贋坊主6
更新できました_(^^;)ゞ
*雪之丞たちの存在する世界線では時代の元号は元緑(げんりょくではなく”げんろく”と読んでください)ですが、一般的な事象についての説明において普通に元禄時代の意味で元禄を使わせていただいています。
ややこしくてすみませんm(__)m
―――――― 6 ――――――
静寛。
『静かにして寛くある』というこの名は、京都の檀林で世話になった僧侶がつけてくれたものだ。
『これからは名の通り心静かに、心広く―――そうやってお暮らしなさい』
そう言って、江戸へ戻る静寛に贈ってくれた。檀林にて何くれとなく気にかけていてくれた人で、京都に上ったばかりの頃の静寛には相当手を焼いたであろうが、十年も共に暮らせば情も沸こうというもので。静寛にとっても好き勝手してきた人生で唯一頭の上がらぬ人物である。
江戸に戻ってからはそのまま名乗り暮らしている。京都にいた頃の名は、自暴自棄な心持ちのまま自分でつけた名であったが、今はそれを自ら名乗ることはない。
そんな静寛がひっそりと暮らす草庵は雪之丞たちの住居の近くにあった。普段は静かで人けのないその庵に今日は珍しく客が来ていた。
「なんだ、ここは客が来たというのに白湯(ただのお湯のこと)の一つも出さぬのか」
来ていた客は侍であったが、ズカズカと上がってきたかと思えば、そんな遠慮のない言葉を発している。
《茶》ではなく白湯である。
江戸時代よりも前、茶は点てるものであって淹れるものではなかった。『茶を点てる』すなわち茶を粉になるまで挽いて湯を混ぜて泡立てる、いわゆる『茶の湯』のことである。戦国時代などには身分の高い武士の間で、あるいは金のある者たちの間で流行った高尚な趣味だった。茶を淹れる(煎茶道、茶道は御抹茶である)ようになったのは江戸時代に入ってからだ。茶葉(収穫した葉を蒸したり揉んだり炒ったりして乾燥させたもの)を湯で煮出して飲むという『喫茶(緑茶を飲むこと)』の習慣が、これまた武家の間で流行り始めていた。
ただし、それはあくまでも武士や豪商の間でのことで、庶民はそのような面倒なことはしない。やってきた客に乞われれば白湯をふるまうぐらいがせいぜいだ。庶民の間で喫茶の楽しみが広まるのは元禄を越えてからのことである。深山一座では武家の出が多いということもあるし、大商人の大黒屋がスポンサーということもあって普通に煎茶が出てくる(し、静寛も普通に飲んでいる)が、本来は贅沢品である。
今、静寛の庵にやってきている客は、遠慮のない口利きをする侍だったが白湯を所望してくるあたりは中々に弁えている。
「相変わらず図々しいな、そなたは。知らぬわ。そこらへんに転がっているであろうから自分で勝手にせい」
楽しげな客に対して静寛の方は苦々しげである。
「孝広さま、私がやります」
と、客の連れてきた小者が畳に落ちていた茶碗やらを拾い上げ外の井戸端へと出て行った。ちなみに茶碗は大層酒臭かったそうな。
「―――して、何の用だ。わざわざ南町奉行・藤堂摂津守様様様がお出ましとはどんな大事だ。拙者⋯いや、俺⋯いや、拙僧は幕府の転覆なぞ狙うておらぬぞ」
静寛が嘲笑するように言った。
はっ?!??? ←ここ4倍角
………いや、………町奉行と言えば都知事と警視総監と裁判官とを兼ねているような、江戸の町方の行政と司法を担う重要ポストで旗本の最高位とも言われているのだが―――
そんなお偉いさんがどこあろう、こんな江戸の片隅の汚い(少なくとも酒臭い茶碗が畳に転がっているような)草庵に現れたというのだろうか。
しかし、二人きりのこの場面で嘘を付く必要もないわけで―――
静寛の言葉に相手の侍は、
「はっはっはっ」
普通の顔で笑っている。
どうやら本物らしい。本物の江戸南町奉行らしい、のだ。
江戸の外れの小さな草庵には釣り合いの取れぬほどの大人物、ではあるが―――この侍の気さくな物言いといい、静寛とは親しき仲なのだろうと思われる。
南町奉行だという客人は、静寛の眼の前にドスンと乱暴に腰を下ろすと伝法(乱暴な様子)な口利きで話しかけてきた。
「―――虎よ、おまえは相変わらずバカだな」
瞬間、静寛のこめかみにビキリと青筋が浮く。続いて大声を上げようと口を開けたが、その瞬間、
「どうぞ」
と、先ほどの小者が洗った茶碗に白湯を入れて静寛の目の前にコトリと置いた。そのなんとも言えない図ったようなタイミングに静寛は何も言わずにそっぽを向く。
ちなみに『虎』というのは静寛が坊主をやっていなかった頃からの愛称である。この静寛という草臥れた庵にひっそりと隠れるように住んでいる僧侶(の格好はしているがあまり坊主らしくない坊主)、実は旗本・佐々木家の嫡男だったが放蕩の末に廃嫡されて無理矢理頭を丸めさせられたという―――あまり誉められたものではない経歴がある。で、その昔々の名を佐々木虎太郎孝義といったのだ。
この佐々木家というのが旗本の中でもそこそこな家格で―――もしかしたらもしかして―――今ごろ町奉行職に就いていたのは―――というのは考えても詮無きことであろう。
ともあれ、現職の南町奉行であるというこの侍とはその頃より付き合いのある間柄ということわけだ。
むくれる静寛をきれいにスルーした客人は自分の近況についてペラペラと話し出した。かなりマイペースな御仁と見受けられる。それに根負けするように静寛もポツリポツリと口を開く。
会話から察するに二人は同門の士、いわゆる道場仲間という奴らしい。近頃祝言(結婚式)を挙げたばかりという侍は新妻の話で大いに惚気たり、あるいは道場でともに学んだ頃の話(選んだように静寛の黒歴史なエピソードばかりだった)で客人が一人で大いに盛り上がったり―――それに対して静寛が『嫌がらせか!』と怒鳴って壁際の刀掛けから己の横に刀を引き寄せたりなど―――まあ、和やか(?)に旧交を温めていた。
江戸へ戻ってきてからの静寛についてはお互い口に出そうとはしなかった。二人とも取り立てて話すこともないという認識だからである。
江戸へ戻ってきてからの静寛は、写経したり酒を飲んだりする以外には特にすることもなく暇を持て余している状態だ。
時々、暇に任せて町に出ては旗本奴(昼日中から酒を喰らい大声を上げ若い娘に絡んでクダを巻いている迷惑なヤカラ)の首根っこを押さえつけてコテンパンにしてやったり、使いに出た小僧の懐から金を強奪した町奴の逃げていくのに足を引っ掛け転げ飛ばしボコボコに伸してやったり―――そのくらいのものである。暇つぶしなので、特に言うほどのことはしていない(ただし、『心静かに心広くお過ごしを』という教えが生かされているかどうか悩ましいところではあるが)。
ちなみに旗本奴、町奴というのはヤクザまではいかない半グレで、片方は武家で片方は町人でどちらも金持ちの三男坊四男坊の甘ったれだ。親の金や権力を傘にやりたい放題をしている輩で、奉行所の方でも中々に手を焼いていた。
だから、南町奉行の客人も静寛のそういった話は職務の一環としておそらくは耳にしていようが、客人の方としても特に口に出すことはなかった。咎めるようなことでもなく、礼を言うようなことでもない。それに、
(ただ単に暴れたかっただけなんだろうなぁ⋯)
というのは長い付き合いでわかっていた。
(此奴らしいわ)
南町奉行の客人はただ苦笑するだけで済ませていた。
そんなこんなの談笑の後、ふと会話が途切れたところで客人が、
「そう言えば、存じておるか?」
「? 何をだ?」
訝しげな静寛に客人はもったいぶったように、
「そうかぁ、知らんかぁ」
と一人で納得したようにうんうんと頷いた。
それに焦れた静寛が、
「だから、何がだと言っておる」
と声を大きくすれば、客人はにやりと笑い、
「近頃巷にゃ静謫お上人様様様ってえ奴の―――ニセモンがあらわれたらしいじゃないか。もっぱらの評判だぜ」
と何でもないことのように嘯いた。
そう―――わざわざ静謫上人の情報を、それもそれをニセモノだと断定した上で―――何でもないことのようにもたらしたのである。
そんな相手に静寛は『相変わらず性格が悪い』と嘆息する。こちらの反応を見て楽しんでいるのだろう。
「そのようなことは知らんな」
にべもなく答える静寛。飲み干した白湯の茶碗を振って滴を落とすと、自分が小脇に抱えていた二合徳利から中身をトクトクと注ぎなおした。それを見ていた客人が同じように茶碗を振って滴を落とすとズイッとそれを静寛の方へ突き出す。
「ほう、そうか。これは静寛殿とも思えぬ耳の遅さだ。どれ、この俺が懇切丁寧に一つひと…」
言いかけた客人を静寛がさえぎった。
「そも、静謫とやらいう大バカ者は【上人】などという大層な者ではないのだから、そんなものは端からおらぬ者。おらぬ者のニセモノやら言われても知らぬとしか言えぬわ。そのニセモノをありがたがってもてはやすなど世の中はバカが多くていかぬ」
と切って捨てる。さすがは元武士で、朝倉一刀流の遣い手だ。舌鋒の方の切れ味も抜群である。
ああ成程―――つまりはそういうことなのである―――静寛と静謫の名前がよく似ていると、それだけのことではなかったのである。
ニセ静謫の騒動。
静寛が雪之丞たちの企みに荷担しようというには、それなりの理由があったということなのだ。
そんな静寛の態度を客人はじっと窺い、
「なんだ、知っておったか。つまらん。―――まあ、知っておったのなら、よいか…」
そう口の中で呟いてからその話題から離れた。
そうしてほんの半時ほどだけを白湯(白湯だけとは言っていない)とともに過ごし、帰っていった。
後には、
「―――あいつ、何しに来おったんだ?」
と首を傾げる静寛を残して。
さて、静寛宅を辞しての帰り道、
「孝広さま、よろしかったのですか?」
連れの言葉に南町奉行の客人は苦笑をこぼした。
「あいつは意地っ張りだからなぁ。あれは、自分でなんとかする気であろう」
「⋯⋯意地っ、張り?」
連れの青年が呟いて遠い目をした。この者、町人ながら朝倉道場で佐々木虎太郎(=静寛)とともに剣を学んだことがある。そして、その折には何かとトラブルになったことがある。何しろ若い頃の静寛は相当なやんちゃだったので。
(あれを『やんちゃ』の範疇に入れていいんだろうか…)
と思わず遠い目になるくらいには絡まれた覚えがあるのだ。とはいえ、自分で何とかする気なのだから放っておけという言葉には完全同意である。下手に手を出したら余計に意固地になるだろう性格を指して、『意地っ張り』と可愛らしく表現するのであればなるほど静寛という男はこれ以上ないほど『意地っ張り』だ―――面倒くさい性格ともいう。
「………」
ふと、青年が口を閉じた。前の道を人の歩いて来るのが目に入ったからである。
「…孝広さま」
「うむ」
二人は僅かばかり道の端へ避けた。
すれ違ったのは、やけに色っぽい年増女とどえらく美しい若い娘の二人連れであった。
「………」
通り過ぎざまにお互いが軽い会釈を交わす。
静寛の暮らす庵への一本道ですれ違ったのだから、おそらくそこへの客人であろう。あまり人のことは言えぬが、寂れた草庵の坊主を尋ねるにしてはずいぶんとそぐわぬ二人連れである。
すれ違った後に思わず振り返る。
「おや? 気になるんですか? 隅に置けませんね。おたみちゃんに言いつけましょうか?」
「バカを申すな、冬彦。こちとら祝言をあげたばかりぞ。勝手に波風を立てるでないわ。それに―――」
静寛の元道場仲間で、現職の南町奉行だという男はじっと二人連れの過ぎ去った方を見やりながら言葉を切った。それに応えて若い小者も、
「ええ」
と頷く。
「あの若い娘、相当に遣いますね」
もちろん『遣う』というのは剣術の話である。この二人ぐらいになると歩き方、足の捌きや体の動かし方である程度の実力を量れたりするのである。その二人が相当な『手練れ』と見た、どえらく美しい若い娘。たしかにそぐわない客ではある。だが、訪ねる先が静寛のところでは、さもありなんといったところか。なにしろ若い頃から殺し屋だの博打打ちだのおかしな連中を子飼いにしていた虎太郎(=静寛)のやることだ。今更であろう。
しかし、武士の方は小者の言葉を否定した。彼が引っかかったのはそこではない。
「それはそうだが…そうではない。冬彦よ、そなた気づかなんだか? あの若い方―――あれは娘ではない」
「え?」
「拳の太さが違う―――あれは男だぞ」
「エッ!?」
若い小者は通り過ぎた二人連れの背中を五度見するのだった。
( ゜∀゜)人(゜∀゜ )オヒサー
亀更新、どころかミジンコ更新です。
ミジンコはぎりぎり肉眼で見えます。見えます、見えますよね? ね?




