同世代
俺は今、人のベッドで眠るアンナを椅子に座って眺めている。
つい数時間前にも同じような光景を見たような気がする。
ベットで気持ちよさそうに眠るアンナの顔は昨晩や今朝見せたものよりも明らかに緩んでいる。
時折耳がピクピク動き、尻尾がパタパタと揺れていることからも、とても幸せな夢を見ているのだろう。
それ程までに幸せそうに眠る彼女の事を、一体誰が起こせると言うのだろうか。その眠りを妨げることは例え神でも許されないだろう。と言うより神でも俺が許さない。
…アンナも、前の世界の記憶があるんだったな
昨晩のやり取りを思い出しながらふと考える。
自分とは異なりこの世界に転生してきたアンナは、きちんと両親から産まれ、今目の前にいる姿にまで成長している。
その過程で何があったのかは深くは聞かなかったものの、両親と離縁状態にある事やここで名乗っている"アンナ"と言う名前がこの世界の名前ではない事、そして相当苦労をしてこの店を立ち上げた事だけは昨晩の話やアンナの様子を見てもわかった。
目の前で眠る犬耳の紫髪の少女は実年齢こそ分からないものの、どう見ても17や18歳そこそこの少女にしか見えない。
それこそ、前の世界で自分が教師をしていた時に教えていた生徒と同じくらいの年だ。
もちろん、転生前のことを聞いたわけでもないから精神的な部分の年齢はわからないが、それでもこの年の少女が酒場兼宿屋のこの店を1人で経営しているのは相当な重労働のはずだ。
「すみません」
そんな事を考えていると部屋の扉がノックされるのと同時に外から声がかけられる。
「どうした」
アンナを起こさないように部屋の外に出て小声で尋ね人に用件を聞く。
声の主は昨晩も見た顔で、この下の酒場でアンナと共に働いていた女性2人のうちの1人である。
「その…アンナさんをお見かけしませんでしたか?』
アンナや今の見た目の自分よりは年上だろうその女性が少し困った表情をしながら俺に尋ねてくる。
「…どうかしたのか?」
アンナが自分の部屋にいる事はすぐには伝えず、アンナに何か用件があるのかを先に問う。
すると女性は困ったと言うよりかは心底心配した声と表情で、
「酒場の営業開始時間まで余り時間もないのにアンナさんの姿が見えなくて…それに、普段なら完璧にされている仕込みや店内の掃除が今日は手付かずだったので……」
今までこんな事なかったのに…と言いながらその声は震え、少し泣きそうになっている。
「アンナさんにもしかして何かあったんじゃないかって、私はとりあえずこの周辺でアンナさんをお見かけした人がいないか探してて、もう1人の子が街の中を今探しに行っています」
女性がアンナを探している理由も、アンナを心底心配している様子も嘘偽りではないと感じた俺は、先程は言わなかったアンナの居所を伝える。
「アンナは今俺の部屋で寝ているぞ」
すると、女性は安心して力が抜けたのかその場に座り込むと安堵の表情を浮かべる。
「良かった…!アンナさんいつも無理をしているからもしかしたら何処かで倒れてたりしないか心配になって…」
従業員にここまで心配される程の働き方をアンナは普段しているのだろう。
アンナの多忙さは今更疑う余地がないが、この女性や今この場にいないもう1人の従業員が、開店間際にここを尋ねて来た事にも少し引っかかる。
「さっき今まで1度も手付かずだった事が無かったと言っていたが、いつもアンナが1人でやっているのか?」
「はい…私たち2人もアンナさんがかなり無理をされているのは知っていましたから何度も手伝おうとはしたんです。けど、産まれたばかりの子供がいる私達に『パパママ両方が家を開けたらダメだよ!特にママは沢山子供と触れ合ってあげなきゃいけないんだから』って。自分ができる範囲でやってる事だから、酒場を手伝ってくれるだけでも嬉しいんだって」
女性はアンナから言われた時のことを思い出してか、今この状況に安堵してからか、目からポロポロ涙を流しながらそう言う。
「アンナらしい、な」
「はい……」
朝は誰よりも早く働き始め、夜は誰よりも遅く仕事をして、それでいて俺やミラにもお客さんにも疲れた表情ひとつ見せずに頑張る。
いくら精神的に成熟しているとは言っても外見的にも体力的にも年相応でしかない彼女の事を心配するなと言う方が無理なのであろう。
「今日は店は休みにしよう。アンナには俺から言っておく。…店を休みにしたら流石に問題があるか?」
「いえ、私達としてもそれが1番いいと思います。アンナさんには少しでも体を休めて欲しいですから…それに常連のお客様達もきっとわかってくださると思います」
「そうか…」
女性は涙を拭きながらそう言うと立ち上がり、
「それじゃ私、街を探しているもう1人の従業員にその事伝えてお店の外に張り紙を出しておきます」
と言ってその場を去って行った。
「さて、それじゃ俺は眠り姫様を起こさないように部屋で起きるのを待つか」
起こさないように慎重に扉を開けて部屋に入り、先程同様椅子に座ってアンナを眺める。
…久し振りに教師らしいことをするか
久し振り、と言っても2、3日しか経っていないのだが、この世界に来てからの出来事が濃すぎてそう感じてしまう。
「んー…にゃぁ…」
「にゃぁって…お前は犬だろ…」
寝言を言いながら眠るアンナが起きるまで、俺は静かにアンナの耳と尻尾の動きを目で追っていた。
♢♢♢♢♢
「なんでっ!なんで起こしてくれなかったのさ!」
陽が落ちて周囲の家屋にもまばらに光が灯り出した頃、ようやく起きたアンナが状況を悟って俺にそう怒鳴る。
「気持ちよさそうに寝てたからな」
「……っ!」
アンナも、自分の経営する宿の部屋だが他人に貸している部屋でもあるので、そこで勝手に寝てしまった事と俺が気遣って起こさなかったことをわかっているからか、それ以上俺に何も言ってはこない。
「店…店は!?」
「今日は臨時休業だ」
「そんな…アタシの店を楽しみにしてくれる常連さんだっているんだ!勝手に、急に休みになんてっ」
「仕方ないだろう」
アンナは自分に対する怒りや困惑や心配や…様々な複雑な心境の中で、どうしていいか分からずに混乱しているようだった。
「今日は休みと決まったんだ。従業員2人も家に帰してあるし店の扉に張り紙も貼ってある。とりあえずお前は今日はゆっくり休め」
「そんなこと言ったって…」
「でも」「だって」と何度も繰り返し、どうしようもない事を考えている様子のアンナに、これは少し刺激が必要かもしれないと思い、徐に立ち上がるとアンナの座るベッドの側に行く。
アンナは自分の思考に深くのめり込んでいるようで、俺が側に来た事にも気づいていない。
そっとアンナへと手を伸ばし、そのまま後ろーーにある尻尾を優しく撫でながら耳元に息を吹きかける。
「ふひぁあ!!??」
随分と可愛らしい声を出しながらベッドから文字通り飛び降りたアンナは、一瞬何が起きたのかと驚いた様子だったが、すぐに状況を理解すると顔を真っ赤にしながら俺の事を睨みつけ、
「ば、ばかっ!変態!えっち!」
「語彙力が乏しいにも程があるな」
「うるさいっ!ミラがいるってのに何してくんのさアンタ!」
「安心しろ、ミラにはしっかり振られたからな」
「そうやって誤魔化そうって…え?」
ここに来てはじめてまともな反応を見せたアンナに、まずは世間話でもして落ち着かせてからにするか、と思い今日の出来事を話す事にした。
「まぁとりあえず座れ…襲ったりしないから」
「……」
ベッドから先ほど居た椅子へ座り直し、両手を上げて俺はアンナにそう伝える。
体の大事な部分を守るように手で隠しながら警戒した様子でこちらを睨みつつ、ゆっくりベッドに座るアンナ。
…こいつ、もしかして素の性格はもっと…おや?
そんな事を考えている最中、警戒してピンと逆立つアンナの尻尾が気になり見ていると、アンナから枕を投げられた。
♢♢♦︎♢♢
「はぁ?アンタね、わかってないんだろ絶対。あーあ、ミラも可愛そうに。癪だからアタシは教えたげないけどね。起こしてもくんなかった奴だしそんなことする義理もないよな当然」
結果的に言えばアンナを別ベクトルで怒らせる結果になった。
とは言え、先程までよりかはだいぶん落ち着いていて普段のアンナが怒っている、と言った様子だった。…普段をそんなに知っているわけではないが。
「まぁミラが楽しんでたんならいーんじゃないの」
「それもそうだな」
アンナは片目を瞑ってこちらを見て、ムッとした表情を和らげる。
「…ありがと。おかげで落ち着いた」
「そうか。なによりだ」
ミラとのデートの話をする中で、アンナが少しずつ強張っていた表情を崩して行っているのがわかっていたのだが、本人も自覚していたようで一応は安堵する。
「で、何でアンタはそんな勝手な真似してんのさ」
それがミラとのデートの話ではなく、俺が店を休みにして従業員2人を帰した事を指しているのはすぐにわかった。
「お前が無理をしていたからだ」
「昨日今日会ったばかりの奴にアタシが無理してんのなんてわかんの?現にアタシはこの店を始めて2年経つけど今までもしっかりやってきたんだ」
「そうか。今までが大丈夫だったからと言ってこれからも大丈夫とは限らないんだ」
…そう言う奴を腐る程見てきたからな。実際に救えなかった奴もいる…
自然と両手が拳の形を作り、そこに力が入っていくのがわかる。
「そうだけどよ…今日だって、別にアタシは倒れたわけでもないんだし…」
そこで何を思い出したのか、あんなの頬が少しだけ赤くなる。
「と、とにかく、ここはアタシの店でアタシが大丈夫って言ってんだから誰にも文句は言わせない」
「確かにここはお前の店だしここの経営に関してとやかく言う権利は俺にはない」
「そ、そうだろう?」
「あぁ」
アンナは話が自分に有利な方向に進んでいると感じているのか、嬉しそうな感情が滲み出ている。特に尻尾のあたりから。
「だか、ここは俺が金を払って借りている部屋だ」
「…あ、あぁ…それはもちろん…」
「そして、その部屋でお前は寝ていて、帰ってきた俺にも気づかずに気持ちよさそうに寝ていて」
「うっ……」
段々と自信がなさげな表情をするアンナ。もちろん、尻尾も耳も見事に力なく垂れている。
「俺の許可なく俺が部屋でゆっくりする権利を侵害した。これは何か、償って貰う必要があるな…」
「え、えぇえ!?」
思わない方向に話が進み、混乱した様子のアンナ。
もちろん、そんな権利も償いをする義務もない。たが、アンナは責任感が強過ぎるようで、こう言ってしまえば断れないのではないかと考えたのだ。
…責任感が強過ぎるタイプってのは、両極端なんだよな
かつての教え子達の事を思い返しながら、目の前にいる責任感の強い少女へと要求を口にする。
「と言う事でアンナ、今日一晩俺と寝ろ」
「なっ、何をばかな事言ってんのさアンタ!そ、そ、そんな事アタシがっ!」
「ほぅ?聞けない、と言うわけか?」
「ぐっ…で、でも、ミラが…」
この期に及んでまだミラのことを気にしている様子のアンナ。
先程もミラからは振られたと話したばかりなのだが。
しかし、今回の目的はその意味ではなく、文字通り一緒に寝るだけなのでその事をアンナに伝える。
「安心しろ。手を出そうとかそう言う話じゃない。そのままの意味だ」
「あ、あたし、でも、その…お風呂とか入ってからじゃないとやっぱりいやだよ…」
「おい、聞いてるか?」
「この世界じゃ初めてだし…いや、前の世界でも経験なんてなかったけど…え、じゃぁなに、あたしの2回分の初めては今日、こいつと…」
「聞け、と言ってるだろう」
「ふひぁああぁん!???」
再び深く、それはもうふかーく自分の世界に入り込んだアンナを戻すべく近寄って尻尾をひと撫で、耳をひと噛み。
だが、先ほどのように飛んでベッドから出るのではなく、ベッドに力なく倒れる。
そしてそのまま仰向けになり、真っ赤な顔と潤んだ瞳でこちらを見ながら無抵抗の意を示して、
「や、やさしく、できるだけ優しくお願いします…」
「……アンナ、お前は何歳だ」
「…へ?えっと、前の世界では15歳で死んで、今この世界じゃ16歳だけど…」
それを聞いた俺は、誤解を解く前に一階の厨房に走って行き、今日買ったばかりの服のまま頭から冷たい水を浴びる。
……足せばセーフ。だが、どっちの世界でもアウトだ。いや…アウトだ。
流石にあの表情と姿勢のアンナを見て冷静でいられる程に、俺の精神は強くはなかった。
…未成年に、それも教え子達と同世代の年齢の少女に手を出すわけには…
精神的な年齢は同世代ながらも、身体的な年齢は教え子と同世代のアンナ。
自分に残る理性を、今日は信じて進む。
読んでくださりありがとうございます。
そして投稿が遅くなり申し訳ありません。
体調を崩してしまい、執筆ができませんでした…その代わりと言ってはなんですが、次回更新は本日の昼頃に致します。