2話 監獄での一日
監房には、ほとんどの場合二人以上の囚人が収監される。
牧緒と同じ監房の相方は、ニャプチという獣人だった。
体つきは人間の少女そのもの。見た目から捉えられる獣の要素は耳と尾だけだった。
ニャプチ曰く、複数の生物の性質を併せ持つ合成獣人だという。
「あったけぇ……」
「ふにゃぁ~」
ここにきて早数日。
牧緒とニャプチはもっぱら抱き合うことで暖を取って過ごしていた。
ニャプチの体温は人間よりも高く、この寒い環境を乗り切るのには最適だった。
ヴァーリア監獄では、朝と夜にパンとスープが支給される。
日中はひたすら地下の鉱山で、魔法石の採掘を強いられる。
その刑務作業以外で監房の外に出ることは許されていない。
魔法石とは外付けの魔力。
ヴァーリア監獄とその周囲は“聖域”と呼ばれており、あらゆる生命は内から湧く魔力を封じられる。
つまり、“聖域”では魔法石がなければ魔法は使えない。
刑務官たちは全員魔法石を所有しており、それらは本人にしか使用できない加工が施されている。
魔法の使えない囚人は、魔法を使える刑務官たちに絶対に敵わないというわけだ。
――今日も労働の時間がやって来た。
牧緒とニャプチは錆びたツルハシを持って鉱山を下る。
底の見えない大穴を中心に、アリの巣の様に横穴が続いている。
通常は最下層まで下り、少ない酸素と小さな明かりの中で魔法石を探す。
だが一部の囚人たちは上層に留まり、比較的安全な環境で採掘を進める。
牧緒はいつも、地下一階に相当する場所を通過する際に、念入りにその環境を目視で確認していた。
巨大なガラスの筒の中に詰められた大量の魔法石。
筒の土台からは太い革の管が何本も伸びており、それらは途中で束ねられて囚人が入ることのできない部屋に続いている。
その部屋の扉には“制御室”と書かれていた。
高い位置に小さな換気口が見えるが、誰かが部屋を出入りするところは見たことがない。
「あれが監獄の防御を担う魔力か……」
牧緒は確信したように呟いた。
ニャプチから監獄の特性は聞いていた。
ヴァーリア監獄のありとあらゆる物には魔法防御が施されている。
魔法の使えない囚人たちには、どうあがいてもそれを破壊したり傷つけることはできない。
逆に魔法防御さえなければ、純粋な力で壁や檻を破壊できるということだ。
鉱山の岩肌には魔法防御は張られていないが、巡回監視する刑務官たちの目を盗む隙はない。
だから穴を掘って地上に抜け出そうなどと考える間抜けは現れない。
僅かな時間で分かるのは、たったそれだけ。
牧緒は歩みを止めることなく地下を進んだ。
定位置につき、ツルハシを振る。
緑色に光る石があれば、それが魔法石だ。
「うにゃにゃにゃにゃ~! やっぱり体を動かせるこの時間が一番楽しいにゃ!」
「俺の分の酸素は残しておいてくれよ……」
牧緒は常に付き纏う空腹で既にヘロヘロだが、ニャプチは元気に岩肌を削る。
そんな彼らの背後に近づく男たちがいた。
「あの……ニャプチさん、これ、よかったら……」
やせ細った男が手付かずのパンをニャプチに手渡した。
「ありがとにゃ!」
ニャプチは当然の様にそれを受け取り、直ぐに口に運んだ。
他にも複数人の男たちが同じようにパンを提供する。
このように、ほぼ毎日ニャプチは誰かしらからパンを受け取っている。
「相変わらずニャプチはモテるな」
獣人といえど、見た目は麗しい少女。
ほとんどが男の監獄では、ニャプチに惚れる者も少なくないだろう。
しかし、男たちの目的はそうではなかった。
「ボクの力に媚びてるだけだと思うけどにゃ」
「力に媚びる?」
「ボク、すっごく強いから」
魔法や武器がなければ、暴力で獣人に敵う人間は少ない。
ニャプチは獣人の中でも群を抜いて強いらしい。
男たちはパンを対価に、何かあった時にニャプチに助けを求めるつもりなのだ。
「そうか、ニャプチは強いのか……」
牧緒は閃く。
ニャプチの強さは周知の事実であり、その力を頼る者が多いのならば……。
「俺も朝のパンを半分やるからさ、少し頼み事を聞いてくれないか?」
「仕方ないにゃ~。暖房の頼みなら断れないにゃ」
「俺のこと暖房だと思ってたの⁉」
牧緒は少しショックを受けるも、自身もニャプチで暖を取っている事実があるので、それ以上文句は言えなかった。
「この監獄のことを詳しく知りたい。過去に増築や改修がされたかどうか、どんな囚人が収監されているかとか、なんでも」
「ボクが知ってることはほとんど話しちゃったにゃ」
「他の囚人に聞き込みしたいんだ。俺みたいに弱そうな奴は相手にされないけど……ニャプチがいれば口を開くはず」
目に余るほどでなければ、刑務作業中はある程度の自由が認められている。
囚人たちのモチベーションを保つことが主な理由だろう。
だからこそ、パンを渡す行為や僅かな私語では罰を受けることはない。
上手く立ち回れば、刑務作業中に情報収集が可能となる。
その日から牧緒は、ニャプチを連れて古株の囚人たちに聞き込みを開始した。
あまり長くは話していられない。日々少しずつ情報を集めては精査していく。
時間が過ぎるほど、牧緒は弱っていった。
それは他の囚人たちも同じ。
ツルハシを振り上げたかと思えば、そのまま倒れる者たちが何人もいた。
「大丈夫か?」
「……腹が、減った……」
牧緒は目の前で倒れた男に駆け寄って声を掛けた。
骨と皮だけの様な男だった。
「ニャプチ! 少しでいい、パンを譲ってくれないか?」
ニャプチは貰ったパンをいくつかポケットに詰め込んでいた。
牧緒はそれを倒れた男に分け与えようとしたのだ。
「じゃあ、マキオはボクに何をくれるにゃ?」
「後で貰った分のパンをやるよ!」
「それだと、今度はマキオが倒れるんじゃないかにゃ?」
ニャプチは淡々と言い、パンを手渡そうとはしない。
目の前で倒れた者を皆助けようとすれば、牧緒が手に取るパンがなくなる……それは当たり前のこと。
「それに、その人間はもう助からないにゃ。匂いで分かるにゃ」
「そうだとしても……」
「意味のない施しじゃあ、お腹は膨れないにゃ」
それが偽善であることは、牧緒自身理解していた。
ただ何もせずに死なせては、夢見が悪いだけ。
後は……ただの意地だった。
声を掛けたからには助けたい。たとえ避けられない死であったとしても、一時でも空腹を満たせれば男は救われるはずだ。
「ニャプチに与えられるモノが……もう一つある」
牧緒はニャプチに近づき、小声で続けた。
「脱獄する。ニャプチも一緒だ」
「はにゃ……?」
牧緒は強引にニャプチのポケットからパンを抜き取り、倒れた男に与えた。
男は礼も言わずにゆっくりとパンを咀嚼する。
「にゃははは! マキオはお馬鹿だにゃ~」
ニャプチは嗤う。
脱獄など不可能だと分かっているから。
「今夜話す。笑えないほど驚かしてやるよ」
自信をのぞかせる牧緒は、何食わぬ顔で刑務作業へ戻って行った。