神に愛された男
ー帝都パゼル 郊外ー
ファナと別れた後、これから会うのだからすぐさま読まなくてもいいだろうと思っていた手紙を開く。
1年前から変わらない、思ったより普通の手紙であった。
今日の朝食が豪華だったという話、友達がいっぱいいる話、今の仕事が楽しいという話…。
以前までの俺ならば文を読んで、幸せならば良いと思っていたけれど、今日の様子とは全くと言っていいほどかけ離れていたために何故この手紙に書かれている文章は楽しそうなんだろうと考える。
ヨアムは俺への手紙は検閲からハネていると言っていたが、それならばその前、ファナが書いている最中で衛兵辺りに監視されていた可能性が挙げられる。
恐らくそうなんだろうと思うが、何故わざわざ、とも思う。
考えれば考えるほど、そこまで秘匿する内容というのは怪しいし、態度についても見るからに不審な様子であった。
情報部ナメるなよ、と思いつつもヨアムの元へ向かって現状を共有することが最優先である。
とは言っても今回は上司であるヨアムの権力ではなく、文官的なヨアムの頭脳として働く優秀なユゴーの作戦立てとその圧倒的な人望で人を顎で使うことの出来るアビーに用があるのだ。
まあ、ヨアムのあの天才的な発想力はアテにしてはいるけどね。
つまり、俺としては流石に部下の独断で動くつもりはないのでとりあえずはヨアムへの報告を先に考えようということである。
先ほどじゃあなと言って後にした情報部ではあったのだが、情報を持ってきたのだから出戻りするのは仕方ないと思う。
うーん、しかし…情報部からあまり離れていないーーーーとは言ってもそれなりに遠くはあるがーーーー工廠での揉め事となると帝国内で調査をしている耳役の責任は重いのではないだろうか。
ま、それも一応は責任者アビーなんだけどな。
人には向き不向きがあるから仕方ない部分はあると思うし、むしろ心配性のユゴーのせいで望まない情報部なんてやってるアビーに同情したいくらいである。
まあ、俺にとっては妹が殺されそうという重たい事実であるが、帝国としては大してダメージのないことなのかもしれない。
下手をすれば、実は帝国に利益のあることで誰かが犠牲になるということをヨアム自身が目をつぶっている可能性すらある。
流石にファナは俺の妹であるということはヨアムは知っているので、誰が犠牲になっているか知らないだろうとは思う。
所詮は俺は情報部の歯車のひとつなので高尚なことは分からないが、人間1匹殺したとしても国に有益であるものとはなんだろうか。
過去の知識を振り絞るが、そういったものが生まれるのは必ず争いの前である。
戦争の噂は聞かないが、もしかしたら停戦済の北のオルコール連邦とまたやり合おうとしてる輩がいるのかもしれない。
かの国は帝国より陸軍力はないが、他国にない氷魔法を使う者が多いと聞いている。
実際に戦争では氷とやり合うために火や炎の術士が相当数と、更には上級の焔の術士までもが起用されたと聞き及んでいるが、向こうの方が練度が上のため、魔法戦の戦果は芳しくなかったらしい。
それらのことを踏まえて魔法術士を軍のお抱えにするべく、軍営院の中でも上の層の者たちが奔走しているという噂までもが立っているが、計画段階の草案として情報部にある『魔法術部の設立について』という資料が実行されていないということはそもそも噂がただの噂であるか、成果が全く出ていないということであろう。
“皇子”であり、裏の顔の“諜報部”でもあるヨアムですら与り知らぬほど上となると…考えたくはないが皇帝肝煎りの計画であるということになる。
皇帝が絡むようなものであれば、俺は迷惑をかけないように情報部を抜けて、独断行動としてファナを助けに行くことを心に決めた。
たとえ犯罪者になったとしても知る限り唯一の血縁者であり、たった一人の妹である。
助けてやらずに何が兄か、と思うのだった。
ーバルガルド帝国 パゼル基地 情報部長室ー
「ふむ、だいたいの話の要領は掴めたよ。まあ生きていてくれてよかったなあ。君を失っては僕にとって最大の損失だからね」
そう言ってヨアムは不敵に笑い、俺と向かい合う。
だが、一緒になって隣で聞いていたユゴーが、
「しかし、私のところにもそんな秘匿された物が進んでいるという情報は入ってきておりません。グリム殿の妄言や狂言の類なのでは」
そういうユゴーをヨアムは睨めつけ、
「ユゴー、自分の妹のミスを庇うのは結構な兄弟愛だけれど、これは許されないミスだよ。むしろ気付いたグリムを褒めてあげるべきだ。」
言われたユゴーは見るからに苦い顔をして、いつもの調子を取り戻す。
「…わかりました。グリム殿、その紡織科の工廠で何か変わったことはありませんでしたか。些細なことでも構いません」
変わったこと…不自然なところはいっぱいあったけれど、特に気になったことと言えばやはり仮にも工業を営む場であるのに音がほとんどしていなかったことであろうか。
「そうだな、全くと言っていいほど音がしていなかった。紡織科ってあんなに音を出さずに作業ができるもんなのか?」
そう聞くとヨアムが、
「いや、無理だろうね。僕の姉さんも布を織る機械を持っていたけれど、大きくはなくても音はしていたよ。それも工廠のようなところで大規模にやるとなれば大きな音になるだろう」
やはりそうか。
はるか昔の記憶のように感じるが俺の母親は手編みなど手芸による部分が大きかったために俺の中の知識で測りきれなかったのだ。
そう思っていた瞬間、1番大きな違和感があったことを思い出す。
「そうだ!ヨアム、お前の服って外注だよな?」
「え?ああ、そうだけど…。それが何かな?」
やっぱり。ユゴーは軍指定のものを来ているが、アビーなんかに至っては私服である。
「何で紡織科なんてものが出来たんだ?今までは外注で賄っていたし、軍の方で糸や布が必要な技術が開発されたのか?」
と、それを聞くなりヨアムがユゴーに目でそれを調べてこいと示した。
ユゴーはそれを見て、速やかに退出する。
「僕のところには、ここの所軍人が増えて軍服や雑多なものの外注生産が滞ったり、経費がかさんだりするので自家生産を取り入れたとの報告が入っていたよ。きっとそれは虚偽の申告だったのだろう」
やはりかと思うと同時に、報告した瞬間に確信めいた指示を出すのはヨアムらしいとも思った。
俺の推測の域を出ないものを吟味して結論付ける才能は間違いなくピカイチである。
「それと、ここからは僕の推論になるんだけれど…聞きたいかな?」
何故焦らすのだろうか、と思いつつも目で肯定する。
「…糸や布が人を殺せるわけがないし、そこに工廠としての予算を遣うこと自体がナンセンスだ。となれば、きっと紡織科の存在はカムフラージュのために使われているんだろう」
俺は唾を飲み込む。
「君の妹の存在、意味の無い布作り、無駄に大きな紡織科の建物…。知ってた?君の妹ーーーーファナちゃんって精霊に愛されてるんだよ。どうやら隠しているみたいだけれどね」
なんてこったと思いつつも、確かに思い当たる節がいくつかあった。
幼少期から独り言が多くて、父や母が死んでからもどこか気丈に見え、俺より精神が強いのかと思ったほどであった。
最初から1人ではなかったのでは、と思えば頷ける話であるが、何故俺でも知らなかったことをヨアムが知っているのだろうか。
「ふふ、なぜ知っているんだって顔をしてるね。教えてあげよう。それは、僕も精霊…いや神に愛されているからさ」
「な、何だって…?それは、ユゴーやその他の者は知っているのか」
ヨアムはニッコリ笑って、歩き出しながら笑い声混じりに話す。
「知ってるわけないじゃないか。これは君にだけ打ち明けた話だよ。おいで、アテナ」
そう言ってヨアムは跪いて虚空に手を伸ばし、そのまま空気に口付けをする。
凡人である俺にとって訳の分からない光景が目の前で広がっていた。
「な、何故…それを俺に。メリットなんて何もーーーー」
「ーーーーあるよ。あるから、言うんだよ。君は、妹なんかよりよっぽど世界に愛されている男だからね」
俺はヨアムのその言葉を上手く飲み込めず、ただ呆然と目の前にいる男を見つめるだけであった。