遭遇
祖母の部屋に入ると、彼女は押し入れの整理を終えたところの様だった。
「ああ、明。そっちも終わったのかい? 長いことかかってたね、ご苦労さん」
「……まあな。ばあちゃんの方も、終わったみたいで何よりだよ」
二人とも疲れた顔をしているが、どこか満足した様子の祖母と違い、明には気怠さしかない。
「これ以上は仕事も無いようだし、今日はもう帰るぜ」
「なんだい、夕飯食べていかないのかい?」
「ああ。帰って自分で作るよ」
明の返事に一瞬驚く祖母だったが、すぐに得心がいった顔をする。
「そういえば、自炊してるんだったね。殊勝なことだけど、いつまで続くもんかねえ」
「さあな」
祖母の憎まれ口に大した反応を見せず、明は背を向ける。そのまま一歩踏み出そうとしたところで、思いついたように口を開いた。
「なあ、ばあちゃん。爺さんの特徴を教えてくれないか?」
「あの人の特徴? なんでまた?」
「いいから、聞かせてくれ」
「んー、身長はかなり高かったよ。百八十センチ位じゃないかね。髪と目は黒かったよ。顔は外国人らしかったけどね」
「……そうか、ありがとう」
そして、今度こそ去ろうとすると、その背中に祖母が声を掛ける。
「明、またいつでも来るんだよ!」
その声に、少しだけ笑みを浮かべて振り向く。
「ああ、じゃあな」
そして、祖母に手を振られながら、明は部屋を後にした。
寺を出ると、明は独り立ち尽くし、考え事を始める。
――身長は俺より高く、髪と瞳は黒いが、顔立ちは外国人……。
それは、明が出会った男の特徴と一致するものだ。再び、本堂での出来事が明の頭に蘇る。
「……まさかな、偶然に決まってる」
自分に言い聞かせるように口にすると、一つ溜息を吐く。
「はあ、帰るか……」
家路へと足を向け、歩き始める。しかし、少し歩いた所で、ぴたりと立ち止まる。
――忘れてた。帰る前に、夕飯の材料買いに行かなきゃならねえんだ。
身を翻し、繁華街の方へと歩き出す。献立は何にしようか、空はまだ明るい、夕日が沈む前には家に帰れるだろう、そんな風に何気ないことで思考を埋めていく。奇妙な出来事の事など、忘れてしまえるように。
しばらく歩くと、街へと続く大きな交差点に差し掛かかる。横断歩道を渡り、一際大きな通りに足を踏み入れると、明は前方に注意を引かれた。
――なんだ、あの人だかりは?
見ると、通りの中ほどに群衆が集っている。日頃から人の往来が激しい通りではあるが、こんな風に人が溜まるというのはあまりない。明はそこを通り過ぎる際、人々の間から彼らの視線の先にあるものをちらりと覗き見る。すると見えたのは、カフェテラスでくつろぐ二人の男女だった。特段目立つ行為をしていないにもかかわらず、彼らが人々の視線を集めているのは偏にその容姿のためだろう。男の方は整った顔立ちに爽やかな微笑を浮かべ、中華風の服装に身を包んでいる。女の方は男よりも数段若く、というよりも幼く、年齢には不相応であろう妖艶な黒いドレスを着用している。しかし、それは決して不格好ではなく、二つ結びにした銀色の髪が夕陽に煌めくのと同様、今この場において、一際美しい存在と呼べた。
――なんだ、ただの外国人か。どうでもいいや。
彼らが群衆に注意を払っていないのと同じように、明も二人に関して大した興味もなさそうに、立ち止まることなく歩き去る。明の背後では、その後も続々と人が集まっている様だった。
最寄りのスーパーに向かい買い物を済ませると、明は両手に買い物袋をぶら下げて出てきた。
「……ちょっと、買いすぎちまったかな。まあ、いいか」
食材を買うことに慣れていないのだろう。数日分は買い込んでしまったことに若干の後悔を覚えつつ、帰途に就く。喧騒の中を通り過ぎ、人通りもまばらになってきた頃、突如としてそれは聞こえてきた。
「おやー?」
気の抜けるような声、見ると、その主であろう男が明の前に立っている。
――なんだ、このチャラそうなおっさんは?
見た目は、外国人ホストとでも表現するのが一番近いだろうか。顎周りに無精髭を生やし、雰囲気も遊び人そのものといった様子だ。そんな男に、明は抱いた警戒心を隠さず睨みつける。しかし、男はそれに構わず口を開く。
「ああ、やっぱりそうだ。うんうん、間違いない」
男は明をまじまじと見つめ、納得したような顔をする。
「なんだあんた、俺に何か用か?」
尋ねると、男は口元に笑みを浮かべて答える。
「いやあ、用って程のものじゃないんだけどね。いいペンダントを着けてるなと思ってさ」
男がペンダントに目を向けるのに合わせて、明も視線を下げる。
「それ、君の物なのかい?」
「……まあ、一応。もらいもんだけど」
警戒を解くことなく答える。
「ふうん。……あ、そうだ。記念に、君の名前を教えてもらってもいいかい?」
「は、なんで?」
「ははは、まあいいじゃない。ちなみに、僕の名前はファウスト・デッラフィオーレだよ」
聞いてもいないのに名乗る男。互いに視線を交わすと、明は少し躊躇ってから答えた。
「不動明だ」
途端、男は心底愉快そうな表情を浮かべる。
「そっか。……ふふ、くふふふふ」
くつくつと笑い始める男に薄気味悪さを感じ、明は語気を強めて口を開く。
「おいあんた、さっきから一体何なんだ。用がないならもう行くぞ」
すると、明の苛立ちを感じたのか、男が両手を挙げて道を譲る。
「ああ、呼び止めて悪かったね。もう、行っていいよ」
それを聞くと同時に、明は足早に男のそばを通り過ぎていく。その瞬間――、
「気を付けた方がいい。もうすぐ――」
振り向くと、男の姿はもうなかった。
「……何だったんだ、今の男」
不審に思いながらも、明は再び帰路に就く。
住宅街に入る頃には、日はもうほとんど沈んでいた。夕焼けを通り過ぎ、暗がりへと変わっていく道を、明はとぼとぼと歩いていく。荷物を持つ両手に、少しばかりの疲れを感じ始める中、明は違和感を覚える。
――なんか、いつもと違う感じがするな。誰も歩いてないせいか?
辺りを見回す。だが、閑散としている以外にはおかしな点を見つけられず、再び歩を進める。しかし、ほどなくして、明は違和感の正体に気づいた。
――電気の点いてる家がない……。なんだ、なんだ? 金曜だからって、どいつもこいつも外食にでも行ってんのか?
そんなことを考えながら、街灯が灯り始めた道を進んで行く。そして、ようやく自宅が見えたところで、明は急に立ち止まった。
「――ん?」
彼の家の前、そこに人影が一つある。
――なんだろう、客か?
声を掛けようと近づいていく。すると、人影の方も明に気づいたようで、明に顔を向けてくる。その人物を見た瞬間、明は言葉を失い、立ち止まってしまう。沈みゆく夕陽に反射した金色の髪、透き通った碧い瞳、陶器のような白い肌、そんな目立つ容姿をしているにもかかわらず、ただ静寂の中に佇む少女の、その姿に見入ってしまったのだ。
「――あ、えっと、ハロー、……じゃないか。グッドイブニング?」
我に返り、拙い英語で挨拶を試みる。
――んっと、「何か御用ですか?」って、なんて言うんだっけ?
必死に思い出そうとしていると、少女が口を開いた。
「それを……」
「え?」
少女は明の胸元を指さし、静かに見つめている。
「えっと、これ?」
明がペンダントを摘んで示すと、少女はこくりと頷き、
「渡してくれませんか?」
そう言った。