15話 真の脅威
レトロは鞘に剣を収める。遠ざかって行く唯一竜の背を目で追うことすらせずに。
彼には勝算があった。たとえ相手が“終末級”であろうと、一対一で負けるつもりはない。
余力も残している。その肉体に刻まれた魔法陣、隠された二本の魔剣と一帖の魔盾、そして原型魔法。
そのいずれも見せることなく、脱獄囚を見逃す羽目になった。
代々の勇者が残した伝記では、魔王は決して引くことはない。
代々の勇者が残した伝記では、魔女は決して靡くことはない。
代々の勇者が残した伝記では、唯一竜は決して人を背に乗せることはない。
“終末級”が団結することはない。彼らの矜持がそれを許さない。
しかしレトロが目にした光景は、それを疑わざるを得ない物だった。
魔女が守っていたのは、本当に自分自身だったのだろうか?
唯一竜が上空を旋回して待っていた者は、本当に魔王だったのだろうか?
魔王が背を向けたのは、本当に逃げるためだったのだろうか?
「あの男、明らかに異分子だ……。まるで猛獣の檻の中に迷い込んだ一匹の兎……」
剣を交えずとも、ほぼ正確に相手の力量を見定めることはできる。
脱獄囚の中で一人だけ、実力の伴わない者がいた。
レトロは疑問を収束させ、ある可能性に至る。
「あの男こそが……」
ジジジジジとレトロの耳飾りが鳴り、そこから幼い少女の声が聞こえる。
『勇者様、勇者様! 悪い奴は倒しましたか?』
「いや、逃げられた」
『え? 倒した? さっすが勇者様!』
「気になることがある。逃げた囚人たちのことを調べてくれ」
『え? 万事解決? 楽勝でしたね、勇者様!』
「これからヴァーリアに戻る。奴らの居場所は検知できるか?」
『え? 今日は直帰ですか? 脱獄囚の居場所は見当もつかないので安心して休んでくださいね、勇者様!』
ちぐはぐな会話を終え、レトロは再び空を蹴ってヴァーリア監獄へと戻った――。
ヴァーリア監獄では、刑務官たちが魔法防御の修復と、逃げ出そうとした囚人たちを抑えるのに奔走していた。
苦悩の塔の囚人は、レトロが選抜した精鋭の戦士たちにより何とか制圧を完遂する。
幸い、唯一竜ほどの素の能力が高い者ほど大人しく、事態は終息に向かっていた。
「さぁ、さぁ! みんな働くのです! 勇者様がもうすぐ帰ってきますよー!」
ふわふわの防寒具を着込んだ幼女が、魔法石が幾つも吊り下げられた大きな杖を振り回す。
すると瓦礫が宙に浮かび、元あった形に戻って行く。
彼女は勇者の腹心、賢者ミリオン・フェルミノス。
「ミリー、状況はどうだ?」
「わぁ! 勇者様、おかえりなさい! ボロボロじゃないですか! すぐに治してあげますね!」
レトロの帰還に、周囲の刑務官たちが沸き立つ。
ミリオンはほとんど無傷のレトロに、貴重な魔法石の魔力を消費し、無駄な癒しの魔法を施した。
「脱獄囚の情報は集まったか?」
「はい、調べさせました! えっと……どこいった?」
ミリオンはキョロキョロと辺りを見回し、お目当ての刑務官を見つける。
「そこの人~、かもーん!」
竿を引いて釣りをする様に杖を振る。
すると、刑務官は見えない何かに体を引っ張られ、すごい勢いでミリオンの元へ引き寄せられた。
そのまま通り過ぎ、近くの壁に叩きつけられる。
「手荒な真似はよせ、ミリー」
「はい、真似します!」
やはり会話は成り立たない。
しかし、レトロは気にせず刑務官に手を差し伸べた。
「すまない、大丈夫か? 脱獄囚のことを知りたいんだが」
「うっ……くっ、はい……もちろんです」
刑務官は叩きつけられた痛みに耐えながら答えた。
「“終末級”の囚人たちは――」
「いや、まずは一般の囚人のことを聞かせてもらえるかな?」
「は、はい。中央棟の監房から脱獄したのは、冥王オルガノ、獣人ニャプチ、反逆者マキオ……以上三名です」
レトロは唯一竜の背に乗っていた者たちを思い出す。
かつて闇ギルドを牛耳っていた冥王オルガノの顔は知っている。
ニャプチは無名だが、あの男は獣人ではなかった。
と、すれば――。
「マキオ……、その男のことを知りたい」
「その男はウオラ王国で国家反逆罪に問われ、懲役四百年を求刑されております」
「彼は首領だったのか? 他の仲間はどうなった?」
「いえ、単独犯だった様です」
「単独犯? たった一人の反逆者を自国で処理せず、わざわざヴァーリア送りにしたのか?」
「はい……そうみたいです」
個の強さでは、牧緒は脅威ではない。
ヴァーリア監獄は強力な魔法を行使する罪人を捕らえる場所。
レトロはウオラ王国のやり方に疑問を覚えた。
まさか誰かを脱獄させるために送り込まれた者なのか。
ならば国家反逆罪などと大それた罪を被せる必要はない。ここでは人殺しより目立ってしまう。
レトロの中で、牧緒の存在がより大きくなっていく。
だが、その正体を掴めずにいた。
「勇者様、勇者様! 脱獄囚を帝都シシリアで発見しました!」
ミリオンが杖を小さく回す様に振ると、人の顔程もある目玉が出現した。
その瞳には、確かに帝都シシリアが映されている。
居場所など分からないと言いつつ、ミリオンはしっかりと仕事をこなしていた。
「セントファム帝国か。一度逃げ切れたと思えば、奴らは散り散りになるはずだ。特に“終末級”の奴らはな。引き続き監視を続けろ」
彼らの団結をレトロはまだ信じきれていない。
逃走に際して、勇者という脅威を撥ね退けるための一時的なものに過ぎないはず。
落ち着けば各々好きに動くに違いない、とレトロは考えている。
「はぁ、はぁ……たった今、電報が入りました!」
別の刑務官が、息を切らしながら割って入った。
魔力に情報を載せて、遠く離れた土地へ瞬時に伝達する汎用魔法が存在する。
「脱獄した六名の囚人たちがっ……、セントファム帝国の……ヴァルキア皇帝陛下の手により……捕縛されたとのことです!」
それは、考えもしなかった状況。
レトロは目を見開いて驚愕するも、すぐに口角が上がる。
「くっ、ふふ……それで彼らは今、帝都の監獄に収監されているのか?」
レトロは笑いを必死に堪えながら聞いた。
「はい、とのことです」
そう聞いて、沸き上がる感情を抑えきれなかった。
尽く手玉に取られたことが、滑稽で仕方ない。
「ふはははははは! そうか、そうか! あぁ、確かに亡命は不可能だ。彼らを受け入れれば世界中を敵に回すことになるからな!」
彼らなら、亡命という名目で保護を求める代わりに、“終末級”の力を授けることもできる。
だが、勇者をはじめとする全ての者たちから、国そのものが敵視されることになるだろう。
「しかし捕まったとなれば、それを成した皇帝陛下は世界の救世主として称えられる。だが実態はそうではない……」
そう、彼らを抑制できていたのは、ヴァーリア監獄が聖域に存在しているからである。
他の監獄では彼らを阻む障壁はない。収監したところで、自由も同じ。
だとしても、再び捕らえられるなど彼らの矜持が許さないはずだ。
しかしレトロはその考えを捨てた。
「奴らは団結した! そして我々は手が出せない……」
彼らに手を出せば、皇帝陛下を侮辱することにつながる。
皇帝陛下には彼らを御する能力は無い、と宣言するも同じであるのだから。
レトロは思い返す。
魔女が守ったのは自身ではなく、背後で放心していたあの弱き男だ。
唯一竜が帰りを待っていたいのは、魔王ではなくあの弱き男だ。
魔王が背を向けたのは、あの弱き男の言葉に従ったからだ。
でなければ、猛獣の檻の中で生き残れるはずもない。
レトロは確信する。
牧緒こそが脱獄の首謀者であり、“終末級”を従えるだけの求心力を持つ者であると。
「マキオ……、彼が真の脅威だ……!」