30話 唯一竜 対 勇者
レトロはビシャブ王の協力により【悪の特異点】の隙を見つける。
脅威を監視する諜報員たちが、ある日を境に一斉に連絡を絶った。
彼らが何者かの攻撃を受け、死線を彷徨っていることは直ぐに判明する。
その諜報員たちの中には、ヴァルキア皇帝の手の者も含まれていた。
この状況を利用すれば国家間の軋轢を生まず、正式に【悪の特異点】討滅に動き出すことができる――。
場所はセントファム帝国。
玉座に座るヴァルキア皇帝と勇者レトロが向かい合う。
「我には奴らを扱いきれぬと、そう言いたいのか?」
ヴァルキア皇帝はゆっくりと息を吸ってから、静かに問うた。
彼の矜持こそが最も厄介な隔たり。
「滅相もありません。ただ、奴らが皇帝陛下を裏切ったのは確か。奴らの悪逆のツケを皇帝陛下が払う必要はありません」
彼はなかなか説得に応じない。
諜報員たちが始末された事実は把握している。しかしそれは、表立った問題ではない。
他国の諜報員たちが犠牲になったとしても、その責めを受ける筋合いはないと、ヴァルキア皇帝は考えている。
そもそも、使者という扱いになっている【悪の特異点】を許可なく監視することこそ、無礼極まりない行為と捉えている。
「我の与り知らぬこと。帝国の民に、要らぬ心配をかけさせるつもりか?」
ヴァルキア皇帝は、強気な態度を変えない。
「……奴らは初めから、ビシャブ王の手の者なのです。我々はビシャブ王を捕え、魔法により真実を吐かせました」
レトロは嘘をついた。
ビシャブ王はベイランに気付かれないよう、最小限の御付だけで秘密裏に行動した。
彼の行方と目的を知る者がいない以上、レトロはビシャブ王を好きに扱うことができる。
魔法で洗脳して、本人の口から嘘を語らせることすらも。
レトロにとってビシャブ王はもはや捨て駒でしかなく、ウオラ王国が弾劾され崩壊したとしても構わない。
「これは全て、ビシャブ王が目論む世界征服計画の一つ……。ビシャブ王は“終末級”の力を得るため、マキオという男をヴァーリアに送り、魔女と唯一竜を脱獄させたのです」
そして脱獄後はセントファム帝国を利用して、ウオラ王国は被害国であるかの様に振る舞い、陰から世界を支配しようとしている……これがレトロの考えたシナリオだ。
「……奴は……、ビシャブは今どこにいる……?」
ヴァルキア皇帝はこぶしを握り、怒りに震えながら聞く。
まさか勇者が、一国を陥れるような嘘をついているとは微塵も考えてはいない。
「今は我が国に。ご所望とあらば直ちに連れてまいります。しかしこうなった以上、私には先に対処しなければならない者がいます」
「それは何者だ?」
「奴らの中で、姿を消していない者がいます。ウオラ王国を守る様に王城に据わる、唯一竜が……」
「分かった……【悪の特異点】を罷免とし、我が帝国の牢より脱獄した罪人として、勇者にその討滅を依頼する……」
ついに、ヴァルキア皇帝の首を縦に振らせた。
レトロはすぐにでも唯一竜の元へ飛び、命のやり取りを楽しみたい。だが、まだ早い。
ヴァルキア皇帝の言を書面にし、七か国同盟に共有する。
その後、全ての代表から承認を得て初めて事に及ぶことができる。
勇者がオルニケア王国代表であり、バラン国王の臣下ということになっている以上、この手続きを無視できない。
レトロは依頼書を受け取り、その場を後にする。
「上手くやったか? 俺は唯一竜とヤれるのか?」
部屋の外で待機していたゴーヴァンは、出てきたレトロと共に歩き出して確認する。
“終末級”である彼は、同じく“終末級”の唯一竜と戦うことを望んでいた。
しかし、そう思っているのは彼だけではない。
「唯一竜と戦うのは私だ。君は万が一の場合の保険に過ぎない」
「お前が敗れなければ、俺は騎士としての契約を果たせないというわけか……」
ゴーヴァンは騎士として、主を先に戦場へ送るわけにはいかない。騎士は主の剣であり、盾なのだから。
だが、彼に許されたのは敵討ちのみ。これでは騎士道に反する。しかし、主に逆らうこともまた許されない。
ゴーヴァンは行き場のない思いを募らせる。
「どの国の代表も恐れている……どんなに早くとも、承認が下りるまで一週間以上かかるだろう」
レトロの歩幅はだんだんと広がり、速度を増していく。
牧緒たちが迷いの森へ入った事実は把握している。故に、本来なら焦る必要はない。
この焦りは、強者と戦えることに高揚し、はやる気持ちからくるものだけではない。
それとは別に、レトロは僅かな可能性を危惧している。
六百年間、誰一人脱出できなかった迷いの森が攻略される可能性を――。
バルバラは牧緒たちが旅立ってどれほどの時間が経ったのか、ハッキリと思い出せないでいる。
魔女とも比較にならないほど長い時を生きて来た彼にとって、ほんの数日間の出来事はないに等しい。
なのに、牧緒という存在は強く彼の脳裏に焼き付いている。
人間など、良くて愛玩の対象になる程度の存在だった……その中から、同士と言える者が現れるとは思いもしなかった。
かつて人里離れた山に籠っていた時と同じ様に、バルバラは一日のほとんどを寝て過ごしていた。
牧緒が戻ってくることを確信しているからこそ、過行く時間の多寡に気を揉むことはない。
陽気な午後。その日は何故か血が滾り、瞼が落ちることはなかった。
本人にも理解できない胸のざわつき。魔物特有の、危機察知能力がそうさせたのかもしれない。
バルバラは体を起こして東を向き、感覚を研ぎ澄ませて鋭く集中する。
彼方から、届くはずもない詠唱が聞こえた気がした。
「薙ぎ払う者――」
常軌を逸した突風が魔力を帯びて迫る。
それは東より吹き荒れて大地を抉り、人を、家を、城を粉々にして去って行く。
バルバラが掴む地面すらも、塵に等しく風に乗って消えていく。
己が肉体を支える物が失われる前に、翼を広げ、突風が吹きこむ東に向けて一度だけ羽ばたいた。
風は相殺され、遥か宙に浮いた町の残骸が降り注ぐ。
「そうか……謀られたな、マキオ。仕方ない、我が何とかしてやるか」
これが自然現象でないことは明らかだった。
風の魔法による攻撃。そして、それを勇者が放ったものであることも。
バルバラは空を飛び、左右上下に揺れながら、風に乗って泳ぐように向かった。
勇者レトロが、草原に咲く花の上に一人佇んでいる姿が見えてくる。
その花びらを一枚残らず散らしながら、バルバラは大地に降り立った。
「あれは我ではなく、王国を狙ったものだな?」
「言葉を話せるんだな……頭も切れる。お前の言う通りだ。あの程度の不意打ちで優位を取れるなどとは思っていない。ただ、ヴァルキア皇帝の後ろ盾が無くなったことを、分かりやすく伝えたかっただけだ」
レトロにとって、ウオラ王国が被った損壊は許容範囲内であるということ。
そこまでの暴挙に出たということは、それを世界が認めたということ。
もはや交渉のテーブルはなく、力でねじ伏せることだけが求められているということ。
あの一撃で、バルバラが戦闘を拒絶する理由はなくなった。
「我に敵うと思っているのか?」
バルバラは低く唸る。
「それはこちらのセリフだな。あの時、背を向けて逃げに徹したお前が、私に敵うと思っているのか?」
レトロは切り返した。
一方が剣を抜き、一方が再び翼を広げたとき、戦いの火蓋は切られる。
バルバラは炎を吹いた。ただの一息で、草原は火の海と化す。
レトロは両足に風を纏い、空を駆けてそれを避けた。
剣が振り下ろされるよりも速く、バルバラは体を回転させ、その太い尾でレトロを打つ。
レトロはその攻撃を剣で受けることを躊躇った。魔剣シェルピアが砕け散る光景が目に浮かんだからだ。
炎と相性の良い風の魔法を、ただの物理攻撃を受けるだけのことで失いたくない……それ故に選択したのは、右腕で受けること。
結果的に右腕は愚か、肋骨も砕けて風に煽られた羽虫の様に宙を転がる。
それはレトロの生涯で一度も受けたことのない損傷であった。だが、その一撃を生きて耐えたというだけで、彼が人外であることの証明となる。
何故ならば、尾の一振りにより発生した衝撃により、大地は盛り上がって吹き飛び、その更に先にある高地すら平原と化したのだから。
レトロが行使した風の魔法【薙ぎ払う者】と同等かそれ以上の破壊を、その肉体の力のみで実現したのだ。
「なかなかやるなっ……!」
光の魔法【繋ぎとめる者】。
それは一般的な癒しの魔法とは違い、受けた損傷を無かったことにする魔法。
ただし、体力の消費や痛みの記憶は残り続ける。
消費魔力は膨大であるが、無限に近い魔力量を誇るレトロにとっては気に留める必要のないデメリットである。
魔剣シェルピアは斬った物の内に暴風を生じさせる。
バルバラの吐き出した炎に刃が触れれば、それを瞬時に掻き消して熱を分散し視界を広げる。
その相性に気が付いたのか、バルバラは強靭な肉体を利用した攻撃に転じる。
剣で受けられない様を見せてしまったのは、失敗であった。
バルバラが喰めば、牙がぶつかる音が空気を揺らす。
バルバラが爪を走らせれば、数十キロ先まで大地が割れる。
バルバラが羽ばたけば、何者もその場にとどまることができない。
防戦一方のレトロであったが、歴代最強の勇者は攻撃を避けて確実に距離を詰める。
そして、あらゆる魔物を一撃で屠る一閃をその首に刻む。
「存在を賭す者――」
武具の能力を数百倍に引き上げる魔法。その代償として、対象となった武具は存在自体が消滅する。
引き上げた能力は、その手に握る剣の“切れ味”。
それは世界最硬と謳われるアダマントすら切り裂くほどに達する。
レトロの剣は、先から砕けて消滅した。それは、魔法の代償によるもの……ではなかった。
僅かに欠けた鱗が、レトロの眼前に散る。その斬撃は、首を両断するどころか肉にすら届かない。
代償を払う前に、剣は砕けていた。生じた暴風は、バルバラの体を少しだけ退けたに留まる。
「此程まで……!」
驚愕するレトロに、バルバラの顔面が迫る。
「滅びろ――」
そう言って吐き出された炎は、それに触れていない彼方の空気すら灼熱に包んだ。
「召喚獣――スプマ・スライム!」
炎が到達するより僅かに早く、レトロは召喚獣の体内に内包される。
スプマ・スライムは火属性の魔法を無条件で無効化する、絶対効果魔法を行使する。
飛行能力を失ったレトロはそのまま地面に落下するが、スライムの弾性が衝撃を吸収した。
「ぷはっ、これ程の硬さを持ち得て尚、慎重に立ち回るのは何故だ……?」
レトロはスライムから自力で脱出して考える。
バルバラの一挙一動は、相手を懐に入れないよう注意を払っているように見えた。
だが、会心の一撃すら通用しないのならば、もっと大胆に攻め手を増やせるはずだ。
風の魔法を成す魔剣シェルピアは砕けた。
柄だけでは、魔力を成形できずに魔法を行使できない。
「……だが、恐らく私の体には……」
しかし、レトロは再び風を纏い空を蹴った。
魔剣シェルピアに変わる魔力の器は、彼の記憶に刻まれた。
それを実現したのは、彼の原型魔法に他ならない。
「お前……、魔剣グラムを恐れているな?」
かつて先代勇者が使用し、バルバラを投獄するに至った魔剣。無条件でバルバラの鱗を貫ける唯一の手段である。
ヴァーリア監獄を脱獄したとき、バルバラが勇者との戦闘を避けて逃げに徹したのは、レトロの言う通り魔剣グラムを現代勇者が所持している可能性を恐れていたからだ。
バルバラは何も答えず、じっとレトロを見据えて警戒する。
「確かにアレはお前を殺すための剣だ。だが、その力は強大……それは魔王との戦いにも使用された。その時、魔剣グラムは破壊されている。もうこの世には残っていない」
レトロは敢えて、最大の脅威が存在しないことを教えた。
仮に魔剣グラムが現存していても、それを使うつもりはない。
その者を屠ることに特化した剣など、興を失うだけだ。
「だから、思い切りやろう……!」




