34話 脱出
迷いの森の中でも一際大きな屋敷のバルコニーで、ポグロは煙管をふかしながら、雲一つない空を仰ぐ。
その背後で、久しぶりに仰々しいマントを羽織った牧緒が、神妙な面持ちで佇む。
牧緒は全てを話した。森から出る二つの方法と、そのどちらを選択したのかを。
「まさか、これほど早くお気付きになられるとは。あの御婦人が、魔物たちを瞬く間に制圧するのを見たときは、内心震え上がっておりました」
ポグロは軽く咳き込みながら、優しい口調で語る。
その言いようは、初めから迷いの森から出る方法を知っていたかにも聞こえる。
「もしもの時、我々では太刀打ちできませんから……」
ポグロは、この森に牧緒が探す魔術師が存在しないことに気が付いていた。
街を監視する者たちは、この森に入った人間を見逃さない。
それでも真実を伝えることなく静観した。
まずは牧緒たちの善悪を見極める必要があったからだ。
ポグロをはじめとする住民たちが導き出した答えは、悪い人たちではなさそう……という漠然としたものだった。
仮に良くない者たちだったとしても、抑え込めると思っていた。
この町には元冒険者や戦士たち、またはその子孫たちが多くいる。
日頃から森の奥からやってくる魔物たちと戦い、街を守ってきた彼らなら、それが可能だと判断した。
しかしその幻想は、リデューシャが魔物たちを瞬時に凍結させたあの日に壊された。
「もしも、あなたのお考えが間違っていたとしたら……どうなさるおつもりですか?」
「その時は悪いが死んでもらう。俺もできる限り、他の選択肢を探すつもりだが……あまり時間がない」
もしも反転の方法が誤りであれば、反復……つまり皆殺しの方法も誤りである可能性が高い。
だが、可能性は全て試す必要がある。
「そう、ですか……。分かりました、協力しましょう。あなた方の肉体が森を進む間、腕に自信のある戦士たちを護衛に付けます。私が声を掛ければ数分で人を用意できますので、モニュメントの前でお待ちください」
魂の抜けた肉体は無防備になる。
森林に入ってから百メートルほどは、反転も反復も発生せずに真っすぐ進むことになる。
その間の護衛を、牧緒はポグロに依頼した。
だが、本来ならその必要はない。
魂の状態でも魔法を使うことができるリデューシャがいれば、襲い来る魔物を恐れることはない。
「何故全て話す? 奴らの方が妾たちの体を襲うやもしれんぞ?」
屋敷から出てきた牧緒を迎えるや否や、リデューシャがその行動を咎める。
「それを見極めたいんだ。もし彼らが凶行に走った時は、頼む」
リデューシャにはその真意が分からない。しかし、口をへの字にしながらも仕方なく頷いた。
牧緒がポグロたちを頼ったのは、迷いの森を今後も利用するため。
脱出の方法が分かっているのなら、これ程利便性と機密性の高い空間はないだろう。
ただし、住民が信用に値するかどうかが重要だ。
魂の抜けた一見無防備な肉体を、保身のために攻撃するようなことがあれば、森は利用できても住民を利用することはできない。
牧緒は皆殺しの可能性もポグロに提示してある。
それは望んでいなかった恐怖による支配に等しい。しかし、今の牧緒はそれを良しとするだけの精神状態にあった。
暫くして、全員がモニュメントの前に集まった。
脱出の対象人物はキュラハを含む六名。ポグロが招集した、十人の猛者たちが護衛として付く。
まず、リデューシャがオルガノの背に触れて、魔力を注ぎ込む。
「先に魂を抜かないのか?」
牧緒は手順を不安に思い、念のため確認した。
「あぁ、問題ない。見たところ、【死者への冒涜】は生きた人間にもかけられる。魂が抜ければ、効果を発揮するだろう。命じる動きは『森を進め』だ」
闇の魔法は適性者が少ない。魔法具や魔法陣を入手しても、発動できるとは限らない。
だからこそ、護衛たちは【死者への冒涜】という言葉を聞いて驚愕する。
類似する闇の魔法は存在するが、実際に扱える者は歴史の中でも数えるほどだからだ。
「マキオ君。森から出られたら、あなたをこの世界に連れてきた本当の人物を教えてあげる」
この土壇場で、キュラハが餌をちらつかせる。
そう、彼女は漠然と不安を感じている。何の話し合いもなく、自身が当然の様に脱出組の六人に含まれているからだ。
外に出た後、拷問の限りを尽くしてあらゆる情報を吐き出させるつもりかもしれない……そんなことを想像してしまう。
だからこそ、必要な情報を提供する準備があり、今度こそ本当に協力するという意思を伝えた。
魔女の封印という役目を果たせるのなら死んでも本望。しかし、そうでないのなら生に執着もする。
「そうか、分かった」
牧緒は素っ気なく返事をした。そしてリデューシャに歩み寄り、耳元で囁く。
「もしも魂の数が合わなければ、異端審問官のそれを置いて行け」
リデューシャはその意味を理解した。目配せだけでそれを承知する。
「では、今度は魂を抜く。次に目にするのは、森の外の光景だ」
キュラハと牧緒のやり取りなどなかったかの様に、リデューシャは両手を開き、五本の指を合わせて言った。
「神無廻天――」
詠唱と共に、牧緒たちは意識を失った。
どれぐらいの時間がたったのか、彼らはそれを感覚で掴めない。
ただ、一瞬の出来事として認識せざるを得なかった。
最初に目にしたのは、広がる草原。それは迷いの森に入る前に見たアーチの下から望むことのできる風景。
振り返ると石板と魔法陣、そして樹木に覆われた行き止まり。
「戻って来たんだな……本当に」
牧緒は唇を噛み締める。トラブルもなく、無事に脱出は完遂された。
「あの……キュラハさんの意識が戻らないんですが……」
ユレナが横たわったキュラハの頭を膝に乗せて言う。
「そうか、やっぱりユレナの魂と魔王の魂は別物だったか」
牧緒があっけらかんと言い放つ。
ユレナの中の魔王を含めると、魂の数は七つ……脱出の条件に合致しない。
だから牧緒は、キュラハの魂だけを迷いの森に置いてくるように指示した。
「マキオ、急いだ方がいい。事は既に佳境に迫っているようだ」
リデューシャは、彼方から鬼気迫る何かを感じ取り、牧緒を促した。
パチンと指を鳴らすと五枚の黒い壁が出現する。それと同時に、キュラハの肉体は地面を覆った陰に飲み込まれていった。
「少し距離をとって、別々の場所に出るようにしてある。一網打尽にされるのは御免だからな」
「分かった、行こう!」
向かうはバルバラの下へ――。
勇者レトロと、唯一竜バルバラの戦地より遥か彼方。
万が一に備えて、勇者の腹心たちは爪を研いでその時が来るのを待っている。
一人は勇者の右腕にして、表裏を司る賢者、ミリオン・フェルミノス。
幼い少女とは思えないほど静かに、深く、精神を統一している。
大地が纏う微かな魔力すら、その小さな体に引き寄せて凝縮していく。
一人は勇者に敗れし“終末級”の暗黒騎士、ゴーヴァン・アストレイ。
彼がその身に背負う呪いは余りにも多すぎた。絡まり合った糸の様に不規則で、雑然としている。
呪いを戦闘に転用するためには、それらを自己の精神世界で整理する必要がある。
二人は黙って向き合った状態にあり、取り巻く音は呼吸音以外に何もない……かに思えた。
「……お前は、何なんだ?」
意外にも、先に口を開いたのはゴーヴァンだった。
目の前の幼女が戦えるとは思えない。ましてや勇者の右腕などと、何かの間違いであろう。
「私はミリオンと言います。ミリーとは呼ばないでください」
「それは知っている」
ミリオンのことはレトロから聞いていた。しかし今日、顔合わせをした時からゴーヴァンはずっと気になっていた。
歳が二桁にも満たないであろう子供が、まともな魔法を使うことができるはずもない。
纏う雰囲気も、見た目以上の物を感じさせない。
「まさか……ウォーハートの娘なのか?」
そう勘ぐるのも仕方ない。レトロも若いが、年齢的にはありえない話ではない。
「そうです。私は勇者様の娘です! なので大事に扱ってください」
ミリオンはアッサリと認めた。しかし、それは事実とは異なるようだ。
「家名はフェルミノスだったな? 何があった?」
「まだ設定を練れていないので聞かないでください」
ゴーヴァンは遊ばれているのだと思った。
だが彼は、“終末級”の大罪人にしては大らかな心を持っている。
もちろん優しさではない。いつでも殺せる相手だからこそ、穏やかでいられるだけだ。
“終末級”は世界に複数点在している。
今も尚、世界が滅びていないのは、いつでも滅ぼせるからこそであろう。
「……っ、来ました! 出番です‼」
その時ミリオンが立ち上がり声を上げた。
彼女はレトロが身に着けている魔法具の耳飾りから聞こえる音で、状況を把握して行動した。
「身勝手な招集:裏!」
ミリオンが唱えたのは転送魔法の一種。
淡い光が球体を成してミリオンとゴーヴァンを包み込み、光の線と成ってレトロの元へ向かう。
万が一に備えて、勇者の腹心たちは爪を研いでその時が来るのを待っていた。
それは唯一竜との戦いで勇者が敗北することに備えたものではない。
それは【悪の特異点】が集うことに備えたものである。




