、魔法の技術によって作られた髪を洗う薬液や石鹸は貴族の間に流通していた。

 まずはギトギトの髪の毛にゆっくりとお湯を流しながら丁寧に洗う。

 次は体を優しく撫でるように洗う。傷は癒えているが、リデューの背には無数の痕が残っている。


「……私はリデューを傷つけたりしないから安心しろ」


 ノーシャは囁いた。

 しかしリデューの顔に浮かんだのは、安堵の色ではなく不安であった。

 むしろ、当たり前だった環境が変わってしまうことに戸惑っているのだ。

 自身の存在価値が失われてしまうことが、リデューにとっての恐怖だった。


 リデューの髪は金色の輝きを取り戻し、鼻を突く臭いは淡い花の香りに様変わりした。

 少し大きな部屋着に身を包み、ノーシャに屋敷を案内される。


「これがリデューの部屋。クローゼットに子供服を何着か用意しているが……今度一緒に気に入るのを探しに行こう」


 ノーシャの屋敷は、生活圏という意味ではさほど大きくはなかった。

 そのほとんどが魔法研究のための施設として利用されているからだ。

 リデューに与えられた部屋も、貴族ということを考慮するとあり得ないほど狭く、質素だった。

 しかし、奴隷として生きてきたリデューにとっては放心するほどの広い世界。


「これが妾の部屋……。ご主人様、妾には与えられた物に見合うだけの価値がありません……どうすればよいでしょうか?」

「じゃあ、私を超える魔法使いになってもらおうかな」


 ノーシャは慈善活動がしたくて奴隷の少女を救ったわけではない。

 目的はただ一つ。リデューの才能を最大限に引き出し、魔法界にその名を轟かせることだ。


「それと、その“妾”って一人称はやめた方が良い。リデューはもう奴隷じゃないんだから」

「……“私”、ですか?」

「うん、それでいい」


 ノーシャは不安げに見上げるリデューの頭を撫でてやった――。



「こら、椅子に座れ。――床で寝るな。――それは残飯だ。リデューの食事じゃない」


 それからの日々、ノーシャはリデューの躾けに苦労した。

 無作法なだけなら教えれば直ぐに覚えるだろう。

 だが、リデューは奴隷としての躾が身についている。それを上書きするのは一筋縄ではいかなかった。


 しかし魔法学においては、尋常ならざる速度でそれを物にしていった。

 魔法とは、魔力を形作ることで成すことができ、その形によって発現する現象が変わる。

 魔力を成形するためには、魔法陣や魔法具といった“型”となる物が必須となる。

 だがリデューは指先で魔力を操り、“型”が無くとも魔力を成形して見せた。


「やっぱり……天才だ」


 ノーシャは想像を遥かに超える才能に愕然とした。

 そんなことができるのは、今までもこれからもリデューただ一人である。


 更にリデューは、非常に多くの魔法に適性があった。

 理論上、同じ魔法陣や魔法具を使えば、誰でも同じ魔法を行使できると考えられているが、実際はそうではない。

 注ぐ魔力の質や量でも効果は変わり、適性が無ければ魔法を行使できないことも多い。

 火を生む魔法が使えても、水を生む魔法が使えない……といった具合だ。

 だがリデューは、自然を操る魔法ほぼ全てに適性を見せる。


 温かい食事、柔らかい寝床、優しく丁寧な教育。

 リデューにとっての当たり前は、少しずつ書き変わっていった。

 そんな平穏が十年も続くと、リデューからは奴隷だった頃の面影は微塵も感じられなくなっていた。


「ノーシャ、大丈夫? 気分が悪い?」


 ある日の夜、ノーシャがあまりにも長い間バルコニーの手すりに寄り掛かったままだったので、リデューは心配して声を掛けた。


「あぁ、大丈夫。空を眺めていただけさ」


 ここ最近、ノーシャが以前にも増して魔法の研究に明け暮れていることをリデューは知っていた。

 目の隈も酷く、食べているのに痩せてきている。

 いつかノーシャが倒れてしまうのではないかと、リデューは気が気ではなかった。


「なぁ、リデュー。月が欲しいと思ったことはないか?」


 突拍子もなく、ノーシャは空を見上げたまま言った。


「月? 考えたこともなかった。でも、手に入るのならそれほど素敵な物はないでしょうね」


 リデューはノーシャの隣に立って、一緒に月を見上げた。


「月は照らす者を選ばない。だから、まるで誰の物でもあるかの様で、誰の物でもない。そんな月を私だけの物にしてみたい……子供の頃からそう思ってた」


 気が付けば、ノーシャはリデューの横顔を微笑みながら見つめていた。


「でも、リデューと過ごすうちに、その考えは変わったよ」

「どうして?」


 ノーシャはその問いに答えることなく、ただ微笑み続けた。

 何故かリデューの内に不安が渦巻く。その微笑みが、死を悟った者の表情に見えてしまったからだ。


「もう休みましょう。魔法の研究が忙しいなら、私も手伝うから」

「フフフ、ありがとう。でも大丈夫」


 ノーシャの魔法研究は、数年前からその方向性を一変させていた。

 主に戦闘における魔法の活用を研究していたが、今や生活を豊かにするための汎用魔法の研究に時間を費やしている。

 魔法石に特殊な加工を施し、適正を無視して特定の魔法を誰でも行使できるようにする研究だ。

 

 それが実現すれば、川も、湧き水もない環境で生活水を生み出すことができる。

 それが実現すれば、極寒の大地でも作物を育てることができる。

 それが実現すれば、奴隷ですら商売を成すことができる。


 慈善活動などに興味のなかったノーシャは、いつの間にかリデューの様な者たちを救いたいと思うようになっていた。

 

 秘密裏に行われていた彼女の研究は、いずれ望まずして表沙汰となる。

 それは間違いなく悲劇であった――。



 燃え上がる屋敷を前に、リデューの安寧は終わりを迎えた。

 僅かな時間、敷地内の林の中へ薬草を摘みに行っていた間に起きた出来事。

 一体どうしてこうなったのかは分からない。ただ、火を放ったのがノーシャと同じ貴族たちであることは分かった。


「貴様、元奴隷だそうじゃないか。ヨルベルクを魔女にしたのは貴様ではないか?」


 茫然と立ち尽くしていたリデューを、貴族の男たちが囲んで謂れのない言葉を投げかける。


「魔女? あなたたち、何を言っているの? ノーシャはどこ?」


 リデューは毅然と接するも、男たちは構わず距離を詰めてくる。

 その手には剣が握られていた。そのほとんどは魔法具であろう。


 リデューは指先を僅かに動かした。

 ただそれだけで、たちまち彼女を中心に霧が立ち込め視界を奪う。

 男たちは闇雲に剣を振り抜くも、そこにリデューの姿はない。

 転送魔法にて直ちにその場を去ったのだ。


 呪文を唱えることで魔法の威力は増すが、霧の量も移動の距離もさして必要ない。

 ならば敢えて無詠唱とすることで、相手に悟らせず魔法を行使する。


 その判断は功を奏した。

 一つ所に集まった所為で、男たちは僅かな霧に翻弄され、ほんの二十メートル先に自身を転送しただけのリデューを捉えることができなかった。


「ノーシャ……どこにいるの⁉」


 賢いノーシャが、燃える屋敷の中で逃げ遅れているとは到底考えられない。

 だとすれば、どこかに逃げたはずだ。リデューはひたすら走った。

 広い敷地を抜けて街に入ると、屋敷と同じように様々な家屋が炎に包まれていた。

 しかし、悲鳴を上げる者もいなければ逃げ惑う者もいない。

 むしろ、人々の様子は誰かを探して追っている様だった。


 リデューはその動きを冷静に観察し、どこに向かうべきかを考える。

 できる限り身を潜め、素早く動く。

 行きついたのは街の広場。

 何かを糾弾している人々の中央には、血を流したノーシャが膝を付いていた。


「ノーシャ!」


 リデューは迷わず駆け寄る。

 彼女の頭部は割れ、腹部には背中から刺された痕がある。

 できるのは、僅かに意識のあるノーシャの体を支えてやることだけ。


「何でこんな酷いことを……!」


 リデューは怒りで満ちていた。

 だが、それを上回るほどの理不尽な怒りを人々は叫ぶ。


「その女の研究は国を守るものから、私欲を肥やすものに変わったのだ!」

「あろうことか、魔法を誰にでも使えるようにするなどと……奴隷にすらもっ!」

「魔法で全てが解決してしまえば、我々は仕事を失い路頭に迷う……!」

「その()()だけが技術を売り、私腹を肥やすのだ!」


 代わる代わる、口々に声を上げる。

 彼らはノーシャの魔法技術が、自分たちの利権を奪うことを恐れていた。

 実に身勝手な理由。


「我々から全てを奪い、全てを得ようとしている……強欲の魔女だ……! 殺すしかない!」


 一人の男がそう言うと、皆一斉に同調した。

 そして狂ったように迫りくる。


 この時点のリデューは未熟であった。

 ノーシャの出血を止めることもできなければ、転送魔法で他人を移動させることもできない。

 そして何より、リデューは他者を傷つけられなかった。

 それは優しさではない。奴隷として染みついた躾。犬が誰かを噛まないように躾けられているのと同じ。

 今になって、奴隷の呪縛が彼女の足枷となる。


海霧(うみぎり)――!」


 今度は呪文を唱え、広い範囲に霧を発生させる。

 そして祈りながらノーシャの肩を持って群衆の中をすり抜ける。

 だが、思ったようにはいかない。


 怒号が響く霧を抜けた頃には、リデューの体は切り傷だらけだった。

 足の筋が切れ、上手く歩けない。

 右目が潰れ、逃げるべき方向を見失う。

 脇腹が開き、内臓が零れ落ちそうになっている。

 人一人支えきれずにその場に倒れた。


「ごめん……ノーシャ。私、あなたを助けられない」


 その力なき言葉に反応してか、ノーシャが何か言っているのが分かる。

 リデューは彼女の口元に耳を近づけた。


「私は……分かってたんだ。原型魔法で全て見抜いてた……人の底に眠る闇を……」


 ノーシャはこうなることを知っていた。

 普段は高潔な貴族たちが己の利益を優先することを。

 普段は思慮深い街の民が、貴族たちの言い分に騙されて牙を剥くことを。

 それでも、彼女はそれを信じたくなかった。見えていたのに、見ようとしなかった。


「君が私を変えた……私が君を変えたように……」


 息も絶え絶えの中、振り絞った言葉はリデューに対する感謝だった。

 しかし、リデューにとっては恨み言でしかない。「君の所為でこうなった」と……。


 リデューは、この世に生まれたことすら後悔した。

 生まれなければ、ノーシャは死ななかった。

 奴隷のまま死んでいれば、ノーシャは死ななかった。

 生きることを諦め、生まれたことすら否定したリデューに、ノーシャはそっと囁いた。


「リデュー、君は生きろ」


 そうしてノーシャは息を引き取った。

 どういうわけか、リデューの致命傷は死を免れるほどに治癒していた。


 一人の男が、リデューを見つけて叫んだ。

 リデューはふらふらを立ち上がり、「ふっ」と息を吹く。

 剣を振り上げながら息巻いていた男は、途端に静かになって細切れの肉塊となった。

 それは呪文の詠唱もなく、人一人を瞬殺する風の魔法。


 先の声に駆け付けた全ての者が、その惨状にたじろいだ。

 リデューは指揮者の如く指を振り、空に向かって唱える。


「月は全てを照らす。(いかづち)も同じように、全てを貫く……霹靂(へきれき)――!」


 その日、街中を雷轟が包み、生者の音は静まり返った。

 

 怒りに支配されたリデューは、奴隷の呪縛から解放された。

 もはや彼女にとって、人間の命は取るに足らない。

 唯一尊重すべき命は、もう存在しないのだから。


 ノーシャの最後の言葉は、呪いと成った。

 ごく稀に、強い想いが強い魔力によって人や物に宿る……それが呪い。

 呪いによりリデューは不老と成り、それ以上歳を取ることはない。

 そして長い年月を経て魔法を極め、強欲の魔女として欲する物全てを貪り奪った。


 魔女は最後に、老衰による死を望んだ。

 先代勇者は、それを叶えられる場所があると魔女を“聖域”に(いざな)う。

 しかし、“聖域”は魔力を封印できても、呪いを封印することはできなかった。

 

 魔女は望む物を手に入れられず、一生を監獄で過ごすこととなる。

 脱獄を企てる者が現れるまでは――。


 

 魔女は暗い監房の中で、古い夢を見ていた。

 

「月の魔女……か……」


 死を望む魔女に、未来を提示した男の言葉が忘れられない。

 魔女は繰り返し何度も呟いた。


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