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22話 死者への冒涜

 牧緒は目を覚ました。

 痛みはなく、すんなりと上体を起こすことができる。

 皮膚は本来の質と色を取り戻し、潰れたはずの片目に光を感じる。

 それどころか、燃えて穴だらけになった服さえも元通りだ。


「気絶してばっかりだな……俺」


 牧緒は全てを察し、他人に頼ることしかできない自身の情けなさを憂う。


「他人を治すのは慣れていないんだが、上手くいったようだな」


 腰に手を当てたリデューシャが、笑みを浮かべて牧緒を見下ろす。


「うにゃ~、急にマキオの匂いが消えたときはどうなることかと思ったにゃ」


 そう言ってニャプチが体を寄せた。


 牧緒は生き残った。

 窮地の中で絞り出した苦肉の策。それを瞬時に理解し、実行に移したバルバラの功績は大きい。


「ありがとう、みんな」


 牧緒は深く頭を下げて謝意を告げる。


「俺が迂闊だった……。まさか、ここまでする奴がいるなんて考えてなかった。あいつらはどうなった?」

「全員散ったか、気を失っている。妾がいる限り手も出せまい」

「そうか、よかった。てっきり殺したかと……」


 この世界の命の重さは、日本とは比べ物にならないほど軽い。

 そんな環境を理解した上で長く過ごしてきたが、それでも牧緒は自身が直接関わった人間の命が奪われることに強い罪悪感を抱く。

 大罪人を脱獄させ、あまつさえ人を、国を騙し今に至る……そんな行いと矛盾する善の感情。牧緒はそれを捨てきれていなかった。


「帰ろう、バルバラにも直接お礼がしたいしな」


 若干ふらつきながらも、自身の力で立ち上がった。


「マキオ様。本当に彼らをこのままにしておいて、よろしいのですか?」


 ユレナが意見する。

 彼女の目は暗く、冷たい色をしていた。


「あぁ、俺が一人にならなければ、同じ真似はできない。報復は恐れる必要はないよ」

「それは優しすぎるのではありませんか? それでは悪意に侵食されるばかりです」


 ユレナは自身が歩んできた、今までの人生を教訓として忠告する。

 たかが十六年間の短い経験。しかし、ただのちっぽけな一人の人間としては、誰よりも密度の高い人生だった。


「それは君の……“悪役”の考えか?」

「いいえ、私はこの考え方を悪とは思っておりません」

「俺もだよ。奴らを生かすことを優しさだとは思ってない。ただ、この世界に来る前の……俺の心を守りたいだけだ」


 それはユレナと相反する想い。それ以上、彼女は言葉を紡げなかった。

 そんな様子を見て、リデューシャは呪文を唱える。


開龕(かいがん)――」


 牧緒たちは現れた黒い壁の中へと消えていく。

 しかし、リデューシャとオルガノだけはその場に残った。


 ドルーガンたちを殺さなかったのは、決してリデューシャが機転を利かしたわけではない。

 牧緒の知らぬところで、オルガノが彼らの処分を買って出ていたのだ。


「奴らをどうするつもりだ?」


 リデューシャは彼らの処遇について全く興味はなかったが、牧緒の今後の指標になるかもしれないと考え、念のため確認した。


「再利用するつもりだ。()()()()()にな」


 それが【悪の特異点(マレフィキウム)】のためではなく、オルガノとユレナのためであることをリデューシャは知らない。


「そうか……しばらく転送魔法は残しておく。後始末はお前に任せた」


 リデューシャはそれだけ言うと、その場を去った。

 一人になったオルガノは、積み上がった瓦礫に向かって問いかけた。


「さて……もう意識は戻っているのだろう?」

「……てめぇ、よくも騙しやがって……」


 ドルーガンが、ガラガラと音を立てて崩れた暖炉の破片の中から姿を現す。


「騙した? それは酷い言い掛かりだ。私は手掛かりを与え、貴様は自ら判断して行動に移した……ただそれだけだ」

「ふ……っざけるな!」


 左目の魔法陣を魔力が満たす。

 その目に映るオルガノは、成す術もなく燃え上がった。


「せめて……てめぇだけは殺してやるっ!」


 激しく睨みつけて息まくも、その魔法は実を結ばない。

 オルガノは平然とした様子で、杖の持ち手をこめかみに当ててから軽く振る。

 彼の上半身を包んでいた激しい炎は、杖の宝石に吸い込まれ、消えた。


「冥府の業火と比べれば、ぬるま湯に等しいわ」


 そう言うと、続けて杖の石突を地面に突き立てる。


「召喚獣――ヘルベルグ」


 瓦礫の隙間などからわらわらと這い出てきたのは、数百匹にも及ぶ蛇の群れ。

 頭の先から尾の先まで、真っ黒な鱗が光を反射する。

 それと同じくして、周囲の瓦礫の影から多くの人影が顔を出す。それはドルーガンの部下たちだった。


「お前ら、戻って来てくれたのか! よし、こいつを殺せ! 一斉にかかるぞ!」


 命令するも、反応はない。

 喉が詰まったような、苦しそうな息遣いだけが返ってくる。

 彼らの目は落ちくぼみ、血色は悪く、まるで糸に吊られた人形の様な立ち振る舞いだ。


「皆、既に死んでおる。ヘルベルグに噛まれれば、瞬時に血液は凝固し、死に至る」


 蛇の魔物であるヘルベルグの原型魔法は、魔力を蝕み人体に至る猛毒の魔法。

 生物におけるあらゆる抗体を無視して侵食する、事実上の即死魔法である。


「じゃ、じゃあなんでこいつらは動いてんだよおおお‼」


 ドルーガンは叫びながら何度も何度もオルガノを燃やす。効かないと分かっていても繰り返す。

 燃やし続ければ、オルガノを覆う炎でその視界を奪うことができるからだ。

 

石巌の牙(サクスム・コルヌ)‼」


 ドルーガンの両手首に光る魔法具の腕輪。

 それは呪文に反応して、二本の巨岩の腕を作り出す。

 拳を握り振り抜くか、それとも手の平に包み込み握りつぶすか。

 選択肢は数あれど、そのいずれも実現することはなかった。


「無駄なことだ」


 オルガノはため息を付きながら軽く杖を振り、迫る巨岩の腕を払う。

 触れてすらいないのに、何かに押されるように容易くそれは弾かれた。

 確かに炎はオルガノの視界を遮っている。しかし、見える必要などなかった。


「くっ……そ……」


 実力の差は歴然であった。

 オルガノの魔法は重力を生み出し、その指向を操作する。

 炎も岩も、何者も彼に触れることはできない。


「貴様のおかげで“終末級”の行動原理を知ることができた……感謝している」


 オルガノの目的は、牧緒の窮地に“終末級”がどのように行動するか確認すること。

 牧緒の死がほぼ決定的になった場合、それを救うのか。救うとして、彼ら自身がそれを望み、率先的に動くのかどうか。

 そして、娘のユレナが牧緒にどう接するのか……。

 彼はそれを知るためにドル―ガンを(けしか)け、牧緒を死の一歩手前まで追い込んだ。


「奴らと共に沈むわけにはいかん。そうなる前に、手を打たねば……」


 誰に言うわけでもなく、呟いた。

 【悪の特異点(マレフィキウム)】は勇者を敵に回している。

 それだけではない。世界は脅威を排除するべく、手段を選ばず行動するだろう。

 “終末級”はその強さで全てを撥ね退け自由に生きる。牧緒はその“終末級”に守られて生きる。

 だが、ユレナとオルガノはどうだろうか。

 ユレナの中の魔王は調伏できていない。利用するには危険すぎる存在だ。

 そしてオルガノは、牧緒の脱獄計画を強引に利用した経緯を持っている。

 今後、【悪の特異点(マレフィキウム)】にとって用済みとなるのは誰か。彼にとって、それは明白であった。

 生き残るには、行動して現状を変えるしかない。


「何なんだよ……、何がやりてぇんだよおおおお‼」


 ドルーガンの絶叫は、無数の蛇たちに埋もれて小さくなっていった。


「魔法陣の刻まれた体は重宝する」


 オルガノは鼻で大きく息をはき、事が済んだことに人心地つく。


「私は学んだのだよ。生者(せいじゃ)よりも死者の方が使えるとな。少なくとも背中を刺されることはない」


 かつてオルガノは仲間に裏切られ、ヴァーリア監獄に投獄された。

 脱獄するまでの六年間で、少しずつ体に刻んだ不格好な魔法陣。

 魔法の使えぬ聖域故に試行することもできず、ただ頭の中にある魔法の知識を応用し、創り出した禁忌に触れる力。

 それは闇の魔法【死者への冒涜(ネクロマンシー)】。

 魂なき肉体を自在に操る魔法。


 この日、オルガノの魔法実験は成功した。

 死者たちは再び立ち上がり、オルガノの意のままに動く。

 いずれ死者の軍団が完成すれば、一国を落とし得るほどの力となるだろう。

 これを以って、オルガノは“亡国級”に匹敵する脅威となった。

 全てはユレナに迫る危機を排除するために――。



 この土地の凍えるような寒さは、血の巡らぬ彼らにとって最適であった。


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