10話 悪役令嬢
苦悩の塔に侵入して八日目。
何があったか露知らず、牧緒は制御室の前で耳を澄ませて待機していた。
暫くすると、ドンッという音が響く。
ニャプチが壁に勢い良く寄り掛かった音だ。
牧緒が定例の報告を口にしようとした時、丸められた布が頭上から降ってきた。
それは換気口から投げ入れられたメッセージ。
牧緒は布を広げて、僅かな光の中でゆっくりと内容を読んだ。
「これは……昨日書かれた物か?」
「ふにゃ~」
ニャプチの欠伸は肯定の意であろう。
となれば、期日は明日まで。それまでに悪徳令嬢ユレナと共にここを出る算段を付けなければならない。
あるいはオルガノを騙して、計画を変更せずに実行するか。
「分かった……オルガノには言う通りにすると伝えてくれ。実際にどうするかはこれから考える」
ユレナの存在は勇者の足止めに必須。助けるフリをして置いて行く他ない。
だが、死刑執行日よりも遥かに早く脱獄することを強要されている。
足止めには、勇者の眼前に死刑囚を据えておくことが肝要であるのだ。
そうでなければ、勇者は俯瞰的に状況を判断して動く可能性が高い。
騒ぎを聞きつければ、勇者は転送魔法を用いてものの数分でヴァーリア監獄にやってくる。
追い付かれれば戦闘は必至。魔女という戦力も使えるとは限らない。
バルバラが戦うことになれば、その背に乗るはずの牧緒たちは振り落とされるか流れ弾でやられるだろう。
「何故オルガノが悪徳令嬢を脱獄させたいのか聞いてないか?」
当然、ニャプチからの返答はない。
ユレナとの関係性が分からなければ、オルガノを欺くにしても方法を決めきれない。
「……本人と話してみるしかないな」
分からなければ、聞き出せばいい。もちろん相手はオルガノではない。
壁越しに魔女と会話したように、ユレナ本人と話すつもりだ。
ユレナが収監されている正確な場所は把握していなかったが、布切れのメッセージにはそれが記されていた。
苦悩の塔、九階。恐らくオルガノが刑務官から聞き出したのだろう。
「明日は確か……ニャプチは待機組だったよな?」
刑務官の負担を減らすため、ローテーションで待機組と呼ばれる、終日監房から出ることのない囚人たちが割り振られる。
オルガノが指定した期日の最終日……つまり明日が、ニャプチにとって丁度その日に当たるのだ。
「俺の声に耳を傾けていてくれ。当日は強引に行く……!」
ニャプチの聴力であれば、牧緒の声をいつでもどこでも聞き取ることができるだろう。
問題は牧緒がニャプチ側の情報を手に入れる機会がないということ。
今日のように、換気口からメッセージを受け取ることもできない。
牧緒はニャプチの欠伸を聞いて、早速ユレナの元へ向かった。
音もなく梯子を上り、細い廊下が現れる度に階を数える。
そして九階。ズリズリと体を擦りながら廊下を進むと、壁の向こうから声を掛けられた。
「誰か……いるんですか?」
光の無い苦悩の塔の監房の中で、ユレナの感覚は鋭くなっていた。
その音が、ネズミの走る音や風音とは異なることを瞬時に聞き分けた。
「君がユレナ・マルジルクで間違いないか?」
「……えぇ、そうです。あなたは刑務官の方ではありませんよね?」
監房の出入り口とは真反対の壁の向こうから声がすれば、そう考えるのは当然だ。
「俺は牧緒、ただの囚人だ。君を脱獄させたい人がいる。俺はその協力者だ」
オルガノとの関係を暴くために、少しだけ事実を捻じ曲げて伝えた。
「フフ、悪役令嬢のこの私を? 確かに私を信じてくれる人はいましたが、私は彼らに酷く当たるばかりでしたから……そんな人がいるなんて、にわかには信じられません」
ユレナ自身にも心当たりがない様だ。
「オルガノ・ロスガーデンという名に聞き覚えはないか?」
「残念ながら、ありません」
予想外の即答。
真偽はハッキリしないが、少なくともユレナからオルガノとの関係性を聞き出すことは難しいだろう。
「君がどんな罪でここに来たのか、噂レベルでしか知らない。その辺りの詳細を教えてくれないか?」
とにかくユレナについて知る必要があった。
どこかにオルガノを欺くためのヒントが隠されているかもしれない。
「私は……、社交の場で王子殿下に婚約を破棄されてしまい、少し頭にきて魔法を……」
「王城をほぼ全壊させたって聞いたけど?」
「えぇ、多くの人を傷つけてしまいましたが、誰の命も奪っておりません」
尾鰭のついた噂だと思っていたものが、真実だと知って驚愕する。
その上、それだけの惨状で誰も死んでいないことも驚きだ。
「婚約を破棄された理由は?」
「私は悪役令嬢ですから。想像はつくでしょう?」
「以前から犯罪に手を染めてたのか?」
「いいえ、流石にそこまでは」
矢継ぎ早に問いかけるも、ユレナは全てに即答した。
「王族が一方的に婚約を破棄するのは簡単なこととは思えないな」
きっとそこには様々な思惑や策略があったはずだ。
ただの自由恋愛とはわけが違う。
そんな婚約を悪徳令嬢だからと言って破棄できるものなのだろうか?
ユレナは少し悩んだ後、自身の秘密を語りだした。
「……私の中には魔王の魂が同居しているのです」
それは、かつて人類に宣戦布告した魔界の王。
先代勇者と相打ち、互いに命を落としたはずだった。
「魔王の魂が目を覚ますと、私は私ではなくなってしまうんです……。最初は五つの頃。自宅の屋敷を半壊させて、裏庭に底の見えない大穴を開けてしまったことがありました」
王城の破壊も覚醒した魔王が行ったことなのだろう。
これはもはや、悪徳令嬢だからという問題ではない。
この事実が明るみに出たのなら、婚約など破棄されてしかるべきだ。
しかし、それでは事の前後関係が矛盾する。
「婚約を破棄されてから魔王が目覚めたんだよな? 結局、婚約破棄の理由はなんなんだ?」
明らかにユレナは婚約破棄の理由をはぐらかしている。
むしろ隠したいのは内に眠る魔王という存在のはずだ。
だが、彼女はそれを言い訳にした。
「言いましたよね? 幼い頃にも魔王は目覚めています。そのことが知られてしまったのでしょう」
ユレナにそう言われても、牧緒は納得できなかった。
彼女は公然の場で婚約破棄を言い渡されている。
魔王の存在が知られていれば、相手を刺激するようなことは控えて、もっと穏便に事を運ぶはずだ。
ユレナは嘘をついている。真実の中に気付かれない様に少しの嘘を混ぜている。
牧緒はそれに気が付きながらも、ユレナから真実を引き出そうとした。
「魔王が目覚めたのは人生で二回だけ?」
「はい、そうです」
「どうやったら魔王は目覚める?」
「わかりません」
ユレナが隠したいのは婚約破棄の真相。
ならば魔王について嘘はないと、牧緒は考えた。
「一回目の状況は? 魔王が目覚める条件を知りたい」
「その時は、屋敷の使用人とままごとをしておりました」
それは婚約破棄の状況とは随分と異なる。
「私が女王で、使用人が隣国の使者という設定で……私が最高のおもてなしをする、という遊びを……フフ」
かつての無垢な自分を思い出して、ユレナは少し笑った。
「おままごとと、婚約破棄……全くわからんっ」
牧緒は頭を抱え、うずくまる。
魔王の話を聞いてから、牧緒の作戦は方向性を見失っていた。
元々はオルガノを欺くつもりだったが、魔王という力を手に入れられるのならば、彼女と一緒に脱獄することもできると考えた。
魔王が目覚める条件を特定できれば、魔女と魔王の二人体制で勇者と戦うことも可能だ。
だが、その条件が分からない。
簡単な条件であれば、人生で何度も魔王は目を覚ましたはずだ。
たった二回。子供の遊びと、人生最低の瞬間。共通点などあろうはずもない。
牧緒は行き詰り、気分が悪くなる。酸素が足りない。
順調だった脱獄計画が、ここまで来て頓挫する……そんなことは考えたくもなかった。
「ん……? 悪役令嬢?」
牧緒はボツリと呟いた。それは確かな違和感。そして突破口であった。
「君は、何故自分のことを“悪役令嬢”だと言ったんだ? 世間は君のことを“悪徳令嬢”と呼んでいるはずだ」
ユレナはその蔑称を受け入れている節すらある。
にもかかわらず、それを間違って覚えているなんてことはあるだろうか?
「そんな風に言っていましたか? きっとただの言い間違いです。何か月も光の無い場所にいると、頭がおかしくなりそうで……そのせいかもしれません」
ユレナはあっけらかんと答える。
彼女の言う通り、それはただの言い間違いに過ぎないのかもしれない。
だが、牧緒にとっては良くも悪くも発想を飛躍させる糧となった。
「君はわざと普段から酷い態度を取り、悪評を広めようとしたんじゃないのか?」
「何を言っているんですか? 考えすぎです」
牧緒は何故ユレナがそんなことをしたと考えたのか。
それは彼女が婚約破棄の理由を濁したことと、オルガノが彼女を脱獄させる理由を紐づけたからだ。
「君は悪役を演じただけ……悪評を広めて、自身の存在を大切な人に知ってもらうために」
牧緒はユレナとオルガノが親子関係にあると仮定した。年齢も考慮すれば妥当だろう。
一方は裏社会のフィクサー、一方は公爵令嬢。互いの関係性は大きく異なる。
だとすれば、二人は生き別れの親子だろう。ユレナは何らかの切っ掛けでそれを知った。
そして見も知らぬ実の父と接触を図るため、自身の悪評を世界に轟かせようとした。
良い噂より、悪い噂の方が何倍も早く広範囲に広がるのだから。
点と点を強引に繋いだ牧緒の推理は、結果的には的中していた。
しかし、態度や性格が悪いことだけでは婚約破棄の理由としては軽すぎる。
王子と公爵令嬢の婚姻が、政略的な意味を持たないはずもないのだから。
「王子は別の女性に心を奪われたんじゃないか?」
それが牧緒の考えた婚約破棄の理由。
「……えぇ、その通りです。王子殿下は没落貴族の女性に奪われました」
ユレナは白状した。
その声からは、悔しさや苛立ちは感じられない。
「その女性すら、君が用意した者だと俺は思ってる。王子と結ばれることを望む者は少なくないはずだ」
ユレナは婚約破棄の話題すらも、悪評を広めるために利用しようとしたのではないか……牧緒はそう考えた。
もしもこの考えが正しく、没落貴族の女性とユレナが結託していたのだとすれば――。
牧緒の中で、魔王を目覚めさせる方法が確立した。
「俺は名乗ったよな? でも、もう一度自己紹介させてくれ。俺の名前は――」
「――っは、ごめんなさい。つい、うとうとと……。私、すごく疲れてしまったみたい」
ユレナは自身の意識が一瞬飛んだように感じた。
「無理もないさ。数日後には刑が執行されるんだから……精神的にも疲れるだろう」
「そうね……少し横になるわ……」
こうして監房は静けさを取り戻し、牧緒は計画を練り直した。