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1話 懲役四百年

 鉢木(はちのき) 牧緒(まきお)、二十歳の冬。

 仕事終わりの帰路。寒空の下で、突如として強烈な閃光が彼の視界を奪い、見える世界を一変させた。

 古いビル群も、走る車も姿を消して、アンティーク調の内観の洋室に牧緒は立っていた。

 周りを囲む者たちの風貌は、まるで史劇の演者の様だ。


「おぉ、かの召喚術は本物であったか!」


 ウオラ王国のビシャブ王は、牧緒の姿を見て歓喜した。

 満面の笑顔で側近の男たちと握手を交わし、召喚の儀式が成功したことを喜び合っている。


「貴殿の名は何という?」


 興奮冷めやらぬビシャブ王は、自身が名乗ることも忘れて牧緒に問う。


「えっと……、これって夢?」


 牧緒には相手の言葉が分からない。

 当然日本語でもなく、英語でもない。それは未知の言語。

 それはビシャブ王にとっても同じだった。


「やはり言葉は通じぬか。よし、手筈通りに進めよ」


 その言葉に従って、側近の男たちが戸惑う牧緒を別室へと連れて行く。

 

 ビシャブ王には、召喚した者に最高位の教育を施す用意があった。

 その思惑は自国から勇者を輩出し、国力を上げること。

 誰に唆されたのか、異世界の人間は比類なき能力を持っており、勇者に成れると信じている。

 牧緒はその身勝手な思惑に巻き込まれたのであった。


 その日から牧緒には、衣食住において何不自由のない環境が与えられた。

 ただし、毎日のように続く英才教育は苛烈を極めた。

 

 まず、日が昇るのと同時に始まる語学学習。

 学生の様な甘えは一切許されず、僅かでも顔を伏せようものなら問答無用の体罰が加えられる。

 

 昼食を終えると、日が暮れるまで剣術と武術の稽古。

 肉と骨は悲鳴を上げて激痛を伝える。

 幸い、稽古の終わりと共に癒しの魔法が施され、ほとんどの傷は癒える。


 そんな辛い繰り返しが一年続き、日常会話をこなせる頃には魔法学の授業が始まった。

 

 慣れもあるだろうが、牧緒は存外この状況を楽しんでいた。

 両親を失い、高校へ進学できずに働き詰めだった彼にとって、勉学に励むのは久々だったからだ。

 だが、同時に牧緒は焦っていた。


 まだ中学生の妹が一人と、小学生の弟が二人いる。長男の牧緒は彼らの親代わりでもある。

 家族のために一刻も早く元の世界に戻らなければならない。しかし方法が分からない。


「やっぱり大した情報はないか……」


 牧緒は溜息をつきながら本のページをめくる。

 王城内の図書館。僅かな休憩時間はいつもここに籠り、本を読み漁っている。

 王城の外へ赴くことを禁止されている牧緒が、世界の情報を収集できる唯一の場所であった。

 しかし、異世界の存在は魔法の指南書や歴史書にも記載はなく、有益な情報は本からは得られなかった。

 召喚術については秘匿されており、城の者に聞いても黙秘を貫かれるだけで進展はない。

 だから牧緒は、別の視点から手掛かりを集めようと模索した。

 それは異世界云々に囚われず、とにかくこの世界を知ること。

 思わぬところからヒントを得られるかもしれないと期待して。

 だが、それも一筋縄ではいかなかった。


 記録されている歴史には空白が多い。

 例えば、言語。

 人間の国は二十九か国存在するらしいが、全ての国で同じ文法と読みが使用され、共通語と言ってよいほど僅かな差異しかない。

 それでいて、大陸によって使用される文字は大きく異なっている。

 このような不可思議な歴史を説明する記録すら残されていないのだ。


「歴史の勉強はヤメだ!」


 牧緒は切り替えて、神話や童話の本をかき集める。

 それは竜や魔女、エルフなどの数千年を生きる者たちの物語。

 歴史書には影すら載らぬ存在である。その点は“異世界”と共通している。

 むしろ創作にこそ答えが眠っているのでは……と牧緒は胸を躍らせた――。


 しかし、元の世界に戻る方法を見つけられぬまま、更に一年が経過した。

 成果を得られなかったのはそれだけではない。

 一年間学んだ魔法学は全く実を結ばなかった。

 魔法どころか、魔力をひねり出すことすら叶わない。


 魔法が存在しない世界の人間に、魔力なんてあるわけがない……と牧緒は半ば諦めていた。

 しかし国王の目的は“勇者”を育て上げること。

 だからこそ、牧緒は今日という日を迎えることが億劫だった。

 それは半年に一度、五度目の国王への謁見。


「我慢の限界だ。私は酷く失望している」

 

 ビシャブ王は唇を震わせながら、言い放った。

 片膝をつき、頭を下げたままの牧緒を睨みつけ、言葉を続ける。

 

「二年もの歳月を費やしながら、貴様の力は凡夫の足元にも及ばぬ体たらく……。いずれ開花すると信じた私の何と滑稽なことか」


 剣術や武術は、魔力の出力や魔法の行使を前提としたもの。

 ビシャブ王の期待に応えるならば、魔法は必須であった。

 しかし、牧緒は勇者になるつもりなどなかった。

 元の世界へ戻れればそれでいい。

 与えられた環境をはく奪されることを恐れもしたが、城の中で得られる情報では事足りないことは分かった。

 ならば追放されることが、むしろ牧緒にとって良いことの様にも思われる。

 

 どこかで仕事を探して生活の基盤を作り、安定したら再び元の世界に戻る方法を探す。

 それが牧緒のシンプルな計画。

 だが、事は思いのほか深刻だった。


「貴様は我が国の資産を食いつぶし、私を裏切った。到底許される行いではない!」

「……っ! 俺は勝手に呼び出されただけで……、言葉さえ通じれば最初から“勇者”なんて断ってたさ!」


 国王の怒りの声に、つい言い返してしまう。

 貴族としての振る舞いやマナーも学ばされたが、王様を相手にするような時代や環境で育っていない牧緒は、咄嗟に感情を優先してしまった。


「もうよい、呆れ果てたわ。貴様を国家反逆の罪に問う。この国では私の勅命であれば裁判は必要ない」


 牧緒は追放を覚悟していた。

 しかし、罪を問われるとまでは想定していなかった。


「懲役四百年とし……そうだな、オルニケア王国のヴァーリア監獄に入れてやろう。あそこには伝手がある」


 法的根拠のないふざけた求刑は、ビシャブ王の嫌がらせでしかない。

 自国の(ルール)で罰した罪人を関係のない他国の監獄に入れるというのも、本来はありえない処置である。

 ヴァーリア監獄は世界一の難攻不落。過酷な環境に過酷な労働が強いられる場所。

 生きて刑期を終えた者はただの一人もいない。

 ビシャブ王は怒りのままに、牧緒を苦しめようとしている。


 兵士たちが牧緒の腕をつかみ、外へ連れ出そうとする。


「ふざけんな! 俺は帰らなきゃダメなんだ! 刑務所になんて入ってられない……離せっ! 俺に触れるな!」


 喉が潰れるほど声を張り上げ、身を激しくよじり、喚き散らす。

 だが、その抵抗が実ることはなかった。


 牧緒はすぐさま強固な馬車に乗せられた。

 手錠をかけられ、兵士の監視のもと、ヴァーリア監獄への護送が始まる。


 ――それから六日が経過した。

 僅かな隙間から光が差し込む程度の閉め切られた馬車の中で、牧緒は力なくうずくまり絶望に打ちひしがれていた。


「ほら、起きろ!」


 兵士の声で牧緒は目を覚ます。

 乱暴に首根っこを掴まれ、馬車から引きずり降ろされた。

 標高が高いのか、息は白く、肌が痛い。


 そこは目的地のヴァーリア監獄。

 巨大な門を抜け、刑務官に引き渡される。

 武装した刑務官は同行した兵士よりも大きく、威圧感があった。

 手錠を外され、刑務官に背中を蹴られながら進む。


「ここだ、入れ」


 淡々とした言葉に従い、監房に入る。

 ガチャリと鉄格子が施錠される音が響いた。


「うぅ……、はぁ、くそっ……、寒すぎる……」


 ただでさえ冷たい空気に覆われているのに、ごつごつとした岩の床は氷の様に冷え切っていた。

 寝床のつもりなのか、監房の隅には薄い木の板が転がっている。

 牧緒はすぐさま、そこに飛び乗った。

 毛布の一枚もなく、体の震えは止まらないのに眠気が襲う。

 眠ってしまっては、きっともう目覚めることはないだろう。


「俺は……、ここで死ぬのか……」

 

 既に心は折れていた。

 こんな状況では、もう元の世界に戻ることは叶わない。

 牧緒は静かに目を瞑った――。

 

 そんな彼の上に何かが飛び乗る。


「ふにゃ~、冷たっ! しばらくしたら温まるかにゃ?」


 それは、牧緒に覆いかぶさって暖を取ろうとしている。


「あんた……誰だ?」


 牧緒は寒さに意識を取られ、それの存在に今まで気が付かなかった。

 ふさふさの毛に覆われた狼の耳と、ふさふさの尻尾。

 なのに猫を意識した様な語尾。


 彼女との出会いが、牧緒の運命を大きく変えることとなる。

 

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