女の子同士のキスに関する実験とその結果について
下校時刻が迫ってきていて、図書室には人の姿がなかった。
図書委員の私と、湊先輩以外。
ちらりと横目で見ると、先輩は熱心に本を読んでいた。
夕暮れのオレンジが顔を染めていたから、熱心なように見えたのかもしれないけど。
艶やかな黒髪が頭の後ろでひとつに纏められていて、露わになる首筋の曲線美にドキリとさせられる。
やがて、私の視線に気付いたわけではないと思うけど、先輩は読んでいた本を閉じて、それをカウンターの上に丁寧に置いた。
私は慌てて、自分の手元に視線を移す。
そこには、どこまで読んだかわからない文庫本が広げられていた。
なんとなく文字を追っているフリをしていると、隣から小さく、んぅという艶めかしい声が聞こえる。
先輩が腕を組んで上に伸ばして、大きく伸びをしたのだろう。
先輩、本を読んでいるときに集中しすぎて、まったく身体を動かさないから。
「よし、後輩ちゃん、そろそろ閉めようか」
寝起きのような先輩の声音に、私は上手く返事ができず、なんとか頷くことで了承の意を示す。
人付き合いが苦手な人ならわかってくれると思うが、ずっと黙っていると、声の出し方を忘れてしまうのだ。
先輩が図書室の中を見回っている間に、私は今日の日誌を書く。
まあ、今日は三人しか利用者がいなかったから、見回りも日誌を書くのも、一瞬で終わった。
あとは、図書室の鍵を閉めて、司書室に届けて帰宅。
美人な先輩との当番ではあっても、そうそうフィクションの世界のような出来事は起きないものだ。
「後輩ちゃんは女の子同士のキスについて、どう思う?」
唐突に、見回りを終えた先輩がカウンター越しに聞いてくる。
私が返事に困ったのは、口下手が理由ではない。今回は。
「さっきまで読んでいた本で、主人公の女の子と、その友だち、いや親友かな。その二人がキスしていたの。そのときの反応が疑問でね」
カウンターをぐるっと回って、先輩は、私の隣の椅子に飛びつくように座る。
私は、私に向けられるキラキラした純粋な瞳を、ただ眺めることしかできない。
「男の子とのキスは、セックスの前段階だからエッチなのはわかるわ。でも、女の子同士のキスは、そうではないでしょう? いわば、愛情の確認作業。親が子どもにキスするとか、外国であいさつするとかといっしょだと思うのよ」
普段、きりっと凜々しい唇から紡がれた、セックスという艶めかしい言葉に、私は動揺した。
後半、先輩がなにを言っていたのか聞いていなかった。
私の視線が先輩の口元に注がれているのを知ってか知らずか、先輩は人差し指を唇に当ててむにっとさせる。
「どうしてあんなに興奮するのか……」
真剣に考えているけど、議題は女の子同士のキスについてだ。
しかし、もしかして、これは先輩なりの冗談なのかもしれない。
湊先輩と当番の仕事をするようになって数週間、いまだに緊張している私を見かねて、コミュニケーションを取ろうとしてくれているのではないだろうか。
「ねえ、ちょっと試させてもらってもいいかな?」
そうだとするならば、先輩の気遣いに応えるために、私もいつまでも緊張してはいられない。
ちゃんと、ちゃんと返事をしなければ。
そう思って、一度唾を飲み込む。
よし、返事を。
「いいの? やったっ、ありがとう!」
先輩は、すごい嬉しそうに私に抱きついてきた。
なんだこれ、なにに対する感謝なのだろうか。
いま、先輩はなんて言っていたのか、聞けていなかった。
頭の中でぐるぐると渦巻く疑念を、先輩から伝わってくる柔らかさが晴らしていく。
意外と、着痩せするのかな。
ぺったんこの私と同じぐらいだ、そんな風に思っていたのだけれど。
「じゃあ、さっそく」
そう言って、先輩は私の唇に唇を合わせてきた。
本当に唐突に。躊躇いなく。
どうして、先輩は私にキスを。
びっくりしすぎて、なぜか逆に冷静になった私は、動揺しすぎて理解できていなかった先輩の言葉の数々を、耳から引っ張り上げることができた。
先輩は、押しつけるように合わせていた唇を、ゆっくりと離した。
なんでもないことのように平然としていて、私の気持ちがざらっとする。
「うーん……ドキドキ、しているのかな、私は」
意外とある胸に手を当てながら、先輩は首を傾げる。
「確かに、長く息を止めていたから、心拍数は上がっているとは思うけど……」
「舌を入れてみたらどうですか?」
自分でも驚くほど、自然と言葉が出てきた。
私の言葉を聞いて、先輩はきょとんとしている。
「先輩が読んでいた本、私も読んだことありますけど。唇を当てるだけのキスではなく、舌を搦めるようなキスをしていたと思います」
「ふむ、ディープキスというものか……確かに、主人公の女の子たちは、そういったキスをして興奮していたわね」
なるほどなるほど、と先輩は頷きながら話す。
キスに慣れているのだろうか、いったい誰としたことがあるのだろうか。
その淡々とした様子を見て、やっぱり私の心はざわめいた。
「じゃあ、舌を入れるから、口を開けてね」
私の首筋に両手を添えて、先輩は顔を近付けてくる。
有無を言わさぬ態度を強引だと感じつつも、私は言われたとおりに口を開けた。
先輩の舌が、私の舌に触れる。
そして、なんだかたどたどしく舌が動かされた。
私でも、先輩が絶対にディープキスなんてしたことないのがわかる、そんな稚拙さだった。
「……んむぅ、難しいなぁ」
先輩は、自分でも上手くできていないことがわかっていたのか、口を離してから怪訝な表情を浮かべる。
それでも、私は先輩の少し濡れた唇から目が離せない。
「えへへ、私、キスするの初めてなんだよね」
私の視線をどう思ったのか、先輩は恥ずかしそうに言った。
先輩みたいな美人が初めて、というところよりも、初めてをこんなにさらっと消費したことに驚く。
いや、初めてなのは私も同じなのだけれど。
「……さっきよりはドキドキしてるけど、やっぱり息のしづらさが原因かなぁ」
胸に手を当てながら、先輩が苦笑いする。
ちなみに、私の心臓はバクバクと荒れ狂っていた。
その違いが、なんとなくむかつく。
「先輩は……私のこと好きですか?」
なんでもない、その辺の石ころ、いや、石ころはひどすぎる。
その辺のチワワぐらいに、私のことを考えているから、ドキドキしないのだと思って聞いてみた。
「後輩ちゃんのこと? そりゃ好きだよ、可愛い後輩だもん」
先輩は恥ずかしそうに、照れながら言う。
違いますよ、先輩。
本当に好きだったら、そんなに簡単に言えないものなんです。
「……じゃあ、やっぱり、キスの先にセックスがないと、興奮しないのかもしれませんね」
私は、先輩の身体を椅子の背もたれに押しつけた。
ギィと背もたれが鳴り、静かな図書室に鈍い音が響く。
不思議そうに、先輩は私を見つめていた。
「後輩ちゃん? 私と後輩ちゃんは女の子同士なんだから、セックスはできないでしょ?」
その問いに、私は行動で返答する。
先輩のスカートからワイシャツとキャミソールの裾を引き出し、私の手を滑り込ませた。
「先輩は、セックスを子作りの意味で言っていますよね」
さらに、滑り込ませた手でブラを押しのけ、先輩の心臓の上に直に当てる。
驚いてなにも言えないのか、それとも恐くてなにも言えないのか。
先輩は私の暴挙を、ただじっと見ていた。
「子作りは男の子相手じゃないとできないけど――」
柔らかさの内にある、想いに触れるために手を強く押し当てる。
先輩が小さな喘ぎ声を上げて、その身体は小さく跳ねた。
手のひらに、規則正しいリズムが伝わってくる。
「――女の子同士でも、セックス、できるんですよ?」
そう教えてあげてから、私が先輩の顔に近づいていくと、ようやく先輩の鼓動が強くなった。
でも、まだ足りない。
先輩のドキドキが私のドキドキを勝るまで、私は先輩を攻め続けるのだった。