序章 旅立ちの日
あの一件の二日後、国技団に入隊するため、僕とアリスは家を出て、西の大国イディアに行くこととなった。
「もう荷物はない?」
「うん、大丈夫だよ……だけど少しだけ待ってくれないか?」
玄関を出て、離れの研究室に入っていく。あれから怖くて入らなかった研究室に。
「綺麗なもんだな……」
入ってみると思いのほか綺麗な部屋だった。ここが血塗れになっていたなんて思えない。
父さんは科学者でもあり技師でもあった。ここでは心力を込めることで起動する道具、『技具』を制作していて、時折、部屋に籠っていたのを覚えている。
「君がここに来るなんて珍しいね、空君」
研究室に池口さんがやってきた。父さんの助手をしていたので何度も面識があり、今回、家の管理もお願いしてある。
「池口さん、来てたんですか」
「家の管理をお願いされたから。何よりお見送りしようと思ってね」
「池口さんはここに以前も来ていたのですか?」
研究室は綺麗だが、アリスもあれからこの場所に入ろうとしない。となると、誰か別の人が部屋を掃除していたはずだ。
「ああ、この部屋にはあの事件以降も定期的にね。君たちが下手に扱うと危険なものも多いだろうと思って私があの事件後部屋を整理整頓して、掃除もしていたんだよ。勿論、有栖ちゃんから許可は取ったうえでだ」
「父さんはどんな『技具』を?」
「聞かれるだろうとは思っていたよ。だからこれを持ってきた」
渡されたのは本の形をした『技具』だった。表紙には『九十九』と書かれている。
「これは?」
「芹沢博士が生み出した『技具』……九十九式シリーズのデータが記録してある。後で見てみるといい。私が助手になる以前の作品ものっているがあの人の作品は人知を超えているよ」
「ありがとうございます」
「君たちも頑張ってね。帰ってくるときは連絡してくれ」
「はい!!」
研究室を出て、そのまま家の外へ。そして、芹沢家を振り返る。
僕たちの居場所だった。楽しいことも辛いこともあった。そんなこの家ともしばらくお別れだ。
「行ってきます。アリスも待たせてごめん、行こうか」
「ええ、そうね」
僕は誰もいない家にそう告げて、二人で家を後にした。
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「博士……私はあなたが今でも許せない」
二人が出発するのを研究室の窓から池口は見ていた。同時に、真実に気付いた故に死者を恨んでいた。陸三の死から1年……彼は真実に薄々気づいていながら誰にも話していない。話したところで状況が悪化するだけだと判断したからだ。
不都合な事実に空が気づかぬように九十九式に関するデータにも一部細工してある。それも彼なりの優しさからだった。
「私はあなたのしたことを容認できない。だからあの子もそれを知らずに生きてほしい」
池口は思う。
陸三は何を思ってあれほど酷いことを成し遂げようとしたのかと。
どうしてもっと早く過ちに気づかなかったのかと。
どうして過ちを重ね続けたのかと。
「あれではあの子は本当に幸せになれないじゃないか……」