46話 食後の運動
原型魔法の効果を再現した幾何魔法は、ほとんど研究されていない。
理由の一つは、その再現の難しさだ。
不可視の魂がどの様な形をしているかなど、他者が知ることはできない。本人ですら、それを図解することは難しい。
例え限りなく近い形を再現できたとしても、要する魔力量は膨大な物となる。
体内で生成された魔力を体外に放出するとき、魔力の質は格段に低くなる。それが必要魔力量を増大させる一因だ。
対して、原型魔法は体内で成形される魔法。魔力の純度を一切損なうことなく、魔法を成すことができる。
僅かな魔力量で絶大な効果を発揮できる原型魔法は、どんな物であっても必殺に届き得るだろう。
ヒューリカが生成できる魔力量は決して多くない。それは一般的な魔術師相当だ。
彼女の魔法【分裂】は原型魔法であるからこそ、有限の魔力で無限に等しい分裂を可能とする。
命を失ったヒューリカの魔力は他のヒューリカに還元され、その分の魔力で再び新しいヒューリカが生み出される。
「刃に触れぬ物すら切り裂くその魔法……無限の物量の前では無意味でしょう」
ヒューリカはターダを言葉で屈服させようと試みる。
既存のヒューリカたちはナイフを携帯しているが、新しく【分裂】で生み出された彼女は、武器はもちろん衣服すら身に着けていない。
その状態で純粋に戦闘で勝利することは難しい。ヒューリカの亡骸からナイフを拾い上げることもできるだろうが、ターダはその隙を与えなかった。
「随分余裕だな……ってことは、この魔法は原型魔法だな? なら、確かにこっちの魔力が尽きるのが先だろうなぁ」
ターダは額に一筋の汗を走らせた。
しかし、多くのヒューリカと戦ったことで突破口は既に見つけ出している。
答えは単純だ。その場で戦い続けるから無限の物量に後れを取るのだ。
ヒューリカ単体の戦闘力が皆無に等しいのであれば、ひたすら前進し続ければいい。
吹き荒れる砂塵の中を進むに等しい苦行となるだろうが、少なくともS級冒険者の実力を持つ彼らが倒されることはない。
「お前ら、俺に付いてこい! 纏わりつく女共は切り捨てて立ち止まるな!」
ターダの叫びによって、作戦は変更された。
“終末級”は現れない。ならば獣人など無視して、このまま伏魔殿へ進撃するのみ。
その様子を遠く大木の頂から望む者たちがいた。
【知恵と石塊の輪】の魔術師、華道のレアラは魔法防御が施された壁に等しい高さの樹木を魔法で生み出した。
「どうやら【悪の特異点】はまだ前線には出てこないようですね。このまま我々も町の中へ入りましょう」
ターダたちの様子からそう判断したのは、最速の魔術師と呼ばれる、無詠唱のドーラ。
彼は大木の頂から、視界に映るだけのゴーレムたちに結晶魔法を放つ。
最速の所以は、魔法を発動するまでの速さだけに留まらない。どれほど対象の距離が離れていようとも、彼の魔法は即時に着弾する。
町のゴーレムたちは、上空からの侵入者を迎撃するための固定砲台。
侵入者を直ちに感知して雷撃で撃ち落とす……しかしドーラが放った魔法により、ゴーレムのあらゆる関節に結晶が生成され、その可動域を奪った。
「もう大丈夫です。行きましょう」
【知恵と石塊の輪】の人数は二十人。内、八人は戦士。内、四人は治癒術師。残りは異名を持つ魔術師ばかり。
ギルドの中でも選りすぐりの者たちで構成されたパーティーだ。
魔境への侵入に成功したのは彼らだけではない。
現役の一族が総出で作戦に当たる【這い寄る静寂】は、長男キプロスの岩窟魔法によって魔法防御の壁の下に大穴を開け、そこからの侵入を試みていた。
「想像通り突貫的な作りだな。一晩も経たずに作られた町だと聞いていたが……やはり地下からの侵入は想定されていないようだ」
キプロスは不敵に笑い、経路の指示を次男のカルスに託す。
「透視魔法で地上の様子は把握できている。兄貴は俺の指示通りに穴の延長を頼む」
「あぁ、任せろ」
彼らは誰にも気付かれることなく、直通で伏魔殿を目指す。
父、母、長男、次男、長女、祖父の六人は、戦闘力ではなく暗殺力を以って作戦遂行に臨む。
一方、【真槍累々隊】のパーティーはもぬけの殻となった正門を越えた。
ターダたちがヒューリカを引き寄せたまま前進したことで、彼らを阻む者はいない。
「ガハハ、道を作ってくれるとは有り難い。使わせてもらうとしようじゃないか!」
サイサーナ帝国の元近衛十二兵、最強の前衛と謳われたジルグヌが大手を振って笑う。
「付近の獣人たちはどこかに避難した様ですね。しかし、何故【悪の特異点】は現れないのでしょうか?」
槍の名手であるウェンリッヒが疑問を口にした。
「さぁな。だが都合がいいじゃないか。流石のワシらでも“終末級”には敵わんからな! ガハハハ!」
「フフ、ご謙遜を。負ける気などないくせに。唯一竜と一戦交えてみたいと仰ってませんでしたか?」
「噂じゃ、勇者にやられたらしいがな。まだ生きているなら、命懸け上等! 勝つ気でやってやるさ!」
この世界の現代において、“終末級”の存在を疑問視する者は多い。
本当に単独で世界を滅ぼせるほどの者が、幾人も存在しているのだろうか?
存在しているのなら、何故今もこうして人類は繁栄し続けることができているのか?
その疑いは、長い年月を経て人々から危機感を欠如させていった。
S級を冠する冒険者たちの中にも、“終末級”を倒せると豪語する者はいる。
そうでなくとも、出し抜いたり逃げ延びることができると考える者は少なくない。
だからこそ、今日この日、S級冒険者を含んだ五組ものパーティーが集ったのだ。
揚々と行進する彼らの元へ、弧を描きながら何かが飛来する。
それは先頭を行くジルグヌの眼前に着弾した。凄まじい音と土煙がジルグヌたちを包む。
視界が晴れて映ったそれは、たった一人の獣人だった。
「うにゃ~。久しぶりに思いっきり体を動かせるにゃ~」
腰を湾曲させ、大きく背伸びをするニャプチがそこにいた。
町の外れで食事をとっていた彼女は、ミシェルが遣わせた傭兵から侵入者の話を聞き、しっかり食事を最後まで楽しんでから、ここまで一度の跳躍でやって来たのだ。
「こいつは驚いた……たった一人で立ちはだかるってことは……お前、【悪の特異点】の獣人か!」
ジルグヌは、目の前の獣人が町に集められた元奴隷などではないことを察した。
自信に満ちた態度は、間違いなく強者であることの証。
「ガハハ、面白い! “終末級”でなくとも、【悪の特異点】の一人なら楽しめそうだ!」
背に掛けていた巨大な両刃の斧を構えて、ジルグヌは一歩踏み込んだ。
それと同時に、十メートルはあろう距離を瞬時に詰めたニャプチが懐に潜り込んだ。
それをジルグヌが目視した刹那、掌底が腹部の鎧を凹ませた。その場から……ジルグヌの姿が消えた。
「っ……この!」
即座にウェンリッヒが槍をしならせる。既にニャプチは視界の外。行き場を失った槍の切先が揺れる。
ニャプチはウェンリッヒの背後に回り、両の足を蹴り払った。
足払いは相手を転倒させることが目的であるが、その威力は想定外の結果をもたらした。
パギャンという音が鳴り響き、ウェンリッヒは宙を舞う。その体は三半規管を麻痺させるほどの速度で回転している。
それでもウェンリッヒはS級冒険者の一人……そんな状態に陥っても、ニャプチの姿を捉えて槍を突く。
麻痺魔法を成す魔法具の槍。それはかすり傷さえ与えれば、相手の自由を完全に奪うことができる。
ニャプチは体勢を低くして、右手を支えにして大きく左足を振り抜いた状態にある。
迫る槍先を避けることはできない。が、ニャプチは柄の部分を片手で掴み軌道を変えた。
「何っ⁉」
驚くウェンリッヒは、それでも槍から手を離さない。
一度地面に槍が突き刺さったおかげか、回転の勢いが殺されて見事に着地を決めることができた。
その後、その場に尻もちを付くことにはなったが、その隙を埋めるように【真槍累々隊】の仲間たちが一斉にニャプチへ向かう。
体を捻らせて逆立ちの状態になったニャプチは、一見すると無防備に見える。
だが、彼女はどんな体勢からでも跳ぶことができる。
ある者は顔面を蹴り飛ばされ、ある者は睾丸を潰され、ある者は鎖骨を砕かれた。
「因果創痕――!」
一人が放った三本の矢は、必中を実現する魔法であった。
彼らにとって望ましいのは、全ての矢をニャプチが避けること。
まさか、避けた矢が軌道を変えて戻って来るとは思わないだろう。
命中しても、それが致命傷になるとは限らない。ウェンリッヒの槍と同じように掴まれてしまうかもしれないし、蹴飛ばされてしまうかもしれない。
いずれにしても、隙を生むことはできる……はずだった。
想定通り、ニャプチは三本の矢をアッサリと避けて見せた。
想定外であったのは、その矢が戻ることなく家屋に突き刺さったこと。
「魔法が……効いていない……?」
対象の姿をその目に捉え、声を聴き、肌に触れる。それが必中の対象とするための条件。
矢を放った彼は、全ての条件を満たしていた。肋骨を折られるのと引き換えに、振り抜かれたニャプチの足首に直接触れた。
そこまでして、ようやく可能となった一縷の望み。それは原因不明の何かによって絶たれてしまった。
「ま、こんなもんかにゃ」
気が付けば、誰も動ける状態になかった。
ニャプチにとって、これは食後の運動に過ぎない。
「まだ……だ! まだ私たちは負けてない!」
ウェンリッヒの左足の骨は砕けていた。右足首も折れている。
しかし、彼女は自らに麻痺魔法を施して痛みを麻痺させることで、無理やり立ち上がった。
「来い……化け物! 所詮お前たち獣人は奴隷に過ぎない!」
立ち上がりはしたが、足を動かすことは叶わない。
ならば、相手を挑発して攻めさせる他ない。
槍は距離感を狂わせることのできる武器。中距離戦闘において、相手の意識外からの攻撃を可能とする。
(一度目は速さを重視した刺突……だから防がれた。読み合いになれば、こちらが有利!)
ウェンリッヒはジッと待つ。しかし、ニャプチは彼女への興味を失っていた。
「次はどっちに行こうかにゃ~」
集中さえすれば、ニャプチは魔境全体の音を聞き分けることができる。
既に他の侵入者の場所と人数もその耳は捉えていた。
「ガ、ハハハ……。まぁ、そう言わずに付き合ってくれよ」
「ジルグヌ……!」
真っ先に吹き飛ばされた彼は、ウェンリッヒの横に並んで再び両刃の斧を構える。
同じくニャプチを挑発し、自らは動こうとしない。それはウェンリッヒの考えを察した上での行動だった。
「やるぞ……ウェンリッヒ。ワシら二人なら勝てる……!」
「えぇ、当然です!」
戦いで最も重要なのは、速さである。
「仕方ないにゃ~」
どんな強力な力を以ってしても、速さの前では無力である。
ジルグヌとウェンリッヒも、当たりさえすれば完封できるだけの魔法を持っている。
そして魔法を当てるだけの実力も併せ持っている。
ただ、それを遥かに上回る速さに打ちのめされたのだ。
「「ガフッ……」」
ジルグヌとウェンリッヒは指先一本動かす暇もなく、二人の間に滑りこんだニャプチの鉄拳を同時に脇腹に受けた。
今度は派手に吹き飛ばすような攻撃ではない。ニャプチの鉄拳は肉体に穴を空けるかの如く鋭い物だった。
二人は意識を失い、静かにその場に倒れ込んだ。
敗因はニャプチの全力を見誤ったこと。今までに見せた動きは全て最高速ではない。
「楽しかったにゃ!」
そう言って、ニャプチは尻尾を振りながら駆けて行った。




