九話
狭くて暗い部屋の中で一人で泣いていた幼い頃。日の光をまともに浴びることなく隙間から漏れてくる小さく細い光は当時にとってどれほどの希望だっただろうか。固く閉ざされた扉が開くのは一日一度の食事のときと二日に一度の実験のときだけ。実験のときはその小さな狭い部屋から出されるが、一番嫌いな時間でもあった。目も眩むような人工的な明かりに照らされて陰になって見えない人々が周囲を取り囲んでいるのがわかる。そうして苦痛の時間が何時間と続く。
幼かった六椰真は部屋の片隅で震えていることしか出来なかった。幸せな家庭から引き剥がされて連れて来られたここでは人間を兵器にする実験が行われていた。それに利用されていた真は徐々に自分に奇妙な力がついていくのを感じていた。そうしていつしかそれが信じられないほどの猛毒であるということを知った。怯えて苦しむ毎日。そんな時、その部屋にやってきたもう一人の少年。
「あっははは、捕まっちゃったよ、全く。参ったな」
こんな薄暗い部屋で明るく発せられた声に真は興味を引かれた。まるであの細い日の光みたいだった。
「なんだ、もう一人いたのか。参っちゃうよねぇ?早くここから出たいな」
「…出られないよ。ずっとここにいるんだ…」
「諦めるのか?だからこんな所に長いこと…長いの?」
「…うん」
「そうか。長いこと閉じ込められているんだよ。ここはなんとかしないと!」
彼はにこやかな笑顔でそう言った。家族から無理やり引き剥がされた割には明るい彼に真は首を傾げた。
「あの…どうしてそんなに明るいの…?」
「え?暗いだろ、ここ。光とかないじゃん、真っ暗くら」
「…いや、性格のこと…。それにほら、光ならあそこに一筋あるよ」
「あぁ、俺の性格か。なるほど。え?光あるの?そうか、真っ暗なのかと思っていたよ」
首をさらにかしげる真。どう見てもそこに光はあるのに。それともあの光は幻覚だったのだろうか。
「悪いな、俺眼鏡取られて視界が悪いんだ。視力悪くてさ。全然見えないんだ。だからアンタがどんな顔しているとか男か女かとかもよくわからん!ごめんな」
「ボクは男だよ…。そうなんだ、視力悪いんだ」
真は納得したように頷くと彼のそばに歩み寄った。
「これで見える?」
「おう、見える見える。なるほど、何歳?」
「…今は…多分、十…かな?」
「ふうん。童顔だな!俺は十四だよ。そうそう、名前は丹刻快。よろしくな」
「ボクは六椰真…。よろしく…」
そうして出会った二人の少年はそれからまもなくして、周囲の連中のほとんどを毒に犯してその場を逃走した。それから他にも自分達のように苦しんでいる人たちがいるということを知って救出に向かった。それからであったデッドリィ=ポイズンと呼ばれる組織。自分達のように実験に扱われていたのは何も最近の、そして自分達だけということではなかったのだと知った。そして真たちはその組織に加わることとなった。どうせこのまま生きていても世間からは煙たがられ終いには殺されてしまうのだから歓迎してくれるその組織に身をおく事を求めて何が悪い。そして真はその強力な毒の力からその組織の長を任せられることとなって困惑しながらも勤めることを決意した。全てはその組織でやろうとしていたこと。自分達にこんな不気味な力を付けさせた実験者達に制裁を加えるために。
「それが…今、叶おうとしているんだ…!今まで苦しみもがいて死んでいった仲間たちのためにも…!」
真は勢い良く手を振りかざす。そこから放たれる毒は果たしてどれほどだろうか。
「ひいい!頼む、助けてくれっ!」
叫ぶ紺の顔を見て吐き気を覚えつつ、真は完全に手を振り切った、そのとき。
「止めてよ!!」
見知った声が真の頭に響いてきた。そしてそれは頭ではなく耳の粘膜を通して頭に伝わってきたのだと知った。そして気がついたとき、真が振るった毒の前に立ちはだかった一人の少女の姿を捉えて真は急いでその手を引いた。
「うあっ…!」
少女の声が漏れる。真は手を完全に引いて何が起きたのかを理解しようとした。
「芙蓉!!」
晋揶の声ではっとした真は急いで倒れた少女、芙蓉の元へ駆け寄った。
「何でキミ、こんなこと…!」
「うう…だって…もう…傷つけて欲しくなくて…」
震える芙蓉を抱き起こして真は目の前が真っ暗になった。確実にこれは真の投げつけた毒を浴びている。
「ひは…ひははっ。ひひゃははは!!そうやって人を殺していくんだ!お前達はそういう集団なんだ!」
紺が雄たけびを上げて笑い出す。それに真は堪忍袋の緒が切れる音が響く。しかしそれよりも速く動いたのは晋揶だった。耳の奥に、腹のそこにまで響く銃声音。慌てて振り向くと右手に銃を構えた晋揶がいた。
「き、キミ…なんてことを…!」
「…っ。す、睡眠弾だから支障は…無い…。多少は痛いだろうがな…」
打ち抜かれた右のわき腹を抱えながら身体を引きずるようにして芙蓉の元に近寄る。
「芙蓉…」
目を閉じて眠るようにしている少女の名を苦しそうに呼ぶ晋揶の姿を見て真は絶句するほか無かった。謝ることもする事が出来ない。謝る資格なんて無い。青ざめるを通り越して真っ白な、血の気の通っていない顔をしている晋揶を見てはっとして真は晋揶に声をかける。
「晋揶…毒を抜かないと…」
「俺のことはどうでもいい…、芙蓉を…助け……」
苦しそうな表情で芙蓉を覗き込みながら言ったが、途中で言葉を切った。真が不安げな表情のまま晋揶の顔を覗き込むと不審な顔をしていた。
「晋揶…?」
「…お前は本当に毒を…打ったのか?」
「え?」
晋揶の表情の原因となっていそうな芙蓉の様子を確認する。すると芙蓉はすやすやと眠っているだけで全く毒に犯されていない。これはデトックスの晋揶より確信を持っていえる。それが専門という域をはるかに超えた密接な関係にあるものだからはっきりとわかる。
「何で…?ボクはだって…本気で…」
そしてふと、真は思い出す。芙蓉に以前渡した薬のことを。
「あ…飲んで…くれていたんだ…」
真はほっとした気持ちを抑えて晋揶を見る。
「芙蓉は大丈夫。ボクが前に渡した解毒薬を飲んでいるから。だから晋揶の解毒をしないと、あなたが死んでしまう」
さすがにこの言葉には晋揶も頷きを返す以外の方法は無かっただろう。晋揶に真が解毒の技を施しているとき、扉のほうで物音がした。
「心莵さん!」
デトックスの一員だった。こちらに銃口を向けている。
「そ、そいつはデッドリィ=ポイズンですか…!?離れてください!」
「待て、撃つな…」
晋揶の声とは裏腹にそのデトックスは銃を撃ち放った。真が倒れる。
「六椰!」
晋揶が慌てて様子を確認すると真は軽く頭を抑えて起き上がってきた。
「…六椰?」
「いてて…あれ、何で…?」
頭を抑えながら真は考えてふと、窓のほうに目をやる。
「悪い、真。我慢の限界。他の奴らは置いてきたけどきちった。ま、助けられて良かった」
「か、快…!」
真はこみ上げてくる感情を必死で抑えて大切な友人の名前を呼ぶ。快はにやりと笑いながらこちらに歩いてくる。先ほどのデトックスが放った弾丸は恐らく快が溶かした。快はそんな怯えているデトックスを軽快しながら真の前までやってきた。
「ええと、何だか不思議な状況だな。理解が全く出来ない。想像していたのと倒れているのが全く違うし…どうなってんの?」
快は真に説明を求めてきたが、真はそれよりもやるべき事があるといって晋揶のほうに向く。
「まだ完全に抜けてない、このままじゃすぐ死んじゃう…!」
「お前は平気なのか?撃たれただろう?」
「紺さんくらいの毒でボクは死なないよ。撃たれた傷は痛むけど急所でもないし問題ない」
「なんだ、真。撃たれたのか」
「ちょっと油断した」
真は困った表情をしつつ、晋揶に手を伸ばした。そして真の両手から発せられる藤色の煙。
「…てっきりやるだけかと思っていたが、そんなことも出来るんだな」
「要は使いようだよ。毒を制するには毒を使うでしょう」
「なるほど」
納得したように晋揶は言うと、扉のところで震えているデトックスに声をかける。
「俺は大丈夫だ、話があるから全員を集会場へ集めてくれるか?」
「は、はい…!」
慌てて腰が抜けたように走り出したデトックスを僅かに哀れに思いながら真は晋揶の治療を終えた。わき腹をさすりながら立ち上がる晋揶。
「あ、あの…動かないほうがいいよ…?」
「何でだ?毒は全部抜けたんだろう?」
「そうだけどさ…、一応わき腹打たれているんだよ、貫通するほど…。普通痛くて大変でしょう、動かないほうがいいに決まっているじゃない…」
「そんな悠長なことを言っていられる状況でもないんでね。終わったらゆっくり横にならせて貰おうとしよう」
晋揶はそういうと紺のほうへと足を引きずりながら歩み寄った。快はそれを一瞬見てから真の前に座る。
「芙蓉ちゃんか。無事?」
「うん、前にあげた薬を飲んでいてくれたみたいで」
「そうか、それは良かった。さて、真。どうする?」
快は晋揶を横目で見ながら尋ねてきた。
「逃げるなら今だぜ?」
「…もう止めよう。紺さんはやられた。必要ないよ…。捕まって処罰を受ける覚悟は出来ているから」
「…そうか」
「だから快だけで…」
「俺もここにいるに決まっているだろう?あの時一緒に逃げたときから俺たちはずっと一緒だ」
「快…!」
真は潤む目を誤魔化すために俯いた。
「いい雰囲気のところ申し訳ないけど、俺はお前らを処刑するつもりは無いからな」
「はっ?!」
晋揶の言葉に快が鋭く反応した。
「ま、多少の処罰は与えるつもりだが、殺しはしないさ。生きて償うことも大事だろうしな」
晋揶は腹に穴が開いているというの大の男を抱えて立ち上がっていた。
「快、お願い!」
「え~…まじかよ…」
真の意向を察して舌打ち気味で立ち上がると晋揶のほうへ歩み寄って紺を受け取る。
「運んでやるから。何処まで?」
「…集会場までだ。案内するからついて来い」
わき腹を押さえながら歩き始めた。真は芙蓉を抱えて立ち上がる。
集会場にはすっかり人が集まっていた。晋揶の状況を見てどよめきが止まらない。
「あぁ、みんな、悪いけど落ち着いて聞いてくれ…。ええと…」
話そうとしたとき、晋揶はわき腹の痛みで言葉を切った。ひざを突いて息を切らせる。紺を適当なところに放り投げていた快が援助に掛かった。真も芙蓉をそっと下ろして壁にもたれかけて晋揶のほうに駆け寄る。
「ふう…情けないな」
「いや、腹に穴開いていてそんな元気なら誰にでも自慢できると思うぞ」
快が呆れたような声で言うと晋揶は小さく笑った。
「さて、ここにて皆に進言したい。まだ正確なことは決まっていないが、近日中にデトックスは解散とする」
今までのどよめきがさらに大きくなった。それは当然だろうが、晋揶はそれでも話を続ける。
「昔、人々の安全と暮らし豊かを目指した実験といって多くの家族が犠牲になった事件を知っていると思う」
晋揶が語りだしたそれは真たち、デッドリィ=ポイズンを作り出すための表向きの表題だった。そしてその実験の首謀者が代々受け継がれてきた最守の一族であることを明かした。真も快もさすがにこれには驚いた。晋揶が何故それを知っているのかが驚きだった。快は芙蓉にそこまでは話していない。どよめく周囲を何とか宥めつつ、晋揶はそれが今、それの被害者となったデッドリィ=ポイズンたちで、一つの小さくも大きな戦争が起き、それが終わったと伝える。その結果がこれであると。倒れている紺を指して晋揶は言う。
「眠っているだけで、直に目を覚ますが…デトックスの本部部長としてやっていける立場には無いということくらい…皆なら理解してもらえると思うのだが…?」
晋揶の投げかけた言葉に俯くデトックスたち。恐らく言葉の意味と事の重大さを飲み込むの精一杯なのだろう。その様子を見ていた晋揶もそろそろ限界が来ていたらしく。
「あ、まぁ、そんなわけで詳しい話はまた今度」
「え…」
「おい、晋揶?」
そういって晋揶が集会場の舞台の中心で倒れた日には、大騒ぎも確実なわけだった。