乙ゲーの世界に転生したけど攻略対象の婚約者ぶっちした。
過去作『乙ゲーの世界に転生したけどヒロインぶっちした。』の他キャラのお話です。
恋愛に対する興味が薄い子が主人公です。タグとあらすじに注意事項を追加しました。いちゃらぶお目当ての方はごめんなさい、無いです。
活動報告に注意書きをしておきます。
気になる方はそちらをご確認頂いてからお気を付けて本編へどうぞ。
乙ゲー転生なんて某界隈ではありきたりな事だと知っている。でももし自分の身に起こったとなると、きっと納得いかないだろうな。
私にとって転生はその程度の認識だった。
だけどそんな現象が本当に我が身に起きていた。その事に気付いたのは、今からもう十年近く前の事になる。
その日に劇的な何かがあった訳では無い。思い出の物を見た訳でも無い。
ただ淡々と日々を過ごしていたら思い出したのだ。
部屋から廊下に出た所で忘れ物に気付いて、またすぐに部屋に戻った所で思い出した。
なんか物悲しい思い出し方だ。
前世でも同じ行動を取ったとか、きっとそんな理由で思い出したんだと思う。たぶん。そんな事よりも自分がモブ令嬢だと思い至った事の方が重要だった。
婚約者が攻略対象ではあるけれど、悪役令嬢は彼の従妹で第一王子の婚約者の公爵令嬢。
攻略対象者は五人。続編で更に三人追加。
今がどちらの本編ルートなのかは知らないけれど、どちらにしろ大物悪役令嬢を前に私は数回ほどテキストのみで存在が仄めかされた程度。そんな名前すら出てこなかったようなポジションだ。
攻略対象と年齢差があって学園でなんて会おうにも会えない。私が入学した時には彼は卒業している。
最高。誰が何と言おうとも、これ、最高。
ありがとう神様。ビバ・モブ。
ヒロインにも悪役令嬢にも攻略対象にも関わるつもりは毛頭無い。
私は事なかれ主義である。仮に悪役令嬢やヒロインに転生していたとしても、攻略を頑張ったり断罪を回避する為に努力したりなんてしなかっただろう。
だって面倒くさい。
強制力が……っ! なんて事態になっても数々のラノベの登場人物である彼女らのように、愛らしく怯えたり慌てたりなんて出来ない。
まじか。終わったな。
そう覚悟してなるべく痛くないように全身の力を抜く。きっと。ヒロイン要素は無くて構わないだって私はモブ。
部屋に戻って忘れ物を手にして、再び廊下に出た所で今度は何の為にこれを持って、どこへ行こうとしているのか思い出した。
こちらの世界でのこれからの事だ。
私に婚約者が決まったのはつい先日のこと。父が用意した。
母はこっそりと「お相手の方が貴女を見初めてくださったのよ」と嬉しそうに教えてくれたが、私は知っている。
程々の家柄で程良く地味で言いなりになりそう。そんな条件に合っていた令嬢が私だっただけだと知っている。何せ乙ゲー転生したので。
忘れ物とは、今日私に挨拶に来てくれる婚約者に渡そうと、既製品にひと手間かけたブローチとタイだ。
そんな大事な物を忘れるなよと言わないで頂きたい。記憶があっても無くても私はこんなもんなんだ。
だけど我ながらよく頑張ったと思う。
八つの子供にしてはとてもよく頑張ったブローチの追加加工とタイの刺繍。
捨てられるかも知れないし使って貰えないかも知れないけれど、ここまで頑張れるいい子なのだから間違っても乙ゲーのシナリオから無駄に逸れて、私に何かしら何かする事の無いように祈る。
頼むぜ、婚約者殿。
事なかれ主義は事なかれの為には努力するのですよ、なんて思いながら侍女に案内されて婚約者の待つ応接間に着いた。
そして初めての対面となった婚約者は、とても見目麗しい青年だった。流石は攻略対象者。
幾つだ? ロリコンか?
そう思ってしまうくらいには歳が離れている。
「初めまして、リトルレディ。アレクサンドル・エル=ローランです。どうぞアレックスとお呼び下さい」
完璧な礼と笑顔でにこやかに出迎えてくれた攻略対象は、それはそれはもう素晴らしい造形の美を持ち合わせていた。
凄いな、攻略対象って。
「初めまして、アレックス様。エレオノール・ロバンです」
「エレンとお呼びしても良いだろうか?」
「はい。あの、アレックス様……これを」
「これは?」
「先日頂いたネックレスのお返しです」
この国で貴族は婚約を国王陛下に認めて頂くと、男性は女性にネックレスを送る。そのお返しをその後の対面時に渡すのが一般的だ。
これは? とか聞かれたけど公爵家のご子息様が知らない訳が無い。定められた会話である。テンプレとも言う。ちゃんちゃら可笑しいな。
ちなみに、頂いたシンプルだけどどう見てもめちゃくちゃ高価そうなネックレスは今ちゃんと身に着けている。
いい子だろ? 酷い目に遭わせないでくれよ。
「僕が送ったネックレス……着けてくれているんですね」
感動したようにアレックス様は言う。凄い演技力だ。ハリウッドで助演男優賞とか取れるんじゃないだろうか。
知らんけど。
「はい。とても可愛くて一目で気に入ったんです! ずっと着けています」
対して私は主演女優賞ものの演技だろ?
知らんけど。
「よく似合っています。僕の瞳の色の石を探すのには苦労しましたが……うん、良いですね。貴女が身に着けて下さっていると妥協しなくて良かったと心から思います」
言われて初めて彼の瞳をしっかりと見たが確かに珍しい色合いだった。
宝石でも見付けるのは大変そうだけど、人間の遺伝子ってこんな色を作りだせたんだなーなんて、妙に感心してしまった。
「素敵な石だと思っていたのですが、アレックス様の瞳と同じ色だからでしたのね。ありがとうございます。大きくなってもずっと付けます!」
「あはは。ありがとう。そうしたら、君の成長に合わせてチェーンを送ろう。きっと結婚式の時には付けられなくなっているだろうから」
くしゃっと嬉しそうに笑うアレックス様は本当に楽しそうで、その日の顔合わせはとても穏やかに恙無く終了した。
控えていたメイド達も笑顔だ。彼が連れて来た執事もにこにこしている。完璧じゃなかろうか、私。
両親には褒められ、その後お会いした公爵夫妻にも仲睦まじいと言われ、安心して私はこの日以降の婚約者としての役目をぶっちした。
「ねえ、エレン。あの日、僕は何かしてしまったのかな……」
顔合わせから半年。
ある日急にアレックス様はやって来て殆ど無理やり私の部屋に入って来た。
部屋の扉は開けられているので恐らく廊下にはうちのメイドと彼の従者が控えているだろう。何かあったら助けてくれよ。いや、まじで。
「あの日、とは……いつですか?」
「顔合わせの日だよ」
「あれ? 穏やかに、恙無く終えられたと思っておりましたけれど……私、何か粗相をしていました?」
「いや、僕もそうだと思っていた。思っていたけれど……」
そこでアレックス様は黙り込んだ。しばらく待ってみたけれど俯向いたまま顔を上げないし何も言わない。
血管が浮き出るほど強く握り締められている両手が痛そうだ。大丈夫だろうか、あれ。
そして、ふと気付いた。
「あら?」
私が思わず声を出すとアレックス様は面白いほど思いっ切り肩を跳ねさせて震えた。なんだあれ。釣り上げられた魚か。
「タイとブローチ、身に着けて下さっているのですね」
こうして見ると彼の髪色と合っていて中々いい代物ではないだろうか。
よくやった半年前の私。
「あ、ああ……君も」そこで彼はようやく顔を上げた。「君も、ネックレス……着けてくれているんだね」
突然のアポ無し訪問だったけれどちゃんとネックレスを着けている私、凄くないか?
ほら、アレックス様も青褪めているけれどどこかほっとしている。
「もちろんです。気に入っておりますもの」
嘘ではない。シンプルで可愛くて珍しい宝石が付いたネックレスなんて、どんなドレスにでも合うから装飾品はこれ一択だ。
決して毎日毎日ドレスやら装飾品やらあれやこれやを選ぶのが面倒だからではない。決して。
「……良かった。僕は嫌われてしまったのかと」
言いながらアレックス様は両手で顔を覆いながら、ずるずるとその場に崩れ落ちていってしまった。なんだ、貧血か?
「アレックス様!? 大丈夫ですか? こちらの長椅子へどうぞ。歩けますか?」
「だ、大丈夫……」
「お顔が真っ青ですよ。良いからお座り下さいな」
よたよた歩くアレックス様を支えながら長椅子に誘導する。辿り着いた彼は私ごと椅子に沈み込んだ。
やっぱり具合が悪いんじゃないか。いや、気分か? 何かあったのだろうか。
「すまない。ほっとしたら力が抜けて……」
「何かありましたの?」
友達と喧嘩でもしたか?
「君が」
「え。わた、し……?」
まさかの。
待ってくれ。反省するから断罪は止めてくれ。
「君が、この半年……一度も会ってくれないから」
何言ってんだ、こいつ。
思わず呆れてチベスナ顔になってしまった。アレックス様は相変わらず俯いているから許してほしい。
お誘いの手紙は何度か来た。でも全て断っていた。
何故か。
だって彼には恋人がいる。ゲーム内では家の事情で仕方無く年下のエレオノールと婚約したが、その前から付き合っている恋人がいる設定だった。
エレオノールより年上と言ってもまだ十四。ちょうど反抗期だろうし親の言いなりになるのが嫌だったんだろう。幼い恋はやがて終わるが、その後も彼はエレオノール以外の女性と付き合うのを止めなかった。
プレイボーイという程では無い。浮気も二股もしない。いや、エレオノールと婚約した時点で浮気だけど。恋人は二人作らない。一人だけを大切にするけれど冷めるのも早くて年に二、三回は恋人が替わる。
ただの設定と侮るなかれとばかりに私はちゃんと調べさせていた。
乙ゲーに転生したからと言って何の根拠も無しにゲーム内と同じだと決め付けるほど愚かでは無い。
父に優秀な探偵を紹介してもらって調査を依頼した結果、黒だった。
両親は慌てた。
八つの娘が婚約者の素行調査を目的に探偵を紹介してくれと言い出したのにも驚いていたが、アレックス様に婚約前からの恋人がいるのにも驚いたのだろう。
そして、私がその結果を見て納得している事にも。
彼が高位貴族として家に益のある相手と婚約を成さねばならず、だからこそ自分の言動に文句を言わなさそうな女性を選んだ理由がこれだ。
恋と結婚は別物。それを地でいくのがアレクサンドルだ。
ヒロインはこんな彼と向き合って更生させていくんだから凄いよね。本当に凄い。
私は御免だ。私には無理だ。
「お断りしてしまった事は改めて謝罪致します。けれど、お断りのお手紙にも理由は記載しましたでしょう?」
「それは……そうなんだが……」
何しろこの人の手紙は優し気でありながら一方的だった。
オペラに行こう、観劇に行こう。そのお誘いはいい。だけど、日付と時間を限定するなと言いたかった。私にも予定がある。
指定された日が王家へのご挨拶だったり王妃様のお茶会だったり、はたまたは日を改められない孤児院や教会への訪問だったり、とにかく間の悪い日ばかりだったのだ。
学園と恋人との逢瀬と跡継ぎ教育の合間ともなればそうするしか無いのかも知れないが、私だって侯爵令嬢なのだからやるべき事は多い。
私をなめないで頂きたい。
せめて幾日か幅を設けて選ばせてくれれば良いのに。
そんなに恋人と会いたいのなら、その恋人と会っているのを「エレオノールと会っています」と言って親を騙し、私には話を合わせるよう言えばいいのに。なんとも不器用な事だ。
何の為に大人しい子を選んだのか忘れたのかこいつ。
あ、もしかして。
チベスナ顔でそこまで考えて私は気付いた。
「カミラ様と別れました?」
その言葉を聞くとアレックス様はさっきよりも大きく身体をびくつかせて、そしてロボットのような動きでこちらを見た。
目は見開かれて、驚愕しているのが一目瞭然だ。ウケる。
それまでは断られても恋人が居るから気にならなかったのだろう。むしろ会わなくて済んでほっとしていた筈だ。
けれど別れて、それなりに落ち込んで傷付いて、そして思い当たったのか思い出したのか。婚約者の存在を。婚約後に顔合わせをしてから一度も会っていない事を。
傷付いている所に更に追い打ちをかけられている気分にでもなったのだろうが、自業自得と言うか全て自分で蒔いた種だぞと指を差して笑ってやりたい。
ねえ、今どんな気分?
「やっぱり。大丈夫ですよ、すぐに次が見付かりますよ」
現にその前に付き合っていた方とは別れてから半月でカミラ様と付き合い始めている。
ちゃんと一人と向き合うから別れるとなると落ち込むけれど、次と出会ったらさっぱり忘れて次の人と向き合うのだから、落ち込む暇があるのなら更なる出会いを求めていけばいい。次だ次。
そして私の事は忘れてくれ。
「知って……いた、のか?」
「互いに調査は入るでしょう? 私の事もそちらでお調べになられた筈です。アレックス様は恋と結婚は別物とされているのだと存じます。私としても問題ありませんので、公爵閣下のご意向に添わないような事が無ければお好きにどうぞ」
「……女性というのはもっと嫉妬深いものだと思っていた」
「ああ。カミラ様とはそれで別れましたの。確かに恋人が婚約したら面白くないですよねえ。……ご安心なさって。公爵閣下にも昔から愛人がいらっしゃるではありませんか」
何故知っている!? と表情で言ってアレックス様が固まった。
ご婦人のお茶会では有名な話だぞ。とっかえひっかえだって。
親子揃って似てんなーって納得したんだ私は。
「また恋人とお別れになってお寂しくなったら、その時はいらしても構いませんよ。けれど、その時は今日のような突然の訪問はお控え下さいね。事前に一言お知らせ下さい」
「あ、はい……」
「それから、私とのお出掛けはご無理をなさらないで。恋人とのお出掛けを私との事だと公爵閣下にはご報告なされば良いわ。薄々勘付いていたとしてもご自身も同じ穴の貉。見て見ぬ振りをして下さるでしょう」
「あ、はい……」
三年後に出会うヒロインがどのルートを行くかは分からない。けれど、その前から彼はこんな感じなのだ。私に執着しろと言う方が無理である。
ああ、だからゲームでもアレックス様の婚約者は名前すら出て来なかったのかも知れない。ゲーム内のエレオノールも私と似ているのかも。
「でも、貴女はそれで……良いのか?」
何言ってんだ、こいつ。
「良いも何も、程良く地味で程良く大人しい私を選んだ理由がその為でしょう? 理想通り文句は言いませんし口出しも致しません。公爵夫人となるのですからお勉強も忙しいの。私は私の事を精一杯やります」
「そんな……」
言外に『お前の私生活なんざどうでもいいわ』と言ってみたつもりだが、ちゃんとその意図を彼は汲み取ってくれたらしく正しく伝わったようだ。
それなのに、何故そんなにショックを受けた顔をしている。
「えーと、恋人と別れてショックを受けている所に塩を塗り込むつもりはありませんよ。大丈夫です。見捨てたり見離したりしている訳ではありません」
「ただ僕の意思を尊重してくれているだけだと、そう言う事か?」
「そうですよ。そんな絶望したみたいなお顔をなさらないで下さいな」
どう考えてもお前が落ち込んで良い事態でも、わたしが慰める立場でも無い筈だ。どうなってやがる。
「僕はこれからどうしたら良いんだろう……」
知らんがな。八つの子供に聞く事でも、婚約者にする相談でも無いぞ。絶対に。
全世界お前が言うな選手権があったらぶっちぎりで優勝だ。おめでとう。何一つとしてめでたくないけれどおめでとう。
「好きに生きて良いと思いますよ」
「……好きにって?」
いやもう本当に知らんがな何なんだこいつ面倒くさいな。
早めに来て頂いても構わなくてよ、ヒロイン様!
それからもアレックス様からはちょくちょく手紙が届いた。お出掛けのお誘いもあった。
だから誘うなっつってんだろ! と思いつつ断っている。すまんなってお詫びを付けて。
お出掛けが叶わないからか恋人と別れて寂しいからか、アレックス様は月に一度の定期訪問とか言うよく分からないものを設けた。その内に次の恋人が出来たらぶっちするのだろう。
そんな私の予想は一年で当たった。
むしろよく一年持ったなと感心しながら『来週の茶会に行けなくなった』という手紙を読んだ。
返事には『また必要になるまで暫く休止で良いですよ』と記してすぐに送った。
この一年、恋人が出来なかった訳じゃ無いだろうになあ。よく通ってくれたものだと感心する。
相変わらず調査は入れているが、父がしゃしゃって結果を奪い取ってしまうし、しかも教えてくれない。致し方無い。お金は父持ちだ。私はここで大人しく父を呪おう。
新たな情報が手に入らなかった結果、またアレックス様の突撃訪問を喰らう羽目になった。
「たった一度、茶会の延期を申し入れただけでもう来なくていいとはあんまりでは無いだろうか!」
馬車が凄まじい速さで走る音がして我が家の前に止まったと思ったら、にわかに館全体が騒がしくなった。
何事かと部屋でぼんやり報告を待っていると、今度は私の部屋に向かって幾つもの足音。皆すっごい走ってる。
そして勢いよく開かれる扉。からの泣きながら叫ぶアレックス様。
すわ、賊か? と思って、せめて痛くないように殺してくれと全身の力を抜いていた私。
アレックス様を追い掛けて来たうちの執事とメイドと彼の侍従と護衛。
なんのカオスですか。皆出てって下さい。
「延期ですか?」
「王太子殿下が遠乗りに誘って下さったんだ。間も無くお帰りになられる隣国の王太子様もご一緒だから日を改めて頂く訳にもいかない。手紙を誰かに見られて二国の王太子を危険に晒す訳にもいかないから理由も書けない。だから、だからまた後日にでも直接僕の口から説明をしようと、都合のいい日を聞いたのに……」
暫く休止でもいいって返事したな。フツーに恋人と逢瀬かと思ったわ。正直すまんかった。
「暫くの休止でも問題無いのですから延期でも大丈夫という事ですよ」
前回と同じくよろよろしているアレックス様を長椅子へ導いた。
「本当か?」
「もちろん。明後日から三日間ほど日中は時間が取れませんが、それ以降は午後でしたら大丈夫です」
「じゃあ、五日後の午後」
「はい。かしこまりました」
ぐすぐすと鼻をすするアレックス様の表情は初めて会った時よりも幼く感じる。幼児退行か? 大丈夫なんだろうか、これ。
開いたままの扉から彼の侍従と護衛が顔を覗かせて様子を窺っている。私と目が合うと焦った様子でぺこぺこと頭を下げてきた。仕事とは言え可哀想に。これが主人で。
「遠乗りはいつですか?」
「明日」
「集合はどちら?」
「王宮。そこから馬で郊外へ向かう」
「今日は早めにお休みになられた方が良いですよ」
「やだ。もう少しいる。まだ帰らない」
「では泊まりますか?」
「えっ」
「客間を用意させます。侍従や護衛の皆さんのお部屋もご用意できますよ。ここから王宮でしたらそんなに遠くありませんし、この時間でしたら皆さんの夕食もお出し出来るでしょう」
私の返事を読んでなりふり構わずすぐに来たのだろう。今はまだそんな時間だ。太陽めちゃめちゃ高いとこにある。
これなら今から公爵邸に遣いを出しても問題無いくらいだった。
「え……」
「如何なさいます?」
「泊まる!」
とてもいい返事だった。相変わらず開いた扉から覗いてきている彼の侍従や護衛達が、手を合わせて拝んでいるのできっと間違った対応では無かったのだろう。
ちょっと面白いね、この人達。
けれど、その彼のお泊まりに対する忠告は思わぬ所からやって来た。
「彼の恋人は私なのよ! それを強引に泊まらせるだなんてどう言うつもりかしら!?」
あのお泊まりから二ヶ月後。王太子様の婚約者である公爵令嬢様のお茶会でそんな事を言われた。この人誰だっけ。
まあでも確かに。
恋人が名ばかり婚約者の家に泊まったとか気分悪いよな。私じゃなくて彼に言って欲しいけど。
でも何だって二ヶ月も経ってから言い出したのだろう。この方、先月の王妃様主催のお茶会でもお会いしなかったっけ。特に会話はしてないから自信ないけど。
「愛の無い婚約のくせに何のつもりなのかしら。そんな事をしても彼の心は私のものよ!」
愛の無い婚約をしている婚約者のつもりです、こんにちは。
面倒くさいな、これ。どうしよう。
「初めまして。私、エレオノール・ロバンと申します」
「貴女の名前なんてどうでもいいわよ!!」
「お名前をお聞かせ願えません?」
「まあ、なんて教養の無い! 私の名を知らないと言うの!?」
次期王太子妃の茶会で叫びまくるお前の教養こそどうなんだよ。
「いい加減になさいまし、マルリータ様。何をそんなに叫んでいらっしゃるの。品の無いこと」
ほら〜〜、主催の公爵令嬢様が来ちゃったじゃないか〜〜。も〜〜。
怖いよー怖いよー。
……あれ? いやでもめっっっちゃ綺麗な人だな。
「シ、シルヴィア様……これは……」
「まだ九つのエレオノール様と十七の貴女とでは年代が異なるのですから、お名前を存じていてもお顔と一致しないなんてままある事でしょう。名乗りもせずに責め立てるなんて、年長者にあるまじき言動よ。なんて教養のなってない方なのかしら」
キレッキレである。アレックス様の恋人さんは何も言えない。
ぶっちゃけめちゃめちゃスッとした。
美人さんが怒ると凄まじい迫力だ。圧が凄い。圧が。正直、嫌いじゃない。この圧。
「マルリータ様……ルーイ侯爵家のご息女様ですね。まだ社交界へも足を運べぬ身故、大変な失礼を致しました」
社交デビューもしていない子供になんつー突っ掛かり方してんだよと、遠回しに言ってみた。
どう考えてもあちらの方がマナーはなっていない。けど先に謝罪をしてもっと追い詰めたれ。
彼女はただの恋人。国王陛下が認めた正当な婚約者に文句をつけただけあって、周囲からは彼女への非難めいた視線だらけだ。何あれ的な言葉が囁かれている。
あれ、しまった。
待って皆さん。止めてくれ。
この事がアレックス様の耳に入って無駄に絡まれたり二人が別れたりしたらどうしよう。面倒くさいだろうが! 私が!!
「彼女とは離れた席にお座りなさい、名乗れもしないどこぞのご令嬢。私のお茶会でこれ以上の不作法は許しません」
「も、申し訳ございません……シルヴィア様」
「お騒がせして申し訳ありません」
「貴女が謝らなくて良いのよ、エレオノール様。初めましてね、素敵なドレスの可愛らしいお嬢様。どうか楽しんでいってちょうだい」
素早く問題を解決すると颯爽と去っていく公爵令嬢様の方こそ素敵だった。この方が将来の王妃。素晴らしい。
かっこいいおねえさま凄い好き。
あれで十三歳? 嘘でしょ? え、凄いよねヤバいよね。
乙ゲーでは確か彼女が悪役令嬢扱いだったけど、ぶっちゃけ彼女を悪役にして捨てるようなら私は王太子を見捨てる。忠誠もお仕えも無理。
と言うか、アレックス様は恋人に婚約者の家に泊まったとか正直に言ったのだろうか。悪手にも程があるだろ。そこは言うなよ。いや、そもそもあの程度の事で来るなよ。
文句しか出て来ない。
どうしよう。面倒くさいな。どうすべきだろうか、これ。
なんて事を考えていた時も分かっていた。もう分かっていた。
これはテンプレだ。そしてフラグでもある。
「勘違いしないでくれエレンッ! 僕は浮気なんてしていないし恋人もいない!!」
ほらな。来た。
ガラララララ!! といういつもの凄まじい暴走馬車の車輪音に続いて、ダダダダダ!! という幾人もの人達の足音が聞こえた時から覚悟はしていた。
故に耳栓の準備は万端だ。
「ずっと付き纏われていたんだが、きちんとお断りしている。僕の心は彼女には無いし、ちゃんと反省したんだ。もう恋人なんていない。作ろうとも思っていない。これまでの不誠実はこれからの誠実でもって償っていきたいと心を改めたんだ。お願いだから勘違いしたり僕を捨てたりしないでくれ!」
何か言ってる何か言ってる。
えー、実はこの耳栓は前世では成し得なかった素晴らしい機能が備わっております。それは、な、な、な、なんと! 完全に音をシャットアウトするのです!
隣の隣の……どっかの国の商人が開発したらしい『無音杉』という商品です開発者お前絶対に転生者だろ。
「…………」
「何も言ってくれないのか、エレン。シルヴィアから君が酷く罵られていたと聞いた。僕なりに目の前の人と誠実に向き合ってきたつもりだったけれど、所詮は自己満足なだけだったと思い知らされたよ。過去の清算はきちんとしてゆく。けれど、シルヴィアの茶会のあの令嬢は本当に違うんだ。昔から何故か纏わりつかれているんだけど、今回ばかりは甘い注意では済まさないよ。公爵家としてきっちり抗議する」
まだ何か言ってる。凄いな。まだ終わらないんだろうか。
「…………」
「エレン……」
あ、終わったかな。
きゅぽっと耳栓を取った。
「ご機嫌よう、アレックス様。お出口はあちら、貴方がお入りになった扉とそのまま同じです。お帰り遊ばしてどうぞ」
「耳栓!? エレン……待ってくれ、違うんだ。彼女は本当に」
「え、彼女?」
「えっ?」
「えっ?」
壊れたラジオか。
「私はきちんと先触れを出してから来て下さいと申しているのです」
「あ、はい……」
「それから、廊下はドタバタ走らない」
「あ、はい……」
「ノックも無く勝手に部屋に入って来ないで下さい」
「あ、はい……。大変申し訳ありません」
「本日はお帰りになってどうぞ。明日は午前中、明後日から三日は時間が取れませんが、それ以降の五日間は午後でしたら空いております」
「明日で。いや、空きのある日は全部」
「承知致しました」
「……その、いつもすまない。今日も申し訳ない」
「はい」
「また明日……」
「ええ、また明日。おやすみなさい」
シルヴィア様と親戚だったからこんなに早く来たのだろうか。秒速でアレックス様に知らせるとか本当にかっこいいな、シルヴィア様。
その日は前世のゲーム内のシルヴィア様と現実のシルヴィア様を思い浮かべながら眠りに就いた。
あの日以来、アレックス様は私が伝える空き時間の全てに顔を出すようになった。
有り得ない。なんなんだこの人。
学園はどうした、学生の本分は勉学だぞ学べよ公子。
学園は大丈夫なのかどうしたのか聞いてもはぐらかすので、さくっとアレックス様のご両親にお手紙を出した。
殆ど毎日お会い出来て嬉しいのですが、ご負担になっていないか心配です。また、学園はもうご卒業されたのでしょうか。もしそうでしたらお祝いもしておらず大変申し訳無く……なーんて心にも無い内容をつらつらと。
すると、公爵は手紙を受け取ったその日の内と思しき日に、先触れとしてやってきた。馬で。本人が来たら意味無いやんけ。
当然受け入れるしかないので客間に通すと、遅れて馬車で公爵夫人もやってきた。
そしてやはり完全に学園をサボっていたアレックス様はご両親に叱られ、愛人にばかり現を抜かして我が子にすら気を配れないのなら出てお行き愛人と共に生きなさい公爵家はアレックスが継ぐまで私が守るわ! と公爵までもが夫人に叩き出された。
後日届いたアレックス様からの『サボった分を取り戻すまで会えなくて申し訳ないけれど待っていて欲しい』という手紙には、『そういえば父上は母上に「お前の部屋、ねっから!」と追い出されていて、積年の怨みが晴れてすっとした』とも書かれていた。
あの親子の間に何があったのか知らないけれど、昼ドラばりの修羅場を見せられて私はとてもご満悦だから気にしないでほしい。余は満足である。
無理はしないで、これまで通り勉学に励んで下さい。応援しています。と、過去から学んで突撃を受けない内容の返事を出すと、やっぱり会いたいという先触れが来た。
堪え性というものを知っているかアレックスゥ……。
「エレン、どうして会いに来てはいけないんだ?」
「どうして課題が終わっていないのに来るのですか。あれからまだ四日ですよ?」
「愛しい人に会いに来て何が悪い」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
だから、壊れたラジオか。
「なんでですか?」
「なんで、とは……?」
「どうして心変わりを? 新しい恋人さんは?」
「だから、もう恋人はつくるつもりは無いし、もしつくるならそれは君だ」
「え、えええ……それはちょっと……」
「何故だ!? 何故だめなんだ!?」
あ、止めて。叫びながらこっち来ないで。アレックス様もう泣きそうだから表情ヤバいし。
「大人しくて従順そうだからと隠れ蓑扱いの婚約に始まり、自称恋人さん達からの襲撃の数々。アレックス様による暴走馬車からの廊下爆走突撃訪問。こちらの事情は一切お構い無しのその言動と思考回路」
「うぐ……こ、こころが……心が痛い……」
「……は、置いといて」
「お、置いといてくれるのか?」
「婚約者ならともかく恋人は無理です。好きでもないし」
「ぐ、ぐぐぐ……まだ駄目なのか」
「いや、そもそも今初めて聞きましたからね? 何ですか。察してもらって絆されるの待ちでしたか? 始まりがあれでこれまでがあんなんなのに?」
「何も言えない」
「これだけ態度に出してんだから察して受け入れるだろうという傲慢さが、もう本当に無理」
「ごめんなさい好きですまた今から頑張ります!!」
頑張らなくていいし、頑張るなら余所に恋人を。と言ったらガチ泣きしてしまったので面倒だった。
あれから時は流れて私は十七になっていた。
本来ならばアレックス様が十七の時にヒロインが現れる筈なのだが、なんと編入時期を過ぎても学園にヒロインが現れなかったのだ。どうしたヒロイン。何をしているヒロイン。
アレックス様もう二十三なんだけど良いのかな。ヒロインさんはきっと二十一だよね……良いのかな。
ここではない何処かで幸せを掴めていたのなら良いのだけど。
乙ゲーの事を考えないようにしても自然と浮かんできて考えてしまうのは、決して強制力が怖いからでもシナリオを気にしているからでもない。
麗しの我が祖国が忘れられないからだ。
もしまた生まれ変われるのなら、やっぱり私は日本がいい。それが無理なら記憶はもう要らない。
「エレン、どうかした?」
「いえ。何でもありません」
隣に居るのは今日から夫になるアレックス様。
「愛しているよ、エレン」
「すみません。まだちょっと納得していません」
「手強いにも程がある!!」
「えー、皆様ー、新郎新婦のご入場ですが新郎が号泣しております。温かな視線…………拍手でお出迎え下さい」
司会進行のせいで式場から割れんばかりの笑い声が轟いた。
周囲は大爆笑の式の参列者達や司祭、親族席には首輪を着けられた公爵の首輪から伸びた鎖を握る公爵夫人……は見なかった事にしよう。隣には大泣きのアレックス様。
何これ。絶対に普通の結婚式じゃない。
え、何これ。凄い楽しい。待って今では私ちょっと納得してるあの首輪は何!? 何なの晴れやかな笑顔のお義母様めっちゃいい!
ねえ、ヒロイン。もしどこかで会えたなら、記憶があってもなくても少しだけお話させて。
私はぶっち失敗したけど貴女はどう生きたのかしら。
ルリメル「結婚した」