デートと貨幣と弟さん
俺は今、目の前で他人のベッドに眠るアンナを見下ろしていた。
なんとなく気まずい雰囲気になってしまったものの無事ミラに街の案内をしてもらえる事になったのだが、「一度家へ戻って支度して来てもいいでしょうか…?」と言われたので快諾したのがつい数分前。
俺としても大金を持ち歩きたくはなかったため、一旦宿に戻って置いてくることにしたのだが……
「随分と幸せそうに眠っているな」
自分が借りた部屋に入ってみれば、そこには俺のベッドで幸せそうな表情をして眠るアンナの姿があった。
…まぁ、アンナの店なんだからどこで寝ようが俺は構わないが。
それにしても無防備な寝顔は、粗雑な性格のアンナらしからぬ可愛らしさである。
思うところはあったものの幸せそうに眠る彼女に何かする気にもなれず、とりあえず大金の入った袋だけ置いて行こうとしてーー
…待てよ、もしかして何か収納できるスキルを持っていたりはーーこれが使えそうだな
ふと思い至って自分の持っているスキル一覧を脳裏に浮かべ、その中で適当に使えそうなものを見つける。
その名も、『ボックス』
まさかアイテムボックスでもマジックボックスでもなくただの『ボックス」と表記されているとは思わなかったが、使えるのであればなんでも構わなかった。
魔法を使った時同様、そのスキルの使い方を『悠久図書館』で調べて実践してみる。
「おぉ、簡単だな。この中に入れるんだな」
頭の中で『ボックス』のスキルを思い浮かべると、何もない普通の空間が少し歪む。
その中に持っていた硬貨を皮袋ごと入れると空間の歪みは治り、かわりに脳内に直接リストアップされた『ボックス』内のアイテム一覧表示される。
「なるほど…これは便利だ…取り出す時は取り出すも物とその数を思い浮かべるんだったな」
『ボックス』のスキルが『悠久図書館』で読んだ通りに使えることを確認し、『ボックス』を閉じる。
…こうなると、ここへ戻って来た意味もないか。
そう思いながらアンナの寝ている姿を改めて見て、そうでもなかったなと少し頬を緩ませた。
♢♢♢♢♢
指定されていた待ち合わせ場所ーー街の中心部である王城の目の前にある大きな噴水の前で暫く待っていると、遠くの方にミラがやってくる姿が見える。
その装いはギルドの制服姿とは異なり、ふんわりした薄水色のワンピースに薄手のカーディガン、少しだけ高めのヒール、というものだった。
「お待たせしてしまいすみません」
「いや、俺も一度宿に戻っていたから大丈夫だ」
少し息を切らしたミラは、先程までと変わらない薄いメイクで好感が持てる。
私服姿のミラはやはり周囲の注目を集めるようで、チラチラと男達がこちらを見ているのがわかる。
「まずは何がしたいですか?ご飯、お買い物、街の散策。どんなご要望にでもお応えできますよっ!」
変わらぬ眩しい笑顔でうさ耳をぴょこっと動かして俺にそう尋ねるミラ。
「そうだな…服を、買いたい」
「ですよね。その格好目立ちますもんね…」
シンプルすぎるが故に悪目立ちしている己の格好を見てため息を吐きそうになる。
…この世界を管理している神とやらは相当捻くれていそうだ。
「お洋服のお店はこちら側に集中しているんです」
そう言って俺の手を引き街の西側の方へと向かうミラ。
相変わらず、無意識なのだろうか。
少し天然気味なミラの行動を、特に咎めるわけでもなく、むしろ心地よい気持ちで見守りながら素直に手を引かれる。
「あら〜ミラちゃん、彼氏さんとデート?」
「い、いえ、昨日街に来たばかりのトモギさんに街を案内しているんです。そのついでに色々買い揃えたいそうで」
街の西側の商店街に入ってすぐ、紳士服店のおばちゃんから声を掛けられたミラが慌てて説明する。
「ほほぅ〜?よろしくね兄ちゃん」
おばちゃんはミラと俺が繋ぐ手を1度見てニヤリと笑いながら俺の方へ挨拶をしてくる。
ミラがいまだに俺と手を繋いでいる事に気付いていないため、俺も何も言わずにそのままの状態を維持する事に努めていた。
恐らくそのせいで何か勘違いをされたのだろう。
「そう言う事ならうちの店見てきな。兄ちゃんもそんな格好でデートできないだろ?」
「そうだな。せっかくだから見させてもらおう」
「だ、だから、デートじゃないんですぅ!」
顔を赤くしながらそう抗議するミラは、いつその手に気づくのだろうか。
♢♢♦︎♢♢
一通り欲しかったものを手に入れた俺達は街の東側、昨日ギルド会館へ向かう途中に通った屋台街へと赴いていた。
「どうして、どうして言ってくれなかったんですかぁー」
「そう言われてもな。別に嫌じゃないのに言う必要はないからな」
「からかわないでくださいよぉ」
真っ赤な顔を手で覆い隠しながら弱々しく抗議するミラ。
何軒かの店を回り、ある程度衣服を揃えた俺たちは最後に訪れた店でついに仲睦まじく繋ぐ手の事を指摘された。
衣服の購入の際、『全知』のスキルで自分に合うサイズが分かった俺は試着の必要もなく、金銭の受け渡しや荷物などを『ボックス』を使用していた事で手を離すタイミングもなく、最後までミラも気づかなかった。
俺が『ボックス』のスキルを使う所を物珍しそうな表情で毎回見ていたが、その手の事には本当に気付いていなかったらしい。
そんなわけで隣を歩くミラは、洋服屋の立ち並ぶ街の西側から、正反対の東側に来る最中もずっとこうして顔を赤くして抗議していた。
…まぁ最後の最後に気づいてくれたおかげでこれも買えたんだがな…
恥ずかしがって店主とやりとりをするミラに隠れてこっそり買っておいたプレゼントをそっと『ボックス』から取り出して上着のポケットに入れる。
「ところでミラ」
「なんですかー」
少しだけふてくされた様子のミラがいじけた声音で応える。
「何着か服も買ってお金のやり取りもしたが、イマイチ硬貨それぞれの価値がわからないんだ」
「やっぱり…薄々思ってました、そうなんじゃないかって」
聞けば俺の買い物の仕方は中々雑だったらしく、普通は貴族が買うような靴を平気な顔して買ったかと思えば、手頃な価格の衣服に1番安価な服も何着か買っていて、どれだけお金を使うのか全く見当がつかず、落ち着かなかったらしい。
更に渡す金額が高すぎたり少し足りなかったり、お金の使い方を知らないようにしか思えない行動だったようだ。
「…早めに言って欲しかったんだが」
「それはお互い様です」
苦虫を噛み潰したような顔になった俺がそう呟くと、少し機嫌を治したのかミラが舌を出して戯けてみせる。
「それじゃ、屋台で買い物をしながら硬貨の価値を覚えていきましょう」
「そうだな。ちょうど腹も空いてきたところだしな」
屋台で適当に買い食いをしながらその都度硬貨の価値をミラに教えてもらい、腹が膨れる頃にはある程度の価値も理解していた。
詰まる所、日本円で言えばだいたい銅貨は100円、銀貨は千円、金貨は1万円、そして白金貨は100万円の価値があると言った所だ。
ただ、銅貨より下の硬貨も存在はするが商人同士で使う事が殆どで日常的には白金貨程でなくともあまり見ないそうだ。
「だからあの時金貨10枚の支払いに白金貨を出した俺を止めたのか」
「そうですよ?まさかあんな大金を出すとは思っていないでしょうから店主さんも驚いていましたよ?」
「すまない事をしたな、ミラにも」
「いいえ。こうしてご飯も奢ってくださったんですしいいですよ」
屋台を回りながら全ての支払いを出す俺に何度も自分も出すと言って聞かなかったミラだったが、今日付き合ってくれたお礼と迷惑をかけた事に対するお詫びだと何度も言いようやく食い下がってくれての笑顔だった。
「でも、全部出すのは今回だけ、ですよ」
「次もデートをしてくれるんだな」
「トモギさんにお呼ばれすれば行かないわけには行きませんもの」
屋台を回りながら沢山会話をしたお陰が、ミラの雰囲気も随分柔らぎ、口調もかなり砕けてきていた。
「トモギさんはこれから暫くどうするんですか?」
屋台で買ったラッシー風の飲み物を飲みながらベンチに腰掛けてすぐミラが俺にそう尋ねる、
「そうだな…とりあえず求人情報を探してみる」
「求人?私の所で良ければトモギさんならいつでも大歓迎ですよ?」
「ミラと一緒に働くのも楽しそうだな」
「はい!トモギさんなら立派な受付嬢になれますよ」
「それは遠慮したいな…」
後半部分は冗談で言っているのだろうが、男の俺が受付嬢を任されるとは思えない。ましてや、愛想がない俺では務まらないだろう。
「ちぇー、ざんねーん」と言って笑うミラ。
「まぁ、仕事が見つからなかったらお世話になるかもな」
「その時は是非来てくださいね」
約束ですよ?と言って指切りをしてくるミラ。この世界にもある文化なんだな…と思いながら、1日で随分と距離感が縮まったものだと感じる。
「ふふっ」
「どうした?」
指切りをした後に少し笑ったミラを不思議に思い尋ねる。
「その、ですね、怒らないで聞いて下さいよ?」
「あぁ。怒ったりしないさ」
「良かったーートモギさん、私の弟に似てるんです」
「弟?」
そう聞き返すと柔らかい笑顔を浮かべたまま、「はい」と言ってミラが話しを続ける。
「ここじゃない、私が育った村に今も居るんですけど、最後に会ったのはちょうど1年ほど前です。私の弟は、トモギさんよりもまだ幼いんですけど、少しぶっきらぼうな口調とか、クールな雰囲気とかが始めて会った時から弟と重なるんです」
それを聞いて俺は待てよ、と少し考える。
だがミラは考える間を与えてはくれず、そのまま笑顔で俺に話す。
「でも弟と違って、凄く優しくて、私の事も考えて動いて下さって…手を繋いでも嫌がりませんしね」
ふふふっとミラが笑う。
そして俺は段々とふと頭を過った事が当たっているような気がしてくる。
「お店を回ったり、手を繋いだり、2人で時間を過ごしたりーー弟は絶対にこんな事してくれないので、なんか優しい弟と居るみたいでずっと楽しかったんです。あっ、こんなこと言っちゃトモギさんに失礼でしたよね」
すみません、とミラは謝ってくるが俺はいつもどおり「気にしなくていい。弟さんのこと大切にしてるんだな」と気にしていないフリをしてなんとか絞り出すも、
「はい、家族ですから」
満面の笑みを浮かべたミラの姿に、先ほどから"弟"という単語が出てくるたびに刺さっていた何かがより一層深くに達する。
ミラは俺の事を大好きな弟と重ねていたのだ。そう、つまり、それが指し示すのはーーブラコン、か……
昨日始まった何かが今日ピークを迎え、そして一瞬で消えていく感覚を味わったのだった。
♢♦︎♢♦︎♢
いつも以上に寡黙になってしまったトモギに見送られ家に着いたミラは今日一日を振り返って頬を緩ませる。
…楽しかったなー。弟みたいだなんて言って失礼だったかな?
トモギにそれを伝えた時の事を思い返して改めて「やっぱりどこか似てるのよね」と呟くミラ。
「けどあの子はこんな事してくれないもんね」
羽織っていた上着をかけ、トモギが別れ際に渡してきたプレゼントを鞄から取り出してそう呟く。
返すわけにも行かず、受け取ってしまったその小さな箱。そこから出てきた銀色の星が小さく輝くネックレスを見て、思わず「可愛い…」と目を輝かせてしまう。
「こんな物プレゼントされたら普通の女性は勘違いしますよ、トモギさん」
呆れるような口調で、今日繋いでしまっていた手の上にネックレスを置き独り言を言うミラ。
しかし、口調に反してとても嬉しそうな、愛おしそうな表情になっている事に本人は気付いていない。
…また、行きたいなぁ…
照明の光を反射しながらキラキラ光る星を人差し指で突き、そっと息を漏らすのだった。
読んでくださりありがとうございます。
前回が少し遅れたため早めに投稿しました。
他にも新規連載作品が2つあるのでもしよろしければ読んでみてください。
次回更新は21日深夜を予定しています