36話 新世界
牧緒は、息を吹き返した幼い魔術師に視線を移す。彼女はリデューシャを数十秒の間、無力化した。
断続的に同じことができるとしたら油断はできない。
牧緒は、黒い鎧に紫の炎を纏う騎士に思考を巡らせる。彼の口ぶりから、まだ全力でないことは明らか。
その上、上半身と下半身を切り離されても尚、戦闘の継続が可能。気付けば、肉体も元通り接合されている。
牧緒は、勇者の真意を掴み取ろうとする。
リデューシャの拘束は、絶好の好機。にもかかわらず、牧緒に手を出すことはなかった。
ニャプチが予想外の戦力となって牙を剥いたことが理由の一つだろう。しかし、その相手はゴーヴァン。
それを把握した後も尚、身を守る仕草を解除しなかったのは、それだけレトロが弱っているからに違いない。
だが、レトロの言う切り札が本当に存在するのか判断する明確な手段はない。
レトロは、異質の能力を揮う獣人を視界に捉える。それはゴーヴァンを力でねじ伏せた。
物理的な干渉を無視して全てを断ち切るはずの魔法を、小手先で蹴散らした。
一切の情報はそれを示唆していないが、この獣人も“終末級”に足る存在かもしれない。
レトロは、未だ真偽不明の魔王を内包するユレナの様子を窺う。
牧緒は魔王覚醒の方法を知っているのか、知らないのか……無駄に思考させられた結果、結論が曖昧になる。
レトロは、牧緒の目的を解き明かそうとする。
彼は唯一竜の救出にやって来た。そして初めから、対話を望まんとする態度であったのは間違いない。
しかし、戦闘が始まったことで、対話による解決は既に不可能に近い。
牧緒が今望むのは開戦か、休戦か。後者であったとして、彼らの今後の動向をどのように探るか……。
「バルバラを、どうやってここまで誘き出した?」
牧緒は、それが正式な手続きの元に行われたのか、それとも強硬手段であったのかを判断したかった。
「示したのさ。君たちが既にヴァルキア皇帝陛下の庇護下ではないと」
レトロは詰まることなく答える。これだけでは、牧緒が本当に知りたいことは分からない。
「ウオラ王国の扱いはどうなってる?」
ヴァルキア皇帝が決断を下した理由は何か……そう考えたとき最も可能性が高いのは、ウオラ王国と【悪の特異点】が繋がりを持ったと判断した場合。
諜報員への攻撃を気にして、【悪の特異点】を従えるという立場を捨てるような真似をする皇帝でないことを、牧緒は理解している。
ならば、そう思われたきっかけは何か。
牧緒たちが迷いの森に姿を消したのは確かだが、バルバラがウオラ王国に滞在し続けていた事実がある。
しかしそれだけでは、裏切りとまではいかないはずだ。何者かが裏切りを裏付ける何かを、進言する必要があるだろう。
それができるのは、ウオラ王国の者のみ。
牧緒からしてみれば、ベイランがそれほど大それた行動をとるとは思えない。
ならば恐らく、ビシャブ王だ。
「ウオラ王国は、世界の敵となった」
レトロはありのままを告げる。
その一言で、牧緒は状況を把握した。どうやってバルバラとの戦闘に至ったのか、その経緯までも。
ビシャブ王は勇者に助けを求め、そして裏切られた。
「これじゃあ、どっちが悪者か分かったもんじゃないな」
牧緒は怒りを内に、冷静さを保てる限界の中で精一杯の悪態をつく。
「君たちが脅威である限り、私は正義さ」
レトロはそう言って笑った。
「降りるか降りないかは、お前次第だ」
牧緒は挑発した。
「手の内の探り合いは終わりか? 私はコールする」
レトロは受け取った決断を投げ返す。
「よく考えろ、ここが人類の分水嶺だ」
それを受けて、牧緒は自らを【悪の特異点】の盟主と認め、人外の立場に身を置くことを決意した。
「………………いいだろう」
折れたのはレトロだった。彼は、牧緒の役を高く見積もった。
もしかしたら、牧緒自身が戦えるだけの力を持っている可能性……それはニャプチという想定外の存在がもたらした思考の亀裂。
「ミリー、ゴーヴァン、ここは引く」
レトロは振り向き、指示を出す。
「次は殺す」
「やだにゃ~」
ゴーヴァンが威嚇するも、ニャプチは馬鹿にするように表情を歪めて受け流す。
「勇者様……行きます! 身勝手な招集:裏!」
レトロたちは淡い光に包まれる。
「私の名前はレトロ・ウォーハート。次はサシで勝負しよう」
「あぁ、望むところだ」
去り際に、レトロは牧緒と契約を結ぶ。
そして彼らは、光の線となって彼方へと消えた――。
牧緒は崩壊したウオラ王国の城下町の惨状を目に焼き付けていた。
勇者によってもたらされた破壊は、甚大な被害を出した。
死傷者多数。生き残った民たちが必死に瓦礫をかき分け、新たな生存者を探している。
その背後から、全長三メートルはあろうゴーレムが現れ、両手一派に瓦礫を掬って手助けする。
それはリデューシャが魔法で生成した人口魔物。数匹のゴーレムは町中を巡る。
「ほらほら、ここがいいのか?」
「ふにゃにゃにゃにゃ」
広がる光景とは裏腹に、リデューシャとニャプチが戯れている。
ニャプチは首筋から顎にかけて撫でられ、腰をポンポンと叩かれて至福の顔をする。
そんな様子をユレナは寂しそうに眺めていた。仲良くなったニャプチを取られたように感じているのかもしれない。
「いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
「フフ、獣人など、まま猫の様にあやせばこの通りよ。ほれほれ」
牧緒の問いに、リデューシャは喜々として答えた。どうやらニャプチは魔女の御眼鏡に適ったようだ。
ニャプチが見せた異常な強さは、牧緒の想像を超えていた。それはリデューシャにとっても同じだった。
「ふにゃにゃにゃにゃ」
(お前はそれでいいのか……?)
喜ぶニャプチを不憫に思いながら肩を落とした牧緒のマントから、小さな橙色の光が顔をのぞかせた。
それは、ほんのりと熱を持っただけの炎。
「もしかして、それはバルバラ様ですか?」
「いや、こいつは……」
ユレナは、まるで生きている様に動く炎が、かつて牧緒について回っていたバルバラの炎であることに気付く。
しかし、牧緒の反応はそれを否定するようであった。
「それは魔法により生み出された生命だ。唯一竜その者ではない」
当然、リデューシャはその正体を見抜いている。
レトロとバルバラの戦場跡。その大地に消えることなく揺れていた小さな炎は、魔力供給を断たれても尚、生きていた。
それは縋る子猫の様に牧緒の元までパタパタと跳ねて、体をよじ登って懐に忍び込んだ。
「リデューシャに頼んで生かしてもらったんだ」
バルバラに与えられた魔力を燃やし尽くせば、いずれ炎は死ぬ。
それを回避するために、リデューシャが遠隔で自身の魔力を供給できるように調整した。
魔法を発動した本人の魔力でないが故に、それは延命に過ぎない。
魔力を消費して火力を上げることも、燃焼範囲を広げることもできない。
「触れてもぬるま湯程度。見てくれだけの炎だ。しかし、マキオに懐いているようだしな。何かの役には立つかもしれぬ」
そう言って、リデューシャは引き続きニャプチを撫でまわした。
「……バルバラ様を治す方法を見つけなければなりませんね」
「あぁ、やることは多い……」
ユレナはバルバラが生きていることを強調し、牧緒を元気づけたかったのだが、むしろ逆効果だった。
そうこうしていると、陰鬱な顔の牧緒の前にベイランとその側近たちが現れた。
王城はほぼ全壊。しかし、ベイランは丁度別にいて、九死に一生を得たのだ。
「マキオ様……この度の失態は――」
「良い。寧ろ悪かったな……奪われた命まではどうすることもできないが、この国は必ず俺が復興させる」
世界を敵に回してしまった以上、今更【悪の特異点】との関係を断つことも叶わない。
ベイランにできることとすれば、歯を食いしばり、ひれ伏すこと。そして【悪の特異点】が世界を席巻することを祈るだけ。
それだけがベイランに残された唯一の逆転の道。
「まずはリデューシャの召喚したゴーレムたちと共に、損壊した建造物の修繕に努めよ。俺は少し用がある。何かあれば明日聞こう」
「はっ!」
ベイランはいつもの様に深々と頭を下げて牧緒を見送った。
牧緒は街の外れの広場に向かった。
そこで、ある人物と落ち合う約束をしている。
少し長めの階段を上ると、石のベンチに座って夕日を眺めるオルガノの後ろ姿が見えた。
牧緒が近づくと、その背中は問う。
「この国を救い、勇者の脅威に備え、この世界から逃げる……どうやって実現するつもりだ?」
「国を作る」
清々しいほど簡潔に、牧緒は言い放った。
「……それにどれほどの時間と労力が必要か分かっているのか? 国民はどうする? ただ国として名乗りを上げるだけか? それに何の意味がある? 政治的に解決できる問題など、今更あるまい」
オルガノは当然その発言を一蹴する。
「俺をこの世界に連れてきた奴は、神を自称する異端審問官たちの主君だ」
牧緒は持論を展開する。
異端審問官について、リデューシャの知る限りを聞き出した。その結果至った結論だ。
迷いの森でキュラハが最後に言った『あなたをこの世界に連れてきた本当の人物を教えてあげる』という発言。
それは、森を出た後の保身のための言葉。彼女が本当にその人物を知っている可能性は低くない。
だとすればその人物は彼女の主君か、その配下にある誰か。
そうでなくとも、神を自称する者なら何か知っていてもおかしくない。
「異端審問官たちは、世界の歴史を人間に都合の良い物に書き換えようと必死だ。聞くところによると、獣人やドワーフ、エルフなんかの種族を排斥する動きもあるらしい」
「まさか、人間以外を中心とした国を作ると?」
「あぁ、そうだ。特に獣人を奴隷にしている国は多く存在する。そんな彼らを救い出して、国民として迎え入れる」
魔法大国シオンレウベの神は、その姿を下々の前に現さない。
鎖国しているわけではないが、他国との交流や貿易も著しく少ない。
正式な手続きでは謁見は叶わないだろう。
力づくでは、逃げられる可能性もあれば、勇者に邪魔される可能性もある。
その点、あえて獣人を中心とした国を作れば、人間至上主義の自称神はそれを良しとせず、自らこちらに接触してくるかもしれない。
「国を作れば、勇者に対抗する戦士を育成できる。世界が俺たちを脅威だと思っているなら、その力を拡大してやろう。そうすれば、ウオラ王国にも簡単に手が出せなくなるはずだ」
強大な力を持つ国を作り、ウオラ王国と同盟を結べば、結果的にウオラ王国を守ることに繋がる。
「これで全部解決だ。だろ?」
牧緒はそう言って、オルガノの肩に手を置いた。即座にそれは叩き落とされる。
「言っただろう。時間がかかりすぎる。既に政治的にどうこうできる状態にないのだ……しかし……」
オルガノは提案する。
「世界を創れ。かつての魔王が魔界を定義した様に。無法に、奔放に、我儘に領域の主であることを主張すれば良い」
国でなければ、国家間の政に関与する必要はない。
国でなくとも王を名乗れば、他国と同盟を結ぶこともできるだろう。
国でなければ、誰であろうと受け入れ、自由な生活を保障し、その安全を守護できるだろう。
国でなくとも王を名乗れば、その求心力によって民と呼べる力を得られるだろう。
もちろん、そんなことは絵空事だ。都合の良いように想像した世界に過ぎない。
「私が何とかしよう」
だが闇ギルドを束ね、世界を裏から牛耳っていたオルガノは、自信をのぞかせる。
「“終末級”の力と私の経験、貴様の知恵があれば新世界を成すことは可能だ」
「俺の……知恵、か……。ついにオルガノも俺のことを、過大評価してくれるようになったんだな」
「あぁ、私も貴様を過大評価しているとも」
牧緒の嫌味は伝わった。しかし、彼を中心にして世界が動いたのは確か。
オルガノはその“無力な男”を、利用するに値すると評価した――。
世界の誰も知れぬ野望が、【悪の特異点】のいなくなった迷いの森で蠢いている。
ポグロは自身の住む館の地下を進み、薄暗くて蜘蛛の巣が張る螺旋階段を下る。すると一転して明るく荘厳な空間が現れた。
「彼らは出ていきました。もう、よろしいかと」
ポグロがそう言うと、部屋の中央に据えられた薄いカーテンの向こうで、息遣いが聞こえ始める。
それはこの数日間、呼吸を止め、魔力の放出を抑え、身じろぎもせずにただベッドの上で横になっていた。
まるで死体の様に過ごしたそれを、誰も感知することはできなかった。
「そうか……、まさか反転を適用するとは。才能に溢れた魔法使いがいたのだな」
それは、か細い声で驚嘆する。
「この森の道については、知られておりません」
「よろしい。だが出る方法を知ったのならば、また戻って来るかもしれない。留意せよ」
それはゆっくりと起き上がり、カーテンの隙間から白い腕を差し込んで、その姿を露にする。
透き通るような長い髪と、複数の耳飾りを施した長い耳。
この森の創設者にして、最初の住民の一人。
六百年以上を生き、未だ健在するエルフであった。
「道の完成は、お前の代には終わるのか?」
「はい、もうすぐです。ご想像よりも早くお目にかかれるかと」
「それは良かった。では久方ぶりに我が魔力を道に流すとしようか」
そう言ってエルフは歩き出した。
迷いの森を進むことはできない。
進めば反転、或いは反復。
それは、地中であっても同じく。
それは、空であっても同じく。
誰も、上空からこの森を見下ろすことは叶わない。
誰も、続く道の意味を知るに至らない。
大樹を伐採し、根を掘り、燃やし、土を固める。
何代にもわたり、住民が作り続けた道に、エルフの魔力を流し込む。
こうして作られるのは、巨大な魔法陣。
誰にも邪魔されないために、迷いの森という亜空間を作り出し、六百年をかけて創造される。
「いずれ世界の全ては“聖域”となる……」
エルフは数日ぶりの日差しに当てられて、感傷的になる。
迷いの森は世界の魔法陣となるべく、今も道は広がり続けている――。
第二章最終回となります。
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