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35話 切り札

 牧緒とレトロは対峙した。


 レトロは牧緒を前にして、僅かに後ずさり、目線だけを空に移した。

 警戒するのは強欲の魔女リデューシャ。


 光の魔法で半壊した肉体を補強しているが、死すらも覆すそれは破竹の勢いで彼の魔力と体力を消耗していく。

 この状態でリデューシャに勝利することは難しい。だが、警戒はされているが攻撃を仕掛けてくる様子はない。


(私が満身創痍であることは分かっているはず)


 そうだとしても、魔剣ドレスならば五メートル離れたこの場所からでも牧緒の首を刈ることができる。


(魔女はマキオに手を出されることを警戒しているのか? ならば何故、マキオはわざわざ私の前に……)


 レトロは血と酸素の不足した脳で状況を整理して、現状を打開する方法を考える。

 その時、光の線が流れ星の様にレトロの背後に落下した。

 舞い上がった土煙から姿を現したのは、ゴーヴァンとミリオン。


 援軍は二人。それを確認して、牧緒はユレナを手招く。


「姿を見せてやれ。魔王」


 牧緒がそう言うと、ユレナの姿は変わった。

 その姿は、かつてレトロが目にしたものと同じ。黒き双角が光りを反射している。

 しかし、これはユレナが腰に差したレイピア……その魔法具により行使された幻影魔法である。

 事前に、魔王覚醒時の容姿をリデューシャが魔法で映写し、それをユレナが覚えて模倣した。


「俺は勇者をヤる。それでいいな?」


 ユレナは魔王に成りきって言う。生涯悪役を演じた彼女の演技には誰もが騙されるだろう。

 しかしレトロは、彼女の体外に放出される魔力量によってそれが嘘だと見抜いていた。


(魔王は覚醒していない。だが、こんな稚拙な嘘を魔女が良しとするはずがない。魔王覚醒の方法を、マキオは既に特定している……!)


 分かりやすい嘘を餌にして食らいつかせる。

 手持ちの手札(カード)をブタだと思わせて勝負させる小細工だとレトロは考えた。


(私はほとんど戦えない。ゴーヴァン一人では“終末級”二人を相手にするのは難しいだろう。ここは引くか? いや、ミリーがいれば勝機はあるか?)


 長いようで短い時間。レトロの思考が導き出す答えが何であろうと、牧緒にはどうでもよかった。

 牧緒は駆け引きをしたいわけではない。レトロに裏の裏の裏、と……無駄に考えさせること自体が目的だ。

 バルバラとの戦闘で分泌されたアドレナリンを落ち着かせ、話し合いのテーブルにつかせることができたのならば、レトロをこちらに引き込むことも不可能ではないと考えた。

 牧緒たちは平和を脅かすつもりはない。ただ元の世界に……異世界へ行きたいだけだ。

 勇者の地位を利用できれば、各国の協力も得ることができ、異世界へ行く方法を探す近道となるだろう。


「勇者……俺は――」

「お前、対話を求めているな?」


 牧緒の言葉は遮られた。

 レトロは気付く。勝負に誘い、負け戦に乗らせるつもりではない。勝負から降りさせるのが目的だと。

 彼は深く読み過ぎた。最終的に、牧緒の手札(カード)がブタであると判断したのだ。

 まさか【悪の特異点(マレフィキウム)】の盟主が、互角かそれ以上の状況で勝負を仕掛けないはずがない。

 だからレトロは勝負することを決めた。


「ゴーヴァン!」


 名を呼ばれたのと同時に、ゴーヴァンは手のひらを前面にかざした。

 無詠唱にて行使された魔法【確実なる死(インフェルヌス)】は、走るような黒煙を噴き出した。

 それは牧緒はもちろん、上空から見下ろすリデューシャの視界すら遮る。

 しかしその実態は煙幕に留まらない。触れれば問答無用に命を奪う即死魔法である。

 

「マキオ!」


 リデューシャが黒煙の危険性を見抜き、警告しようと声を上げた。

 しかし、それと同時にミリオンが対魔女のために用意した魔法を行使する。


身勝手な拘束ファルサ・インペリウム(アルバス)!」

 

 その詠唱によりリデューシャの体は硬直し、宙に浮いたままその身の自由と魔力の操作を封じられる。


「これは……!」


 リデューシャはその強力な魔法に驚愕する。

 未だかつて彼女の自由を奪った者など、ただの一人もいなかったからだ。

 ミリオンの掲げる杖は重さを増し、彼女の体を押しつぶそうとする。

 腕をプルプル振るわせ、額に汗を流しながら杖を支え続ける。


「一分だけ……、一分だけ魔女を足止めしますです! 後はよろしく‼」


 レトロはその声に答える様に、魔剣ドレスを構えた。

 魔女を倒すことは最優先ではない。今するべきことは【悪の特異点(マレフィキウム)】を統べる者を殺すこと。

 黒煙の向こうにいる牧緒を両断する。そのためにレトロは一歩踏み込んだ。


「うにゃあああああ~!」

 

 本人にとっては気合の叫び。しかし、周囲からすれば何と間抜けな伸びた声だろう。

 死を運ぶ黒煙の中から飛んでくる、靴の底――それはニャプチの両足だった。


「ごっ、ぶがああああああ!」


 ゴーヴァンの顔面に、ドロップキックが決まる。

 目にも留まらぬほど一瞬にしてゴーヴァンは吹き飛び、遥か遠方の台地に衝突する。

 水飛沫ならぬ土飛沫が、雲に触れるのではと錯覚するほど、高く噴き上がり道を作った。


「は?」


 レトロは起きた出来事を瞬時に理解できず、吹き飛んだゴーヴァンの方を振り向くこともなく声を漏らした。

 振り抜くつもりだった魔剣ドレスは、身を守るために眼前に構えるに留まった。


「……こんな切り札を隠し持っていたのか」

「手札は弱く見せる(たち)でね」


 牧緒は間を置かずに答える。

 実際には何が起きたのかも、レトロが何を言っているのかも把握できていない。

 しかし、自分たちにとって優位な状況が展開されたことだけは分かり、見栄を張った。


「にゃにゃにゃにゃああ~! ばっちこーい、にゃ!」


 ニャプチのミサイルの様な跳び蹴りにより、黒煙は飛散して消えた。

 久々に体を思い切り動かしたニャプチは、喜々とした表情で片足を上げ、猫手にした両腕を掲げる。

 それは体を大きく見せようとする動物の威嚇の様でもあり、この世界には存在しない中国拳法の構えの様でもあった。


「あいつ……なかなか面白い奴だな」


 高らかに雄叫びを上げるニャプチを見て、リデューシャは呆けつつも、その特性に興味を持つ。

 絶対効果魔法による絶対的な死を、完全に無視した一撃。

 無策にその身を投じた様にしか見えないが、事実ニャプチは生きている。


「うにゃ?」


 ニャプチの視界に、黒い光が映る。光の先には、ゴーヴァンの肉体があった。

 魔法による超高速移動。その速度を保ったまま、剣は振り下ろされた。


確実なる断罪(ダムナティオ)‼」


 その斬撃の軌跡は、大地を分かつ黒き壁として目視できた。

 永遠に標的を追い、永遠に切り刻み続ける終焉を告げる魔法。

 一度放たれれば、自身には確実な勝利を。相手には確実な死を与える。


 しかし、世界の(ことわり)をも崩しかねないその絶対効果魔法は、その役割を見失う。


「にゃおおおんんん‼」


 ゴーヴァンが目にしたのは、できるはずもない真剣白刃取り。衝撃波に過ぎないそれを、確かに掴んでいる。

 黒き斬撃はニャプチの小さな両手に挟まれ、その体を二分するに至らない。

 ニャプチは踏ん張るも、大地を走る斬撃に押され続ける。


「んにゃにゃにゃにゃにゃにゃああああ!」


 手首、腕、肩、腰の順に体を捻る。

 それに合わせて、両手に挟まれた黒き斬撃も形と軌道を変える。まるで熱いままに練られる、飴細工の様に。

 そのまま体を一回転させ、掴んだ斬撃を放ち返す。


「俺は……何を見せられているんだ」


 ゴーヴァンは、生涯感じたことのない「あり得ない」を飲み込めずにいる。

 勇者との戦いは至極真っ当な物であった。だから負けを認め、彼の騎士となることを選んだ。

 今、目の前で起こっているコレは、不条理としか言いようがない。

 こんな敗北は許されない。


 黒き斬撃はゴーヴァンの胴を真っ二つにした。一緒に斬られた両腕と共に、上半身が地面に落下する。


「ボクの勝ちにゃー!」


 ニャプチはぴょんぴょん飛び跳ねながら勝利に酔う。


「全く、ふざけた獣人だ……」


 兜から発せられたくぐもった声が、ニャプチの耳に届いた。

 ゴーヴァンの体と腕は、紫色の炎を纏い宙に浮く。彼が身に纏う呪われた鎧は、彼を死から遠ざける。


「まさか唯一竜でも魔女でもなく、お前の様な者に全力を出すことになるとはな……」


 復活したゴーヴァンの態度に、ニャプチはニヤリと笑いながらもその首筋に冷や汗が伝う。


「そこまでだ」


 ここまで、僅か一分にも満たず。

 ここまで、誰一人の死も無く。

 ここまで、誰も本当の脅威に触れていない。


 リデューシャの拘束が、解かれた。


「そんな……、まだ全然一分経ってないです! うううう!」


 ミリオンが膝を付いて息を荒げる。

 リデューシャは内から膨大な魔力を放出し、自由を縛る不可視の拘束具を膨張させて強引に破壊したのだ。


 完全にノーマークだった一人の獣人に、レトロたちは翻弄された。

 牧緒の首は落とせず、動けないリデューシャを仕留める予定だったゴーヴァンは近づくことすら叶わず。

 結果、魔女の反撃を許してしまう。


紫電霹靂(しでんへきれき)――」


 空間を照らす紫色の光。

 走る(いかづち)の音が轟く前に、幾度となく生命を維持するための器官を焼く。

 それは魔力を伝う雷電。魔力を持つ者ならば、物質の電気抵抗を無視して実質的に超伝導体と化す魔法。

 それ一撃では、勇者も“終末級”のゴーヴァンも打ち倒せないだろう。

 しかし、永遠に流れ続ける電流からは逃れられない。


「強きを自負する者に、慈悲は不要。今なら勇者も殺せるぞ?」


 宙を舞うリデューシャが、ゆっくりと降り立って言う。

 牧緒はすぐには答えない。


 そんな僅かな沈黙を、レトロが破る。

 焦げた匂いを漂わせながらも、まだ自分の力で立っている。

 半身が光りその物と成っているレトロに対しては、リデューシャの魔法は本来の効果を維持し続けられなかったようだ。


「君たちが乱入してくる可能性は……考えていたが、あり得ないと思っていた」


 迷いの森の謎は、もっと牧緒を苦しめるものだとレトロは考えていた。

 少なくとも、唯一竜を倒して体制を整えるまでは持つはずだと。


「だが、私も切り札を残している。それに、まだ全滅したわけじゃない」


 レトロがそう言うと、ガチャガチャと音を立てながらゴーヴァンが立ち上がる。

 既にその体から電流は抜けている。一度死ななければ逃れられないはずの魔法は、既に効果を失っていた。

 そして同時に、ミリオンも息を吹き返した。


「ぷはっ! わわわ、死ぬ前に死んでてよかったぁ!」


 その言葉の意味は誰にも伝わらないが、彼女が蘇生するための手段を持っているのは確か。


「さぁ、どうする?」


 レトロは、牧緒に問う。状況は牧緒が有利。

 ニャプチが“終末級”と互角にやり合える以上、勇者側の戦力が劣る。


 それでも牧緒は、手が出せない。

 勝敗が明らかであるからこそ、戦闘の継続を良しとするレトロの考えに引っかかる。

 牧緒と同じように、手札(カード)を弱く見せている可能性も大いにある。

 

 事実、レトロには勝算があった。

 確実ではないが、自身の原型魔法に由来する切り札がある。


 二人は沈黙を以って、互いの腹を探る。


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