さすらいの吟遊詩人
迷子になった。
僕はある日、お父さんと、お母さんと、お姉ちゃんとで有名な大人気遊園地へ遊びに行った。初めての遊園地で、目に映る物全てが珍しく、テレビで見た通りの夢と希望で溢れた楽園だった。
初めて乗ったメリーゴーランド、初めてこんなにびっくりしたお化け屋敷、初めて運転したゴーカート。とにかく気分が高揚していた。
お父さんの肩にのり、お母さんを引っ掻き回し、お姉ちゃんと一緒に笑った。あっという間に時間が過ぎて、けどまだ遊び足りなくて、そして、そして…………
「お父さん………お母さん………お姉ちゃん……。みんなどこぉ?」
迷った。一人で突っ走った結果、皆とはぐれて知らない場所に来てしまった。怖かった、寂しかった、不安だった。知らない場所、知らない人々、知らない音。当時十歳にも満たなかった僕は怖くて怖くて仕方がなかった。
本当は大声を出して泣き叫びたい。誰か助けてくれと懇願したい。けどそれは僕のちっちゃなプライドが許さなかった。何故なら、『かっこわるい』からだ。
だが、何かしなければ何も解決しない。かと言って何をすればいいのか分からず、不安が積もるばかり。苦しくて、我慢できなくて、必死に堪えていた瞳から一粒の涙が落ちそうになったその時だった。
「どうしたんだい、坊や。もしかして迷子かな?」
「え?」
気付いたら隣に誰か座っていた。全く気配を感じさせず、最初からそこにいたかのように姿を現したのだ。スーツケースを傍らに、ギターを肩にかけた茶髪の少女。彼女は震える僕に向こうを指差して、
「迷子センターならあそこだ。そこに行くといい」
「………い、嫌だ」
「なんでさ」
「だ、だってそんなのかっこわるいよ!この歳になって迷子センターなんて、男らしくない。男はいつだって、ドーンと構えてなきゃ!」
「ふーん。ならその震えは何かな?ドーンとしすぎて反動で震えちゃってるのかな?」
「…………ふ、震えてないもん。これは、そう、勝手にはぐれちゃったお父さんとお母さんとお姉ちゃんへの怒りの震えだもん」
「迷子になったんだね」
「むぅ…………」
僕は頑なに認めなかった。迷子になったかっこわるい自分を認めたくなかったのだ。そんな僕を少女は優しく撫でた。「よしよし」と不安がる僕をなだめてくれた。
「よし、ならば僕が一つ歌を聴かせてあげよう」
「歌?」
「そう。僕はさすらいの吟遊詩人。歌と音楽で物語を語り、人々を導き、ハッピーエンドに迎える案内人さ。では、一曲………」
昔々、とある村に熊太郎という少年がいました。熊太郎はとっても力持ちで、誰かの荷物を運んであげたり、森の熊に相撲で勝ったこともありました。それ故か少々頑固で、特に誰かに助けを求めることは絶対にしませんでした。
『だって、かっこわるいんだもん』
力持ちな自分が、誰かに弱い姿を見せたらきっと馬鹿にされる。それが嫌で、熊太郎は決して誰かに『助けて』と言いませんでした。
ある日熊太郎は、病気で倒れたおじいさんの為に山へ薬草を採りに行きました。一日中かけて、やっとこさ薬草を見つけ、山を下りようとしました。けど、道に迷ってしまいました。お日様はとっくにいなくなって、周りは真っ暗です。熊太郎は実は夜が苦手でした。
暗いよ、怖いよ、寂しいよ。そんな風に思っていても、熊太郎は決して口に出しませんでした。けど、動かなければ山を下りれない。かと言ってもどこへ向かえばいいのか分からず、時間は過ぎるばかりです。
おじいさんは大丈夫かな?もしかして死んじゃったのかな?僕のせいで………。
そう考えると不安で不安でしょうがありません。熊太郎の心は押しつぶされそうになっていきます。すると、熊太郎の友達の熊がヒョコッと姿を現しました。
そうだ、山に住んでいる熊なら道案内してくれるかもしれない。そう考えた熊太郎は、熊にお願いしようとして、踏みとどまりました。何故ならこれは、『助けて』と言うに他ならないからです。
熊太郎は悩みました。かっこわるい自分を友達に見せたくない、けど一刻も早くおじいさんに薬草を届けたい。悩んで、悩んで、悩んた末に………
『助けて』
熊太郎は言いました。熊は快く引き受けてくれて、熊太郎を山の麓まで案内しました。おかげでおじいさんの病気はよくなり、熊太郎も『助けて』を言えるようになりましたとさ。
「――――完。さて、どうだったかな?」
「おじいさん、助かってよかったね!」
「でしょう?これで元気になってくれたかな?」
気付いたら震えは止まり、涙も乾いてすっかり笑顔を取り戻していた。心地のよい歌と曲だった。聞いているだけで心が落ち着いて、物語に没頭できて、初めての経験だった。
「たまにはプライドを捨てて、熊太郎のように助けてって言ってみたらどうだい?」
「あ…………」
「さて、後はどうするかは君次第だ」
「…………じゃあ、僕のお母さん達を見つけるの、手伝って」
「―――分かったよ」
少女は立ち上がって、僕の手を握ってくれた。僕も彼女の手を握り返し、横に並んで歩き出す。
「ありがとう、お姉さん!」
「お姉さんじゃない、お兄さんだ」
「?」
彼女の名前も知らないけれど、あの時握ってくれた手の温もりと、心地のよい歌と曲は今も覚えている。不安な時に思い出すと、僕に勇気を与えてくれる。
ありがとう、さすらいの吟遊詩人。
#######
「うぃー、ひっく、クソ、クソクソクソクソ!!やってらんねんねぇよこんな生活!ひっく」
その日、私は珍しく………いや、いつも通り酒を飲んでいた。ただ少し違ったのは、いつもより量が多かったことだろう。飲み過ぎてべろんべろんになり、まともに歩くことすらままならない。酒瓶片手にフラフラと近くの公園へ迷い込み、休憩がてらベンチへ落ちるように座り込んだ。
空を見上げると、白い雪がしんしんと降り始めた。それが目元に落ちて、溶けると涙のように頬を流れた。
「なんでこうなっちまったんだぁ………?」
―――元々私は俳優を目指していた。高校生になってから演劇部に入り、そこから物語の中の一員になることに感動を覚えた。一人一人の演技が、物語に命を吹き込む。一つ一つの動作が、キャラにリアリティを与える。仲間と共に励み、悩み、成長する。そんな日々が楽しくて、いつしか俳優を目指すようになるのも時間の問題だった。
そして、俳優育成学校に入ろうと決めた高校三年生の春。親に大反対された。そんな職業で食っていけるのか、そんなことよりもちゃんとした企業に就職しろと。
私は反対を押しのけきれず、結果普通の大学に通い、地味な中小企業に勤めている。だが会社も会社で酷い。やりがいのない仕事、面倒くさい上司、ウザ絡みの多い同僚、安い給料、恋人もなし………。
あぁぁぁぁーーー!!!ちくしょう!ちくしょうぉ!もう友達の結婚式に行くのは懲り懲りなんだよ!自分のやりたいことやってる奴を見ると腹立つんだよ!あぁぁぁぁーーー!!
「はぁ……………」
だが、今更退くに退けず、どうすることもできない。仕事をやめて俳優を目指しても、安定して収入がはいるとは限らない。成功して仕事がもらえるかすら怪しい。なら、不満でも今の地位に縋り続けるしか………
「こんばんわ、お姉さん。めっちゃ酒臭いね」
「え?」
気付いたら、一人の少女が横に座っていた。そこにいるのが当たり前のように姿を現したのだ。スーツケースを傍らに、ギターを肩にかけた茶髪の少女。冬の夜だってのに薄着でマフラーを首に巻いているだけだった。
「え、あんた誰………?」
「僕はさすらいの吟遊詩人。歌と音楽で物語を語り、人々を導き、ハッピーエンドに誘う案内人さ。一曲どうだい?」
「は、はぁ………」
何こいつ、と正直思った。吟遊詩人?どこの時代から来たんだこいつは………。だが何をとち狂ったのか、私は首を縦に振り「なら一曲……」と呟いた。
「一曲五百円になります」
「しかも金とるの………。はい、五百円」
「まいどー。えーコホン、では………」
昔々、あるところには地位も名誉も金も女も全て持ったイアソンという男がいました。彼は絶え間ぬ努力を積み重ね、平民ながらのし上がり、国のナンバーツーの地位まで上り詰めました。実質全てを手に入れたと言ってもいいイアソンでしたが、心の奥では言い表せないモヤモヤが残っていました。
あらゆる権力を保有し、大衆からは畏怖と尊敬の眼差しを向けられ、贅沢な暮らしをし、いくらでも女を抱けました。けれども、彼のモヤモヤが晴れることはありません。
そんなある日のことでした。イアソンの住む国に、とある冒険家達が足を踏み入れました。イアソンは彼らを自分の屋敷に迎え入れ、食事を振るう代わりに彼らの冒険譚を語らせました。
彼らの冒険は、イアソンが想像もしないようなものでした。新天地の開拓、未知との遭遇、数々の強敵との戦い、仲間との絆。海を渡り、森を進んで、山を登って、空を飛んで、地面を掘って。自分で食料を調達し、遺跡を調べたり、お宝を発見したり、冒険先で色んな人と出会ったり。胸が躍るような話ばかりです。イアソンは興奮してその日の夜は眠れませんでした。
翌日、イアソンは冒険家達の森林探索に同行することとなりました。道中、蛇に襲われてり谷に落ちかけたり泥に頭から突っ込んだりしました。いつもの安全で贅沢な暮らしとはあまりにもかけ離れた命懸けの生活。しかし、イアソンは満更でもありませんでした。初めての危険、初めての仲間、初めての食事。全てがエキサイティングで、この時だけは心のモヤモヤなんか忘れてしまいました。
それから数週間後のことです。なんと、イアソンが次の王様に決まったのです。数日後には冠位式が行われます。その前日、冒険家達が次の日にはこの国を離れると言いだしたのです。イアソンは寂しがりました。同時に、とても悩みました。明日には念願の王様となり、名実共に国のトップです。今よりもっといい生活が送れます。けれど、冒険家達について行けば心のモヤモヤはなくなります。
モヤモヤは晴れないけれど安全で贅沢な暮らしか、危険だけれど刺激のある生活か。イアソンは太陽が出るまで悩み、全てを捨てる覚悟を―――――
「――――完。いかがだったかな?」
「え?終わり?おいイアソンは結局どうしたんだよ!続きを言え!金なら払う!」
「いいや、これで終わりですよ。イアソンは王様になる道を選んだか、全てを投げ捨てて新たな人生を選んだか………それはあなたの想像にお任せします」
「はぁ………」
「けれど、これだけは覚えといてください。あなたもいずれ、イアソンのような決断を下す時がくるはずです。それが今か、もっと先の未来かは分かりませんけどね……」
「………………」
何を見透かしたみたいに、と正直腹は立った。だが言い返すこともできなかった。今の私はイアソンと同じだ。不満はあるが安定している職場、不安定だが希望が詰まった俳優業。どちらを選べばいいのか迷っている。
私は胸の奥を弄くられるような刺激的なあの旋律を思い出しながら、イアソンの心情を考えてみる。彼は結局どうしたのだろうか。仮に王様になる道を選んで、後悔はしなかったのかな。仮に冒険家になって、充実した日々を過ごせたのかな。
雪の勢いが強まっていく中、私は悩んで悩んで悩んで悩んで――――いや、悩む必要なんかない。答えはとっくに出ているはずだ。動け、動け、動け、後は動くだけでいい。自分から逃げるな。
私は酒瓶の蓋をキュッと開けると、それを雪の中にぶちまけた。
「これあげるよ」
「中身からだしゴミ押しつけられても困るんだが………」
「あと、これもあげる」
「これはお姉さんのコートじゃないか。雪も強まってきましたし寒いですよ」
「いや、いいの。なんつーの?予行練習ってやつ?まずはコートを捨てるところからかな」
「………なるほど、そうですか。なら喜んで頂きます。寒かったんですよねーこの格好」
「ありがとう、お嬢ちゃん。そろそろ帰りなよ、女の子がこんな時間まで出歩いてたら危ないよ」
「お気遣いありがとうございます。けれど一つ訂正が。僕は女の子じゃなくて、男の子だ」
「?」
翌日、私は辞表を会社に提出した。両親にも本気で俳優を目指すことを話し、猛反対されたけど「うるせぇ!」と酒瓶ぶん投げて出ていってやった。多分、未来で今より苦しい生活が待っていると思う。仕事がもらえなくてひもじい思いしたり、上手く演技ができなくて悩んだりすると思う。けど、そんな時こそあの音楽を思い出そう。それは私に勇気を与えてくれる。きっとこの決断を私は後悔しない。
ありがとう、さすらいの吟遊詩人。
#######
青春なんて嘘だ。高校生になって数ヶ月経ち出た結論はそんなのだった。
中学校ではそれなりに勉強を頑張って、偏差値が高い高校には入れた。きっとこの先、部活とかやって汗水垂らしたり、友達がいっぱい出来たり、帰りにゲーセンとかファミレスとか寄って遊んだり、彼女が出来たり、後輩から尊敬されちゃったり、隠された才能が開花して俺つええええええブームかましちゃうんだろうなぁ!!はーはっはっは!!
嘘ですそんなのありませんでした。部活は入ったけど、みんな実力高すぎてついて行けません。友達は一人もいません。帰りは寄り道もせずに直帰します。彼女どころか女子とまだ一度も話せてません。隠された才能なんてなかったんや。
「はぁ………なんでこうなったんだろう。いや、分かってる。原因は分かってる、単純に俺の性格のせいだ。臆病で卑屈で陰気な性根のせいだ。でも、でもさぁ!無理だって!クラスのやつに話し掛けるとか無理無理無理無理!俺みたいな陰キャがあの陽キャオーラに当たったら一瞬で灰になるって!」
最初は多少話し掛けようとしたよ?でもいらんこと喋って空気悪くしたらどうしようとか相手の地雷踏んだらどうしようとか面白い話しないととか、そもそも俺と会話して相手に不快な思いさせたらどうしようとか考えると何もできなくなってしまう。
部活だって実力がないから皆の足引っ張るし、イケメンじゃないから女子に話し掛けたら締め上げられて吊される未来しか見えない。あぁーもう無理だ、死のう。このパンの袋で首締められないかな………。
「随分独り言の激しい奴だな、君は」
「独り言激しくてすみません………死にます」
「横に死体がある状態で作曲できるか、死ぬならもうちょっと離れた場所で死んでくれ」
「はい、すみませ………ん?んん!?!?」
え、誰この人!?
気付けば隣に誰かが座っていた。最初からそこにいたかのように姿を現した。スーツケースを傍らに、ギターを肩にかけた茶髪の女子。凄く可愛い……うちの学校にこんな女子いたのか?いや、というか何故ここに?ここは俺しか知らない秘密のボッチ飯スポットのはずだ。
「え、あ、あの………あ、あなたは……?」
「僕のことかい?僕はさすらいの吟遊詩人。歌と音楽で物語を語り、人々を導き、ハッピーエンドへ誘う案内人さ。一曲、いかがかな?」
「え、えぇ………??」
「一曲、いかがかな?」
「え、あ、は、はい………」
「一曲五百円になりまーす」
「金とるの!?」
「え、じゃあ聞かないの?」
「きき、聞きます………」
「では…………」
昔々、賢人ドレークと呼ばれるお宝好きの男がいました。ドレークは仲間を引き連れ、世界中のダンジョンや洞窟を探索しお宝をかき集めていました。そしてドレークはなんと言っても、その頭の良さが武器でした。どんな難題でも、彼にかかれば赤子の手を捻るように解かれてしまいます。
ある日、とある世界最強と呼ばれるダンジョンへ彼らは足を踏み入れました。そのダンジョンはこれまで数多の冒険家を返り討ちにし、お宝に辿り着いた者はおろか生きて帰ってきた者もいません。ですがドレークはそんな世界最強のダンジョンを楽々攻略していきました。
ドレークは数々のトラップを回避し、どんな難問も解き明かし、時には仲間と協力して、遂に最奥まで到達しました。この問題を解き明かし、扉を開ければお宝に辿り着けます。ドレークは意気揚々とその問題に取り組みました。ですが、それは彼でも解けないくらい難易度を誇っていたのです。
ドレークは考えました。食事も睡眠もせずに考え続けました。ですが答えは全く分かりません。そして、集中力の切れたドレークは誤ってトラップを発動させてしまいます。天井から刺が現れ、ドレーク達を押し潰そうとします。
ドレークは焦りました。天井で潰される前に問題を解き、あの扉へ逃げ込まなくては仲間達の命が危ない。考えて考えて考えて、けどやっぱり分からない。
『ええい、もうどうにでもなれ!』
ヤケクソになったドレークは適当に答えを出しました。すると、なんということでしょう。扉が開いたのです。ドレーク達は危機一髪で助かり、お宝もゲットしました。
賢過ぎるというのも、玉に瑕はものです。
「――――完。いかがだったかな」
「す、すごい面白かったよ。歌も凄く上手かったし、人をワクワクさせるような抑揚のある音楽とか………っは!」
しまった、つい饒舌に感想を言いかけるところだった。あまり言い過ぎると引かれるかもしれない。俺は咄嗟に口を塞いだが、女子は俺の手を握って口から引き剥がした。
いいいい今、手が!!女子が俺の手をぉぉぉ!?!?
「何故口を塞ぐ。もっと言ってくれたまえ。どんなところが良かった?」
「え?いやだって………」
「そこだ。君はいつもそうやって考えすぎてるんじゃないか?そのせいで小さなことでも気にかけたり、余計な気遣いをして周りに馴染めていない。そうだろう?」
「う、それは………」
否定のしようがない図星だった。考えすぎ、確かにそうかもしれない。単純に話し掛ける度胸がないのもあるが、俺はいつもアレコレと余計なことを考えてしまう。
もっと、何も考えず、最後のドレークみたいにヤケクソになるくらい………
「………あ」
「考えることは大切だが、たまには何も考えない時がいいこともある。それこそ彼のようにね………」
「あ、ま、待って!」
「ん?」
立ち去ろうとする彼女を俺は引き止める。落ち着け、俺。今なら言えるはずだ。何も考えるな!
「ありがとう!君のおかげで、何か分かった気がするよ。あと、初めて女子と話せて嬉しかった!」
「………そうか。それは良かった。あと、僕は女子じゃない、男子だ」
「?」
その後、思い切ってクラスの男子に話し掛けてみた。そしたら割と良い奴で、俺なんかとでもよく話してくれた。やっと友達ができた。まだほんの数人だけど、これからもっと増えればいいなと思う。女子とはまだ話せないけど………。
あの日の彼女は学校中どこを探しても見当たらなかった。さすらいの吟遊詩人とか言ってたけど、一体何者だったのだろう。けど、今でも俺はあの音楽を覚えている。誰かと話すとき緊張しても、あの旋律を思い浮かべれば、勇気が湧いてくる。
ありがとう、さすらいの吟遊詩人。
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「はぁ……………家族は冷たいけど、缶コーヒーはいつも僕を温めてくれる。缶コーヒーと便座とコタツは僕の友達さ」
私の名前は吉良吉太郎。年齢43歳、自宅はX市の別荘地帯にあり、結婚はしている。仕事はなんてことのないただの会社員で、毎日遅くとも夜8時には帰宅する。タバコは吸わない、酒は嗜む程度。夜11時には床につき、必ず8時間は睡眠をとるようにしている。寝る前には温かいミルクを飲み、20分程のストレッチで体をほぐしてから床につくと、ほとんど朝まで熟睡さ。
…………だが、最近そんな生活サイクルを乱す悩みが一つ。それは娘の存在だ。高校生になってからというものの、夜遅くまで出歩くことが増え、口数も少なくなり、ご近所さんからは変な男とつるんでいるとも聞く。私が先に風呂に入ると風呂に入ろうとしないし、何故か洗濯物も私の服だけ除外するんだ。
それについてアレコレと注意したら、怒鳴られてしまった。
『父さんは何も気にしなくていいんだよ』
昔の娘だったら絶対に考えられないあの鋭い視線と冷たい声。思い出すだけでも悲しい………妻は『そういうお年頃なのよ察しろ』と言って、僕の悩みをちっとも分かってくれない。娘は何で何も言ってくれないのか分からない、僕にはさっぱり分からないよ。
「父親ってのは大変ですねー。仕事に家族に………やっぱ結婚なんてするもんじゃあない」
「いや、そんなことはないさ………確かに大変だけど、そこには小さな幸せが…………って、うわぁ!?」
自動販売機の前でつっ立っていたら、いつの間にか隣に誰かが立っていた。最初からそこにいたかのように、その姿を現したのだ。スーツケースを傍らに、ギターを肩にかけた、娘と同じくらいの茶髪の少女。
「良かったら話聞きますよ。あと僕今お腹空いてるんですよね。そこの居酒屋で一杯、どうです?」
「え?え、えぇ…………?」
「さぁさぁ行きましょう。ほらほらほら」
「あ、待って!」
「それでね!妻が酷いんだよ!娘のことで相談したら『そんなことより皿洗っといて』って!冷たくない!?娘からも妻からも冷たくされたら僕凍死しちゃうよ!」
「ほへはほへは………ほふーほーはまへふ(それはそれは………ご愁傷様です)」
「食べながら話すのは行儀が悪いよ。………親の干渉は、娘にとっては余計なお世話なんだろうけども。でも、しょうがないじゃあないか。せめて何をしていて何でそんなことをしていてるのか理由を話してくれないと………」
「ごく、ごく、ごく、ぷはぁ!たまにはビールも悪くないですねぇ!」
「ねぇ君話聞いてる?というか君お酒飲んで大丈夫なのかい!?」
「いいんですよ僕成人ですし………。あーで、娘さんのことでしたっけ。なら、ここは一曲僕が歌いましょう。僕はさすらいの吟遊詩人、歌と音楽で物語を語り、人々を導き、ハッピーエンドへ誘う案内人。お代はこれ奢りでお願いします」
「え」
昔々、あるところに、王国と帝国、二つの国がありました。かつて二国の皇帝と王様は仲良しでしたが、とあるの事が原因で大ゲンカしてしまいました。それは次の代、また次の代となっても続き、両国は長い間いがみ合っていました。
そしてとある日、王国に帝国の使者がやってきました。使者は王様にこう言いました。
『帝国の姫が、あなた方王国の暗殺者に狙われた。これを宣戦布告と見なし、戦争を起こす』
王様は何の話か分かりませんでした。帝国に何かを差し向けた覚えはありませんし、それが暗殺者なんて尚更。そんなことは知らないと言っても、帝国は聞く耳を持ちません。戦争だけはなんとか回避しようと頑張りましたが、無念にも戦争は起こってしまいました。
そして、決戦の日。王様は戦地へ赴きました。そこでは兵士達が血で血を洗う醜い争いが繰り広げられていたのです。彼らには罪はないのに、何故争いが起こってしまうのか。王様は嘆き悲しみました。
そして王様は決意しました。単独で敵地にまで潜り込み、皇帝に向かって叫びました。
『話をしよう!!我々はまだ何も話し合っていない!!』
最初は誰も聞いてくれませんでした。ですが王様は諦めません。何度も、何度も、叫びました。喉が枯れても、罵声を浴びせられても、矢に打たれても、殴られても、剣で斬られても、諦めませんでした。決してやり返したりはせず、血まみれの口を開いて叫びます。
『話を、しようッッ!!!』
そんな王様の姿に胸を打たれた皇帝は王様の要求に応じ、すぐに王様を手当てしました。一命を取り留めた王様は皇帝としっかり話し合いをし、戦争は終結しました。それどころか、長年いがみ合っていましたが、最後には二人は仲良くなってしまいました。やはり人間、話し合いが大切ですね。
「――――完。どうでしょう?」
「おぉすげぇ良かったよ嬢ちゃん!」「サイコー!!」「金なら払う、もう一曲歌ってくれねぇか!」「中々上手じゃないちょっとー!」
店内で歌ったからか、彼女の歌は周囲の客にも大反響だった。正直僕もこんなに素晴らしい歌は初めて聞いた。
「…………あ、あぁ。最後には仲直りできてよかったね」
「でしょう?」
「けど、なんで僕にこれを聞かせたんだい?この物語に何か意味が………」
「それは自分で考えてください」
そう言われて、僕は考える。最後まで諦めなかった王様。たとえ自分の体が傷ついても話し合おうと呼びかけ続け、しかし決してやり返さなかった優しい王様。僕もあれくらいタフでいられたらな………娘に怒鳴られるとすぐに日和ってしまう。父親の威厳もありゃしない。
「いや………まさか」
「お父さんはお父さんらしく、頑固親父にでもなった方が不良娘にはいい薬ですよ」
「そうか………。ありがとう、君のおかげでなんとかなりそうな気がするよ」
「どういたしまして。もぐもぐ………この焼き鳥美味いな」
「もう遅い。若い女性がこんな夜更けに歩いたら危ないし、お礼にタクシー代でもだそうか?」
「いえいえ、お礼は食事代だけで結構。それと、一つ訂正を。僕は女性じゃなくて男性です」
「?」
翌日、娘と話をした。最初は部屋に入ってくるなと怒鳴られたが、挫けなかった。けなされても、スルーされても、ゴミを投げつけられても僕は決して動かなかった。あの王様のように。最終的に、折れた娘は色々と話してくれた。聞いてみれば、思ったより大したことなかった。そう言ったら、蹴られてしまった。けど、最後には笑い合えた。
辛いことがあったとき、僕はあのメロディを思い出す。あんな素晴らしい歌は初めて聞いた、そしてあれは人に感動と勇気を与えてくれる。こんな中年のおっさんも前向きにさせてくれる魔法の歌だ。おかげで娘とも今は上手くやれている。
ありがとう、さすらいの吟遊詩人。
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ジャラン、ジャランとギターを掻き鳴らす。やはり音楽というものは良い、聞く人も弾く人も心を穏やかにさせるパワーを秘めている。
僕はそんな音楽が好きだ。世界中をあっちらほっちら歩き回り、世界中に物語を歌と音楽で伝える。僕の歌は迷える人々を導き、彼らをハッピーエンドへ向かえることができる。それってとても素晴らしいと思わないかい?何?随分と自画自賛なやつだ、だって?人生、自分は実はすごい奴だって思ってた方が楽しいよ。少なくとも自分は駄目なやつだなんて思うよりかはマシさ。
さて次はどこへ行こう、誰と出会おう、どんな物語を紡ごうかな?喜劇か悲劇か、ホラーか恋愛か。バットエンドもたまにはいいかもね。それとも最近流行りの異世界もの?
僕は歩く。世界を渡る。どんな歌を歌おうとも、最終的には誰かを幸せにするために。今度は君の街へ行くかもね。