3話 脱獄計画
ヴァーリア監獄は大きく分けて三つの区画に分かれている。
一つは地下鉱山。
地下一階部分には、監獄の魔法防御の要となる装置が存在する。
一つは中央棟。
囚人の監房が並ぶ場所。
刑務官たちの作業場をはじめとする、その他施設も併設されている。
一つは苦悩の塔。
中央棟の北側に接続された高さ二百メートルの巨大な塔。
一国を落とすことのできる“亡国級”や、単独で世界を滅ぼせる“終末級”の囚人たちが収監される特別強固な場所。
牧緒は主に苦悩の塔に関する情報を囚人たちから聞き出した。
それは刑務作業もなく、一生を監房の中で過ごす囚人たちの素性について。
そして苦悩の塔に、改修や増築された過去がないか。
確信はなくとも、牧緒はそこから脱獄の可能性を見出だした。
月明りだけが監房を照らす頃――。
本来であれば皆寝静まる時間だが、囚人たちの夜は違う。
他の監房からは話し声や歌声、何かを叩きつける音など様々な音でざわめいている。
それがむしろ、聞かれたくない話をするには好都合だった。
牧緒は計画のあらましをニャプチに伝える。
「苦悩の塔の最上階には、唯一竜と呼ばれる魔物が捕らえられている。そいつを仲間にできれば、脱獄に必要な三つの問題を解決できるんだ」
牧緒の言う三つの問題とは、脱獄の方法、逃走の手段、そして追跡者となるであろう勇者の対応。
“聖域”は広い。過酷な環境の山岳地帯を足で逃走するのは現実的でない。
魔法を使わずとも空を飛べる唯一竜を逃走の手段とできれば、“聖域”を素早く抜けることが可能となる。
「仮に唯一竜を仲間にできたとしても、魔法が使えなきゃ壁を壊して脱獄できないにゃ」
ニャプチの指摘はもっともだった。
だが、牧緒は怯むことなく続ける。
「あぁ、唯一竜にはできない。でも、唯一竜の監房に入ることができれば……監獄の魔法防御を解除できるかもしれないんだ」
「どういうことにゃ?」
牧緒は時間をかけて詳細を説明した。
それはあまりにも杜撰な計画。仮定を前提に仮定を重ねた脆すぎる蜘蛛の糸。
「――これで勇者の問題も解決する! ニャプチの協力があれば必ず出られる!」
必ず……という言葉をニャプチは信用できずにいた。
聞けば聞くほど無茶な計画に思えたからだ。
「マキオの考えが間違っていたらどうするにゃ?」
「その時は俺が死ぬだけだ。ニャプチにデメリットはない」
ニャプチは「むむむ」と唸りながら眉間にしわを寄せて考え込む。
あと一押し……牧緒は自身の身の上を語り始めた。
「信じられないかもしれないが、俺は異世界から来た人間なんだ」
ニャプチはそれに反応しない。ただの戯言だと無視したのかもしれない。
異世界の存在は魔法が当たり前のこの世界においても、信じられていないのだから仕方ないだろう。
「妹と弟たちのために、俺は元の世界に戻らなきゃならない。もう二年以上も離れ離れだ」
「二年も経ってたら野垂れ死んじゃってるかもしれないにゃ」
人間と同じモラルを持ち合わせないニャプチは、悪気なく思ったことを口にした。
「俺のいた世界……と言うより国は平和だし、福祉もそれなりだから元気にやってるとは思う」
「じゃあ安心にゃ。命懸けで脱獄なんて、する必要ないんじゃないかにゃ?」
「それじゃダメなんだ。俺が諦めるわけにはいかない」
牧緒は拳を強く握り、唇をかみしめた。
「同じ別れでも『二度と逢えない』と『いつか逢える』は、全然違うんだ。あいつらには、もう同じ思いをさせたくない」
思い出すのは、両親を失った時のこと。
その日から牧緒は、残された家族を守ると決意した。
「……分かったにゃ。暖房がなくなるのは困るけど、協力してやるにゃ」
「ありがとう!」
牧緒はその手を強く握りしめた。
翌日の刑務作業。
手始めに、牧緒はある男に近づいた。
地下鉱山の上層にある数少ない横道を進むと、一際広い空間に出る。
そこには刑務官の目は無く、作業もせずに悠々自適に過ごしている者たちで溢れていた。
ニャプチがいなければ、つまみ出されるか殺されていただろう。
牧緒は周囲を見渡し、一番奥に鎮座する大男のもとへ歩み寄る。
異彩を放つその者こそが、ここのボスであると牧緒は判断した。
「こんにちは、俺は牧緒といいます」
相手の名はオルガノ・ロスガーデン。
座っているにもかかわらず、見上げなければならないほどの体躯。
長髪を結い、髭を蓄えた妙に小綺麗な身なりの老人は、鋭い眼光を覗かせていた。
「何の用だ」
「俺とニャプチを上層で働けるようにしてもらえませんか? 下層の環境は俺には辛くて……」
牧緒は笑顔を見せながら、憚らずに簡潔に伝えた。
「論外だ。後ろの獣人に敬意を払い、話しだけは聞いてやったが……それ以上を望む資格は無い」
牧緒の背後でシャドーボクシングをしながら周囲を威嚇するニャプチを、オルガノは顎で指して言った。
「もちろんタダとは言いません。ニャプチなら、あなたの事業のお役に立てるはずです」
「……どういう意味だ?」
「ニャプチに媚びる者たちを、あたなの賄賂の財源にできます」
囚人であるオルガノが実質的に刑務作業を免除されている理由は、刑務官への賄賂以外にない。
だが、ヴァーリア監獄では面会はもちろん、外部から物資を受け取ることも許可されていない。
外にいる仲間が手を回している可能性もあるが、信頼性に欠ける上、恒久的な財源を保証できない。
ならば、その財源は魔法石の採掘で発見される副産物……金や宝石の類であろう。
他の囚人を恐怖で支配し、それらを徴収すればそれなりの価値になる。
本来、魔法石と共に全て回収されるが、特定の刑務官と結託して一部を刑務官個人の懐に入れさせることは不可能ではない。
それが賄賂の財源である……と牧緒は推理した。
オルガノはニャプチに媚びる者たちを取り込むことができていない。
それはニャプチ自身を敵に回すことになり得るからだ。
それほどまでにニャプチは強く恐れられていた。
「どうやってその獣人を籠絡したのかは知らんが……それが可能ならば、貴様自身でやればよいだけの話だ」
オルガノはなかなか首を縦に振らない。
「あなたと争うことは避けたいんです。俺はあと四百年、つまり死ぬまでここにいなきゃならない。俺が役に立つことを知ってもらい、あなたの庇護下に入れてもらえれば安泰だ」
単体の獣人だけを誇示するよりも、刑務官と既に繋がりのあるカリスマ性溢れる男を選ぶのはごく自然な流れ。
牧緒の真の目的をオルガノが見破れるはずもなかった。
「……貴様は何の罪でここに来た」
それは牧緒が信頼に足る者であるかを探るための問い。
「国家反逆罪……でも冤罪です。俺は誰も傷つけていないし、反逆する意思もなかった」
裏切りを連想させたくはなかったが、刑務官から真実を聞き出せるオルガノに嘘はつけなかった。
オルガノはしばらく黙って牧緒を見つめた。
「ここにいる者は、冤罪などとは口にしない。やれ誰を殺した、やれ何人殺したなどと、罪は勲章のようなものだと考えている」
何やら要領を得ない発言に牧緒は戸惑い、返す言葉が思いつかない。
「……いいだろう、貴様らを上層の刑務作業に加えてやる」
ようやく望んだ言葉が発せられた。
周囲の部下たちがざわめき立つ。彼らにとっては異例の決定だったのだろう。
「刑務官には話を通しておく。明日から上層で自由に過ごせ。必要な賄賂のノルマは別途伝える」
牧緒は深く頭を下げてその場を後にした。
「なんだかアッサリ上手くいったにゃ」
「確かにそうだな。俺の罪状ならもっと揉めると思ったんだが……冤罪だって信じてもらえたみたいだな」
牧緒は結果が良好であったことを呑気に喜んだ。
だが、オルガノが少ない問答の中で牧緒を信用したはずもなかった。
彼は、比較的弱そうで穏やか……それでいて行動力のある牧緒が必要と判断して取り込んだ。
牧緒と同じように、オルガノにも隠された思惑があったのだ。
牧緒には、それを見破ることはできなかった。