33話 選択
牧緒は何も言わずにじっとして、仲間の言葉に耳を傾けた。
「心苦しいですが……ここから出る方法がそれしかないのなら、是非もありません」
日々熱心に住民たちと関わったユレナが簡単に言う。
たとえ情報を引き出すための打算だったとしても、そこに心はあったはずだ。
町の子供たちと戯れ、町の大人に寵愛された彼女は、思考を停止して彼らの命を奪うことを受け入れた。
本当に悪役を演じていただけなのか、牧緒は疑問に思う。
ユレナが浮かべる悲しそうな表情こそ、下手な演技の様ではないか。
「うむ、それが揺るぎのない答えかは定かでないが……試してみる価値はあるだろうな」
常に場をかき乱し、牧緒の前に向かい風を吹かせるオルガノが、無関心に舵を切る。
反論する余地が無ければ、意見を述べることすらない。
牧緒は彼を、所詮流されるだけの男だと心の中で嗤う。
「うにゃ~、気は進まないにゃ……」
たった一言で済ませて、ニャプチは猫の様に手の甲で顔を擦る。
彼女の類まれなる五感なら、ウオラ王国でリデューシャの独断専行を察知できたはずだ。
事が済んだ後だったとしても、それをいち早く牧緒に伝えることはできたはず。
そうであれば、迷いの森へ入ることに慎重になることもできただろう。
牧緒には、ニャプチの姿が無責任なただの獣の様に見えてくる。
「さぁ、マキオ……。さぁ、さぁ! お前の口から妾に命じろ……!」
人を捨てた魔女の両手が、牧緒の背後から蛇の様に肩に絡みつき、虫の様に耳元で鳴く。
そこに、かつて感じた子供の様に無邪気で愛らしい面影はない。
牧緒はキュラハに目線を移す。彼女は杖をぎゅっと握り、額に汗を滲ませている。
このままでは、魔女を森に封印するという役目を果たせないからだろう。
だが、その表情は後悔や焦りではなく、決意に満ちたものだった。
森の住民を皆殺しにした後は、自身が命を絶つことで、魂を伴う肉体の数を減らし、条件未達の状態を維持しようと考えているのかもしれない。
「俺は……この森の住民では実践できないって言ったんだ」
ようやく牧緒が口を開いた。そして軽く振り向いて、リデューシャに問う。
「リデューシャ。千年以上を魔法の研鑽に充てた君ですら、生きた人間から魂を抜き出して操ることはできないのか?」
その声は暗く、挑発するようであった。
バルバラは炎に意識を移していた。そういった系統の事象が、魔法で実現可能であることを知っている。
ならば、魔女にそれが成せない理由はない。
「……できるとも。だが、死体を動かすことはできぬ」
不気味な笑いを浮かべ続けていたリデューシャから、表情が消えた。
マキオの読み通り、彼女は魂を他人に憑依させる魔法を行使できる。
その過程……魂を抜き取るまでを実行し、憑依を中断すれば思った通りの状況を作り出せる。
しかし、それだけでは森を出るための条件を満たせない。
可能性があるとすれば――リデューシャはオルガノを一瞥した。
「オルガノ、お前ならできるんだな?」
牧緒が即座に問う。リデューシャの一瞬の目線の移りを見逃さなかった。
拉致事件の犯人たちがどの様な結末を迎えたのかをリデューシャは知っている。
その場に居合わせずとも、彼女の使う魔法【心眼】はそれを目にしていた。
だからこそ、魂なき肉体を操作できるオルガノに自然と目をやった。
「死体を動かせるのか……色々やれただろうな」
牧緒は意味深にオルガノに迫る。
ドルーガンが匂わせていた協力者が、オルガノであることは薄々感づいていた。
それが確信に変わり、オルガノの謀略を想像する。
「……確かに、私の【死者への冒涜】を使えば、魂なき肉体を自在に動かすことができる」
オルガノは観念した。しかし懸念はあるようだ。
「私は魂の状態となっても魔法を維持する自信がない。そもそもその様な状態となったこともない」
魂の状態でも意識はあるのだろうか?
無意識なのだとすれば、魔力供給を維持することは難しいだろう。
「器を見せろ。妾がそれに魔力を注ごう」
「何を馬鹿なことを……適性があるとでも?」
リデューシャは、【死者への冒涜】を実現する魔法陣か魔法具の提示を迫った。
オルガノは嘲笑ったが、魔女に逆らうわけにもいかない。少し遅れて服をめくり上げ、肉体に刻まれた魔法陣を見せた。
「妾が死体を動かせないと言ったのは、死んだ者に興味がないからだ。不要な魔法を覚えるほど寛容ではない。しかし、魔法陣があるのなら話は別だ。どんな魔法でも使いこなして見せようぞ」
魂の憑依は命の延長。しかし、【死者への冒涜】は命を宿すわけではない。
その違いが、彼女が興味を持てるかどうかの境目なのだろう。
「リデューシャなら魂の状態でも魔法を維持できるってことか……なら問題は全て解決したな」
牧緒はそう締めくくった。
これで森の住民を皆殺しにする必要はなくなった。
リデューシャが六人から魂を抜き、空の肉体を操作する。それらを森林の奥へ導けば、反復の条件ではなく反転の条件を満たすことができる。
喜ぶべきこの状況で、リデューシャは冷ややかな視線を牧緒に向けていた。
背を向けた牧緒は、それに気付かない。
リデューシャは肩に絡めた両手を、ゆっくりとその首に沿わせる。
彼女は失望していた。牧緒は光……それは分かっている。
だからこそ、魔女という悪を照らし、影を落とすと信じていた。
自らは手を下さずとも、仲間のために他者を虐殺し蹂躙するだけの残虐性を、牧緒も持っていると信じていた。
そうであっての盟主。
そうでなければ、悪逆を行く者たちを束ねる立場には不相応。
そうでなければ、リデューシャは牧緒に必要とされていると実感できない。
必要とされないのなら、いっそ殺すしかない。
「はぁ……」
牧緒の大きなため息に、リデューシャの手が止まる。
「魂と死体の操作が可能なら……何故初めからそう言わない? 考えもしなかったのか?」
牧緒の呆れた様な言葉は、リデューシャとオルガノだけに向けられたものではない。
「俺には何の力もない……だから、世間で盟主と言われていようと、それを気取るつもりはなかった。俺はみんなが、最善の選択肢を選んで進んでいると、そう思ってたからだ」
僅かに震えた声から、皆それぞれが違う感情を汲み取る。
「でも、違ったんだな……そもそも選択肢すらなかったんだ。何も考えずに、ただ目の前にぶら下がる餌に食らいついているだけじゃないか」
だが、その根底にある感情は、間違いなく怒り。
「俺にとって最優先は仲間だ。皆殺しと言う選択肢しかなければ、俺も迷わずそれを選ぶ」
声は、次第に大きく、強くなっていく。
「今、ハッキリと分かった。お前たちでは力不足だ……。俺が導く、俺に従え、俺を信じろ……!」
牧緒は自身が盟主として彼らを制御しなければ、生き残れないと悟る。
「二度と……! 俺を操ろうとするな!」
誰もが皆殺しという選択を当たり前のものと受け入れた。
誰もが皆殺しという選択を牧緒に課そうとした。
牧緒はそれが許せなかった。
ユレナは恐怖した。牧緒の怒りが伝わったからではない。自身の残虐さに気付かされたからだ。
オルガノは感嘆した。牧緒の尊大な態度が、いつもの外面だけの物ではないと分かったからだ。
ニャプチは安堵した。森の住民の安否など関係ない。牧緒に付いて来て良かったと確信できたからだ。
キュラハは落胆した。自身の命を犠牲にしたとしても、魔女が世界に解放されることを阻止できないからだ。
「フ、フフフフフ……、そうでなくては……妾はマキオに従おう」
リデューシャはそっと牧緒の首筋から手を引いた。
結局のところ、彼女の求める盟主たる資格はそこにあったのだ。
必要とされるのではなく、必要とすればいい……それがリデューシャの新しい選択だった。




