学校も…ない……だと?
全身ずぶ濡れで部屋にもどった時、突然走り去った俺を見て驚いたのか、呆けた顔でベットの上に座っていたアンナは、俺の姿を見ると慌ててタオルを取りに行き手渡してくれる。
「どうして…?」
「あぁ、流石にな」
「流石に?」
アンナからすれば意味が分からない行動に意味の分からない発言で困惑しているだろう。
だが俺はそのことよりも、先程のアンナの様子や発言から感じていたことを口に出す。
「それよりお前、素の性格はそっちか」
「素…?あ、あぁああ!」
自分の行動や発言を思い出したのか、大声をあげて頭を抱えるアンナ。
…今日も防音対策はしておいて良かったな
「まぁとりあえず、落ち着いて事情を話してみろ、な」
「誰のせいでぇ~!」
そう言いながらこちらを睨むアンナの言動も、雑な方ではなく素の方になっている。
このままでは話が進まないと一旦謝ってアンナを落ち着かせる。
アンナはまだこちらを睨んでいたものの、諦めたのか深くため息をついて口を開く。
「そうだよ、あたしの元々の性格はこっち。自分で言うのもなんだけど、あんまり気が強かったりする方じゃないわけ」
「いや、気は強いだろう…」
そう呟くと先程より一層厳しい目で睨んでくる。
「とにかく、あたしのアレがキャラなのは認めます。で、も、よ!仕方なかったんだから…」
「話す気があるなら聞くが」
「……やめとく。変に巻き込むのも申し訳ないし」
変に巻き込む、と言う事はそれなりの事情があり、その事情を聞けば何かしらの事件と関わってしまうと言う事であろう。
もちろん、巻き込まれることに関しては何の問題もない。
だが、当人が望んでいない今、緊急度も高くないのであれば無理をして聞く必要もない。それが、“教師”としての俺の判断だった。
「そうか」
「……意外と素直なのね」
俺が深くは聞かなかったことが意外だったらしく、驚いた表情でこちらを見てくるアンナ。
その後、「まあ助かるけど」と呟いたが、さみしげな表情をしていたのも見逃さなかった。
…だが、アクションを起こすのは今じゃない、な
そう考えた俺は、とりあえず聞ける部分だけでも聞いておこうと思い質問を投げかける。
「お前にキャラを作らなければいけなかった理由があるのはわかった。しかし、そのキャラ自体お前の性格には少し合っていないんじゃないか?」
正直言えば気の強いキャラはあんなにはある程度似合っているようにも感じる。だが、会って2日だと言うのにアンナは至る所でボロを出していた。
…逆によく今までばれていないものだと…気づいているけれど黙っているのか…?
アンナの周囲には話を聞く限り優しい人間が多いようだ。
アンナが無理をしていることも素の自分を隠している事も、常連の客や従業員、ミラともなれば流石に気づいてそうだが、言わない選択をしていても不思議ではない。
「だって…ここに独りで来た時は、この世界がこんなに怖いなんて思わなかったし…それに、酒場なんてやるんならそれこそ少し雑で気の強い女じゃないと務まらないと思ったの。歳も歳だし」
「それも…そうだな」
アンナの外見は歳相応と言うよりかは精神的な年齢もあってか大人びて見えはする。
だが、若い女性が一人で酒場や宿屋を切り盛りしてるとなれば問題は山ほど飛び込んでくるだろう。
それを未然に防ぐためにも彼女が選んだ選択を責めるつもりも止めさせるつもりもない。
もっとも、それだけの状況下で自分の中で作ったキャラを演じながらあれだけ働いているというのは、彼女の真面目さと頑張り屋の一面が見られるようだ。
「すまないな、こんな話をして」
「いいの。別に隠しておくほどの事でもないから」
アンナはそう言うが、まだまだ話していないことの中、そう、例えば先程言った「この世界が怖い」と言う発言につながる体験の事や離縁している家族のことなど、それこそ「隠しておくほどの事」もあるのだろうとは察するが今は追及しない。
「ありがとな」
「え…う、うん」
俺がお礼を言うことがそんなに意外だったのかアンナは少し驚いていた。リリアリアも同じ反応をしていたな。
♢♢♢♢♢
アンナとの話がひと段落したところで少し疲れを感じた俺はベットに入る事にした。
すると、隣から、
「って、なんであたしまでここで寝なきゃいけないのっ」
「いや、お前が素直にうんと言っただろう」
「言った、言ったけど」
話が終わった後、流石に濡れた格好のままで寝るのも嫌だったのでその場で着替えた。その間、少し心ここにあらずだったアンナに「寝るぞ」と伝えたところ素直な回答と共に俺の隣に来たためそのまま眠りに就こうとしていた矢先の発言だ。
少し眠気が増してきた俺は目を瞑ったまま、まだ隣にある体温に向って、
「まぁいいだろう…お前は眠くないかもしれないが俺は眠いんだ…それに約束は約束だ」
「うぅ……あたしは了承してないけど…」
「うんって言っただろうさっき。大人しくそこで横になってろ」
眠りに就けそうな感覚になってきた俺は若干投げやり気味にそういう。
アンナも諦めたのか、再び大人しく隣に寝転がる。
「襲わない…?」
「襲わない襲わない。自分の教え子と同じくらいの子に手なんか出さない」
まだ話しかけてくるのか、と少し思いながらもしっかりと答えてやる。
もちろん、今は眠くて変な事を起こす気にもならない。
「教え子……?」
その部分が引っかかったのかアンナは俺の言った単語を繰り返した後、フフっと笑い、
「まぁ確かにあたしに話してる時のあんた、先生みたいだったかもね」
アンナは、そんなに冷たい口調の先生もなかなかいないと思うけど。とその後に続けて言っている。
俺は段々と意識が薄れながらも、アンナの発言にしっかり応答する。
「あぁ、先生、だからな…」
「え?」
「教師、なんだよ…俺、は……」
そう言ったのを最後に俺の意識は現実から離れる。
「そっか…それならあたしと違って、この世界で仕事を探すの大変だね」
アンナが最後に呟いた言葉は、俺の耳には届いていなかった。
♢♢♦︎♢♢
――わけではない。
…教師の職を探すのが大変だと…?
いや、正確には教師だった俺が職を探すのが、だが。
確かに、自分の居た世界とこの世界では歴史も生活も全てが異なるため、教師と言う職に就くのは普通よりかは難しいかもしれない。
しかし、なんとしてでも教師の仕事は続けなければいけない。例えそれが異なる世界であっても、だ。
…元々、今後は教師の求人がどこかにないか探すつもりだったからな。明日から行動しよう
そんなことを考えていたせいか、俺はいつもより気付くのが遅れてしまった。その場所に。
「お気づきかしら」
「あぁ」
目の前でにこやかな表情をするその着物姿の女性はいつもより近い。
と言うのも、いつもは卓袱台を挟んで対面に座っているのだが、なぜか今回は卓袱台は無く、座布団の上で向かい合わせで座っていた。
「これはあれか、毎晩寝たらこの場所に来るような仕掛けになっているのか」
「違うわよっ!」
俺の率直な疑問に着物姿の女神――ピンク髪のリリアリアはそう怒鳴る。
…俺の記憶ではここにはそう来られない筈だったんだが…
「もういいわよその設定!もう何度だって毎晩だって呼び出してやるんだから!」
女神リリアリア様は大変ご立腹のようだった。
…思い当たる節は……無いな
「あるでしょばかぁ!」
…何のことだ?
「それよりいい加減に口で話せ!声出せ!」
そう言いながら涙目で訴えかけているリリアリア。その姿を見て、ふと気づいたことを口にする。
「今回の着物も綺麗だな。良く似合ってるぞ」
「えっ、でしょ?トモギが言うように毎回変える事にしてみたの。この着物も可愛いでしょ」
嬉しそうにしながら立ち上がり、両手を広げてくるりと一周回って着物を見せてくるリリアリア。
そう言えば前回リリアリアから着物が他にあることを聞いてそんなことも言ったな、と思い出す。
鼻歌を歌いながら上機嫌になったリリアリアは、「お茶を淹れてくるわね」と言ってその場から去ろうとした。
だが、俺が「今日は珍しくお茶も卓袱台もなかったな」と言ってしまったがために立ち止まり、打って変わって鬼のような形相でゆっくりとこちらに詰め寄ってくる。
「そうよ…そうよ…ねぇ、トモギ。なんであなたはそうなのかしら……」
ゆっくりと近づいてくるリリアリアの姿はさすがに怖い。
「ミラって子とのデートも間接キスもまだいいわ。デートは私もしたことがないわけでもないし間接キスだってトモギが帰った後の湯呑み…ごほん」
そこまで言ってリリアリアが急に咳払いをして誤魔化しだす。
だが俺としてもリリアリアがそんな行動をしていることを咎めるつもりはない。俺もしたことがないわけではないから。
それよりも、デートをしたことがないわけではない、と言う発言の方に引っ掛かりを覚える。
デートをしたこともこの場所以外でリリアリアと会ったこともないうえに、そもそも自分が覚えていないことなどあまり無い筈で。となると1回目に来た時に何かあったのだろうか。
そんなことを考えていると、一瞬口が滑って動きを止めていたリリアリアが再びこちらに向かって歩き始めた。
「一番許せないのはね、許せないのは――アンナって子と一緒に寝た事よ!手を出さなかったのは当然よ!偉くもなんともないわ!でも、一緒に寝るのは私でもした事無いのにぃー!」
後半部分は怖さがない、まるで子供のような怒り方だったが、俺はアンナの名前を言われてそんなことを気にする余裕もなく立ち上がりリリアリアに詰め寄る。
「えっ、えっ、そんな急に…お布団はあっちなの…」
手首を掴んだ俺の行動に何を勘違いしたのかリリアリアが頬を染めながら別の部屋を指さす。
この空間に別の部屋があったのか、そもそもお前は心が読めるはずだから俺が今考えていることもわかるだろう、と言う疑問は一瞬で振り払いリリアリアに本題を尋ねる。
「リリアリア。教師になるにはどこに行ったらいい?」
「そうね、教師に…え?教師?」
突然何を言われたのかとリリアリアが呆けた顔をするが構わず俺は一番大切なことをもう一度尋ねる。
「そうだ、教師だ。先生、ティーチャー」
「え、教師なんてそもそもあの世界にはないわよ?」
リリアリアは当然だと言わんばかりに、俺に残酷な真実を告げる。
「教師が…ない、だと…?」
「え、えぇ。学校もなければ先生っていう職業もないわ。あの世界には」
「学校も…ない……だと…?」
俺はこの世界に来て初めての絶望感を味わい、両手両足から力が抜ける。
「え、ちょっと」
リリアリアもまさか俺がそんな状態になるなんて考えていなかったのか、戸惑った様子でいる。
だが、俺はそんなことを気にしている余裕はもっとなかった。
震える手で、震える声で、リリアリアの方と言うわけでもなく、何処でもない誰かに向って、
「こ、この世界には学校がない…?馬鹿を言え!学校がないなんて、学校がないなんて…」
叫ぶ。
「俺の存在価値がなくなるだろ!」
俺はこの瞬間、この世界に自らの手で、どんなことをしてでも学校を作ってみせる。
そう、固く決意した。
読んでくださりありがとうございます
やっと、やっと本題の一部に触れました…
次回更新は日付変わって深夜です!