13. 母来たる (2)
母帰宅編完結です。
連絡として、これから投稿ペースが週一くらいになります。それと、二週間ほど投稿をお休みします。詳しくは活動報告の方を見てください。
「中学の時こと、話せる?」
「っ!」
中学、それって……。
手が少しだけ汗ばむ。母さんは暗い表情のままだ。
「あの時のこと、でいいんだよね」
「ええ」
あの時のこと、母さんはそれを俺に求めた。俺が一番深く傷ついたこと。それが、俺を証明する一番のものだと考えたのだろう。
「やっぱりごめんなさい。今のなかったことに「俺は、中学三年の時、卒業間近の時に、クラスでいじめにあった」」
母さんの顔が暗かったのは、聞きづらかったからだろう。もし、本当に俺が奏なら一番聞かれたくないことを聞くことになるから。でも、俺は向き合うと決めた。そのためなら。
「なにかの噂かなんかが広まって、クラス中でのけものにされるようになった」
今思い返すと、やっぱり辛かったんだな。
「最初はそれでも普通に過ごしてた、でも日に日にエスカレートしてきて。限界がきて、俺は、不登校になった」
淡々と話を続ける。
「家で過ごしてる間に、中学を卒業してて、春休みも過ぎて高校生になった」
エリスも母さんも不安そうな顔で見ている。
「高校の入学式、クラスで自己紹介をさせられた時、みんなの前に立つと、途端に怖くなった。よく覚えてないけど、叫んだかしゃがみこんだかしたと思う。それで、また不登校になった」
そうして、日々が過ぎて、このゴールデンウィークまでただただ過ぎる日々を送っていた。こいつが、エリスが来るまでは。
「これで、大丈夫?」
「え、ええ」
ふぅ、と一息つく。途端にぐーとお腹が鳴ってしまった。
「ってもうこんな時間。急いで朝ごはん作りますね。お母様も食べますよね」
「え、私?ええ、食べるわ」
「わかりました。ちょっと待っててください」
そう言うとエリスはキッチンで朝食の準備を始めた。時計を見るとかれこれ二時間程度話してたみたいだ。
「奏向〜。ちょっと手伝ってください」
「わかったよ」
ここ数日、エリスとともにご飯を作らされていたからか自然とキッチンに向かって作業をする。
「今日は何作るの?」
「軽くトーストとスクランブルエッグ、あとソーセージでどうですか?」
「おお、美味しそう!」
二人で会話をしつつ調理を進める。終始母さんは俺たちのことを不思議そうに見ていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「「「ごちそうさまでした」」」
朝食を食べ終えた時には九時をとっくに回っていた。食器を片付けると、もう一度テーブルに座り直す。まだ、話が終わったわけではない。母さんは例え事実だとしても急に信じることは難しいだろう。
「どうでしょうか。まだ説明が不足だと言うならお話しさせてもらいますが?」
「いいえ。ここまでで大丈夫よ」
母さんはきっぱりと断った。説明としては十分みたいだ。だとすると。
「事実だけならもう理解してる。この子が、奏だってことも。話してくれたことも、あの事も、奏だって十分に証明できるものだったもの。でもね」
母さんの表情は悲しい、というより苦しいような表情をしていた。
「どうしても信じられないの。息子が突然女の子になったとか、あなたが天使だとか全部」
俺は、自分の身に起きてたから信じるしかなかった。でも、母さんは違う。信じたくても信じられない。どこかで疑ってしまう、嘘なのではないかと思ってしまう。それが普通で、当たり前のこと。
「だから、ね」
言葉とともに母さんの顔から緊張が消えた。どこか諦めたような、ホッとしたような。
「まだ全部は無理だから、これから次第ではあるけど。今は、少しだけど、信じるってことにしてあげる」
「ほ、本当ですか!?ありがとうございますお母様!」
エリスは母さんの手を握ると勢いよく上下に振り始めた。ちょっと痛そうかも。
「それに、奏の笑った顔、久しぶりに見たわ。あなたが奏を変えてくれたのなら、信じないわけにはいかないしね」
そういえば、いつぶりだろう、笑うの。こいつが、エリスが来てからはいつのまにか笑っていた気がする。でも、前は、笑えてなかった。
「私は、夫が、奏の父がちょうど奏が中学校に入学する前に亡くなってから家計を支えるために働きづめになっていて。そして、奏を一番支えなきゃいけない時に支えられなかった。辛そうにしてたこの子を、励まして、元気づけて、また笑顔を向けてくれるようにする。それが、私にはできなかった」
母さんが俺を見る。別に、俺は母さんを恨んでたり、憎んでるわけではないのだが。
「たとえ、奏がどう思おうと私には心残りなの。自分の子供もろくに助けられないのかって」
俺が不登校になってからは母さんはなるべく家にいるように仕事を調整していた。でも、母さんが何を喋っても気持ちが晴れることはなくて、俺は自分の部屋に篭っていた。
「そんなこの子を、また笑顔を見せてくれるようにしてくれた。だから、あなたなら、エリスさんなら大丈夫って思うの」
隣にいるエリスは、目から大粒の涙をこぼし始めていた。
「ひっく、あ、ありぐぁどうございむぁす!」
エリスが何を言ってるのかよく聞き取れない。まあ、とりあえずは丸く収まったってことなのかな。母さんもいつのまにか笑顔になっていた。
「お母様、ひっく、最後に確認させてもらってもいいですか?ひぐ」
まだ落ち着かない中、エリスは母さんに問いかけた。
「ええ、いいけど」
まだ何か話すことあったっけ?
「性別を変えたり、もうすでに色々しておりますが。どうか、息子さんを、私に貸してください!私に、奏が変わるための手助けをさせてください!」
場が静まり返る。外で野良猫の喧嘩の声が聞こえる。豆腐屋のラッパの音、石油の販売の車の音、移動販売のパン屋の音。それらが部屋に響き、そして消えていく。
「ぷ、ふふふ、か、貸して、ください?うふふふ、あははは!」
母さんは大爆笑だ。対する俺の顔を見たことないほど真っ赤になっているだろう。馬鹿馬鹿しい発言に対しての恥ずかしさ、そして、あまりにもあの言葉に似ていたための恥ずかしさ、その二つのせいで顔が熱くなっている。
「ええ、いいわよ。あはは。この子でよかったら、貰ってやってください」
「ちょ、母さん!」
「あれ?もしかして、今のって、まるで結婚の挨拶みたいな?」
「言うな!!」
その後、エリスは母さんに今までのことを詳細に話した。一緒に風呂に入ったこと、寝たこと、買い物に行ったこと、下着を買ったこと、試着をしまくったこと、ナンパされたこと、それらを全部。母さんは終始驚いたり笑ったりしてた。エリスは何故か熱く語っていた。
そして、俺はというとずっと顔が赤いままだった。特に、下着を買ったことと、ナンパされたことに関しては、元男として一番母さんに聞かれたくなかったことで。その時の母さんは……爆笑してた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あの後も、昼食夕食を挟みつつ一日中話していた。最後の方はエリスの趣味だったり、俺の昔話だったりあんまり関係ない話だったけど。
で、今はエリスが風呂に入ってるため母さんと二人きりなわけで。
「ねぇ、ほんとに奏なの?」
「それもう何十回も聞いたよ」
母さんは事あるごとに俺が奏なのかと聞いてくる。まあ、息子が女性下着選んだりしてるとか聞いたらそりゃ驚くけど。けど、母さんは表情は嬉しそうだ。
「ごめんなさいね。でもついつい聞いちゃうのよ」
「まあ、しょうがないけどさ」
改めて面と向かって母さんと話すと、少し気恥ずかしい気持ちになる。女の子の姿で、女の子の格好でいるとある意味では、女装姿を母に見られてるシチュエーションと同じだ。
「ふふ、でもあの奏がこんな姿になって。ねえ、奏はエリスさんのことどう思ってるの?」
「エリスのこと?」
エリスについて聞かれても、とにかく無茶苦茶なやつって印象しかないのだが。
「だってあんなに暗くて、この世の終わりみたいな顔してた奏がエリスさんと嬉しそうに料理してるんだもの。人と接するのが怖いって言ってたのに、急に親しくできないでしょう?だから、エリスさんは(・・)にとって特別なのかなって」
そこまでひどい顔してたのか。特別と言われても、エリスの場合は無理やり接する状況にされただけな気が。んー、でも他の人とは違ったか。
「特別かどうかは分からないけど、エリスは手を差し伸ばし続けてくれたんだよ」
今までのことを懐かしみながら、言葉を続ける。
「俺が何を言ってもさ、しつこいくらいに"助ける"、"そばにいる"って聞かなかったんだよ。ずっと手を差し伸ばしてくれた、それが多分、嬉しかったんだと思う」
「そうなのね」
母さんがそっと俺を抱きしめた。なんだかむず痒くて、でもすごく安心する。
「よかったね。いい人に巡り会えて」
「うん、うん。ありがとう、母さん」
あの時以来、初めて母さんにお礼が言えた。本当はもっと早く言いたかった。何度も何度も励ましてくれたことに、でもどうしても言えるほど余裕がなくて、今になってしまった。
バタン
「お風呂頂きました〜。っと、お邪魔でしたかね?」
バスタオル一枚を体に巻いたエリスがリビングに戻ってきた。俺は慌てて母さんから離れる。
「べ、別に邪魔じゃない」
「うふふ、そしたら私も頂こうかしら」
そう言って母さんが立ち上がる。
「どうせだったら、お二人で入ってきたらどうですか?」
「なっ!?」
な、何言い出すんだこいつは!
「今なら同性同士ですし、問題ないですよ」
たしかにそうだけども!そうじゃなくて!年頃の男子が母親と風呂に入るとか恥ずかしいのレベルを超えてる!
「そうね。奏、どうする?」
母さんは少し考えてから俺に尋ねる。何でそんなに落ち着いた顔してるの?恥じらいとかないの?
「ふふん、ほらほらせっかくの親子水入らずですし、ね!!」
次の瞬間服が消えた。いや、正確には剥ぎ取られた。気づけば下着姿に。
「えい!!」
ブラジャーまでもが取られた。その速さ、コンマ一秒。露わになった胸をとっさに腕で隠してしまう。
「ちょ!何してんの!」
「ふ、奏向を女の子の服に着替えさせたのは私なんですよ。脱がせるなんてお手の物です!」
ドヤ顔をかますエリス。めちゃくちゃ殴りてぇ。たしかに、さっき見た動画では着替えさせられた時間はそう長くはなかった。と考えるうちに体が冷え始める。
「この、へ、へ、へくち!」
「ほらほら、早くお風呂はいらないと風邪引いちゃいますよ〜」
俺を煽るように剥ぎ取ったブラをひらひらと見せる。こ、こうなったら母さんと入る順番を変えて……。
「(まるでもう一人娘ができたみたい。)それじゃあ、お言葉に甘えてこの子借りてくわね」
母さんが俺の肩を掴むと、そのまま風呂場へと押し始める。待って、まだ心の準備が!
「ごゆっくりどうぞ〜」
エリスの呑気な声とともに俺は風呂場へと連れて行かれた。その後の、風呂場でのことは、あんまり思い出したくない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「それじゃあ、行ってくるわね」
「ふぁ〜。うん。行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃい!お気をつけて!」
母さんが帰ってきてから一日たった朝、母さんは仕事へと向かう。何でも今回早く実家から帰ってこれたのは仕事の都合らしい。
「また少し、家を空けちゃうけど大丈夫?」
今までも母さんは仕事で家を開けることがあったが長くて一ヶ月、早くて一週間で帰ってきた。
「大丈夫。それに、今はエリスもいるし」
少しだけ胸を張るエリスを肘で小突く。
「エリスちゃん、奏をよろしくね」
「もちろんです!私生活のことから何から何まできちんとサポートします!」
昨日の夜、エリスと母さんだけで何かを話していた。それのせいか、二人の仲が良くなっている気がする。
「奏も、頑張ってね。無理はしちゃダメよ。自分のペースで、ね」
昨日の話で俺がまた高校に通うことも話した。最初は危惧していたけど、エリスがついてると聞いて納得してくれた。
「わかってる。頑張るから!」
俺の言葉を聞くと、母さんは玄関の扉を開けた。
「あ、そうそう。エリスちゃん、例のやつよろしくね!」
「任せてください!」
何のことかわからない二人の会話が終わると、母さんは手を振りつつ外へと出る。
「行ってらっしゃい!」
「行ってきます」
手を振り返すと、母さんは街へと消えていった。
「はあ〜よかったです、お母様に納得していただけて。一時はどうなるかと思いました」
「何でこういう時にお前は頼りにならないんだよ」
「頼りになってなかったですか!?」
「うん」
「ひ、ひどいです!」
エリスにじゃれつかれながら家の中へと戻る。ゴールデンウイークももう終わりを迎えようとしてる。学校か。不安もあるけどなんとなく大丈夫なような気もする。
「頼りにしてるから」
「今頼りないって言ったのに!?」
こうして、突然の母さんの来訪は幕を閉じたのだった。




