19話 思惑
牧緒は最後尾を歩くオルガノを一瞥した。
オルガノの動きは、常に娘のユレナを視界に入れられる状態にある。
娘は父親との再会を望み、父親は娘を想うあまり遠ざけようとした。
だが今となっては、娘は世界のお尋ね者。遠ざけてしまえば守れなくなる。
「オルガノはユレナのことを最優先に考える。きっとユレナを今の環境に置いておきたくないはずだ……。その考えは俺たちにとって不利益に働くかもしれない」
オルガノは自身を含め、娘に犯罪者を近づけさせたくないと考えている。
娘を想う故に、オルガノにとって牧緒たちは無用の長物になりかねない。
「うにゃぁ……ボクは唯一竜と魔女の方が怖いけどにゃ」
ニャプチの不安はそこにある。
彼らが脱獄に必要であったのは分かる。しかし、脱獄後も共に行動するとは思っていなかった。
「バルバラは問題ない。利害関係がハッキリしてるし、友好的な関係を築けたと思ってる」
「確かに……この間もマキオを鼻の上に乗せて遊んでたぐらいだしにゃ~」
牧緒は暇さえあればバルバラと積極的に触れ合った。
百年余りを監獄で過ごした竜が外の世界に舞い戻れば、何もかもどうでもよくなって飛び去ってしまうのではないかと勘ぐったからだ。
より絆を深めて少しでもその可能性を低くしようという、牧緒なりの努力であった。
「リデューシャも大丈夫。もっと傲慢で高飛車で人を寄せ付けない存在だと思ってたけど……なんかそんな感じじゃなさそうだし」
根拠はない。何故リデューシャがこうまで素直に同行するのか……それは牧緒にも分からない。
だが、実際の彼女が纏う雰囲気は人懐っこさすら感じさせる。
「監獄では、いくら語り掛けてもずっと無視されてたんだけどなぁ」
「あー、それにゃぁ……んにゃ~、まぁ……んにゃ」
何やらニャプチの歯切れが悪い。
牧緒はそんな様子に疑問を抱くも、苦笑いを浮かべるニャプチの顔を見て別のことが気になった。
「ニャプチはどうして協力してくれたんだ?」
脱獄計画は、現実味の無い運任せとしか思えないほど粗雑なもの。
それでもニャプチは牧緒を信じて危険な橋を渡り、こうして今も共にいてくれる。
彼女のアッサリとした性格に、牧緒は今まで疑問に思わなかった。
「それはマキオの……」
その声は更に小さくなり、ごにょごにょと言葉にならない言葉となった。
「ん、なんて言った? 大丈夫か? さっきから変だぞ」
いつもハッキリと物を言うニャプチとは思えない。
牧緒はそんな様子を心配した。
「何でもないにゃ! そもそも【悪の特異点】の一員ってことにされてるんだから、今更一人になれないにゃ!」
ニャプチの言う通り、多くの監視が付くほど世界から注目されている今、“終末級”の面々と行動を共にした方が安全かもしれない。
「それもそうか……」
牧緒のモヤモヤは晴れぬまま、暫くしてリデューシャの案内するホテルに辿り着いた。
そのホテルは外観だけで最高級であり、最上級であることが分かる。
「おいおい、こんなとこ五人で泊まれるほど金持ってないぞ。帝国の援助も最低限だし……」
「なあに、ホテリエを魔法で洗脳し――」
「却下」
リデューシャが言い切る前に、牧緒はその方法を拒否する。
「うむ、ならば金があれば満足か?」
リデューシャがムスッとして言捨てると、その手の平から金色のドロドロとした液体が溢れ、それを強く握って開くと、ジャラジャラと金貨が零れ落ちた。
「それ、絶対やっちゃダメな奴だ……でも洗脳よりはマシか」
彼女の異常な価値観に、牧緒は早くも適応して地面に落ちた金貨をそそくさと拾い集める。
「部屋は妾が取る。お前たちはそこでゆっくりしていろ」
ホテルに入るや否や、リデューシャはホールに設置されたソファーへ視線を向けて言った。
「本当に意外です……雑用の様なことは全て他に任せるお人だとばかり」
「それは確かに……案外、世話焼きなのかもな」
本人に聞こえないように、牧緒とユレナは囁き合った。
暫くすると、複数のホテリエが現れて各々を個別の部屋に案内した。
しかし、どういうわけか牧緒とリデューシャだけが同室だ。
ホテリエの手前、牧緒は敢えて堂々とそれを受け入れる態度を取ってしまった。
パタリと部屋の扉が閉まるや否や、牧緒の心臓は激しく鼓動し始める。
牧緒は異常に広いベッドの上に、体をこわばらせながら座った。
その隣にリデューシャが同じく座り、足を組む。
ベッドの縁に備え付けられたアロマキャンドルが、気まずい雰囲気に似合わない香りを漂わせる。
「あの……、これはどういう?」
「ん、なにがだ?」
牧緒が意を決して口を開くも、リデューシャは何が言いたいのか分からないといった態度だ。
「そ、そうだ。気になっていたんだけど、リデューシャはどうやって魔法を使ってるんだ? 魔法陣や魔法具を使ってるようには見えないけど……」
とにかく空気を変えたい牧緒は、世間話のつもりで問いかける。
「うむ、魔法陣は肌に刻まれていることもあるし、魔法具はそれとは分からないほど小さな物……そうだな、指輪や髪飾りであることも少なくない」
「なるほど、俺が気づいてないだけで、魔法具や魔法陣を使ってたのか」
「本来ならな。だが妾は違う」
どう違うのか……牧緒はそれを知れると期待して耳を傾けていたが、手番はリデューシャに移っていた。
「次は妾が聞く番だ」
リデューシャは牧緒を押し倒した。
突然のことに牧緒は「うぇあっ⁉」と間抜けな声を上げて困惑する。
「妾のことを、どこまで知っている?」
牧緒はその質問の意図が分からない。
だからこそ駆け引きなど無く、聞かれたままを答える。
「まだ……何も知らない。俺が知ってるのは本で読んだ魔女の物語だけだ」
「何故、妾に月を贈るなどと荒唐無稽なことを言った?」
彼女の声からは怒りの感情は感じられない。
ただ淡々と質問している。
「手の届く物より、届かない物の方が君の気を引けると思ったんだ……。それに、俺は本気だ。本気で元の世界に戻って、本気で君に月を贈るつもりでいる」
牧緒自身、めちゃくちゃな提案であることは自覚している。しかし、約束を違えるつもりはない。
リデューシャはそれを聞いた後、しばらく静かに牧緒の目を見つめた。
「恋をしたのは初めてだ……」
それは突然の告白。
「欲することはあれど、誰かに何かを捧げようと思ったことは微塵もなかった……。お前を妾の物とする。その代わり、この身をお前に捧げよう」
牧緒は理解が追い付かない。
頭の中を整理する間もなく、リデューシャが顔をそっと近づける。
この状況を受け入れるのではなく、打開する必要があると考えるも、言葉も出ず、体も動かない。
その時、アロマキャンドルの火が、人の顔程の大きさに燃え上がり、オレンジ色の光を照らす。
その炎には、ハロウィンのかぼちゃの如く、くり貫かれたかの様な目と口が付いていた。
「マキオ、これでは監獄の中と同じだ。我に街を見せろ、人を見せろ……暇が過ぎる……」
そこから発せられた声は、間違いなくバルバラのものだった。
ここで、ようやく正気を取り戻した牧緒は、できる限り素早く、できる限り優しくリデューシャの体を押しのけてベッドの上に転がした。
「バルバラ! なんだこれ? どうやってるんだ?」
「炎の意識を乗っ取っただけだ」
「乗っ取るも何も、そもそも炎に意識はないと思うんだが……」
牧緒の疑問を無視して、炎は跳ねる様にアロマキャンドルから牧緒の肩に移った。
「どわっ! あ……、熱くない……」
ほんのりと熱を感じるが、害はない。
「おい、唯一竜。今はお前の出る幕では――」
「確かに、バルバラにだけ不便をかけるのも良くないな! 早速街を散策しよう! ということで、悪いなリデューシャ。また今度ゆっくり話そう!」
リデューシャの言葉を遮って、やたらと声を張り上げて捲し立てる。
そのまま返事も待たず、振り返らずに牧緒は部屋を飛び出た。
「……ふっ、まあよい。マキオの言う通り、手の届かぬ物の方が血が滾る」
一人になった部屋に、その思いだけが残された――。
一方、オルガノは一人ホテルを出て街を歩く。
看板もない建物の扉を躊躇なく開け、中へ足を踏み入れた。
続く部屋、続く廊下、続く階段……その全てに物騒な武器を携帯した男たちが待ち構えている。
その男たちはオルガノの姿を見て、一瞬険しい表情を浮かべるが、手を出すこともなく素通りさせた。
ギシギシと階段を軋ませながら、迷いなくオルガノは進む。
そして、差し掛かった部屋で立ち止まった。
「よく俺たちの潜伏場所が分かったな……冥王オルガノ」
質素な部屋には似合わない、豪華なアンティークの椅子に腰かけた男が声をかける。
その男の名はドルーガン・ギルダンテ。
「殺気すら消しきれぬ三下共の居場所など、目を瞑ってでも見つけられる」
オルガノは強く出る。
「はっ! そんな俺たちも今や、あんたのいない【烏鷺の怪党】の二次団体だ。まさか、まだ自分がこの組織で力を持っているなんて思ってないよな?」
それはかつて、オルガノが組織した闇ギルド。
その他多くの闇ギルドを吸収し、世界でも類を見ない巨大組織となった。
オルガノが投獄された後、組織は別の誰かに引き継がれ、今も存続している。
「我々の動向を監視しているのだろう? 私はもはや、【烏鷺の怪党】を越える組織の一員だ。だが、それは私にとってリスクでしかない」
オルガノはドルーガンの挑発に乗らず、自身の目的を話し始める。
「【悪の特異点】の盟主に力はない。魔法すらも使えぬ男だ」
オルガノは普段の牧緒の行動を見てそう判断していた。
そして、ビシャブ王の態度と発言からそれを確信した。
「あ? 何が言いたい?」
ドルーガンはその言葉の真意を掴めないでいる。
「そんな男に“終末級”の者たちが従う理由はなんだ? 残念ながら私には分からん……。だが、お前たちがその気になれば、いくらでも知る方法はあるだろうな」
オルガノは、察しろと言わんばかりにその先を濁す。
ドルーガンが顎に手を当てて考えている間、別れも告げずにオルガノはその場を立ち去った。
「魔法が使えない男……なら洗脳系の魔法や呪いはありえない……か。ふ、ふははは! なら考えられるのは一つ……!」
ドルーガンは突然立ち上がり、部下たちに告げた。
「手に入れられるぞ、“終末級”の力を……‼」




