世界は君とともにあり、世界は君のためには存在しない
世界というものがただの構造として在るというならば、その構造は誰が生み出したのだろう。何かによって生み出されたその構造は、絶対不変と言い切れるのだろうか。
いつの間にか始まっている事象というのは、認識するまで始まっていることにすら気がつかない。後から思い返したとしても、それが始まりだったと言えるのはそれこそ、自分という基準に則った場合だけなのだ。誰かの始まりが同じ点でどれだけ交錯しようと、誰かの始まりが自分の始まりとしてすり変わることはない。
「この世界が仮に私が描いたものだとして」
「違う。この世界は私が作ったの。貴女じゃない。貴女が特別なんじゃない」
「この際、特別かどうかなんてどうでもいいのよ。若気の至りっていうか、まあ、そういうのに憧れる気持ちは、何処の誰にでもあるんでしょうし」
少女Aを起点として始まった矮小な世界と、少女Bを起点として始まった矮小な世界。これは誰にも知られずに消えていくだけのもののはずだった。それを、互いに認識してしまうことで、薄っぺらな紙を重ねていくように頼りなく、けれど確かに強度を変えて、この世界は孤立してしまった。
「このままでいいのに。私だけが特別で、でもこの特別は誰も傷つけないもの。誰かを嗤ったりしないから、誰かを踏みつけたりしないから、お願いだから壊さないで」
「そうしてあげたいのは山々なんだけど、私はあなたと違って此処から出たい。そして特別じゃない私に戻りたい」
少女Aの言葉の意味を、少女Bは理解していた。不安定で曖昧で、本当は何処から始まったかもどうやって構成されたかも解らないこの小さな世界は、どちらかが欠ければ維持ができなくなる。誰にも認識されなくなったひとりよがりの楽園は、自分という意識の庇護下には無い外界では簡単に消えてしまう。それは自分が手に入れた特別を捨てることと同じなのだと、少女Bは心臓が痛くなるほどに理解していた。
「普通でいればいいじゃない」
ぐるぐると頭が割れそうになる。だんだん何がおかしいかが解らなくなって、ただ無条件に溢れてくる恨みと妬みの感情に脳が支配されていく。
だって此処は私の世界。この憎悪に意味はなくとも、この悲しみの根拠が自分にしか無くとも、全てが許される。
「私の世界で貴女は普通。貴女はただの一般人で、誰からも特別視なんてされないわ」
少女Aは少女Bを見る。その目が憐れみと嫌悪、そして、諦めを滲ませていることに少女Bは気がつかない。羨んでいる、ただただ見上げることしかできないでいる、そんな顔をさせているのだと、少女Bは愉悦に浸る。
見えているもの、見たいもの、見せているもの、それらは全て異なっている。こんな歪な世界を生んでいながら、同じように籠の中で描いた自分をなぞりながら、どうしてそんなことに気がつかないのか。
少女Aはゆっくりと息を吐き出しながら想像する。ああそうだ、きっと気がつきたくないのだ。夢の終わりを知っているのが自分だから、自分だけが盲信していればいいと思っている。
「そんなことはありえないのに」
少女Aの言葉に、少女Bはびくりと肩を震わせる。真っ直ぐに視線を交わしてなお、見えているものは交わらない。
事実は誰かを通して歪んでいく。飾り立てられ意味づけされ、そしてとりかえしがつかないくらい膨れ上がって破裂する。
「それならどうして、あなたは私にそんな目を向けるの」
ふたりが描いた世界に互いはいなかった。互いの世界が重なって始めて他人を認識した。他人というブラックボックスが、世界という自動的で受動的な構造を肯定する。
「あなたが思い描いたままの世界が今も在るというのなら、あなたが私を羨むことなんてない」
世界が作っただけの在り方。誰かの認識によって作られたわけではない、世界の為の事実はこの薄っぺらな構造を刺し貫く。
「私が言うまでもなく、あなたはもう気づいている」
悲鳴が上がる。世界の姿が暴かれる。
何もかもが開かれるということは、その世界を世界たらしめるものすら可変となってしまう。それは世界という自動構造の、単純で残酷な殺し方なのだ。
「終わらない」
「終わるよ」
少女Aの言葉を肯定すれば世界は矛盾に耐えかねて崩壊する。少女Aの言葉を否定すれば少女Bは自らの世界を否定してしまい維持ができない。
銀の刃が少女Aを貫く。少女Bの背後で世界が剥がれ落ちていく。
心からの憎悪を向けられて、少女Aは納得した。
「世界っていうのは残酷すぎるくらいじゃないと、きっと薄っぺらになって駄目になってしまうんだろうね」
口からごぼごぼと流れる血を眺めながら、少女Aは皮肉の混じった笑みを浮かべた。
(誰かの世界の消耗品になりたくないけれど、誰かの世界は自分の世界より明らかで美しく、理想的に見えるのだ)




