切欠
一時間ほどが経過したころ、掃除を終えた明は祖母の部屋を訪れた。
「おーい。ばあちゃん、終わったぞ……、て、何やってんだ?」
障子を開けて声を掛けると、祖母は押入れから様々な品物を引っ張り出していた。
「ああ、ご苦労さん。今ね、押し入れの整理をしてたんだよ。お前も手伝ってくれるかい?」
「えー、走り回って疲れてるんだけど、俺」
露骨に嫌そうな顔をする明に、祖母は叱咤の声を掛ける。
「何情けないこと言ってんだい! ほら、早くこっちに来て手伝いな」
「……へいへい」
内心、「このババア……」と思いながらも、強引な祖母の言葉に半ば諦めた様子を見せる。
「終わったら、茶菓子かなんか出してくれよな」
「分かってるよ。ちゃんと小遣いも上げるから、シャキシャキ働きな」
「はいよ。で、何すればいいんだ?」
「とりあえず、仕舞ってあるものを全部出してくれるかい?」
「りょーかい」
明が押し入れに体を突っ込み、収納品を次から次へと取り出していく。
「随分詰め込んでんな。普段からちゃんと整理してんのかよ」
「うーん、放り込んでばっかりだからねぇ。最後に整理したのは、正月だったような気が……」
「三か月以上も前かよ。ったく、年取ると部屋の掃除もろくにしなくなんのか?」
その言葉に、明の背中目掛けて手刀を飛ばす。
「いてっ!」
「失礼なこと言ってんじゃないよ! あたしゃ、まだまだ若いんだからね」
「……どこがだよ。もう六十過ぎてんじゃねえか」
背中をさすりながら小声で呟く。引き続き品物を取り出していき、ようやく、最奥に手が届くという所で、ふと、明の動きが止まる。
「ん? なんだ、これ?」
それは、ベルベット調のジュエリーケースだった。形状からして、納められているのはネックレスの類だろう。
「なあ、ばあちゃん。これ、何が入ってるんだ?」
小さいながらも高級感を醸し出しているそれを、祖母の方へと向ける。
「ん? ああ、それかい」
途端.祖母は懐かしそうな顔を見せる。
「開けてみな」
「いいのか?」
「ああ」
祖母の了解を得て、明はケースを開いた。
「――おお!」
中に納められていたのは、ペンダントのようだった。七色に輝く水晶と金の鎖が調和し、端々に至るまで神秘的な美しさを帯びている。
「なんか、すげえ高価そうなんだけど……。これ、ばあちゃんのなのか?」
「んー、まあ、一応」
「一応ってなんだよ。まさか、盗品なんてことは――」
再び手刀が飛ぶ。それも、今度は顔面に。驚愕の表情が苦悶の表情へと変わり、明は必死に顔を押さえる。
「んなわけないだろ! ……それはね、昔、ある人に託されたものなのさ」
「ある人? 誰のこと――」と言いかけたところで、明は一つの答えを思いつく。
「もしかして、爺さんの事か?」
「正解! よくわかったね」
「ことあるごとに話を聞かされてんだ。いやでも思いつく」
明が若干うんざりしたような顔をするが、祖母の方は喜色満面といった様子だ。
「そうなんだよ。そのペンダントはあの人が外国に帰る時に、別れの品としてあたしに預けていったものでね。いやあ、あの時の事は今思い出しても――」
「おい、年寄りの昔話なら聞く気はねえぞ」
二度あることは三度ある。というわけで、三度目の手刀もきっちり決められてしまう。顔面に。
「痛っつー!」
「年寄り扱いするんじゃないって言ってるだろう?」
痛みに顔をしかめる孫に、祖母はにっこりと笑顔を向ける。段々と怒りのボルテージが上がっていく明だが、それが頂点に達する前に、一つの疑問が頭に浮かんだ。
「……ちょっと待て。今、預けていったって言ったよな? てことは、いつか取りに来るつもりだったってことか?」
「いや、そういうわけでもないんだよ」
「はあ? じゃあ、どういうわけよ?」
祖母の言葉に、明は困惑した様子で問いかける。しかし、祖母の方も答えに窮している。
「……実は、あたしもよく分かってないんだよ。ただいつか、子か孫の代で必要になるから大切に持っておくようにって言われてね。それで、ずっと預かってるわけなんだけど……」
「なんだそれ? 爺さんは占い師かなんかだったのか?」
「うーん、そういう人じゃなかったと思うけど、でも、実際のところは分からないね。仕事の話は聞かせてくれなかったから……」
要領を得ない返答だが、明の方は深く気にする様子はない。。
「ふーん。ま、いいや。で、それが必要になったことは実際にあったのか?」
「いんや、一度も。あの人が真面目に言うもんだから、あたしも大切に保管してたんだけど、それを目当てに訪れる人もいなかったしね」
「へえ、よく分からねえな」
明はペンダントに目を移すと、思いついたように口を開く。
「そういや爺さんて、ばあちゃんよりかなり年上だったんだろ? まだ、生きてんのかな?」
「さあねえ、生きてれば八十を超えてるくらいだと思うけど。なんせ、あれ以来会うどころか連絡を取ることも無かったからねえ……」
一瞬、祖母の表情に寂しさが灯るが、明が気づく前には元に戻っていた。
「ああ、そうだ。なんだったら、それはお前にやるよ」
「は? 何言ってんだよ。大切に預かってんだろ?」
「構やしないさ。大体、あの人の言ってたことを信じるなら、あたしよりお前が持っておくべきもんだ」
怪訝な表情を向ける明に対して、祖母は何の未練もないかのように言い放つ。
「その代わり! 小遣いは無しだよ」
「うえ、ケチくせえこと言いやがって……」
明は、祖母の態度に違和感を覚えたが、あえて追及することも無く同調して見せる。そして、再びペンダントに目を移すと、何やら思案するような顔を見せる。
「売ったらいくらになるかな、なんて考えてないだろうね?」
「考えるか、そんなこと!」
ジト目を向けてくる祖母を一蹴すると、ペンダントをケースから取り出す。少しの躊躇いがあった後、明はそれを首に掛けた。
「どうだ、似合うか?」似合ってるだろ、と言わんばかりの顔で尋ねる。
「ふっ。まあ、言わぬが花ってやつだね」
「おいこら、自分で寄越しておいてその感想はどういう了見――」
『本堂に向かえ』
突如、明の頭の中に声が響いた。それは、とても重く冷たい声だった。
――幻聴じゃない。
直感。何の根拠もないにもかかわらず、明は、それが真実、誰かの声であると感じ取った。
「どうしたんだい?」
明の様子をおかしく思った祖母が声を掛ける。
「いや今、本堂に向かえっていう声が聞こえて……」
「はあ? 明、あんたその歳でぼけてんじゃないだろうね」
「ばあちゃんと一緒にするな」
即座に四度目の手刀が飛んでくる、が、遂にそれを白刃取る。
「ふ、俺に四度同じ技は通用しないぜ」
「それを言うなら二度だろうが!」
防がれたのが面白くなかったのか、仏頂面をする祖母。しかし、すぐに口角を上げ、不穏な笑みを浮かべる。
「あ、そうだ。本堂で思い出した。明、ついでだから、本堂の仏像の手入れもしといとくれ」
「はあ⁉ なんでいきなり?」
「仕方ないだろう? 今、思い出したんだから」
祖母のわざとらしい態度に反抗心を刺激される。だが、明の返答は祖母の予想とは異なっていた。
「ふん、まあいいさ。久しぶりに、あの厳つい顔を拝んできてやるよ」
「お、なんだい。随分と素直じゃないか」
予想を裏切られた祖母が目を丸くする。
「ただの気まぐれだ。じゃあ、早速行ってくる」
そう言うと、出口へと足を向ける。すると、祖母が窓の方に目を向けて口を開く。
「外に洗濯物干してるんだけど、雨降ったりしないだろうねえ……」
「言ってろ」
祖母の言葉に大した反応を見せることなく、明はそのまま部屋を後にした。