1年振りの再会
ー帝都パゼル 工業地帯周辺ー
情報部でのヨアムとの密談を終え、バルガルド帝国情報部を後にすると、パゼル市郊外にある軍部専属の工廠へと向かう。
パゼル市の工業地帯の近くにはスラムがあり、かなり治安の悪い場所になっている。
工業を一手に担っているこの場所は、むせ返るような鉄の臭いと行き交う人の多さで酔ってしまうような混沌感で包まれている。
その中でも一等大きく、専用の寮ーーーーという名の囚人を収容する少し上等な監獄のようなものであるが、それを常設する一際威圧感を与える建物がバルガルド帝国軍工廠である。
「どうも。俺は軍営院 情報部のグリムという者だ。ここに証明書もある。」
「ふん、確認した。今日は何をしに来た。お得意の現場調査かな?先週やったばかりだが」
情報部にはこの工廠であったり、軍にゆかりのある施設を定期的に調査する義務が課せられている。
その過程で職員や警備の兵に軽めの質問をしたり、時には周辺に住んでいるホームレスの者まで調査することがあるのだ。
まあ警備の者にあまりよく思われていないのは当然であるし、俺も当事者であったとして勤務態度とか不満調査をされるのは皇帝への反心を疑われているようで気持ちの良いものではないだろう。
まあ疑ってるから調査するんだけど。
「いや。今日はプライベート。ここで働いているファナという妹と面会したい。」
「ああ。それならきっと紡織科にいるだろう。こんな男と鉄の臭いの場所にそんな可憐な名前はいないからな」
紡織科?昨年ファナが所属していたのはそこじゃなかった気がするが、部署変更か何かがあったのかもしれない。
確かにファナは編み物とかが得意だったような覚えもあるし、案外向いている部署だと思う。
「衛兵、その紡織科というのはどこにある?」
「この道をまっすぐ行ったら真新しい建物群があるから、その周辺の衛兵に聞けばどこに誰がいるかというのは分かると思うが」
ほお、真新しい建物というと、最近新設された部署なのかもしれない。
仮にも情報部に籍を置いている俺が聞いたことがない話というのも若干気に掛かるが、そもそも俺はこの国を出て旅商人をしていた訳で、国内の事情について弱いのは仕方のないことなのかもしれないと自分を慰めた。
「ありがとう。じゃあ俺はもう行くよ」
「ちょっと待て、俺が面会の手続きをしてやってもいいぞ。ちょうどもう少しで昼休みの時間なんでな。」
確かにそれもありかと一瞬思い悩んだが、ファナの貴重な昼休みを使い潰すのも良くないと思うし、そもそも彼の仕事を増やすのも悪い。
「いいんだよ。この道をまっすぐだったな、ありがとうな」
衛兵をそう言って一瞥し、歩き出す。
しかし、紡織科というと織物が主要の産業なのかな?自分の記憶を探ってみるが、そういったものが必要な装備は全て外注で賄っていた気がする。
情報部では軍服の重要性は薄く、身分証が一番有効な証明の道具である。
そもそも情報部では軍服の着用を強制しておらず、私服でも別に怒られはしないという適当さであった。
俺の先輩上司に当たる堅物のユゴーからは白い目で見られるが、ヨアムが禁止している訳ではないため表立って叱ったりすることはない。
とにかく、今まで外注で賄っていたものを自家生産するということは何か使う用途が増え、そこの部分を補うために紡織科を立ち上げた?
それに、外注先を増やしてやることではないとすると軍部の方で秘匿しなければならない技術が生まれ、それに布類が必要になった…?
いや、やめよう。深読みするのは俺の悪癖だ。
そういう類が得意なのはヨアムであって俺はただの部下であり、手足だ。
一応この件は上には上げておくが今の任務は西の国クオリウラ王国の調査であってこれではない。
今週中にはバルガルド帝国を出ようと思うが、その前に軽くユゴーあたりに報告するだけでもいいだろう。
ふーっと息を吐き、考えを纏めて記憶する。
「お、あれが紡織科の建物かな」
その建物はかなり大きなものになっていて、緑の三角屋根で外側は明るい茶色で塗装がされていた。
工場地帯は錆び付いた鉄の茶色っぽい色で満たされており、極彩色とまでは行かずともここまで鮮やかな塗装がなされていれば否が応でも目に付くというものである。
近くに衛兵がいたので、
「こんにちは、俺は情報部のグリム。君は紡織科の衛兵かな?」
と声を掛ける。
「そうだが…何用かな?」
「妹に会いに来たんだ。ファナっていう女の子なんだけど知っていたら取り次いで欲しい」
そう言って軍属であることを示す身分証を出す。
「確認した。中で確認を取ってくるから少しだけ待っていてくれ」
ああ、分かったと背中に語りかける。
しかしこの辺りはなんて静かな場所なんだろう、紡織ってそんなに静かに出来る作業なんだろうか?
バルガルド帝国はかなり発展しているし、全て手作業で作っているとも思えない。
内装を見てみたいとも思うが、衛兵に用を申し付けて中に入り込むのは完全に犯罪者の所業だろう。
捕まることはないと思うが、俺の評価が下がる。
俺の評価が下がるということはヨアムの評価も下がるということである。
今までの任務で失敗したことを思い返すと、自分がカバーしきれない部分は全てヨアムが尻拭いしてくれたということを思い出し、借りは作りたくないなと思う限りだった。
「おい、確認が取れた。ファナという名の少女を今連れてくるが、俺は同席させてもらう。良いな?」
ああ、もちろんだと返しつつも、違和感が生まれる。
『ファナという名の少女』…?何故そんなに迂遠な言い方をするのだろう。
確かに衛兵など役所的なたらい回し応対をする連中ということを考えれば、不自然ではないが、不思議だ。
その後連れられて来たファナを見て、
ーーーー痩せている。
と感じたが、そうなる理由も思い当たらない。
捕虜の食事が減らされているとしたら情報部がそれを掴んでいなければおかしいし、帝国軍内の耳役はユゴーの妹、まだ15歳ということを鑑みても有能であるアビーを筆頭とした優秀な連中が怠慢を働いているとも考えにくい。
探ってみるか。
「久しぶりだなファナ。元気にしてたか?」
「…うん、そこそこかな」
うーむ、やはり元気はない。
衛兵がこちらを睨んでいるので当たり障りのない言葉を選び、状況を聞き出す。
「そうか。部署替わりしたというのをさっき聞いたけれど、今の仕事は楽しいか?」
「楽しくないよ。だって…ううん、何でもない」
衛兵が目で牽制したということで、幾つか分かったことがある。
・楽しくないことが起きているのは本当である
・情報部にも秘匿されるものがここで行われている
・ここで虐待まがいのことが行われている
という事だ。
目立つような外傷はないが、気丈なファナがここまで疲れ切って衛兵の言うことを素直に聞くというのは1年前までなら考えられないようなことだった。
正直、もう既に怒り狂ってこの衛兵を刺し殺したい気分にはなっていたがなんとか理性を保っている。
しかし、踏み入ったことは聞けないようであるし何を聞いたものか。
「…どうした?悲しいことでもあったのか」
俺は衛兵の様子に気付かない振りをして、ファナに聞く。
「うん、お母さんみたいになりそうで」
母親は夫の死を受けて、毒で自殺を図っている。
なるほど、そこまで追い詰められていると。
ただ、夫のような存在がいる、もしくはいたのかもしれない。
「そうか、じゃあ友達はいるのか」
「うん、いたよ」
そう言って目線を衛兵へ移す。
過去形ということは…いや、もう言わなくても良いだろう。
この時点で俺はどうやってファナを救い出すかを考えていた。
力技で奪ってもいいが、衛兵と逃げながらやり合うとなれば、いち商人である俺では力不足だと思う。
考えを逡巡しまとめてみると、3つ可能性が思い浮かんだ。
ユゴーの妹であるアビーは剣の腕が立つし、情報部としては珍しく精霊魔法が使えるから、彼女に頼んで外側から武力でゴリ押し、ここら一帯を制圧する方法。
それと、ヨアムの権力で情報部数人をここに送り込んで内側から内部を暴く方法。
最後に、いくら力に差があろうと妹のために死んでも逃がすという方法だ。
さて、ファナにどれが良いか聞いてみるか。
「そろそろ面会を終わろうと思うんだけど、次に会いに来るのはいつがいいと思う?」
ファナは希望とも絶望とも呼べない微妙な顔をし、
「…来週かな」
と言った。
分かったよ、必ず迎えに来るからな。
グリムはそう心に違うのだった。
グリムが西の国へ行く前にどうやら一悶着起こるようです。