働くことの出来ない兄の人間批判
「私は自分自身のことを、人よりも物事に関して深く理由を求め過ぎる人物であると判断している。
誰かが何かをした・・・仮にそれが善行であろうが悪行であろうが、その意味を考えてしまう。親殺しを犯した犯人がニュースに流れたとき、私の家族は犯人に対しての恐怖、怒り、被害者に対しての同情、こういう事件が起きる今の世に対しての嘆きなど、そんなことをほぼ反射的に口にする。その横で私は当然ほとんど妄想の域であるが、事件の原因、犯人と被害者の関係性、そもそもニュースの情報は真実なのかという疑問などあれこれ考えている。
こんなものは戯れで、30分もしたら忘れるようなことであるが、だけれど私にはよくあることである。
人間が物事を行うにはその行動の目的がないわけがない。逆に、目的がなければ行動する意味がないのでしなくてもよい。これが私の論である。人は皆、何かしら活き生きていく核となるものがあり、それこそ生き方であるが、私のこの生き方は私にある意味での不都合をもたらすことの方が多い。
こういうことだ。私は今大学に通っている。そろそろ就職活動を始めていなければならない時期である。もちろん私の利口な友人らはとっくに動き始めているわけだ。ここで問題が起きた。私が大学に入学したわけは勉強をしたかったからである。就職をしたいわけではない。なので就職活動をしていない。単純ゆえに最強の論理である。日本人としてあるまじきことで非常に残念だが、私は就職しないことになった。
「働かないで生きていくことはできない」私の父は言ったが、私にとってそれは否である。生きていくことならば、アルバイトでも何でも十分である。そもそも、たんに生きることが目的ではないので、働く必要もない。
職に就き家庭を築き息子を大学にまで行かせた父は尊敬しているが、かといって頷けないことはある。本質が違う。父とは20年以上も同じ家に住んでいるので何となくわかるが、「男ならば自立し妻と子を守らなければならない」が核なのだろう。それに、父は趣味を職に出来ている幸運な人種である。
私と父とどちらが優れているかは問題にならない。
日本人としては父であることは間違いないが、問題ではない。
私は不思議で仕方ないのだ。何故みんな働くのだ?大学に行き就職活動をし、サラリーマンになって家庭を築き、定年まで働いて・・・それが良しとされているが、幸せでも生きてもないように見える。たとえ彼は彼でなくても問題ない。電車でスマホゲームをいじるこいつらの目に光はない。人間ではないロボット?あるいはゾンビ?
私の先輩で「任天堂に入社し素晴らしいゲームを作りたい。そのためにこの大学に入りスキルを学んでいる」と言っていたものがいる。だが彼は任天堂には入れず、数社たらい回された挙げ句にゲームとは関係ない職に就いた。よくある夢破れた青年の話だが、私にはこれが理解ができない。彼はなんのために大学に通ったのだ?いっそ死ねばよかったのに。死んでゾンビになったのかもしれないが・・・
もちろん、高校球児が皆プロ野球選手になれるわけではない。私が言いたいのはそういうことではないのだ。プロ野球選手になれなかったから、野球をやめ、サラリーマンになる、そういう人間が理解できないのだ。こう言うのか?「夢を追う時期は過ぎた。現実を見て俺は大人になる」
彼らは野球が好きなわけでも、プロ野球選手になりたかったわけでもない。なにか別の気持ち悪いナニカである。
野球が好きなら草野球を続ければ良い。プロになりたかったならば入団テストを毎回受ければ良い。たとえ結局なれなくても、それこそ生きていたということである。やめたとき、それは死ぬときだ。
好きなことをやって生きていけばいい。好きなことをやっているとき、私は生きているのだから。趣味とは、好きだから以外に理由のいらない素晴らしいものだ。むしろ、それ以外の要素があってはならない。恋愛もだが・・・健康のためのジムが趣味だって?君は働くのが好きだね。
中学時代の友人の話である。今でこそ友人と思えるが、当時はこいつのことが大嫌いであった。彼は噂話の類いが大好きで、常にまわりに聞き耳をたて、スキャンダルがあれば嬉々として学年中に広め回していた。それは真実である必要はなく、話の断片を聞いただけで残りを想像し、それを真実であるかのように話すのだ。なんというクズだ!だかしかし、彼は生き生きとしていた。ぜひともマスコミを続けていただきたい。
私は今何をしたいのか。人間心理に興味がある。とある小説を読み、自分もなにか書きたいと思った。外国の生活をしてみたい。日本の文化を見たい。優れた美術品を観察したい。ホームレスのは何を感じているのか・・・やりたいことはいくつもある。ホームレスに1度なれば長くなるだろうから、それまでに人間心理と、小説と、その他今やれることをやろうと思う。そのやることのなかに就職も、なんなら大学卒業も(卒研をやる理由がわからない)入っていないが、仕方がない。金がなければやれないこともあるので、割りのいいアルバイトで稼ぐかもしれないが・・・私にとってアルバイトを探すことも就活も大差がない。金を稼ぐ方法を探すのだ。目的はけっして、働くことではない。私は生きるのだ。」
失踪した兄の机の引き出しから見つかったエッセイ、または手紙だろうか?
失踪する前日の夕食、家族5人とも笑っていた。兄も笑っていたはずだが、俺にはその笑顔がひどく作り物に思えた。もしも、彼にはそれすらもなにかの手段であったというのであれば、俺は兄を殴ることが、彼のいうところの生きる目的になるだろう。
生きるということはそれほど単純なことではない。そんな単純なことに、兄は今頃気付いただろうか。