2話 ~セシル~
セシルから告白を受けたその日、レイジは一日中悩んだ。食事もせずにただ呆然と港の防波堤の上に座っていた。
そのうち、レイジの瞳が赤く染まる時間帯になった。
水平線の向こうに夕日がゆっくりと沈んでいく。
やがて夜が来た。いつの間にかレイジの体は仰向けになっていた。
レイジの瞳は数多の星々で埋め尽くされる。
しんと静まりかえる街。もうほとんどの人が熟睡しているような時間帯。
ただ、波が打ち寄せる音だけが永遠と続く。
しかしそこに感動は全く無い。
今までだったら感動していただろう。
理由は明白だ。2つある。
朝のあの瞬間から頭の片隅に焼き付いた笑顔。
あの笑顔、嘘だ。自分の気持ちを隠している。21年間も一緒に生きてきたんだ。それくらい……
もう1つは……ある一つの可能性……
――セシルが死ぬかもしれない
レイジは身体的疲れと精神的疲れが相まって、凶悪な睡魔により深い眠りへと誘われた。
セシルと出会ったのは、俺がわずか1歳の時らしい。
暖かい春のことだったらしい。そんな時のこと覚えてるわけがないが。
奴隷として育てられていた俺を拾って、育ててくれたのはセシルだ。これは紛れも無い、決して揺るがない事実だ。
ある時、あれは12歳の時だったか……
「なんで母さんはずっと綺麗なままなの?」と、軽い気持ちで、思春期の好奇心で聞いてしまった。
「母さん」とそう呼んでいるのは、その頃はまだ実の母親だと思っていたからだ。
でも、その時は質問に答えてくれなかった。
やがて、レイジの意識はいっきに現実に引き戻された。
「……ぃ……ぉぃ……おい兄ちゃん、いつまで寝てんだ?」
乾燥したまぶたを無理矢理開く。
すると視界には漁師と思しき姿の中年の男が腰を曲げてレイジの顔を覗き込んでいた。
「もう12時だぞ?しかも涙流して……」
そう言われて涙を流した跡があるのに気づいた。だからまぶたが開きづらかったのかとそう思う。
が、そんな言葉よりも衝撃的な言葉が放たれていた。
「おっちゃん……なんつった?」
「涙な……」
「違う、その前……」
「12時だって言ったんだよ」
平然と爆弾発言を言い放った。
正確には、レイジ自身がやらかしたのだ。
中年の男の言葉を聞き終わらないうちにレイジは、とりあえずギルドに向かって全力で走った。
確か記憶が正しければ、セシルは明日の朝早くに出発すると言っていたはずだ。
その明日が今日だ。
そして……もう昼だ。
とっくのとうに時間は過ぎている。
だがレイジは諦めなかった。
全力で走った結果、10分でギルドに着いた。
レイジはギルドの入り口にある少し大きめの古びた両開きの扉を、勢いよく開いてすぐカウンターに向かった。
「お前、遂に重役出勤かよ」
カウンターの男がにへらと笑ってそんなことを口にする。
そんなことを口にするのはレイジがここ、ギルドの役員だからだ。
だが、
「そんなこと今はどうでもいい!!」
「いやどうでもよくねぇよ?勤労を捧げろ?」
まだにへらと笑っている。
それにイラッとしたレイジの顔は、物凄い表情へと変化した。文字通り、『鬼の形相』である。
レイジのその態度に何か勘づいたのか、カウンターの男はもちろん、周囲の人達の空気も変わった。とても鋭い。
「セシルは……?」
レイジは静かに、けれども威厳をもって質問をした。
カウンターの男は、そういうことかと納得したように答えた。
「……わかってんだろ……?」
そう。カウンターの男が言うように、分かりきってることなのだ。
「質問を……質問で返すな……」
溢れそうな気持ちをぐっとこらえて、どこかで聞いたようなセリフを口にする。レイジも別に意識して言ったわけではない。決して歪むことのない事実を受け止めたくないのだ。
「……諦めろ……あの人、飛空艇に乗ってったから……追いつけない……」
「……諦められるかよ!!!」
レイジの目には、たぷたぷと涙が溜まっている。今にも零れ落ちそうだ。
「……」
ギルド内に悲壮感が漂う。
なぜならその場に居た全員がセシルとレイジのことを知っていたから。
極地派遣のことは知らずとも、なんとなく分かるのだ。それが人間だ。
悲壮感と共に、憐れみの視線が向けられる。
「……」
……
思わず語り手も沈黙が続く。読者よ笑うな。時と場合を考えろ。
「方角は……?」
やっと出たレイジの言葉がこれ。
でも、それで周囲にレイジの意思を知らせるには十分だった。
その意思に快くカウンターの男は答える。
「北北東だ!行ってこい!!!」
すると、周りからもたくさんの声援が送られてきた。
「気張ってけよレイジ!!」
「早く行ってやんな!!」
その、人々の優しさにほぐされたのか、レイジの顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
中にはそれを笑う人もいる。しかし、よく聞いてみるとみんな泣いてた。
セシルは人望が厚かったから。それは自分も同じだったことにレイジはようやく気づいた。
「なに泣いてんだよ!!」
その声援に見送られながら走り出した瞬間……コケた……。
者諸君……笑うな……よ?……プスッ……クククッ……ダセェとか言うなよ?
……んっ、んんっ、そろそろ切り替えようか。
すると、うつ伏せになっているレイジに誰かが手を差し伸べる。
「良ければうちの飛空艇をタダで貸しますが?……人力じゃ無理がありますし」
手を差し伸べたのは飛空艇の運航を行っている会社の男社長だった。
「お言葉に甘えさせて貰います!!!」
レイジは、そう笑顔で答えた。
「よし!!連れ戻しに行ってくる!!」
魔力を動力源とした飛空艇は、レイジと乗組員を乗せてふわりと浮き上がる。
「でも本当にいいんですか?」
「何を今更言ってるんですか。全員、覚悟は決まってます」
というのも、計算してもらうと、セシルの乗る飛空艇には3日後に追いつくことが出来る。その3日後にはちょうど神境地の1歩手前まで近づいている。
とはいえ、いくら神境地の手前でも最上級ダンジョンクラスのモンスターくらいはそこらじゅうにいる。
「そうは言っても、さすがに神境地は危険過ぎる。全員帰れない確率の方が圧倒的に高い。というか100%帰れない」
「そうですね」
「だから……すまない!神境地の手前までで許してくれ!」
「ありがとうございます!!乗せてくれるだけでもありがたいのに」
――ぱぱっと終わらせて連れ戻せばいい。
そう思っていた。
3日後。
「見えたぞレイジ!」
そう言われてレイジは飛空艇のデッキに出て大声で叫ぶ。
「おおぉぉ〜ぃい!!!セシル〜!!!」
レイジの飛空艇はセシルの飛空艇にどんどんと近づいていった。
「おい!!セシル!!!」
もう一度レイジが叫ぶとセシルがデッキから身を乗り出した。
その顔は完全に泣き崩れている。
そして遂に、レイジの飛空艇とセシルの飛空艇が横に並んだ。
飛空艇と飛空艇が極限まで近づくと2人は見つめ合って、互いに……
「「大好きだ!!!」」
と言い合う。
「クソ、リアジュウメ…」
後ろで社長が何か言った気がしたが、気がしただけだろう。
そして、心も体も2人の距離が近づいていく……
読者の方、お察し下さい。『KISS』です。
セシルの柔らかそうな唇とレイジの若い唇とが触れ合……
「……ッ!?」
わなかった……
地面から紫色の光線が飛んできて、セシルの飛空艇を轟音と共に軽く貫いた。
レイジの背後で社長が恐怖する。
「や、や、やや、ヤシャ鬼神だ!!!」
落下していくセシルの飛空艇。
「セシルーッ!!!」
混乱、困惑、恐怖。様々な感情が入り乱れる中、レイジだけはセシルのことだけを考え、思っていた。
自分の気持ちに気づいてしまったから……
――俺はセシルのことが……
「好きだぁぁぁぁあぁぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
――だから絶対に諦めない。