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夕凪ノ終ワリ  作者: 白雪 蛍
序章
1/7

邂逅と別離


 黄昏(たそがれ)の時、深い森の中で、一人の少女が佇んでいる。夕陽に照らされた長髪は黄金色に輝き、木々の合間を吹き抜ける風がそれを揺らしている。底冷えするような風だ。少女を包む丈長の外套(がいとう)も、それを防ぎきれてはいない。風が過ぎ去ると、少女は空を仰いだ。その表情は憂いに満ちており、彼女が不安の渦中にあることを示している。


「クリス様、お時間です」


 突然の声の主は燕尾服(えんびふく)を着た老齢の男だ。クリスと呼ばれた少女の後方で控えている。足音一つ立てずに現れた男に対し、彼女は少しも驚いた様子を見せずに口を開いた。


「……そう」


 少女が静かに男の方へと振り向く。柔らかな大地を踏みしめながら、ゆっくりと歩き出す。過ぎ去ったはずの風が、少女の背中を押すかのように再び吹き始める。空には、どこからともなくやって来た、暗く分厚い雲が垂れ込めていた。


 西暦二〇一八年四月某日、欧州に存する国のとある地には、常ならざる者たちが集っていた。

森林の奥深く、何人も立ち入らないような場所にひっそりと佇む城。バロック、ゴシック、ルネサンスなどのあらゆる建築様式を取り入れて建造されたその城館には、幾百の歳月を経てきた証が随所に見受けられる。既に陽は落ち、城の灯だけが煌々と辺りを照らしている。そんな中、傍らに老齢の執事を連れた少女――クリスティナ・マリフィード――は城の門前でまた空を、いや、城の一室を見上げていた。


「クリス様」

「……ええ、わかっているわ」


 執事に促され、クリスは城へと歩を進める。薄闇に浮かぶ二つの影が、一歩ずつ光源へと近づいていく。入口までたどり着くと、執事は扉を開き、主人を城内へと導く。クリスが足を踏み入れると、二人のメイドが彼女を出迎えた。


「お帰りなさいませ、クリス様」

「他の皆様は、すでに広間の方にお集まりになられておりますよ」


 クリスよりも一回り程年上らしい二人は、おそらく双子なのだろう。髪型が違うことを除けば、その姿は完全に瓜二つだ。


「ありがとう。すぐに向かうわ」


 クリスがそのまま向かおうとすると、執事が口を挟む。


「では、私がご案内いたします」


 しかし、彼女は首を横に振り、それを断る。


「ありがとう。でも大丈夫だから、貴方も自分の仕事に戻って」


 執事が承服すると、クリスは階段を上って行く。エントランス中央に設置された階段は途中で左右に別れ、其々に別の回廊へと続いている。クリスは左の回廊へと進み、そこでまた階段を上って行く。視線を上げると、宗教画と思しき絵画が目に映る。そこには、神、人、悪魔による三つ巴の戦いが描かれていた。彼女はそれを一瞥(いちべつ)したのみで、後は何ということもなく、再び上階へと足を動かしていく。


 四階、城の入り口側に面するように設計された広間がそこにはある。クリスが外から見上げていた一室であり、彼女と同じ境遇の者たちが集っている場だ。クリスは最後の境となる観音扉に手を掛ける。一拍の後、重々しい音を鳴らしながら、扉が開け放たれた。

 広間では、十一人の老若男女が一つの長卓を囲んでいた。年齢の幅は十代から六十代まで、男が八人と女が三人。また、人種も各々異なっており、欧州系が多いが、アジア・北米・南米の人間もいる。クリスが入室すると、十一人の視線が一斉に向けられるが、彼女は気にした風もなく、自分のために残されていた席、上座へと腰掛ける。すると、束ね役と思われる、下座に座る壮齢の男が面々を見回し、口火を切る。


「……それでは少し早いですが、皆様お揃いになられたようですので、合議を始めさせていただきます」


 堅苦しい口調と男の神経質そうな顔つきが合わさり、場に緊張感が満ちる。


「先にお伝えした通り、今回が最終の合議となりますので、その点をご承知ください。議題については皆様ご存知の通り、先日逝去されたオスヴァルト・マリフィード様の後継者について、つまりは、次期魔術王の座に相応しい方を選定する、王位継承の儀の儀式内容変更についての是非を問うということになります」


 ――魔術。それは科学が発達した現代において、オカルトだと嘲笑されるだけの概念。創作物の題材として扱われることはあっても、その実在を信じられることはない夢想の産物。しかし、それはあくまで良識ある者たちにとっての話である。いつの時代もどこの国でも、異端者というのは隠れ潜んでいるものだ。数千年もの間、脈々と受け継がれてきた秘術、それを行使する者たちは、自らを指して魔術師と呼称する。魔術王とは、魔術師たちの中でも当代最高の能力を有する者であり、他の魔術師たちを統括する権限と責務を担う存在なのである。


「つきましては、かねてより提案させていただいている票決制について、再度のご検討を……」

「その必要はなかろう。既に三度の合議を経たのだ。答えは分かり切っているだろうに」


 話の途中で口を挟んだのは、クリスの左隣に座る白髭を蓄えた初老の男だ。その声は、男の頑強な容姿と相まって、威厳とも威圧とも取れる重みに満ちている。


「爺さんの言う通りだぜ。魔術王ってのは、最強の魔術師がなるもんだろ? だったら、歴代の奴らと同じように、候補者全員で()りあって決めんのが一番早え」


 男の向かいに座る血気盛んそうな青年が同調する。気軽さと粗暴さが入り交じった口ぶりに、束ね役を含め何人かが呆れた様子を見せる。しかし、彼の発した言葉に反論する者は誰もいない。クリスも例外ではなく、賛同こそしないが黙認するかのように押し黙っている。


「しかし、これも何度となく申し上げていることですが、近年は魔術の秘匿が非常に困難になってきております。儀式の監督役として、また、監査機関に属する者として言わせていただくなら、魔術が世間に露見する事態を防ぐために儀式の変更は必要不可欠です」


 束ね役が他の者たちの顔を見回し、断言する。

魔術師たちにとっての絶対順守事項である魔術の秘匿。それは、我の強い彼らが唯一共有する、「神秘性を重んじる」という価値観によるものだ。しかし、「存在するもの」を存在しないものとし続けるためには、当然その役目を担う者たちが必要となる。


 ――魔術協団。魔術王を頭目とし、魔術師であれば例外なく加入しなければならない組織である。所掌事務は多岐にわたるが、中でも、秩序を保つ事を主眼に置いており、内部に監査機関と呼ばれる警察組織を設置している。彼らは、世界中に散らばる魔術師たちの動向を随時監視し、規律違反者――特に、神秘を脅かす行為をした者――には制裁を加えている。


「って言ったってさあ、アタシ、自分より弱い人に王様なんて任せられないんだけど」


 場に不釣り合いな軽い声を発したのは、束ね役の右隣に座る十代前半と思しき少女だ。集まった面子の中で最も若い彼女は、白銀に煌くツインテールの髪を(いじ)りながら、退屈そうな表情を浮かべている。そんな彼女をたしなめるように、向かいに座る、にこやかな表情をした東洋人風の青年が口を開く。


「まあまあ、監督役の方々も大変なんですよ。なにせ前回、五十年前に行われた儀式では、処理しきれないだけの死人が出て大混乱だったという話ですから」


 そうですよね、と束ね役に視線を投げる。


「ええ、私は当時の事を直接には知りませんが、協団に残されている資料では、町一つが壊滅したとあります。表向きには、原因不明の事故という扱いになっていますが……」


「大変だよねえ。ま、それを聞いたところで、僕の意見は変わらないんだけどね」


 気の抜けるような声の主は、未だ笑顔を崩さない青年の左に座る男だ。三十代半ば程のその男は、無精(ぶしょう)(ひげ)を蓄え、いかにも遊び人といった風貌(ふうぼう)である。そんな彼の言葉に、束ね役の男は少しばかり顔をしかめる。しかし、口に出したのが彼だったというだけで、その意見は、束ね役を除いたこの場にいる全員の総意である。


「監督役さん? (わたくし)、これ以上はいくら話しても変わらないと思うのですけど」


 初老の男の左に座る女性が、気を利かせた様子で口を挟む。まだ、二十代前半ほどであろうに、その雰囲気は風雅(ふうが)に満ちている。


「……そのようですね」


 諦めた様に言った後、クリスを含め、未だ沈黙を貫いている五人の顔を見回す。


「他の方々も、異存は無いということでよろしいでしょうか?」


 その言葉に、彼らは沈黙をもって肯定する。


「……では、王位継承の儀は、変更を伴わずに執り行うことといたします」


 更に、一人一人に視線を向け、念を押すように口を開く。


「ただし、前回の様な事態を引き起こさぬよう、くれぐれも、十分な配慮をお願いしたく……」

「わぁってるよ! 俺らも真昼間からドンパチやらかす気はねえし、闘り合う時は人除けの魔術くらい使わぁな。もちろん、町を吹っ飛ばす気もねえよ」


 先程の血気盛んそうな青年が、当然といった風な口調で述べる。


「んなことより、話が決まったんだからよ、さっさとアレを配ったらどうだ?」


 ――瞬間、場が凍り付く。少女は髪を弄るのを止め、青年の張り付けたような笑顔は剥がれ落ちた。遊び人風の男を含め、他の面々も表情に険しさが宿っている。


「……わかりました」


 一言呟いた後、束ね役が足元のジュラルミンケースを長卓の上に置く。皆が固唾を飲んで見守る中、開け口へと手をかけ二言三言、呪文のような言葉を紡ぐ。すると、開錠の音とともにケースが開かれる。束ね役は、それをゆっくりと皆の方に向けた。

中には、十一の装身具が納められていた。ペンダントが一つと指輪が十、指輪には六角形にカットされた宝石が組み込まれており、各々異なる輝きを放っている。


「それが王の証、十一のレガリアですか。実物を見るのは初めてですよ」


 笑顔を張り直した青年が事も無げに口を開くが、その眼光は獲物を狙うかのような鋭さだ。


 ――レガリア。それは王であることを証明し、同時に王の威光を示す品。そして、この場において王とはつまり、魔術王を指す。西暦に入って数百年の後、現代の魔術師たちにとっての魔術王という存在が確立された頃、初代の王によって鋳造されたそれらは、千年を超える時の流れにさらされようと、傷一つ無く原初の美しさを保っている。


「それで? どうやって分けんだ?」

「第一順位の者から順々に選んでいく、というのが習わしだ」


 初老の男がクリスへと視線を向ける。


「それでは、僕は最後から二番目ですね。まあ、異存はありませんよ」


 青年が同意する。そして、クリスを一瞥した後、彼女の向かいに座る男へと視線を向ける。


「ラルスさんも、構わないんですよね?」

「ああ」


 ラルスと呼ばれた青年は、何の躊躇いもなく了承する。精悍な顔立ちと緩みのない雰囲気は、この場において彼の存在感を浮き彫りにしている。


「だそうですよ、監督役さん」


 束ね役は、青年の言葉に頷きで返し、クリスに向かって口を開く。


「では、クリスティナ様。どうぞお選びください」


 クリスは頷き、立ち上がる。束ね役のもとまで近づき、そして、ケースからそれを取り出す。

金の鎖に繋がれた、アイリスクォーツのペンダント。その虹色の輝きは、まるで魅了の魔術が掛けられているかのように見る者の心を虜にする。


 ――これが、最優のレガリア。御祖父様の遺品の一つ……。


 ペンダントを強く握りしめ、彼女は心の中で一つの誓いを立てる。


 ――私が、必ず!


 自らの内に灯った炎を感じながら、クリスは席へと戻る。


「では、次は……」


 束ね役が言い終わらない内にラルスが立ち上がり、レガリアのもとへと(おもむ)く。


「こいつをもらうぞ」


淀みない動作で指輪を手にすると、束ね役へと宣言する。


「はい、どうぞお持ちください」


 彼が選び取ったのは、水宝玉が組み込まれた指輪である。彼はそれを指にはめると、何らの感慨にふけることも無く身を翻す。彼が席に着く前に、血気に逸る青年が立ち上がろうとする。


「おい、小僧、順番は守れ。次は(わし)だ」


 初老の男が青年を睨みつける。しかし、青年は咎められたことを気にする様子はない。


「心配すんなって。あんたの分もまとめて取ってきてやっからよ」


 男もそれ以上は咎めず、青年を代わりに向かわせる。


「こいつとこいつだな」


 手早く二つのレガリアを手に取ると、「ほらよ」と片方を初老の男に投げる。


「……貴様」


 レガリアを受け取ると同時に、男は鋭い目つきで青年を睨みつける。


「そう怒るなよ。そいつで合ってんだろ?」


 しかし、青年の方はまるで(こた)えていない。ふん、と鼻を鳴らして男はレガリアを指にはめる。青年もまた、エメラルドが組み込まれた自身のレガリアを装着する。


「さあて、どんなもんかな」


 その呟きは、他の者たちに臨戦態勢を取らせた。全員が飛び退くと同時に、青年のレガリアが変容する。一瞬の輝きの後、指輪であったはずのそれは長大な槍へと変わっていた。


「へえ、こいつが神槍か。噂以上だな」


 周囲の反応を他所に、青年は手にした槍を見つめて感嘆の声を上げる。


 ――神槍・グングニル。北欧の最高神たるオーディンが所持していたとされる槍。しかし、それが存在したのは紀元前の遥か昔、神々の時代においてである。故に、今この場にあるのはイミテーション。初代魔術王が神話や文献を基に作り出した贋作(がんさく)である。


「小僧、はしゃぎすぎだぞ」


 威圧の声とともに、男が自らのレガリアを掲げる。

 そう、彼のレガリアもまた伝説上の逸品としての姿を有している。彼らの物だけではない。全てのレガリアはそれぞれ固有の姿、能力を宿している。それも全て、神話の武具の名を冠しているのだ。

無論、現存する神話の時代の武具などありはしないため、それらは全て贋作である。本物はただの一つもない。しかし、それは道具としての性能を否定するものではない。膨大な魔力を秘めたそれらの品々は、持ち主が望むのなら神話を再現することも可能だろう。


「だから怒るなって。ちょっと見てみたかっただけだ。悪かったよ」


 槍を指輪の姿に戻し、両手を挙げることで戦う意思がないことを示す。それによって、緊迫していた空気も幾分緩和し、皆自分の席へと戻り始める。しかし、初老の男だけは着席した後も青年から目を逸らさず睨みつけており、そこには確かな戦意が潜んでいた。


 その後も順々とレガリアの配分は進み、末席である銀髪の少女が最後の一つを手にしたところで無事終了する。

候補者全員に行き渡ったことを確認し、束ね役が口を開く。


「それでは、これにて合議を終了とさせていただきます。皆様には、今さら説明の必要もないことですが……」


 言葉の途中で候補者の顔をさっと見回すと、再度、口を開く。


「勝利条件は全てのレガリアを自らの手中に収めること。手段は問いません。また、途中でレガリアを奪われたとしても、そのまま続行していただきます。棄権は一切認められませんし、我々が皆様に協力するのは、魔術の秘匿に関する事項のみとなります」


 それは、戦う場所・時間・方法その他すべてを候補者に委ねることを意味する。協団にとっての最重要事項である魔術の秘匿と魔術王の即位、伝統に則るということは、その二つ以外を切り捨てた価値観によって物事を判断するということである。


「……そして、魔術協団は皆様の生死に関して、一切の責任を負いません。よろしいですね?」


冷徹な確認に、全員が沈黙をもって答える。

それを同意と受け止め、男は最後の言葉を紡ぐ。


「では、本日の深夜零時より、三十六代目魔術王を選定する、王位継承の儀を開始いたします」


 ーーかくして、世の人々の与り知らぬ所で新たな闘争の幕が上げられた。



 城の外では、厚い雲が星々を隠している中、月だけが妖しい輝きを放っている。

 候補者たちは各々の拠点へと帰り、束ね役の男も何処かへと消えた後だ。そんな中、一人残った少女が、館の外観を感慨深そうに眺めている。

 

 ーー日付が変われば、ここはもう御祖父様の物じゃなくなるのね。……やっぱり、少し寂しいかな。


 魔術王には、レガリアの他にも代々受け継がれているものがある。この城もその一つだ。幼き頃より、何度となく訪れてきた場所が自分の手を離れていく寂しさに、クリスは感傷的になっていた。そんな彼女に三つの影が近づいていく。


「……クリス様、私共は貴女がこの城の主となって戻って来られると信じております。どうか、そのことをお忘れなきように願います」


 執事が述べた後、二人のメイドがクリスと目を合わせ、お辞儀をする。


「……ええ、ありがとう。貴方たちには本当に感謝しているわ」


 落ち着いた声。しかし、やはりそこには寂しさもあるのだろう。彼女の瞳だけは、そのことを物語っている。


「それじゃあ、もう行くわね」


「はい、行ってらっしゃいませ」


 クリスは門の前に立ち、特別な意味ある言葉を呟く。すると、門の向こうが森ではなく、市街地へと変容する。クリスは振り向くことも無く、そこへと一歩を踏み出す。彼女が向こう側にたどり着くころには、森は元の姿を取り戻していた。


 そこは人口百四十万人を超える大都市。繁華街では、イタリアン・ルネサンス様式やイタリアン・ロマネスク様式、ネオゴシック様式の影響を受けた美しい通りが走り、そこから離れると、市内に複数設置された緑豊かな公園が目に映る。

 しかし、クリスが向かう場所はそのどちらでもない。一際高い建築物の屋上、そこに現れた彼女は街の光に背を向ける。月夜の下、屋根から屋根へと人知れず飛び移っていく。そうしてたどり着いた先は住宅街だった。ありふれた一軒家が並び立つ中、クリスはそのうちの一つへと足を運ぶ。

 その家には既に明かりが灯っていた。クリスは恐る恐る玄関扉へと手を掛ける。

 

 ――開いてる。

 

 扉を開き、家の中に足を踏み入れる。靴を脱ぎ、奥のリビングまで足を運ぶとそこには一人の女性がいた。


「お帰りなさい、クリス!」

「……ただいま、お母さん」


 それはクリスの母だった。だが、その容姿は年齢に見合わぬ若々しさで溢れており、母と言うよりは姉と言った方が相応しいだろう。クリスと同じ金色の髪、碧い瞳を輝かせた彼女は、台所で作業をしつつ、帰って来た娘に顔を向けている。しかし、快活な笑顔で迎えてくれた母に対し、クリスはなぜか深刻な顔をしている。


「どうしてまだ残ってるの? 危ないから早く非難してって言ったのに……」


 クリスは責めるような口調で問いかけるが、母は軽い調子で答える。


「あ、その様子だと、やっぱり変わらなかったんだ?」


 そんな母をクリスは思わず睨みつけてしまう。


「あはは、そんなに怒らないでよ。そりゃ、最初から分かってたことだけどさ」


 笑顔を崩さないままに、クリスをなだめる。


「だからこそ、今日くらいは一緒にご飯食べたいなって。ほら、しばらく会えなくなるんだし!」


 その言葉に、クリスは諦めたような表情で溜息を吐く。


「……はあ、分かった。じゃあ、ご飯食べたらちゃんと避難してね?」

「分かってるって。もう準備はしてあるんだから」


 リビングの入口に置いてある荷物を指し示して、得意顔をする。


「それより、もうすぐできるからコートだけ脱いで来たら?」


 外套を指さして提案する母に、クリスも同意する。


「そうだね、置いてくる」


 クリスはリビングを出ると、すぐそばにある階段を上り、突き当り、街路に面した部屋――自室――へと向かう。


 魔術師には、二つのタイプが存在する。魔術一辺倒の生活をする者と、一般社会の規律に合わせ、それに倣った生活をする者である。クリスは後者だ。魔術師であると同時に、日本で言えば高校二年生に当たる彼女の部屋は、年相応の雰囲気が備わっている。クリスは室内に入ると、クローゼットを開き、外套をハンガーにかける。


 ――もう、本当なにを考えてるんだか……。


 母親の意図が理解できず、嘆息する。

 クリスは候補者に選出された際に、母親と王位継承の儀について話し合っていた。といっても、母もまた魔術師であるため儀式については当然知っており、また、おそらくクリスが選ばれるであろうことも予想していたため、簡単な確認をしただけだ。棄権するつもりはないのかという母の問いに、「無い」と答えただけ。それ以上は互いに何も言わなかったし、言おうともしなかった。だからこそ、クリスには分からない。娘が死地に赴くと知っても止めなかったにもかかわらず、土壇場になって危険地帯に留まっている母親の気持ちが。


「もしかして、棄権して欲しかったのかな……」


 ぽつりと呟く。だが、例えそうだったとしても、クリスは棄権することなどできなかっただろう。魔術王の孫という肩書と周囲の目が、それを許さないのだから。


 クリスがリビングに戻ると、食卓には既に料理が並べられていた。普段からは考えられないような馳走の数々だが、およそ女性二人で食べきれる量ではない。


「お母さん、これ……」


 呆気にとられ母へと視線を向けるが、当の本人は満面の笑みを浮かべている。


「ん? どう、すごいでしょ? まあ、ちょっとだけ作り過ぎちゃったから、残った分は明日にでも食べて!」


 明らかに「ちょっとだけ」ではなかったが、母の笑顔の前にクリスは文句を言う気を無くしてしまう。少しだけ困ったように笑いながら、椅子に着く。


「じゃあ、いただこうかな」


 クリスが料理を口にするのを待って、母が向かい側に座る。


「で、どうかな? 結構、自信あるんだけど」

「うん、すごく美味しい。いつもとは全然違うね」


 クリスが悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべる。それを見て、母もまた安堵の笑みを浮かべる。


「そりゃそうだよ、今日は本気出したんだから!」

「えー、だったらいつも本気出して欲しいなあ」


 ぐっと握り拳を見せる母と冗談っぽく笑う娘。その光景は平和そのもので、数時間後に戦いを控えているというのが嘘のようだ。二人は何でもない日常を過ごすかのように、団欒(だんらん)を堪能していく。


 食事を終え、残った料理を冷蔵庫にしまいこむと、クリスは夢から覚めたような面持ちで口を開いた。


「ねえ、お母さん。今日、本当はどうして残ってたの?」

「んー? 一緒にご飯食べたかったからだよ?」


 茶化すように言う母を、クリスは静かに見つめる。


「あはは、まあ、後は言い忘れたことがあったからかな」

「言い忘れたこと?」


 怪訝な顔をするクリスを食卓の方に促し、椅子へと腰掛ける。


「お父さんの事、あんまり話してなかったなと思って」

「……私が小さい頃に、死んじゃったんでしょ?」


 喋りながらクリスも席に着くが、その声には特別沈んだ様子はない。


「うん、そうなんだけどね。その理由を言っておこうと思って」

「理由?」


 クリスが小首をかしげる。


「お父さんね、魔術王の息子だっていうことがずっとプレッシャーだったの。私と出会うよりも前からだったろうから、多分、子供のころからずっとね……」


 今までとは打って変わって静かな口調で話し始める母に、クリスは無言で耳をそばだてる。


「クリスが首に掛けてるそれ、レガリアだよね? それも、一番特別な」

「え、うん。そうだけど……」


 クリスの胸元にあるレガリアを見つめ、母は少しだけ寂しそうな顔をする。


「あなたが産まれてすぐのころ、お父さんがそれを黙って持ち出しちゃってね。御義父様にすっごく怒られてたわ。『お前には必要ない!』って。それはもう、随分落ち込んでた。……元々、魔術一筋で頑張ってたのに、その日から、本当に魔術の事しかしなくなった……」


 遠い目をする母にクリスは何も言わず、ただ耳を傾ける。


「追い詰められてたんだと思う。私とも、段々上手くいかなくなって……。あの日が来るまで、そんなに時間はかからなかった」


 話を告げ終える。すっと姿勢を正し、クリスをまっすぐに見つめる。


「だからね、何が言いたいのかっていうと……。うん、そう。負けないでってこと。クリスの決めたことに口出しはしないけど、負けることだけはないようにしてほしいの」


 誰かに、ではない。自分自身に、己に課せられた宿命に膝を折るなと、母は言ったのだ。


「……うん、約束する」

「……ありがとう。もう何も言うことはないよ」


 そう言った母の顔には、作りものではない心からの微笑みが浮かんでいた。


 話を終えると、母は早々に席を立った。クリスも母を見送るため、共に玄関へと足を運ぶ。


「それじゃあ、行くね。儀式、頑張って!」

「うん、お母さんも気をつけて」


 笑顔を交わし、母が背を向ける。しかし、玄関扉に手を掛けたところで、急に振り向いた。


「そうだ、クリスが王様になれたらさ……、ううん、なれなくても、戦いが終わったら一緒に旅行に行こうよ。外国がいいかな、アメリカとかアジアとか!」


 突然の誘いに一瞬呆気に取られるクリスだったが、すぐに笑顔を取り戻し首肯する。

「……そうだね、私も行きたいな」

「絶対だからね。忘れるなよ!」


 そう言って指を突き付けてくる母に、クリスはただ笑って返す。

「じゃあね」


 そうして、母は家を出た。彼女が己の本心を全て言葉にしたかどうかは、クリスには分からない。ただ、母が自分のことを思ってくれているということ、それだけは絶対なのだと、胸に刻み込む。


「……ありがとう、お母さん」


 心が穏やかさで満ちていく。しかし、それは今のクリスには無用の長物だ。彼女がこれから向かうのは、優しさが許されない戦場なのだから。


 まずは、ご精読いただき本当にありがとうございます。

 稚拙な文章だったかと思いますが、少しでも楽しめて頂けたなら幸いです。

 

 さて、連載小説ということで、私自身、しばらくはこの作品と付き合っていく事になるのですが、もし可能であるならば、この作品に触れてくださった貴方にも、作品の終結まで付き合って欲しいと思っております。

 手前勝手な願いではありますが、全力で作品を面白くしていこうと考えておりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。


 感想や評価にも目を通すようにしておりますので、良い点や悪い点、純粋な感想、文体等に関するアドバイスなどありましたら、どうぞ忌憚のないご意見をお願いします。


 最後に、「夕凪ノ終ワリ」をご覧になっていただいたことに、今一度の感謝を申し上げて終わりにしたいと思います。

 本当に、ありがとうございました!

 

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