7話 対勇者作戦
牧緒は呑気に缶詰を開ける方法を思案していた。
バルバラの爪や牙は一切の丸みを帯びず、これ以上ないほどに鋭かった。
だが牧緒が選んだのは、一枚が手の平よりも大きな鱗。
縁は鋭利で、簡単に缶詰の蓋を斬り抜いた。
「妙な匂いだ。我にも寄こせ」
牧緒は黒く変色した缶詰の中身を、バルバラの舌の上にぶちまけた。
バルバラは口を閉じて舌を転がす。
「ふむ、味など分からん」
牧緒は指先で中身を摘まんで頬張る。
「うん……不味いけど食べられる」
味の薄いそれが、肉なのか豆なのかすら分からない。だが、腹の足しには十分だ。
牧緒が空の缶詰を床に転がすと、バルバラが首を曲げて牧緒に顔を向ける。
そして鼻息を吹きかけてから疑問を投げかけた。
「お前の言う通り、魔法防御を解除できるのだとしたら……何故今すぐ事を実行しないのだ?」
「解決しないといけない問題が残ってるんだ」
脱獄の方法と逃走の手段は整った。残った問題は勇者の存在。
バルバラと戦った先代の勇者とは違い、歴代最強と謳われる“終末級”に匹敵する現代の英雄。
ヴァーリア監獄において、刑務官の手に負えない事態が起きると、直ちに勇者が派遣される。
かつて収監された仲間を救うために、外側から魔法石を携えた悪党共がヴァーリア監獄を襲撃した事件があった。
その僅か数分後には、転送魔法によって現れた勇者があっという間に悪党共を壊滅した。
この光景は、多くの囚人たちが実際に格子窓から目にした事実。
牧緒はその話を聞いて、勇者こそが最大の難関であると位置付けた。
つまり、脱獄しようものなら颯爽と駆け付けた勇者に殺されかねない。
その難関をどのように突破するのか……その方法を牧緒は話し始める。
「対勇者作戦は二重の策だ。まずは勇者を足止めする作戦――」
牧緒は囚人たちから情報を収集した際、苦悩の塔に収監されている者についての多くを聞き出した。
その中で最も異質な囚人に、牧緒は注目した。
「苦悩の塔には、悪徳令嬢ユレナ・マルジルクが収監されている」
「そいつは誰だ?」
「どこかの国の公爵令嬢で、魔法で城をぶっ壊した上に、婚約者の王子を殺そうとして捕まったんだと……」
その令嬢は裁判の間、強力な魔法を抑制するためにこのヴァーリア監獄へ収監された。
「で、結局裁判で死罪が決まって、この監獄で刑が執行されるんだ。それが十四日後……脱獄はその日に決行する」
「それが勇者の足止めと何の関係がある?」
バルバラは、結論を先に述べない牧緒に少し苛立っている。
「ヴァーリア監獄での死刑には、必ず勇者が立ち会うんだ」
罪人の立場が公爵令嬢ともなれば、牧緒の様にぞんざいには扱われない。
唯一竜の餌とはされず、正式な手続きを経て厳粛に刑が執り行われる。
牧緒はそれを利用するつもりなのだ。
「なるほど、読めたぞ。死刑執行中に騒ぎが起きれば、勇者たちはその女の仲間が助けに来たと判断する……ならば女を逃がさないために勇者はそこから動けない」
バルバラが目を輝かせながら、牧緒の考えを推察する。
そして同時に、それを否定した。
「しかし、勇者が何を優先するかは分からんだろう。確実性に欠けるな」
「言っただろ? 二重の策だ。足止めがダメなら戦う手段を用意する」
それはシンプルな帰結。追われるのなら、戦って勝てばいい。
だが、牧緒やニャプチでは勇者には太刀打ちできない。バルバラは逃走に集中する必要がある。
ならばもう一人、強者を仲間に加えれば良いのだ。
「同じく苦悩の塔に収監されている、強欲の魔女を仲間にする……!」
その魔女は千年以上を生き、魔法を極めたとまで言わしめる。
方法は明らかになっていないが、バルバラと同じく先代勇者がヴァーリア監獄に投獄した“終末級”だ。
「無理だな。魔女は何者にも靡かぬ。仮に協力を約束させたとしても、脱獄した瞬間に裏切るぞ。戦力にはならない」
バルバラは魔女を引き入れることを強く拒んだ。
長寿同士、お互いを知っているのかもしれない。
「我とお前は、元の世界に戻るという利害が一致したからこその協力関係だ。お前はその手掛かりとなるから生かしているに過ぎない」
「随分冷たいこと言うな……でもその通りだ」
牧緒は既にバルバラと友人関係を築いたものと考えていたが、さすがに早計であったようだ。
加えてバルバラが魔女の危険性について説明する。
「魔女とは脱獄した後の利害関係がない。自身が逃げ切るための餌にされるだけだ」
確かに神話や童話に登場する魔女は、利己的で残虐。
裏切られる可能性は大いにある。
「裏切られたら、それはそれで勇者の選択肢が増えて混乱させられる」
勇者が迫られる選択は、悪徳令嬢の死守か、唯一竜を追うか。はたまた騒ぎに乗じて逃げ出そうとする他の囚人の対処に当たるか。
そこに魔女を追う選択が追加されれば、むしろ足止めに拍車がかかることになるだろう。
「脱獄までには魔女を説得してみせるさ」
「……うむ、期待はしないでおくぞ」
牧緒が脱獄決行まで十四日も早く行動したのは、魔女と話を付けるためだ。
抜け道を探し当てるまでを一日でやり遂げた牧緒には、その時間が十分にあった。
「腹ごしらえもしたし、早速魔女の所へ行ってくるよ」
抜け道は各階層に続いている。
囚人から得た情報の通り魔女が収監されているのなら、壁越しに会話も可能だろう。
牧緒はそのつもりで、抜け道の扉を開けた。
「おい、何か忘れていないか?」
「え? 何を?」
「お前の世界の言葉を我に教える約束だったはずだ」
「あぁ! そうだった、そうだった。忘れてたわけじゃないよ……」
バルバラに凄まれて、苦笑いを浮かべることすらできない。
牧緒は彼の眼前に正座して、楽しい日本語の授業を始めた。
身近な言葉を日本語に訳して教える。
更には積もった埃を利用して文字を書いてみせた。
当然、直ぐに日本語を話せるようになるはずもない。
しかしバルバラは、訳される言葉や文法に整合性があることを僅かな時間で理解した。
授業は何時間も続き、疲れた牧緒は倒れるように眠った――。
窓が存在しない苦悩の塔で、時間感覚を取り戻すことは不可能だろう。
ひと眠りした牧緒には、今が朝なのか夜なのかすら分からない。
それを知るためには、定期的に制御室に降りてニャプチと連絡を取り合う必要がある。
だが、脱獄決行はまだ先の話。一日二日感覚がくるっても問題はない。
優先するべきは魔女の勧誘。
牧緒は、寝息をたてるバルバラを横目に抜け道を下る。
最上階から四階分降りた監房。聞いた話ではここに魔女が収監されている。
細い廊下を体を擦りながら進む。
中腹まで行き耳を澄ますと、壁越しにしてはハッキリと人の息遣いが聞こえた。
暗くて見えないが、どこかに隙間があるのかもしれない。それこそ換気口の様な物が。
「こんにちは、魔女さん。話がしたいんだ」
返事はない。
情報が間違っていて、中にいるのが魔女でない可能性もゼロではない。
だとしても、それを確認する方法がない以上、声を掛け続ける他なかった。
「俺は牧緒。ここから脱獄する計画を考えた。君の力を借りたい」
名乗るのも、目的を話すのも早計であったかもしれない。
不審人物として刑務官に報告されてしまえば、牧緒が生きていることが明るみになって計画は失敗する。
かといって、名乗りもせず目的も伝えないのでは信頼関係は築けない。
「魔法防御を消す算段がある。逃走する手段もある。でも、勇者追われた時に戦うだけの力がないんだ」
魔法を極めた魔女であれば、遠距離攻撃はお手の物であると牧緒は想像している。
勇者を近づけずに対処することが肝要だ。
「聞くに堪えないな……、酷い妄想だ……ここからは出られない」
魔女はようやく口を開いた。
その声はかすれ、威勢を感じられない。
「強欲の魔女なんて呼ばれてるくせに随分弱気なんだな」
魔女は脱獄という密に魅力を感じていない様子だ。
計画の詳細を伝えれば興味を引けるかもしれないが、それよりも先に互いの距離を詰めようと牧緒は考えた。
「そうだ、ここから出たら俺が何か……」
魔女を満足させ、その気にさせる贈り物を考える。
脱獄してでも欲する、強欲を満たすほどの何か……牧緒はそれを思いつけずにいた。
童話や神話で語られた魔女は、全てを手に入れていた。宝石も貴金属も土地も名誉も強さも全て。
ふと、バルバラと話した宇宙の話が頭に浮かんだ。
「そうだ、月を贈ろう。空の宝石だ。誰も手に入れたことはない」
「……大言壮語も大概にしろ……。妾が手に入れられない物は……誰の手にも掴めない……」
牧緒の提案はあまりにも突拍子がなかった。
これには魔女も呆れ果てたことだろう。
だが、牧緒は一度決めたら止まらない。
「いや、俺の世界の技術ならきっと行ける。科学の進歩は凄いからな。まず月面旅行が実現するまでにあと五十年として……で、費用は一千万ぐらいかな? マグロ漁船に乗れば稼げるかな……」
滅茶苦茶な計画、荒唐無稽な発想。
魔女にとっては何を言っているのかすら理解できない。
「俺の一生を懸ければ、月面旅行ぐらいならプレゼントできるかも」
牧緒は大真面目に言い切った。
「一生か……聞き飽きた言葉だ。妾に媚びへつらう者たちは……皆その言葉を口にする……」
魔女の声は更に小さく、弱弱しくなっていく。
「何度でも言うさ。俺の一生を懸けて君に月を贈る。強欲なら、月ぐらい手に入れないと箔が付かないだろ?」
牧緒は魔女の心を掴むために明るく振る舞う。
「妾に、月は……似合わない……」
魔女の蚊の鳴くような囁きは、牧緒の耳には届かなかった。
「いっそのこと、月の魔女と名乗ってみたらどうだろうか? 月をも欲するって意味なら、強欲と違わない」
バルバラの時とは違い、魔女を仲間にするための具体的な案は無い。
だが、失敗しても食われることはないので、牧緒はひたすらに言葉を紡ぐ。
「月の魔女……うん、こっちの方が響きが綺麗だ。きっと似合う」
牧緒は魔女の本質を何も知らない。
知っているのは、卑しく醜悪な魔女として綴られた本の中の魔女。
しかし、現代日本を生きた牧緒には、魔女という存在にそれほど悪いイメージはない。
それこそ、魔法少女なんて呼ばれるキャラクターすら、牧緒にとっては魔女の部類。
そのイメージとの乖離が、“強欲”の異名を拒絶していた。
故に、思い付きで言葉にしたのが“月”の異名。
良かれと思った提案だったが、それきり魔女は口を閉ざしてしまった。