皇子ヨアムとの密談
俺の生まれ育った国、バルガルド帝国は千年前の始皇帝と呼ばれる人によって建国された。
武勇に優れた達人で、身長ほどもある槍を黒馬に乗ってなぎ倒し、時には炎を纏った斧で相手の頭をかち割って進み、一騎当千の如く敵部族を殺して勝ち取った土地と民を以て、「バルガルド」と名付けたとされている。
…まあ、かなりの脚色も入っているだろうし英雄譚としてはよく出来ているんだろうが、俺はどうも現実味を帯びない話というのは苦手で、子どもの頃童話で聞いた程には英雄というものに憧れてはいない。
今現在、表向きは自分で各国を歩き特産物を卸売業者から安く仕入れ、周辺国やここ首都バゼルに隣していない町村へと赴いて売ったりしている。
時には金で売り、時には物々交換で羊を貰い受け、バゼルへと持ち帰りレストランなどに売り、珍しいものがあれば貴族へ転売したりして日銭を稼ぐような仕事だ。
そう、表向きは、ね。
ーバルガルド帝国 パゼル市場ー
「おぅい、オヤジ。久しぶりだな。くたばってなくて安心したよ」
「おぉ、グリムじゃないか。全く、減らず口は相変わらずだな。しかしお前、こっちに戻ってくるのは久々だな」
ここはバルガルド帝国の首都、パゼル。
帝国が大陸の真ん中に位置するため、パゼルは物流の中心地として栄えていて、俺はよくこの都市で物を仕入れている。
「ああ、まだ向こうで商売してても良かったんだが故郷が恋しくなっちまったのよ。この街は変わんねぇな」
「バカ、お前の故郷はここだが、帰る場所は違うだろう?両親にはちゃんと挨拶してきたのか」
「もちろん。どっちも死んでから4年も経つが、墓は錆び付いてなかったよ。麦酒と水を供えてこっちまで来たんだ」
父親は、領土冷戦が続き、北のオルコール連邦との間に勃発した「ムドール=モノロー戦争」に出兵し、命を落とした。
遺体は見つからなかったので、共同墓地に埋めてもよかったが、母親が「おかえりと言いたい」と懇願したのでどこの誰ともわからない骨を家の庭の裏に埋め、墓地とした。
その後、夫の死亡により心の病に掛かった母は俺たちを遺し、毒をあおって自死を選んだ。
当時俺は18歳で、妹は妹は8歳だった。
実家のあるバルガルド丘陵で農業を営みつつ、近くの街でレストランなんかを開くのも良いなとは思ったが、父親は国のためになる兵士になることを誇りに思うような節があったので、父親の遺志を継ぐ訳ではないが、軍に入るのも悪くはないかなとも思っていたのだ。
その時に、農作物をバゼル市に卸しに行った際、親友のヨアムと出会い、そのツテで今現在は軍に所属を置きつつ、活動の中で旅人商人をやっている。
「今日はファナちゃんとも会って行くんだろう。大きくなってるんだろうなあ」
「ああ、そうだ。オヤジまたな。バゼル基地に行ってくる。ただでさえ数ヶ月遅れたのに、今日行けないってなったら大変だ。ドーラの実ひとつ貰ってくわ、つけといて!」
「あっ、おい!…やれやれ、旅の疲れもあるだろうに、元気なやつだ」
ーバルガルド帝国 パゼル基地 情報部 応接室ー
「やあ、グリム。悪いね、待たせた」
「ふん、情報部諜報部長サマよか暇なんでね。いい昼寝になったよ」
こいつがバルガルド帝国軍情報部門で機密機関の諜報部長を務めているヨアム・ラグロアだ。
知った中であるし、今更かしこまった場でない限り敬語を使う気にはなれないが、コイツはこう見えて皇帝陛下の寵愛を受けている側室様の長男であり、第6皇子ということになっている。
…これを言ったら怒られるが、妾腹だ。
「そう拗ねないでよ。ファナちゃんからの手紙を持ってきてあげたよ。検閲からハネてるんだから感謝して欲しいんだけど?」
「あぁ、そいつはありがたいと思ってるよ」
俺の妹はこの軍に入る際、軍への人質として囚われた。
とは言っても、4年前即位した現皇帝のバサムール閣下の方針で軍需工場で、労役する代わりに衣食住を最低限保障されるという貧乏人には願ったり叶ったりの軍規定となったので仕官したのだ。
ただ、仕官する際は妹はまだ8歳と小さかったので給料から3分の1を軍内教会の孤児院へ寄付することで面倒を見てもらっていた。
妹は嫌がったが、実際商人としての活動は寂しいものであるし、妹も養うとなると相応のお金が掛かる。
どうにか宥め倒し、月1回の文通、及び年1回の面会を約束することで働きに出てくれているのだ。
俺は妹からの手紙を懐にしまい、本題へと入る。
「さて、どうやら西のクオリウラ王国で何やら動きがあるらしいという話を諜報部長サマの耳に入っているかな?」
「その変な呼び方はやめてくれよ。ふむ、僕のところには届いていないね」
おっと、他の耳役どもはあまりこの情報は重視しなかったのかな?それともシラを切っているだけか。
「どうだか。どうも、かなりの頻度で一揆やら領主殺しが各地で起こっているらしい。流石にこのままあちらの国王が放っておくというのは有り得ないと思うんだが」
「諜報部としての見解をまず述べようかな。それはない。国王は側室で遊び呆けているし、この半世紀ですっかり国の行政は腐り切ってしまっている、というのが内部のスパイからの情報なんだよ。というより、後出しで送ったスパイがもう行政の内部にいるというのは考えられないだろう。今すぐどうこう、という話ではないよ」
ふむ。クオリウラ王国の国王殿はどうも女好きである、という話はよく聞く類だ。
「なるほど。つまり、バルガルド帝国軍としては特にやることはない、ということかな?」
「あぁ、そうだよ。国の上層部は高貴な血統とやらで埋まっているし、スパイもこれ以上の昇進は望めない。まあ、情報部の力を持ってすればその高貴な血統の戸籍も作れなくはないんだけれど、そこまでするようなことには感じられない、とういうことさ」
んん、まあそこまでした所で行政は腐り切っている訳だし帝国に有利な法を作った所で行使されるとは思えないし王国側もそこまでバカではないだろう。
まあ、しかし…。
「お前なあ、血を恨んでいるのは分かっているが、そこまで強調して言うほど酷いものでは無いだろう。皇帝にだってなれる可能性があるし、それにその血のおかげで情報部諜報部長の椅子だって持っているわけだろ」
バルガルド帝国軍情報部というのはエリート集団だ。
現皇帝が情報を崇拝するかのように振舞っている、というのが大きい。軍部の中でも地位は高いし、予算も色を付けて支給されるのだ。
その中でも選りすぐりの諜報部門のトップに座っているわけだから、頭脳も血もある。正真正銘の俊英というのがこのヨアムである。
「ふん、まあ地位については感謝しているさ。血にまつわる争いごとや政に巻き込まれるのが嫌なんだよ。この前だって長兄殿の部下に殺されかけたし」
ほお?あの第1皇子オズェラ殿下に。この前は第2皇子エイバム殿下に狙われたと言っていたが…。
あの2人は出世欲が半端ではないからな。
…少しは自国の工業産業に血道を上げるドーハン殿を見習ってくれたらいいのに。
しかし、彼もエイバム殿下と双子というのだから、血は同じでも性格は正反対なのはおもしろい。
1度だけ顔を見かけたことがあるが、全く似てないし。
「ハハ、情報を司るお方に情報で挑もうとは滑稽もいいところだな」
「笑えないよ。これでうちの情報力を見て懲りてくれたら良いんだけど」
ヨアムのは情報部長という立場ではあるが、情報収集が得意な訳ではない。
情報を集め、その先の仮定や行く先を考え、推論するということに長けているのだ。
命令として、グリムを初めとした耳役を各地に派遣し、それぞれの情報を取りまとめて結論を出す。
耳役以外にも手持ちの部下を帝国内の要所に派遣し、帝国内の情報を一手に握っている、とんでもない奴なのだ。
敵に回すだけでも恐ろしい。
グリムは一応ヨアムの腹心であり、直属の部下である。
耳役の頭を務めているので、無理やり役職に名前を付けるとすれば、「軍営院 情報部門 諜報課 耳役係長」だ。
本当であれば情報部の要職に就いているべきだが、ヨアム本人の意向で、耳役係及び連絡係にはヨアムの直臣であったり、親族であったりが就いている。
「…話が逸れたね。以上が軍部としての意見。それでここからが僕の意向だけど」
おっ、出るぞ。ヨアムの本領はここからだ。
「クオリウラ王国の政治は腐り切っていて、民衆の不満は爆発しているよね。ということは、現状に満足していない政治に興味のある王国貴族もいるという訳だよ」
ふむ。まあ、ない話ではないだろう。いくらなんでも皆がみな政治がおざなりという訳がない。
中にはまともな領主もいるし、それがいなくても権力に興味のないお貴族様はまずいらっしゃらないだろう。
「つまり、まともな貴族や、あわよくば王太子を祭り上げ、うちの軍の協力を得た革命軍を立ち上げて、クオリウラ王をギロチン台へとご案内する。その結果新政府が生まれ、新生クオリウラに恩を売れるという訳だよ、どうだい?グリム」
「…はあ。いやはや、お前には敵わんよ。しかし、それだけで俺たちの利益は少ないんじゃないのか。例え革命が成功したとしても、それで終わりだろう」
「いや、もちろん恩以外にも売るものがあるよ?条約さ。それもこっちが多く利益を享受出来るもの。僕が思うに、輸入や輸出の際の上澄みを増減をこっちの権利にするだけで相当な利益となると思うよ。ここだけの話、クオリウラだけじゃなくて、行政院の連中にも恩義を感じて欲しくてね?」
うわあ、悪い顔してるよ。
ヨアムは絶対に敵に回したくないし、味方となればこれ以上心強い者はいない。
グリムから見て、ヨアムという人間は賢く、物腰が柔らかで、かつ腰が軽く直ぐに動き直ぐに決断する能力を持っている人間であり、部下からして見ると、自分に全幅の信頼を置いてくれて、自分の仕入れた情報を余すところなく使い、新しい案を組み立てる理解の外にいる人物であった。
人を遣い、自分の糧にして、物事を進める。
「為政者の器」
多分ヨアムから感じるこの感覚はきっとそういう類だけれど、ヨアム本人は皇帝に成るつもりはあまりないだろうというのがグリムの見立てだ。
それはそれで俺はいいと思うし、俺はただこの人の隣にずっと居たいと思い続けるだけであった。