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夏夜の追憶

作者: 空蝉翠雨



 熱帯林で過ごしているかのような夏夜だった。

 私は窓から見える路地裏の夜景を眺めながらハイボールのソーダ割りをチビリちびりと呑んでほろ酔い気分に浸かっていた。

 

 ゆっくりと首を回す扇風機の柔らかな風に髪先が揺れ優しく頬を撫でる。

 繁華街よりも寂しくて住宅街よりも小気味悪い真夜中の路地裏。

 私の住むアパートは都市部にしては破格の安さで多少のボロさでもどうでも良くなってしまう。

 もう何もかもどうでも良くなった今でもこの部屋を手放せないのは私はこの狭さが心地よくなっていて名残惜しさが残った所以なんだと思う。

 もう、何もかも忘れると決めたのに。



 君とは同じ会社の同僚だった。

 いつもは無口で言葉足らずな君は少し色んな人から誤解を買っていたのかもしれない。

 でも、私とのメールの中では違った。

 現実では無口だけどメールで綴る言葉は沢山でそのギャップがなんだか可愛くて、君は普段携帯をいじる習慣も無いと言ってたからゆったりと少しづつメールの履歴は増えていった。

 今、思っても私は君のこと好きだったと思う。

 それでも私は自分で告白なんてした事無くて君も私の気持ちに気づいていたはずなのに無口だから何も伝えてくれなくて、だから友達以上恋人未満みたいな関係がずるずると続いていった。


 ある夏の日、君は私をドライブに連れて行ってくれた。

 伝えてくれた時は私は柄でも無く舞い上がっていて、いつもは付けないマニキュアやいつもは着ない肌を出す服装を選んだりしてみて悩んで不安で大変でそれでも私の人生の中で一番楽しみな時間を過ごしていた。


 当日、君がこのアパートへ迎えに来てくれた。

 いつもはユニクロの無地のTシャツなのにあの日だけはカーディガンを羽織ってしっかり決めてた。

 それを見て私は心が高鳴るのを感じたんだ。

 暗かった学生時代を過ごしてた私はちゃんとした恋愛なんてした事無かった。

 でも、あの時だけは私の人生が変わるんだって直感で思ったの。


 ドライブは順調に進んだ。

 都心を出て横浜の美術館に訪れた。

 展示された絵画を君と一緒に見て回る。

 

 ちょっとだけ手が触れ合ってでも手を繋ぐ勇気は無くて君と隣で歩けているだけで私の心はいっぱいいっぱいになってた。

 だから美術館の展示品の記憶とかはほとんど無い、というかそれどころじゃなかったからごめんなさい。


 全部見終わって車に戻る。


「次はどこへ連れてってくれるの?」なんて言っちゃったりして。

 君はニコッて笑いながら何も言わずに車を動かした。

 無口だから仕方ないと思う。

 でも、今思えばあの時君がどこへ連れて行こうとしてたのか教えてくれたら良かったのにって思うの。


 赤信号で止まる。

 車の中は音楽も流さずエアコンの音だけがあった。

 車内に立ち込める沈黙、私は君との話の話題に悩んだ。

 メールだとあれだけ饒舌なのに、君は私と会うとこっち話しかけるまで口を開いてくれない。

 そう思うとなんだか悲しくて暗い顔をしていたんだと今になってわかる。

 君は優しいからそれを察して話しかけてくれた。


「その、スマホカバー可愛いね」


 そう言ってくれた。

 細目で大きな笑顔が特徴の君は私の手に持つスマホを見て褒めてくれた。

 普通の人ならそれだけ?ってなるかもしれない。

 それでも私は嬉しかった。

 凄く凄く嬉しくて。

 まるで私の心の中を見透かしているかのようなタイミングで君が話しかけてくれた。

 だから私は涙を流してしまった。

 止めどなく流れる涙を止める術も無かった。

 君は動揺してた。

 「大丈夫?」って何度も聞いてくれた。

 私は嗚咽するばかりで泣いた理由も話せなかった。

 君は何か聞いてはいけない事を聞いてしまったのかもしれないって思ったのかもしれない。

 違う。 

 嬉しかっただけなの。

 その感情が溢れて止められなくてだから涙を流すしか無かった。

 「ありがとう」って言おうとした。

 この感情が落ち着いたらしっかりと言って君とちゃんと向き合おうって思えた。

 私は不安だった。

 はじめての大恋愛でたくさんを求めていたのかもしれない。

 でも、それは間違い。

 私は私が好きになった君を君のことを心配せずに好きになれば良かった。

 君は優しいから裏切らないしきっと受け止めてくれたと思う。

 そうやって気持ちに区切りをつけて口を開く。


「ありが……」


 その言葉の途中で車内は強い衝撃に巻き込まれ視界は暗闇に変わった。





 私が目を覚ましたのはそれから三日後の病室。

 白い天井は身に覚えが無く凄い戸惑った。

 それでも記憶ははっきりしていて何が起こったかも薄々気づいていた。

 そして私があの言葉を言い切れていなかったことも。

 

 言わなきゃって焦った。

 伝えてなかった。

 君は戸惑っていた、話しかけたのに急に泣き出してしまったのを見て不安にならない人はいないと思う。

 違うよ。嬉しかったんだよって言わなきゃいけない。

 そしてずっと好きだったって私から言いたい。

 そしたら君が驚いた顔をしてそれでも優しく笑ってくれていて。

 俺も好きだった、って言ってくれたらどんなに嬉しいだろうか。

 ずっとそんな関係になりたかった。

 メールの中だけじゃない君を好きになりたかった。

 今ならそれができる気がするの。

 君と一緒にこれからの未来を過ごして。

 些細なことで喧嘩したり仲直りしたりして色んな所へドライブへ行ってその度にきっと私は君を好きになる。

 

 病室のベッドを飛び出す。

 どこにいるかはわからないけどきっと出会えるって思ってた。

 この想いを伝えるまでは何も変わらない、何も終わらない。

 程なくして看護師に止められる。

 君を君に会いたいって伝えた。


 そしたら急に看護師の顔が暗くなった。

 その後から続く言葉を受け止め切れなくて。

 それから

 それから



 それから……。




ーーー




 体が火照ってきた。

 私は酒を飲む手を止める。

 黒猫が路地裏を颯爽と走っていくのが見えた。

 寝よう。

 そう決めて晩酌の片付けをする。

 そんな時に私のひび割れた携帯にメールの着信音が鳴る。

 手に取って見たら君からのメールだ。


『今度の土曜日一緒にドライブ行こっか』


 絵文字付きの君からのメールは相変わらず明るかった。

 それでも私は返信はしない。

 今までの履歴を見ると毎年この日は何度も君からのメールが送信されてきている。

 君が私をドライブに連れてった一週間前。

 初めて君が誘ってくれた日。

 でも、私は毎回返信していない。


 その代わりに毎回涙を零す。


「違うよ。もういいんだよ……」


 君は死んだの。

 あの事故から十年。

 原因は対向車線から来た高齢者ドライバーの運転ミス。

 君は私の言葉を聞けずに即死した。

 幸か不幸か私は脳震盪だけで済んだ。


 もういいの。

 もういいんだよ。

 あのドライブのやり直しはもう充分。

 

 


 

 

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