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贋坊主2

1エピソードずつの更新に挑戦中。


―――――― 2 ――――――


「……………」

「頭をお上げなさいな、おふじさん」

 そう声をかけたのは伊勢屋の大おかみのおときだった。

「一体、どうしなすったんです? いつものおまえさんらしくないじゃありゃしませんか」

 おふじは顔を上げ、

「なんにも聞かずに、どうか。この通り」

 もう一度深々と頭を下げた。

「……他ならぬおまえさんのことだから。でも、そんな急に……近頃あちこちに顔を出してる御坊のことを調べてくれだなんて言い出して…いったいどうしなすって、」

 言いかけた大おかみだがおふじの顔を見て言葉を切った。おふじは威勢の良い闊達(かったつ)な女だ。いつもならば。

 おふじと伊勢屋の大おかみ。この二人、年は離れているが気の合う茶、飲み友達なのだ。伊勢屋の大おかみはおふじが好きだった。理不尽なことにはびしゃんと言い返すところも、難題に対してスパンと腹を決めてしまうところも、お互いのことには踏み込みすぎないところも、おときは年の離れたこの友人を気に入っていた。唯一の欠点と言えば一人で何でもやりすぎてしまうというところだろうか。それでも、こうして困りきった様子で自分を頼ってくるぐらいには信用されているのだと思えば少し嬉しくなる。

 伊勢屋の大おかみは『はぁ』とため息を吐き、

「―――静謫(じょうたく)といったかね、日蓮様(宗派)のとこのお上人(しょうにん)様だね?」

 確認するように問いかけた。

「ええ、左様です!」

 おふじの声に気色が滲んだ。彼女とて山城屋のおかみだ。それなりに伝手(つて)は持っている、が、旦那にバレないようにと思うと途端に出来ることが減ってしまう。そこで仕方なく最後の頼みとばかり、伊勢屋の大おかみを訪ねたのである。

 二人ともお互い気が強い(強すぎる…)ところもあるが、そこがまた気の合う所以(ゆえん)である。今のところその気の強さは商売敵や男どもに剣突(けんつく)を食わす時にだけ発揮されており、双方に向けられたことはない。それに、大きな声では言えないが二人とも酒の方もイケるクチで、伊勢屋の離れでこっそりと女だけの酒宴に興じることもあった。もっともおふじの男遊びの派手さばかりは伊勢屋の大おかみ(いまだにおしどり夫婦と評判)にはいかんとも理解しがたかったが。

 おふじは派手好きで気が強いけれど、その分さっぱりとした気性で漢気(おとこぎ)にもあふれている。店の者たちの面倒もよく見ているし、自分のところの手代(てだい)がお武家相手に粗相した時など命がけで守ってやったというのは日本橋界隈では有名な話だった。だから、どんなに派手な遊び好きでも家の中をよく取りまとめているおふじを山城屋の主人(あるじ)も蔑ろにすることはできないのだろう。

 その男前なおふじがこうまで悄然としている姿など伊勢屋の大おかみは初めて見た。余程に参っていると見えて髪を整える暇もなかったのか後れ毛がはらりと顔にかかっている。気風(きっぷ)がよくって男勝りで…なのに、所かまわず人嫌わず妙な色気を無駄に振りまいている(おそらく本人は無意識)のだから、おふじというのは面白い女だった。

「はぁ」

 伊勢屋の大おかみがもう一度ため息をもらした。

 言い渋るおふじの態度からおそらく今回のことは男絡みなのであろうとうすうす思いはすれど、かと言って放っておくことはできない。伊勢屋の女金時・おとせだって漢気では負けていないのだ。

「―――その、(じょう)…なんたらいう坊さんは近頃、あちこちでずいぶんと幅を利かせているそうじゃないか」

 大おかみが言った『静謫上人』というのは、日蓮宗の檀林(だんりん)(仏教の教育機関、関西と関東に数寺あって、現在ではそれが前身となって東京の四年制大学となっている)で修業したという僧侶で、お偉いお上人様なのだとか。なのにそれを投げうって庶民に奉仕しているとか、弱きを助け強きを挫く正義の人だとか、元は武家の出だとか―――様々な噂のある人だった。弱きを助け強きを挫く…というのも噂だけということもないらしく、それなりに信ぴょう性の高い筋からの目撃談も上がっている。

「確かに私も一度話したことはあるが、気さくなお人だったねえ。偉ぶったところが一つもなくって」

「ですが、どうにも胡散臭い顔をしていなさるとは思いませんか?」

 おふじはどうにかおとせに自分の抱いている違和感を伝えようと懸命だった。とはいえ、自分の知っているそのお偉いお上人様の裏の顔を話してしまうわけにはいかない。自分の秘密にも直結しているからだ。いくら大の親友、飲み友達、伊勢屋の女金時であろうともこの秘密を漏らすわけにもいかぬ。

 不義密通(ふぎみっつう)(不倫)は―――バレれば死罪の―――大罪なのだ。

「…胡散臭い、かねえ?」

 確かにその身上は物語めいていて胡散臭いと言えないこともない。出来すぎというか。

 武家に生まれたにもかかわらず、それを捨て、仏門の世界に飛び込む。修業をよくこなし宗派の中で出世する道もあったのに衆生に広く協議を広めるために江戸へ来たという。不当な権力に苦しめられる人の味方で、立派なお方であるにもかかわらず大層気さくなお人柄―――と、最近、金持ちの商人の間ですこぶる評判なのである。

「そうですよ。だって、ああしてあちこちに顔を出して、いろんなお店の旦那衆やおかみさんたちと会ったり、いったい何がしたいのやら。何をされるかわかりゃしませんよ。あんな薄ら笑いのその奥でどんな顔をしているやら」

 今まさに何か(●●)されているおふじの言葉には切羽詰まったような身につまされるような響きがある。

「そうねえ。まあ、確かに? ああしてあちこちに顔を売って―――坊さんのくせして旦那(パトロン)(と言っても性的な意味はなく後援者、支持者の意味)でも見つけようってぇのかねえ」

 静謫上人と名乗る僧侶は近頃、どこの集まりに行っても顔を見せている。あるいはその噂が聞かれる。そのお上人を連れてきているのは一人二人ではなく、今日は相模屋、昨日は越後屋…といった風なのだ。大店の旦那衆・おかみ達と面識を持ったからといって特に何をするわけでもない、ただニコニコと話を聞いているだけだ。パトロンを持ちかけるわけでもないので、どういうつもりなのか今一つわからない。このお上人様に悩み事を打ち明けたり、アドバイスをもらったりするのが最近の金持ちたちの流行りだそうな。中には静謫上人の人徳に感銘を受け、寺を建ててやろうと言い出す者もいるとか。

 確かに後援者(パトロン)を募る僧侶というのはいないわけではない。食うだけならば托鉢(たくはつ)でもなんでもすればよいが、新しく自分の寺を建てるとなれば莫大な金が掛かる。が、それにしたって宗派としての対面やら派閥やら複雑な問題が絡みついてくるわけで―――たった一人でパトロン探しに奔走する坊主など聞いたこともない。

 おふじはそこが怪しいと思っていた。第一、あんな下劣な男が僧侶やっているようじゃ世も末である(怒)。

「そう! そうですよ、本当に!」

 わが意を得たりとばかりのおふじ。

「もしかすると―――」

 声を潜める。ついでに辺りをキョロキョロと見まわし、

「あれって、本当に本物のお上人なんでしょうか、と思って。いいえ、本当は御坊ですらないのかもしれないじゃないですか―――そこんところを伊勢屋さんの伝手でどうにかわかりゃしないかと…」

「―――贋物じゃないかってことかい? 坊主を騙るだなんて! そんな罰当たりなことをする奴なんかいやしないだろうよ?」

 びっくりしたように大声を上げるおとせにおふじはシィーと指を立てた。おとせが驚くのも無理はない。いくら有名な僧侶だからと言ってその名前を騙ることに何の得があるのか、普通の人間ならそう考える。

 静謫上人と名乗る男の裏の顔を知らねばそんな発想する浮かぶまい。だが、おふじはあの、『ほほ』と上品げに笑うあの男の、吐き気を催すようなあの笑顔が、どうしても僧侶という聖職にある人間と結びつかないのだ。それを言葉で説明できないおふじは黙った。だが、

「いいよ、引き受けようじゃない。他ならぬおまえさんの頼みだもの、この伊勢屋の大おかみに任せておくれ。―――そしたら、まずは誰が一番最初にそのお上人様を連れてきたのか、そこんとこを調べてみようかね」

 伊勢屋の大おかみはポンと胸を叩いた。さすがは女金時。友達の窮状に手を貸すのに細かいことは気にしない。

「おまえさんは大人しくしといで。向こうに気づかれたくないんだろ」

 おふじが探っていることを知れば向こうも黙ってはいまい。おとせの気遣いにさすがのおふじもちょっとウルッとくるものがあった。

 それから一刻ほど、関係のないおしゃべりにも興じておふじは伊勢屋を辞した。最後にくれぐれもよろしくとおとせに頭を下げるのは忘れない。おふじの顔色は来た時よりもよほどに良くなっていた。

「おかみさん、お(たな)へ戻られますか?」

 荷物を手にして後ろをついてくる若い女中が声をかけた。男と会う時にはさすがにいないが、それ以外の外出には女中を付けている。大店(おおだな)のおかみとしてはごく当たり前のことだ。あまり単独の外出ばかり多くても怪しまれるだろうし。

「ああ、そうだね、」

 言い差したところで不意に目の前の木戸が開いた。

「おや」

 ちょうど伊勢屋の裏側であった。

「まあ、山城屋のおかみさん。もうお帰りでしたの?」

 伊勢屋の娘(大おかみには孫)のおちよ、いやもう伊勢屋と同じ廻船問屋の近江屋に嫁いでいるので近江屋の若おかみと言った方が正しいだろう。ずっと離れにいたおふじは気が付かなかったが、今日は実家に用でもあって里帰りしていたのか、こちらと同じようにお付きの女中を後ろに連れて元気よく飛び出してきた。裏木戸から出てきたのは、離れに暮らす祖母に辞去の挨拶でもしていたのだろうか。

「まあまあ、すっかり若おかみらしくおなりにって。お元気そうでよろしかったこと」

 そう言っておふじは目を細めた。

 新婚であるおちよの初々しい様子は今の彼女には少々まぶしかった。幸せそうなおちよにおふじは当たり障りのない挨拶を交わし、『―――では、ごめんくださいまし』とその場を離れようとした。その後ろ姿に、

「おふじさん」

 おちよが声をかける。

「?」

 振り返ったおふじにおちよはすっと身を寄せ、その耳元に、

「何やらお困りのご様子…もし、―――でしたら―――を、訪ねてごらんになるとよろしいですわ」

 こそりと囁いた。

「…え…?…」

 聞いた話の内容を頭の中で整理しきれずに黙り込むおふじに、おちよは一瞥することもなく去っていった。



後で振り返って書き足す可能性もあります

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