18話 要求
目的は異世界への脱出。
牧緒は家族と再び再会するために。
バルバラは同族のいる世界を探すために。
リデューシャは科学の力で月を手に入れるために。
ユレナとオルガノは非道を外れ、追われることのない生活を送るために。
ニャプチは――。
ウオラ王国の高くそびえる王城。その中腹に位置する広場へバルバラは降り立った。
その巨体からしてみれば、あまりにも手狭な場所。尾や翼が壁や塔に触れ、まるで砂山の様に崩れていく。
「な……何なんだこれは……」
ビシャブ王はバルコニーに飛び出し、その目に映る異様な光景に絶句した。
「お久しぶりです、王様」
バルバラの背から牧緒がひょっこりと顔を出して呑気に挨拶する。
「バルバラ、あそこに降りたいから、もう少し寄ってくれないか?」
牧緒がバルコニーを指さすと、バルバラは飛び乗れる距離まで体を寄せる。
ビシャブ王は、室内にまで侵入してきた魔女を含めたその面々に圧倒されて後ずさる。
「そ、そうか。脱獄者の報せは聞いていたが……やはり貴様だったか。出来損ないが何の用で戻ってきた?」
その額には冷や汗が滲んでいる。
「意外と強気なんですね。もうちょっと怯えてくれると思ってましたよ」
牧緒は想像と違うビシャブ王の態度に感服する。腐っても国を背負う者。肝は据わっていた。
「私は貴様に不自由はさせなかったはずだ……責任を果たせなかったのは貴様であって私ではない!」
「えぇ、仰る通り。二年間も面倒を見てもらって感謝しています。恨む気持ちはありません」
「な、ならば何のために――」
牧緒は柔らかい表情を一変させ、睨みつける。
「しかし、あなたの果たすべき責任はまだ残っている。俺を招いたのなら、帰すべきだ」
牧緒が凄んだところで、大した効果は見込めないだろう。
ならばその背後に据わる魔女の圧はどうだ。見た目だけなら、冥王と呼ばれた大男も慄くに値する。
しかし、ビシャブ王は強情であった。
「……知らん。私は何も知らん」
その態度は死を覚悟している様にも見える。
そんなビシャブ王を、ある男が宥める。
「陛下、落ち着いて。私が彼らと話しましょう。私はこの国の王子、ベイラン・ラムダと申します」
ベイランは深々と頭を下げる。
彼は牧緒が投獄される数か月前から、遠く離れた国で大使として生活していた。
当時に彼がいてくれれば、ビシャブ王の理不尽な決定を覆してくれていたかもしれない。
「お久しぶりです、マキオ様。どうか我が父の無礼をお許しください。父は欲に目がくらみ、マキオ様を無責任に召喚しました……もちろん、その責任は私が果たさせていただきます」
ビシャブ王は自国から勇者を誕生させようとした。それは欲に違いないが、国を想ってのことだった。
事実、現役の勇者レトロの生まれたオルニケア王国は、今や世界を牽引していると言っても過言ではないほどの成長をとげ、国民たちは豊かに生活している。
だがそれほどの責を自国民に背負わせるわけにはいかない。
そう思い、異世界人を召喚することを決めたのだった。
「元の世界に戻る方法を教えてくれれば、それでいい」
牧緒が彼らを恨んでいないというのは本当だ。
望むのは謝罪でも報復でもない。
ベイランは当時の状況を語り始める。
「召喚の魔法を行使したのは確かに我が父です。しかし、魔法陣を用意したのはデルバと名乗る魔術師なのです」
事の顛末はこうだ。
流浪の魔術師であったデルバは、あの手この手で名を揚げてビシャブ王の目に留まる。
異世界の人間は特殊な能力を持ち、その者は必ず勇者に至る……とビシャブ王を言いくるめ、召喚の儀を執り行った。
デルバは、召喚の儀には大量の金を消費すると主張してそれを用意させた。
もしかすると、彼はその一部を着服していたのかもしれない。
何故ならば、召喚の魔法陣だけを残して忽然と姿を消してしまったからだ。
「魔法陣は特殊な仕様だったようで……マキオ様を召喚した後に消失してしまったのです。魔法陣を書き写した魔導書も用意しておりましたが、そちらは跡形もなく独りでに燃えてしまいました」
ベイランは床に座り込んで項垂れる父親の姿を、時折睨みつけながら状況を説明した。
そんな彼が嘘をついているようには思えなかったが、牧緒は念のためニャプチに確認する。
「うーん、嘘じゃないにゃ」
ニャプチは鼻先をひくひくとさせながら、ベイランの匂いを嗅いで判断した。
その嗅覚は嘘を嗅ぎ分けることができる。
牧緒は彼女の能力の幾つかを、本人から聞いて知っていた。
脱獄に際してニャプチの秀でた聴力は大いに役立ったが、悪辣な環境の所為で嗅覚はほとんど麻痺していた。
だが今は違う。
「真実の天秤も無しに嘘を見抜けるとは……」
ベイランは今になって、額に玉の様な汗を浮かべる。
駆け引きでもするつもりだったのか、嘘が通用しないと分かったことで焦っている様に見える。
「事情は分かった。そうだな……、十日やろう。それまでに魔術師を連れてこい」
牧緒は恐怖で相手を従えるつもりはない。
しかし否でも応でも、相手は【悪の特異点】という存在を恐れる。
ならば、それ相応の態度で挑む……というのが牧緒の心情である。
嫌に尊大な態度も、無茶な要求も、舐められるよりは良いだろうという判断だ。
「ほう、十日も与えてやるとは気が長いな」
リデューシャが眉を上げて意外そうに言う。
「まあ! 私だったら明日の朝までに何とかさせようと、急かしてしまうところ……やはりマキオ様はご寛大でいらっしゃいます」
続けてユレナが妙な持ち上げ方をする。
悪役を演じすぎて、感性がおかしくなってしまったのかもしれない。
そんな無茶苦茶な娘の様子を、オルガノは少し悲しそうに見つめていた。
「……ゴホンっ、とにかく十日だ。俺たちはそれまで城下町に滞在するつもりだ。魔術師を見つけたらすぐに知らせろ」
少し照れながらも、仮初の威厳を失わない様にほんの少し声を張った。
「畏まりました、マキオ様」
ベイランは再び深く頭を下げる。
「そうだ、バルバラは……唯一竜はここに置いて行く。美味い肉を用意してやってくれ」
「待て、我は肉よりも果実の方が好物だ。熟したやつを用意させろ」
城の外から低く響く声でバルバラが割り込んだ。
「そ、そうか。ということだ……よろしく頼んだぞ」
厳かな空気を壊されたことで、牧緒はバツが悪そうにベイランに背を向けた。
バルバラを城に残すのは牽制のため。
爆弾を常に相手の懐に置き、いつでも起爆させられることを意識させる。
裏切りや駆け引きは許さない、とう意思表示。
「開龕――」
リデューシャが唱えると影が集まって立体となり、黒い壁が生成される。
牧緒たちはその黒い壁へ吸い込まれるように入って行った。
するとその壁はドロドロと溶け出して、再びただの影に戻って散った。
その場に牧緒たちの姿はない。
「……勇者を求めたというのに……、真逆の者を招いてしまうとはな……」
気力をなくしたビシャブ王がぼそりと呟く。
「口を慎んでください。今はマキオ様に尽力することが我々の使命です」
ベイランは即座に言い返す。
広場に寝そべる唯一竜に聞かれれば、国が滅ぼされかねないと考えたからだ。
しかし、当のバルバラは鼻息を立てながら、ひらひらと舞う蝶を目で追い、頭を空っぽにして暇を潰していたのであった――。
街中に突如として出現した黒い壁。
そこから次々と姿を現す異様な風格の者たちに、人々は目を奪われた。
平和な国で過ごす彼らは、それが常軌を逸脱した邪悪であることに気が付かない。
「まさかこんな街のど真ん中に転送するとは……あぁ、視線が痛い……」
牧緒は城下町のどこに移動するかまでは指示していなかったが、これ程目立つ場所だとは考えていなかった。
「さっさと宿を探して身を寄せよう……」
滞在するとは言ったものの、牧緒はこれからの予定を組み立てられていない。
「ホテルは妾が決める。付いてこい」
そう言って、リデューシャが先頭に立つ。
「「え?」」
牧緒はもちろん、ユレナもつい声を上げて驚く。
「なんだ? 不満があるのか?」
「いえ、魔女様がこのようなことを率先してなされるとは、すごく意外で……」
「百年は捕まってたんだよな? 宿の良し悪しや、場所なんか分かるのか?」
ユレナと牧緒はそれぞれの思いを呟く。
「良い物を見抜く魔法があるのだ。お前たちに任せたら、馬屋の様な見窄らしい場所になりかねん」
随分な言い草だが、リデューシャに悪気はない。
息をするのと同じぐらい、ごく当たり前に他人を見下して信用していないだけだ。
「まあ。便利な魔法があるんですね。流石魔女様です」
それはユレナの本心でもあり、魔女の機嫌を損ねないためのフォローでもある。
「歩いて行くぞ! 人の視線を浴びるのは気持ちが良いからな!」
リデューシャはそう言って、品を微塵も感じさせないほど胸を張り、足を大きく開いて歩き出した。
他の者は少し距離を空けて付いて行く。
まだ数日だが、彼女と共に過ごす中で牧緒の魔女に対する印象は随分と変わっていた。
出会う前はどれほど恐ろしい存在かと牧緒は緊張していたが、偉そうなだけで言うことも良く聞いてくれる。
実際、目の前のリデューシャは大きな子供の様な振る舞いで、天真爛漫な笑顔を浮かべている。
「マキオ、ボクたち厄介なのに見られてるにゃ」
ニャプチは牧緒にピッタリとくっ付いて囁いた。
「あぁ、俺たち出で立ちからして普通じゃないからな。そりゃ目立つだろう」
「そうじゃにゃくって……」
ニャプチの五感を以って感じた気配の正体は、一般人を装った様々な国や組織の諜報員たち。
誰にとっても【悪の特異点】の対策は最優先課題となっていた。
「冗談だよ。どこの誰だかは分からないが、自衛のために脅威を知るのは当然だろう」
牧緒はそんな彼らを全く意に介していなかった。
「このまま監視させよう。俺たちの日常を見せつけて、話の通じる人間だと印象付けたい」
牧緒が魔法も使えない戦闘能力ゼロの一般人であることは知られていないはずだ。
だから彼らが監視の枠を超えて、攻撃を仕掛けてくることはないと判断した。
仮に弱いことがバレても、魔女や唯一竜の存在は無視できないだろう。
報復のリスクを考えれば、手を出すのは愚策。
よって、この状況は牧緒にとって好都合であった。
日々大人しい姿を見せつけることで、彼らの警戒心を和らげられるかもしれない。
「問題は外よりも内だ」
牧緒の不安はオルガノに向けられた。