25話 迷いの森
ホテルへ戻った牧緒たちは、迷いの森へ入るために必要な物を考える。
「まず、目的は魔術師を見つけ出して一緒に森を出ること」
迷いの森に入れないバルバラを共に異世界に連れて行くためには、その方法を持ち帰る必要がある。
それが魔術師デルバ本人か、魔法陣か。はたまた技術だけを聞き出すかは決まっていない。
もしも、迷いの森そのものが異世界へ行くための手段だとしても、牧緒はバルバラを置いて行くつもりはない。
「これからはサバイバル生活になる……。もっと動きやすい服装に変えよう」
「えぇ⁉ これでも十分動きやすいですよ! そうだよね、ニャプちゃん!」
牧緒の提案に、ユレナが激しく反発する。
予想外のこだわりと、ニャプチのことをいつの間に愛称で呼ぶほどの仲になっていたことに、牧緒は驚いた。
「ボクは大丈夫だけど……他はにゃ~」
そう言って周りを見回す。
ニャプチはともかく、他の者の風貌はとてもサバイバルに適した物ではない。
「たぶん、泥だらけになると思うけど……」
牧緒は閑静な森ではなく、アマゾンの奥地の様なジャングルを想像している。
いずれにしても、森に入るためにはそれ相応の準備が必要だ。
だが、その考えを一蹴するようにリデューシャが口を開く。
「まさかランタンやテントやら、ごちゃごちゃした物を買い揃えるつもりか?」
「もちろん。そんな経験したことないリデューシャやユレナには申し訳ないけど――」
「一分で家を建てよう」
「え?」
リデューシャは食い気味に牧緒の考えを根幹から覆した。
「二分で食料を確保する。夜には湯船に浸かり、朝には一杯のコーヒー。昼下がりの日光浴を楽しむ余裕もあるだろう」
それは彼女の魔法により実現可能な、快適な生活の式。
つまるところ、準備など何も必要ないという宣言である。
「まあ、それは頼もしい! それならキコリの様な装いでなくても良いですね!」
興奮するユレナは小さく跳ねる。
押し負けた牧緒は、「あぁ」と返して話を戻す。
「ということなら、明日にでも出発できるな」
様々な懸念が一挙に解決したことで、出発を急ぐことができる。
状況は刻一刻と変化する。ヴァルキア皇帝の使者としての立場もいつ危うくなるか分からない。
何事も即断即決が肝要だ。
「迷いの森へ入ることは、できることなら誰にも知られたくない。移動はリデューシャの転送魔法で良いとして……ホテル内に滞在し続けている様に思わせたいな……」
警戒するのは諜報員たちのこと。
迷いの森からは出られない、というのが一般的な共通認識だとすれば、残されるバルバラの身が危険に晒される可能性がある。
勇者は複数の“終末級”と戦うことを避けている。それが単体となればどうなるか……。
迷いの森を生き抜くために、リデューシャの魔法は必須。
三分間しか活動できない魔王を期待して、ユレナを残していくわけにもいかない。
「心配ない。妾たちを監視する者は全員追い払ったからな」
牧緒はリデューシャの言うことをアッサリと信じた。
彼にとって微睡の中で聞いた雷轟は、急な天気の変化によるもの程度の認識でしかない。
だが、優れた五感を持つニャプチはその言葉を聞いて身を縮める。
昨晩、諜報員たちを襲った悲劇の全貌を、彼女は知っている。
「じゃあ、変な小細工は必要ないな。念のため、ベイランの遣いには俺たちがホテルの中に居続けている様に振る舞ってもらおう」
一週間程度なら誤魔化すことができるだろう。しかし数週間、数か月となれば別だ。
誰も成し遂げたことのない、迷いの森からの脱出……それが上手くいく保障はどこにもない。
それでも牧緒は突き進むしかなかった。
「我は帝国に戻った方が良いか?」
「いや、このままこの国に……王城に居座っていてくれ。帝国に戻ったら、皇帝が調子に乗って色々要求してくるかもしれないしな」
バルバラは相も変わらず、火の玉の状態で牧緒に付き添っている。
だが、この状態であっても森には入れない。
方針が決まった牧緒たちは、翌朝にリデューシャの転送魔法で直接王城内部に移動した。
ベイランにも、迷いの森への侵入を内密に進める旨を説明する。
連絡手段のためにホテル前で待機させられている遣いは、そのままローテーションで現状を維持するよう指示。
それにより、ホテル内に【悪の特異点】がいるのだと周囲に思わせる。
「ふぇあああ……早いねぇ。昨日の今日だよ?」
眠たそうにしながらも、身なりは準備万端のキュラハと合流する。
昨日と違い、靴底の分厚いブーツに履き替えて、オーバーオールに似た服を身に着けている。
牧緒は森を行くに相応しいその姿を見て、うんうんと納得したように頷く。
逆にキュラハは、牧緒たちの姿を目を細めて睨みつけ、何度も眼鏡を上げ直した。
「開龕――」
キュラハ以外、見慣れた黒い壁が現れる。
「やっぱりすごいね。転移魔法って向かう場所によって専用の魔法陣が必要になるのに……どこにでも行けちゃうって革命じゃない?」
「ふんっ、さっさと行くぞ」
キュラハの誉め言葉を無視して、リデューシャはさっさと壁の向こうへ行ってしまう。それに他の面々も続いた。
「バルバラ、なるべくすぐ戻ってくる。でも、土産は期待しないでくれ」
牧緒は火の玉となって佇むバルバラに、改めて出立を告げた。
壁を抜けた先は巨大なアーチの下。
幅が広く、天井が高い。トンネルの様にも見えるが、距離は百メートルにも満たないほど短い。
美しく、荘厳な文様が壁中にびっしりと施されている。朝日が差し込み、より神秘的な空間に感じられた。
背後は草原に抜ける道。前方は森へ入る道。
しかし前方の穴は大木でびっしりと、隙間なく埋まってしまっている。
「どうやって入るんだ?」
「そこの魔法陣の上に、乗るだけさ。条件を満たした六人でさ」
キュラハは杖で床を差す。
人が六人乗っても有り余るほどの、低い円形の台の上に大きな魔法陣が刻まれている。
「『魂を伴う六つの肉体――これが道を抜ける条件なり』……キュラハさんが言っていた通りですね」
ユレナが魔法陣の前にある石板を読み上げた。
「ん? なんか変な文字だな……」
それは牧緒の知る文字ではなかったが、点字に近いそれがどこの国でも見られない特徴であることには気が付いた。
「これはエルフ語ですから、ご存じなくても仕方がありません」
エルフ語は、唯一竜を発祥としない独自の言語。
エルフは自分たち以外の文明と強い関わりを持たず、共通の神や認識も持たない。
故に、他種族とは隔絶された世界で独特の文化と言葉を持つ。
「……『これが道を抜ける手掛かりなり』とも訳せるな」
リデューシャが静かに、別の翻訳を口にする。
「あー魔女っち、自分が訳したかったのに先越されて悔しかったんだ~?」
「ま、魔女っち……」
キュラハは鬼の首を取った様に、不躾に煽る。
それを受けて、リデューシャは眉間にしわを寄せてプルプルと目の下を震わせた。
牧緒の手前でなければ、凄惨な光景が広がっていたことであろう。
「これは『条件』であってるよ。だってこれ自体が答えなんだから。『手掛かり』だと、まるで謎を解く必要があるみたいでしょ?」
キュラハの言う通り、謎を解く要素は何もない。
迷いの森に入った者は数知れず、その方法は既に周知の事実。
そしてそれは、ハッキリと石板に書かれている。
「ささ、速く行こう。魂を伴うってゆーのは、生きた人間が六人いればいいだけさ」
キュラハは魔女から放たれる殺気を気にも留めずに、催促した。
全員が魔法陣の上に立つと、まばゆい光に包まれる。
視界が戻った時、眼前に現れたのは金属のモニュメント。
そして、それを取り囲むように存在するのは、なんと街だった。
巨木をくり貫いて利用した建造物もあれば、よく見るタイプの木とレンガ造りの家もある。
人が行き交い、露店もある。
「ここが……迷いの森?」
牧緒だけでなく、ここにいる全員が困惑を隠しきれない。
誰一人として森の外に出たものはいない……しかし彼らは、外と同じような日常を構築し、平和に過ごしていた。
「へー、なんか拍子抜け」
キュラハが口を開けて街を見回す。
これなら、魔術師デルバが生存している可能性も高いだろう。
生活の基盤が整っているとなれば、何かから逃げ出したい者にとって、ここはうってつけの場所だ。
二度と出られない森の中に入ってまで、誰かを追う者がいるはずもない。
魔術師デルバの誤算は、牧緒の様な無謀な行動力の化身を敵に回したことだろう。
「珍しいなぁ! 新しい人がやってくるのは五年ぶりだよ!」
大量のフルーツを乗せた荷車を引く男が、牧緒たちに声をかける。
その恰幅の良い体つきと、鋭い目つき、腕に刻まれた多くの傷は、彼がただの商売人や農夫でないことを物語っている。
元々は、この森を攻略せんとやって来た、冒険者であったに違いない。
「五年……随分幼い子供もいる様だけど……」
牧緒は周囲を見回し、木の枝を持って走り回る子供や、母親に抱えられた赤ん坊の姿を見る。
「そりゃ、森の中で生まれる奴らもいるさ。“外から来た人は”って話だ」
男はそれが当たり前かのように言う。
外の人間には森の中に町があり、変わらない日常を過ごしているなど、想像しようもない。
長く森の中で暮らしてきた男の感覚は、牧緒たちには理解できないものになっていた。
それは、他の住民たちも同じだろう。
そんな者たちが、牧緒たちの存在に気が付いて寄ってくる。
「あらまぁ、こんな若いお嬢さんが……」
「そんな恰好でこの森に? 冒険者じゃないのかい?」
「いやいや、この獣人の子と眼鏡の子はシッカリした格好をしてるよ」
森の住民に揉まれながら、牧緒はあることに気が付く。
(五年ぶり? じゃあ、いつ魔術師はこの森にやってきたんだ?)
少なくとも、牧緒がこの世界に召喚された二年前には魔術師デルバは森の外にいた。
同じく街のど真ん中に転送されたのならば、それに気が付かない住民がいるだろうか?
見える範囲にも物見台があり、弓を持った兵が周囲を監視している。
恐らくは原住の魔物を警戒する物だろう。夜間に森へ入った場合は彼らに気付かれる。
五年間、誰も森へ入っていないという認識になるはずがない。
森へ入る方法や、転送場所が複数存在する可能性を除いて……。
「キュラハ、魔術師の場所は分かるか?」
「うーん、分かんない」
「は?」
あまりにも簡単に言うので、牧緒はつい威嚇する様な声を出してしまった。
「よし、殺すか」
リデューシャが呟いて、キュラハに手の平を向けた。
普段の牧緒なら直ぐにそれを止めに入ったであろうが、頭の中は空っぽで何も考えられない状態にある。
ニャプチの嗅覚で嘘をついていないのは確認した。ならば何故?
「ちょちょ、判断速いよ待って待って。騙したわけじゃないから。森の中だと天記の書が追記されないみたいでさぁ、予想外だよ」
流石のキュラハも恐れ慄く。そして必死に言い訳を続けた。
「アタシたちが森に入る直前まで記録された内容だと……うーん、森の中にいることは確かさ」
天記の書には、魔術師デルバの見た物、聞いた物、触れた物が記される。
彼の感じた物はいずれも全て生い茂る大木のこと。森のどこにいるかを特定するには至れない情報ばかりであった。
少なくとも、街の中にはいないだろうと判断できる程度。
「せっかく街もあって人もいるんだからさ。気長に行こうよ。アタシを殺すよりもまず、聞き込みでしょ?」
ここまでをリデューシャは黙って聞いた。
そして、怒りに満ちた眼光を牧緒に向けて指示を仰ぐ。
「……許してやってくれ」
呆然としていた牧緒は正気に戻り、今にも強力な魔法を放たんとするリデューシャの手を下げさせた。




