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夕凪ノ終ワリ  作者: 白雪 蛍
序章
5/7

もう一人の孫

 祖母の部屋から本堂に向かうためには、一度、庭に出る必要がある。途中、仏像の手入れをするための用具を調達してから、明は本堂へと足を運んだ。

 あまり修繕などはされていないのだろう。建物のあちこちに年季が入っている、というよりは単純に古臭いと表現した方が正確かもしれない。明は手入れ用具が入ったバケツを片手に持ち、入り口の前に立つ。

 

 ――まあ、どのみち来るつもりだったしな。

 

 明の頭には、先程の声が未だにこびり付いていた。それを不気味には感じていたが、彼は好奇心を優先するという選択をしたのだ。


「さあて、ここに何があるってのかな」


 軽い口調は、おそらく緊張を誤魔化すためのものだろう。その証拠に、彼の表情は硬く、余裕がない。一呼吸の後、扉に手を掛ける。その手に力を入れると、慎重に扉を開いていく。そして、ようやく開ききった扉の中に目を向けると、そこには、彼が知っている本堂と何一つ変わらない光景が広がっていた。


「なんだ、誰もいねえじゃねえか」


 拍子抜けした様子で呟く。内部をさっと見回してから、靴を脱ぎ、本堂の中に足を踏み入れる。再び辺りを見回すが、目立つものと言えば、内陣にある二メートル程の仏像一体のみ。それも、明にとっては見慣れたものだ。


「……特に変わったものも無し、か」


 がっかりしたような、安心したような、といった様子で呟くと、内陣に向かって歩き始める。中は薄暗く、敷かれている畳や板張りの床は相当に古ぼけており、歩くたびに軋みを上げている。仏像の前に立つと、バケツを床に置き、じっくりと像を見つめ出す。


「相変わらずゴツいなあ。女子供なら泣き出してもおかしくねえぞ」


 自身より三十センチは高い仏像に、感嘆の息を漏らす。岩を削って造られたそれは、凄まじい形相と威圧感溢れる体躯をしており、本堂の中に在って唯一、色褪せることのない威厳を(まと)っている。


「しかし、ろくに修繕なんてされたこともないのに、よく壊れずにいてくれてるもんだ」


 そう言って、仏像へと手を伸ばす。その何気なく伸ばした手が仏像に触れた瞬間、明は急に眩暈(めまい)に襲われる。


「な、なんだ……?」


 視界がぐらつき、意識が遠のいていく。立っていられなくなり、仏像に寄り掛かるが、それらはまるで治まる気配はない。


 ――ぐ……、く、そ。


 やがて、視界は暗転した。



 目を覚ますと、明は一面が白に染まった世界にいた。


「……なんだ、ここ?」


 体を起こし、周囲をぐるりと見回す。しかし、何もない。本当に、ただ真っ白なだけの空間が広がっている。外なのか、建物の中なのかすら見当がつかない光景に、明は呆然となる。


「……どうなってんだ。夢でも見てんのか」


 しかし、意識ははっきりとしている上に、体の感覚にも異常はない。


 ――もしかして、さっき聞こえてきた『声』と何か関係があるのか。


 警戒心を高める。しばらく、じっとしてみるが、空間には何の変化も起こらず、音一つ聞こえてはこない。


 ――とりあえず、進んでみるか。


 このままでは(らち)が明かないと判断したのか、警戒を緩めることなく歩き始める。床、もしくは地面と言うべきそれはとても冷たく、一歩進むごとに彼の足先を冷やしていく。しかし、明は幾何(いくばく)も気にした様子を見せない。四方に目をやりつつ、まっすぐに進んで行く。


 一体、どれほど歩いただろうか。相変わらず、彼の視界に変化はない。距離や時間の感覚があやふやになり、精神の疲弊を感じ始める。


「くそ! これじゃあ、本当に前に進んでんのかどうかも分かりゃしねえ」


 足が止まる。焦りと不安が心を支配しようとしたその時、明の髪が揺れた。


「――風?」


 前方から、やわらかい空気が流れてくる。景色に変化はない。ただ一つの音もない。だが、明の精神は、先程の状態から反転していた。


 ――進んだ先に、何かある!


 走り出す。がむしゃらに、一心不乱に、ただひた走る。すると、変化が起きた。


 ――人?


 黒い人影が、ポツンと立っているのが見えたのだ。まだ性別すら認識できない距離だが、人がいるという事実に明の心は踊り始める。足に一層力を込め、影の下へと全力で駆ける――。


「――やあ、来たね」


 人影の正体は男だった。息を切らす明を、穏やかな調子で迎えている。


「随分と遅いから心配したよ」


 年齢は四十台前後といったところか。背は、明よりも十センチほど高い。しかし、最も注目すべきは男の顔立ちだ。髪と瞳は黒いが、明らかに西洋人の顔つきをしている。


 ――外国人、だよな。日本語話してるけど……。


 息を整えた明は、男を(いぶか)しむようにじっと睨んでいる。


「……あんた、何者だ? その口ぶりだと俺を待ってたみたいだけど、俺の事を知ってるのか? それと、この場所は一体何なんだ。何時間歩いても全然変化が見えないけど、まさか、ずっとこの白い空間が続いてるのか?」


 努めて冷静に尋ねようとするが、内心の困惑が滲み出るように(まく)し立ててしまう。対して、男は何もかも分かっているといった顔で口を開く。


「そうだね、一つずつ答えていこうか。まず、この空間だけど……、うん、君の頭の中、もしくは心の中とでも思ってくれればいいよ」

「――俺の心の中?」


 辺りを見回す。……何もない。この殺風景の極致と言える空間が自身の心だと言われて、明はさらに困惑してしまう。


「……信じられねえな。こんなつまらない場所が、俺の心なんてこと」


 すると、男の方が破顔する。


「ああ、言い方が悪かったかな。正確には、君の心の中で展開されている僕の空間だ。言ってみれば、君の心に間借りしているようなものだね」

「……そんなことを許可した覚えはねえぞ」


 それ以前に、明は男の事など何も知らない。完全に初対面の人間がどうして自分の心の中にいるのか、そんな疑問に襲われるが、男はそれを見透かしたように口を開く。


「仏像に、触れただろう?」


 その言葉に、明はハッとする。


「じゃあ、あの眩暈は仏像に触れたから……。あ、なら俺の体はもしかして……!」

「うん、今頃、仏像の前で倒れているだろうね」

「やっぱり。でもどうして、仏像に触れたくらいでこんなことになるんだ?」


 新たな疑問を男にぶつける。男は少し思案する素振りを見せた後、その問いに答えた。


「それは、僕が魔法使いだからだよ」


 ――沈黙が訪れる。決して冗談を言った風ではないが、到底信じられる答えではない。明は、男に対して警戒を強める。


「ふざけてんのか? 俺は真面目に聞いてんだぜ? まさか、今までの話は全部眉唾(まゆつば)、なんてことはねえだろうな?」


 語気を強め、責め立てるように問う。しかし、男は穏やかな調子を崩さない。明の問いに答えることなく、話を進めようとする。


「……あと二つ、質問が残っていたね。一つ目、僕は君の事を知らない。けど、赤の他人というわけじゃない」

「どういう意味だ。俺はあんたのことなんて――」


 明の言葉を途中で制する。そして、ゆっくり、はっきりと口を開いた。


「二つ目、これが最後だね。……僕は、オスヴァルト・マリフィード。そう言えば、伝わるんじゃないかな?」


 男の名前を聞いた瞬間、明は愕然とする。なぜなら、その名前は……、


「……それは、爺さんの名前」


 そう、明の祖父の名だった。戸惑う明を余所(よそ)に、男は微笑みを浮かべる。


「そうか。息子か孫、どちらだろうと思っていたけど、孫だったんだね。あれから、もう随分と時間が経ったらしい……」

「――ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 混乱する明が大声を上げる。


「じゃあ、あれか? あんたが俺の爺さんだってのか? バカな、それにしちゃあ若すぎるし、何より、爺さんがこんな所にいる意味が――」


 男が明の言葉を途中で遮り、静かに、明の胸元を指さす。


「この時のために、用意していたんだ。君が産まれるよりも、ずっと前から」


 つられて、明も自分の胸元に目をやる。正確には、自身の胸元で輝くそれに。


「用意してたって、このペンダントのことか? 確かに、これは、ばあちゃんが爺さんから預かった物だって言ってたけど、でも一体何のために?」

「……それは、僕が説明せずとも、すぐに分かることになる」


 そう言うと、男は自分の右腕を差し出した。同時に、男の掌が輝き始め、そこに球状の淡い光が出現する。


「受け取るんだ。これからの君にとって、絶対に必要となるものだよ」


 相変わらず、穏やかな口調だった。しかし、淀みない眼差しが明を捉えて離さない。それは、一種の強制力を有しているかのように、明の拒否の意思を抑えつける。


「……あんた、本当に一体何者なんだ?」

「その質問には、もう答えたよ」


 視線を交わす。男のそれとは対照的に、明の視線は猜疑(さいぎ)(しん)に満ちている。


「あと二つ、聞きたい」


 その言葉に、男は困ったように微笑みながらも、頷いて見せる。


「俺をここに導いたのは、あんたなのか?」

「……少し、待ちくたびれてしまってね」


 それを肯定と受け取ると、明はもう一つの、恐らくは本命の問いを口にする。


「どうして、ばあちゃんに会いに行かないんだ?」


 静かだが力強い言葉と、偽証を許さない眼差し。それらを男も感じたのだろう、取り繕う様子を見せることなく答えた。


「……それは、僕に答えられる質問ではないね」

「どういう意味だ。あんた、自分の事をオスヴァルト・マリフィードだと言っただろ」


 語気を強めて詰問(きつもん)する。しかし、男は動じずに淡々と口を開く。


「ここにいる僕は、ただの思念体だよ。本当の僕が、仏像に宿しておいた、ね。だから、僕はその当時以降のことを何も知らない。あれから、どれだけの時が流れたのか、外はどんな風に変わったのか、そういったことを何一つ、この僕は知らないんだ」

「……本当のあんたは、なにをしている?」

「既に、死んでいるだろうね」


 一瞬、呆気に取られる。対して、男の方に変化はなく、明の言葉を待っている。


「死んでいるだと? なぜ、そう言い切れる?」

「この空間は、本体が生きている間は開かないようにできているんだ。そして、その間は何人もここを訪れることはできない」


 つまり、明がこの場にいるということが、同時に男の死を証明しているということになる。明もそれを理解し、沈黙する。そして、男が改めて口を開く。


「さあ、これで君の質問には全部答えたよ」


 差し出したままの掌と、その上で輝く光とを強調する。明がもう一度男の目を見据えると、男もそれに応える。幾何かの沈黙があった後、明は意を決する。視線を宙空に浮かぶ光へと移し、その手を伸ばす。明の手が届いたその時、光が輝きを増す。


「――ぐっ!」


 まぶしさに目が(くら)む。光が明の全身を包み込み、体の中へと消えていく。そして、ようやく視界が戻った時、世界が一変していた。


「――なっ!」


 白が黒へと変わっていく。世界の果てが向こうからやって来るかのように、四方が侵食されていく様を明の目は捉えた。


「驚く必要はない。僕が役目を終えたことで、この空間の崩壊が始まっただけだ」


 男が事も無げに言う。対して、明は慌てて口を開く。


「空間の崩壊って、マズいじゃねえか! この後はどうなるんだよ!」

「心配しなくていいよ。目覚めたら、君は元の場所にいる」


 それを聞き、明は少し落ち着きを取り戻す。


「そうなのか。……あんたは、どうなる?」


 恐らくは、答えが分かっているであろう問いを投げかける。侵食の終わりが近づく中、男は最初と変わらない口調で答えた。


「僕のやるべきことは終わった。後は、この空間と共に消えるだけだ」


 その言葉に、悲しみは含まれていない。満足げな表情を浮かべ、宙を眺めている。男の様子を見て、明もそれ以上は言葉を掛けようとはしない。


「――ああ、そうだ。そういえばまだ、君の名前を聞いていなかったね」


 不意に、男が明に視線を戻す。明はそれをまっすぐに受け止め、答えた。


「……不動、明だ」


 その名前を、胸に刻み込むかのように男は反芻(はんすう)する。


「不動明、か。うん、いい名前だ。……これで、思い残すことはないよ」


 空間が隔絶していく。全てが闇に染まった空間で、明の周りだけが光を得る。


「……時間だね」


 生者は在るべき場所へと還り、亡者は永遠の眠りにつく。交差した道が互いに遠ざかっていく中、明は、男の最期の言葉を聞いた。


「じゃあ、明。後は、任せたよ……」


 直後、明の意識は閉ざされた――。


「――はっ」


 目を覚ますと、明は仏像の前で倒れていた。ぼーっとする頭を押さえ、体を起こす。


「……夢?」


 よろよろと立ち上がり、仏像に目を向ける。頭が次第にはっきりしてくると、先程の出来事が一つ一つ、脳裏に蘇っていく。


 ――夢、だったんだよな?


 そう思い、仏像にそっと触れてみる。……何も起こらない。


「そうだよな。あんなこと、夢じゃなきゃ何だって言うんだ」


 振り返り、出入り口の方に目を向ける。すると、開かれた扉の向こう側が茜色に染まっているのが見える。


「げ、まさか!」


 明は思わず、外へと駆け出す。


「……やっぱりか、はあ」


 もう、日が暮れ始めていた。しばし、頭を抱えた後、明は空を見上げて呟いた。


「しょうがねえ、ばあちゃんの所に戻るか」


 使われることのなかった手入れ用具を手にした後、明は、重い足取りで祖母の部屋へと向かい始めた。


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