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夕凪ノ終ワリ  作者: 白雪 蛍
序章
2/7

激突

母を見送った後、クリスは地下室へと向かっていた。

そこはかつて、彼女の父が使用していた場所。今となっては、彼女以外の者が立ち入ることのない場所。すなわち、魔術道具を納めた保管庫である。


二重に掛けられた鍵を開け、足を踏み入れる。明かりをつけると、本棚や木箱、簡易的な机や椅子などが視界に入ってくる。二十畳ほどの広さを持つそこは、一目見ただけでは一般の物置などと大して変わりはない。


クリスは椅子に腰かけ、机に置かれた箱へと手を伸ばす。箱の上に手を置き、開錠の意思が込められた呪文を口にする。そうして開かれた箱の中には、彼女が王位継承の儀のために選んだ魔術道具が揃っていた。


 短剣や書物、宝石や小瓶などを手に取り、一つ一つ検品していく。それらの数は全部で三十を超えており、また、そのどれもが高級品や希少品の類である。


 ――それなりに数は揃えたけど、使いどころは見極めないとね。


 実際の所、一流の魔術師十人と戦う場合、三十という数は決して多くはない。なぜなら、魔術道具はその性質上、使い捨ての物が多く、一度ないし数度の使用で限界を迎えてしまうことがほとんどのためである。無論、クリスの持ち物も例外ではない。……唯一つを除いては。


 ――レガリア、か……。


 半永久的に使用可能、それだけでも破格の性能だというのに、備わっている能力も最上級という反則級の代物である。クリスを含め、候補者たちにとっては心の拠り所だろう。だからこそ、絶対に奪われてはならない。もし奪われたなら、その者の運命は決したも同然である。


「……よし、終わった」


 検品を済ませ、ほっと一息ついた後、何気なく柱時計へと目をやる。


「あと、二時間と少し……」


 初日に向けて万全の態勢を整えるクリスだが、彼女は自分から攻勢に出るつもりはなかった。戦いを嫌ってのことではない。

クリスには分かっているのだ。始まりの時と共に襲来する者がいることを。


 ――あの人の性格なら、来ない方がおかしいものね。


 瞼を閉じる。これまでのこと、これからのことに思いを馳せるが、やがて、彼女は眠りに落ちていった。


 うたた寝を始めてから二時間ほどが経った頃、クリスは目覚めた。


「嘘、寝てた!? 時間は……!」


 ーー十一時四十分。


「よかった……」


 安堵の息を漏らす。とはいえ、あと二十分ほどしかない。最後の準備をするため、いくつかの魔術道具を手に取り、地下室をあとにする。

足早に自室へ向かおうとするが、一階に上がった所で異変に気付いた。


 ――いる。


 家の外、玄関の向こうから流れ込んでくる魔力を彼女は敏感に感じ取った。自室へと駆け上がり、カーテンを開けて窓の外を見下ろす。そこには、月下に佇む一人の男の姿があった。


その者の名は、ラルス・マリフィード、第二順位の候補者である。


 ――やっぱり、来たんですね。兄さん。


 クリスが男を視認したとき、男もまた彼女に気づいた。見下ろす者と見上げる者、二人は無言のままに視線を交わす。零時の鐘の音は、すぐそこまで迫っている。



 ーー四月の夜はまだ肌寒く、吹き抜ける風は人の身を突き刺すかのようだ。そんな中、外套を纏った二人の男女が向き合っている。


「早かったな」


 先に口を開いたのは男の方だ。まるで抑揚のないその口調は、男の性質を表しているかのようである。


「貴方なら、必ず来ると思っていました」


 クリスの言葉に男は反応せず、手元の懐中時計を開いたかと思うと、淡々と口を開く。


「まだ、場所を変える程度の時間はある。ついてこい」


 男は歩き出す。その有無を言わさぬ態度に反発することなく、クリスもまた歩き出す。

 深夜とはいえ、平時であれば少ないながらも人通りがあるはずの道には、今日に限っては誰もいない。住宅街に響くのは二人分の足音だけ。他には何一つ人工的な音は聞こえてこない。

それは、彼らが目的の場所に着くまでの間、何も変わらなかった。


 ーー公園。周囲を林に囲まれ、大きな池や芝生、美しい花々によって彩られたその場所にも、やはり、余人の姿は一人も見当たらない。


 (人除けの魔術は発動済みか。)


 それはつまり、男は先にこの場所を訪れていたということ。クリスは警戒心に満ちた表情で辺りを見回す。


「心配するな。罠は仕掛けていない」


 その言葉にクリスは反応する。


「随分と自信があるんですね。いくら貴方でも、傲慢に過ぎると思いますよ?」


 男の目を見据え、非難の意を込めて言い放つ。それに対し、男は淡々とした口調で返す。


「俺には俺のやり方がある」


 そう言うと、男はクリスの首に掛けられたものを指さす。


「お前の持つレガリア、それは確かに最優だが、一つだけ欠点が存在する。分かっているはずだ」


 その指摘に、クリスは眉を顰める。


「……術者によって、性能が大きく左右されてしまうこと」


「そうだ。全てのレガリアの中で最高の力を有しているそれも、優れた術者の手に無ければ、並みの魔術道具以下でしかない」


「……つまり、私が発揮できる程度の性能では相手にならないと? 貴方も、私が第一順位であることには不満だったんですね」


 クリスの言葉には、勿論、侮辱されたことへの怒りも宿っていたが、いくらか自嘲的な感情が込められていることも明らかだった。その理由は、彼女自身の内面にある。


 実力が全てである魔術師の世界にあっては、魔術王の候補者、その順位も個々人の実力に沿って決定される。しかし、ここで指す実力とは、血統も加味されたものだ。

先代魔術王の直系卑属であるクリスは、その一点において最高の評価を得ている。そして、その一点だけが、自分が目の前の男よりも上である理由なのだと、クリスは考えているのだ。


 しかし、男の返答はクリスの予想を裏切るものだった。


「……お前に、人は殺せない」


 それは、彼女の心を衝いた。今も昔も変わることのない男の性根を、そこに感じたのだ。


 ――そうでしたね、貴方は、そういう人でした……。


 男がクリスを見据え、手を伸ばす。


「クリス、二度は言わん。それを俺に渡すなら、お前の安全は保障しよう」


 おそらくは嘘偽りのない言葉、心からの言葉なのだろう。だが、クリスの返事は決まっていた。


「それに対して、私がどう答えるのか……。兄さんなら、分かっているはずです」


 儚げな微笑みを伴った言葉。それは確かに、クリスの覚悟を伝える言葉である。


「……兄さん、か。お前は、初めて会った日からずっと、そう呼んでいたな」


 どこまでも淡々とした、感情の込もらない口調。だが、その瞳は違っていた。ラルスの哀しみを、誠実に湛えている。

しかし、彼らの本心がどうであれ、その運命は最早揺るがすことのできないところにある。


「時間だ」


 その言葉は、この場に立つ両者が明確な敵同士となったことを示すもの。

情を捨てなければ立ち行かない、魔術師同士の闘争の始まりを告げるもの。


二人は、己の心を冷徹な魔術師のものへと染め上げていく。

それと呼応するかのように魔力は際限なく高まっていく。


やがて、それは頂点へと達した。

二人の瞳には、明確な敵意の陽だけが宿っている。


 最早この場にいるのは、互いを葬らんとする非情な魔術師のみ。

男は指輪を掲げる。女はペンダントを握りしめる。二つのレガリア、先にその真価を見せたのは指輪の方だ。


蒼の輝きが夜闇を照らしたその直後、男の手には一振りの剣が握られていた。王位継承の儀において、代々第二順位の者が選び取るとされてきたその剣の名は――。


「エクスカリバー……」


 女の声が響く。


 ――エクスカリバー。アーサー王が手にしたとされる至高の聖剣。これもまた贋作であることは言うまでもない、が、ただ一点だけ他の物とは違うところがある。それは、この贋作が本物と寸分たがわぬ性能を有しているということだ。伝説の時代、初代魔術王は彼の王と出会い、その聖剣の輝きに見惚れたと言われている。そして、レガリアを鋳造する際に、それと全く同一のものを造ったのだと。神が創造したとされる聖剣、それを人の手によって再現したものが今ここにある。


それはまさに、人工神造兵装――エクスカリバー・アーティフィシャル――とでも呼ぶべきものだ。


「いくぞ」


 ――瞬間、十メートルはあったはずの距離を男は一瞬にして詰め、両手で振り上げた剣を女に向かって容赦なく振り下ろす。しかし、それは止められた。何故か。いつの間にか、女の前には巨大な盾が存在していたのだ。


「……此方も、いきますよ」


 次いで、いつの間にか握られていた二振りの長剣で斬りかかる。男はそれを受け止め、後方へ跳躍。それを好機ととらえ、女は二振りの剣を投げつける。そして、次の瞬間には左手に弓を構え、男を狙い撃つ。一射、二射、三射、続けて四、五。しかし、男はその全てに対応する。双剣を弾き飛ばし、五つの矢を躱しながら、再び女の懐ふところへと強襲する。両者の距離はおよそ三メートル。最早、弓の間合いではない。致命の横なぎが迫る中、しかし、女の顔には焦り一つない。寧ろ、焦ったのは男の方だ。女の右手に握られている武器――短機関銃――の存在に気づいたのだから。躊躇なく引かれる引き金、公園内に凄まじい銃撃音が鳴り響く。男は剣を盾にしながら、すんでの所で池へと飛び込んだ。


 ――そう、女の持つそれは所有者によってその性能を左右される。どういう意味か。難しいことではない。魔術師とは、知識を力とする者。頭脳という「蔵」に様々な情報を取り入れていく者。ならば、最優のレガリアとはそれに従う物でなければならない。


条件は一つ、所有者が構造を理解していること。それだけで、蔵にある図面は形を成す。


 女は戦いの中で、自身の蔵を引っ掻き回していた。次から次へと形を成していく図面。それらは、どれ一つ取っても欠片ほどの瑕疵もない。女自身、それを実感していた。


 ――構造把握、問題なし。手榴弾、製造完了。


 新たな武器を水中の敵目掛けて放り投げる。その数は二つ。池の体積から考えて逃げ場はない。そう思ったことが、女の失敗だった。着弾の瞬間、池の一点が幾百の松明の光を集めたかのように輝きだす。


 ――マズいっ!


 直感し、後ろへ飛び退こうとした瞬間、凄まじい閃光とともに池の水が丸ごと打ち上げられる。それによって押し戻された手榴弾が女を射程圏内に捉え爆発。打ち上げられた水は豪雨のごとく降り注ぐ。


「く、こんな程度で……!」


 瞬間的に鉄の防壁を作り出し、爆発をなんとか防ぎきる。だが既に、男は次の一手を用意していた。懐から取り出した短剣を対岸から投擲する。男の手から放たれたそれは直後に分裂し、鋼の飛礫となる。それに対抗するべく、女は砂の入った小瓶を取り出し中身をばらまく。それは地に落ちることなく、無数の流星となって飛礫と衝突する。降り注ぐ水音と、衝突する二者の弾丸は、銃撃音にも勝る轟音を響かせる。


だが、まだだ。それが決め手とならない以上、双方ともに手を緩めることはない。男は聖剣を握りしめる。女は新たな武器を創造する。


 ――銃剣ガンブレード。超大型回転式拳銃に、銃身の根元から銃口の先まで届く白銀のブレードを直接接合したもの。全長・六十センチメートル、総重量・六キログラム以上。それを二丁。


轟音が鳴りやむと同時、両者は駆け出す。岸を結ぶ橋の上、魔力によって強化された肉体が、常人ではありえない速度で衝突する。聖剣の一撃を双銃で受け止め、即座に手放す。直後、新たに鋳造し握った長剣を振り下ろす。それを男は後方ステップで回避する、が女は長剣を手放し落下していく双銃をつかみ取るとすぐさま発砲。二発のうち一発は剣で防がれるが、一発は左肩口をかすめていく。更に連射、だが当たらない。近距離での銃撃をかいくぐり、刺突が迫りくる。ただの刺突ではない。聖剣の能力を開放した一撃、光の刃が迸る――!


 ――今のは、危なかった。


 橋から芝生へと跳躍することで、女は難を逃れた。だが、その衣服は所々が焼け焦げており、女の立っていた場所及びその直線上は、レーザー光線に焼かれたかのような有様である。

男は必殺の一撃であったはずのそれを躱されたにもかかわらず、悠然と女の向かいに降り立つ。


「ふ、随分とけったいな武器を使うんだな」


 男が初めて笑みをこぼす。


「……貴方こそ、あまり派手にやりすぎると監督役に咎められますよ」

「それこそ、銃火器を使う人間の言えたことではないだろう」


 とても、穏やかな口調。二人の言葉には、皮肉も嫌味も侮蔑も込められてはいない。


「お前は、強くなったな」


 ラルスが再び本心からであろう言葉を吐露する。その表情はまさに、妹の成長を見届けた兄のもの。それは、クリスに遠い日々を思い出させるに十分なものだ。


「……貴方は、相変わらずですね」


 返した言葉はそれだけだった。だが、それらの言葉を交わしている間、二人の思いは確かに戦いから離れていたのだ。


しかし、夕凪の様に穏やかなその時間は、嵐が来るまでの夢幻のようなもの。彼らは互いに敵対者、そして、この戦いに和解はない。


「そろそろ、終わりにするか」

「ええ」


 風が吹き始める。やがて、嵐となりゆく風が。


「私が、貴方を殺します」


 ――激突。火花が舞い散り、剣戟が鳴り響く。

至近距離での発砲、それを躱しての左横なぎ、右銃を逆手に持ち、盾とすることで直撃を阻止。しかし、体は吹き飛ばされ、銃は砕け散る。一瞬で体勢を立て直し、左銃で頭蓋への突き、それをしゃがんで回避し軸足を斬り払う、が銃を地面に突き刺し、その勢いのまま前方宙返り。空中で焼夷手榴弾を作成、男の前後左右を囲むように投げ込む。そして、降り立つと同時に手榴弾の射程圏外まで跳ぶ。……炎が燃え上がった時、その手には汎用機関銃が握られていた。


「……さようなら」


 躊躇はなかった。女を勝利へと導く銃弾が炎の中へと消えていく……。

夜の平穏を揺るがす戦闘が終わりへと近づく中、それは突如として聞こえてきた。それは、何かがひび割れていく音。それは、手にしたはずの勝利が遠ざかっていく音。


「――えっ?」


 それは、王権の象徴が、レガリアが崩れていく音だった。


 ――嘘、どうして、一体何が……。


 思考が困惑で埋められていく。事態を確かめようと、レガリアに手を伸ばしたその時だった。

 爆炎を斬り裂き、彼の者が迫り来る。炎に灼かれ、銃弾の雨を浴びたはずのその身は未だ健在、瞬足を以て一息に距離を詰めきる。


「終わりだ」

「っ!」


 最早回避不能の一撃がその身を両断しようかという刹那のタイミング、女は懐にあるそれを開いた。古びた巻物、込められた能力は――。


 しかして、男の一撃は空を裂いた。女の姿はどこにも見当たらない。


「……転移、か」

 空を仰ぐ。恐らくは、止めを刺し損ねた口惜しさがその表情に表れている。


 ――いや、そんなことよりも……。


 斬りかかる瞬間、男は確かに見た、女のレガリアが無残に崩れゆく様を。


 ――馬鹿な、そんなことが有り得るはずはない。だが……。


 もし有り得たなら、それは何か想定外の事が起きているということ。

 男の背後では、未だ燃え盛る炎が勢いを増そうとしていた。



 ラルスとの戦闘から離脱した後、クリスは街の中でも旧市街と呼ばれる場所にいた。


「危なかった……」


 ――転移。あらかじめマーキングしておいた場所に、瞬間移動する高等魔術である。しかし、今となっては生身で使える魔術師は存在せず、希少な魔術道具として存在するのみだ。


「まさか、いきなり使うことになるとはね……」


 彼女の手の中で、役目を終えた巻物が灰となっていく。しかし、それは事ここにおいては重要なことではない。


 ――レガリア……。


 千年以上もの間、傷一つなく保たれてきたそれは、最早原形を留めていない。金の鎖は既に砂となり、宝石も粉々に割れてしまっている。


「どうして、こんなことに……」


 完全な異常事態。起こるはずのない出来事である。レガリアは初代魔術王が作成した最高の魔術道具。その中でも、最優のそれが壊れるなどと。


 ――とにかく、監督役に連絡を取らないと。


 湧き起こってくる不安や焦り、それらを気丈な精神で振り払い、次への一歩を踏み出す。目的地は、魔術協団・第十三支部。市街に設置されている唯一の支部である。


 ――そこまで行けば、きっと、何か分かるはず。


 無人の街を歩き始めた少女の姿が、夜の闇へと消えていく。

 

 …………音が、響き始める。正常に廻っていたはずの歯車が瓦解していくその音に、少女は間もなく、気付くことになる。

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