七話
「当然だが誰にも言うなよ?特にデトックスの連中に知れたら俺はクビじゃすまん」
帰り際に晋揶が苦笑いで言った言葉。冗談で言えることではない。バレたら本当にクビでは済まないだろう。芙蓉はそんな重大な秘密を二つも抱えて苦しい思いをしながら帰宅していた。晋揶は仕事の関係でまだ本部だから一人歩く芙蓉は何処か寂しかった。
「寂しそうだねぇ?」
聞こえてきた陽気な声。
「快さん!?」
「快だけでいいっての。そんな驚かなくてもいいじゃないか」
笑いながら登場したのは丹刻快。
「どうしたの?」
けらっとしたその表情にもしかして六椰真から聞いていないのだろうか。
「あの…えっと…」
「何を緊張しているのさ。芙蓉ちゃん、辺に汗かいているけど平気?」
余裕で笑う快の表情に芙蓉はどっと不安が流れ込む。こんな優しく爽やかな笑顔をしている裏では人を惨殺するのだろうか。
「あなたは…人を…」
芙蓉はここまで言って言葉を切った。それ以上を続ける事が芙蓉には出来なかった。
「…殺したかって聞きたいの?残念だけど俺は誰も殺してないんだな、ははは」
快から返ってきた言葉に度肝を抜かれるレベルを超えて驚いた。
「俺は基本解析が仕事でね。もちろん、デッドリィ=ポイズンとしての能力も使えるよ」
「え…あ…いや…」
「あれ?真から話したって聞いたけど?」
芙蓉は混乱する。彼は一体何を言っているのだろうか。
「…俺がこんな軽快に話をするのが意外?信じられない?」
快のその言葉に何度も細かく頷くと快は笑う。
「あはははっ!面白いなぁ。殺してないけどいつでも殺す準備は出来ているんだよ。今芙蓉ちゃんに会いに来たのは真を護るためなんだ」
笑顔で言うその裏には恐らく殺意が隠れているのをさすがの芙蓉ですら理解できた。
「な…何を…」
「誰かに真がデッドリィ=ポイズンの長だって言ったかな?」
芙蓉はその言葉に言葉を詰まらせる。それから落ち着いて考えてそうだ、誰にも言っていない。あえて言うならあの地下の人たちにくらいだ。
「あの…その…」
「もしかして言っちゃったのかな?もし本当に言ったというのなら…」
快は芙蓉の目の前に手を差し出すとそこからふわりと紫の煙が発生する。
「本気で殺しに掛かるけどいいかな?これは毒ガス、といえば通じる?巷で有名な数週間生かす、なんてぬるいこと。俺はしないよ?即死させる。どう?イエスかノーで答えて欲しいね?」
「いや…あの、一応言ってないです…」
「曖昧な答えだねぇ?」
「うぐっ…」
毒の充満するその手で首をつかまれる。呼吸が出来なくなってきて苦しくなってくる。
「まだ死なないよ、この程度ではね。で、何でそんな曖昧な回答?」
「うっく…ぐ…、け、圭さん!」
叫んだ芙蓉の言葉に反応して快は芙蓉から手を放した。
「なんて?」
快は少し驚いた風に声を発した。芙蓉は軽くむせながら何とか言葉を発する。
「げほっ、げほっ…さ、笹貝…圭…さんと…鏡野冴…さん…とか…そのほか…名前は知らないけど…」
「何で知っているんだ?その人たちはずっと前に…」
快は動揺しているようだった。芙蓉は何とか呼吸を整えて快に向かう。
「お願い、誰も傷つけないで!捕まった人たち…全員じゃないけど生きているから…!」
誰にも言うなといわれていたけれど彼らならそれは言うべきだと思った。敬愛する父に僅かに謝罪しながら。
「生きている…?」
「うん、そう…生きているから…本当に…彼らと話をしたの…」
名前を知っていたことから快は比較的すぐにそれを信じてくれた。それだけではなく、快は何処か納得したような表情をしていた。
「まずは苦しめたことを謝るよ、芙蓉ちゃん」
「い、いえ…」
「やぱり晋揶は殺してないのか」
「え…?」
何処か腑に落ちないような表情をしていても快は安堵した表情をしていた。
「知っていたの…?」
「捕まった何人かは殺されていないって知っていたから少し調べたらどうやら晋揶あたりが何かをしているってわかったんだが…その事が事実かどうかもわからんくてね」
「お父さんのこと…も…」
「だから芙蓉ちゃんに家に入るように言われたとき、真の奴が渋ったのはそれが原因だし、晋揶が来たときに逃げたのもそれが原因」
快は深呼吸をして芙蓉に向かった。
「…それじゃ芙蓉ちゃん。良い事を教えてくれた礼として俺から一つ、教えてやるよ」
快はそういうと腰に手を当ててそっと芙蓉に耳打ちする。芙蓉はそれを聞いて目を見開いた。そっと離れた少し上の快の目を見上げて芙蓉はただ怯えていた。
「嘘…でしょう?」
「本当のことさ。真からも言っていいって許可貰っているから教えたのさ。晋揶にでも教えてやれよ。喜ぶぜ」
「よろっ…」
芙蓉は言葉が詰まって出てこなかった。快はにやりと笑いながら手を振って踵を返した。
「あぁ、それから…もう一つだけ聞いてもいいかな?」
「はい…?」
「その、捕まってる人たち、何処にいるか教えてもらえる?」
芙蓉はぐっとこみ上げてくるものを抑えて黙り込んだ。振り返りざまにこちらを見ている快を見据える。
「…言ったら…開放するよね…?」
「そうだね、『それ』に向けて」
芙蓉は黙り込む。それからおもむろにポケットから紙を取り出してそこに書き始める。快もその行動に疑問を持って身体をこちらに向ける。書き終わった芙蓉はその紙を快へ突き出す。
「私の家の電話番号。今日の6時、電話して。そのときに回答を渡すから」
「…なるほど、その『ギリギリ』に言うか言わないかを決めるって訳か?」
「……」
快の言葉に芙蓉は応えず俯いて黙っていた。
「まぁいいよ。わかったそれでいい。じゃ、受け取っておく」
快は紙を受け取るとさっさとその場から立ち去っていってしまった。芙蓉はそんな快の背を少しだけ見送った後急いでデトックスの本部に向かって走り出した。
本部について即座に父を探した。
「あ、浪能さん!」
晋揶の旧友、蓮眞を発見する。
「おや、芙蓉ちゃん。焦ってどうしたの?」
「お父さん、どこですか!?急用があるんです!」
「えっと…今部長と話しているけど?」
「本部部長?!」
芙蓉はその言葉にぞっとしながら首を振った。
「それ、いつ終わりますか?!」
尋常ではない芙蓉の焦り具合に蓮眞も戸惑っているようだった。
「結構話しているからもうすぐ終わるんじゃないかな?」
芙蓉は曖昧な礼を述べて本部部長の部屋へ駆け出す。
「芙蓉ちゃん?!」
止めるような言葉を無視して芙蓉はその勢いを止めることをしなかった。
息を切らしながらようやくたどり着いた部長の部屋。中で晋揶が話をしているのだろうか。もどかしい思いをしながら芙蓉は中から晋揶が出てくるのを待った。
数十分した後、ようやく晋揶は中から出てきた。
「芙蓉?!」
当然だが、酷く驚いた表情をしていた。
「おやおや、娘さんか。熱心だな?」
中から本部部長こと、最守紺が中から出てきた。芙蓉はその姿を見てぐっと奥歯をかみ締める。それから僅かに上擦り震えた声で言う。
「お、お父さん…いいですか…?もう、いいですか…?」
「ははは、構わないよ。もう終わったよ」
紺にそういわれて芙蓉は晋揶の袖を鷲づかみ無理やり引っ張る。早くしなければ時間が過ぎてしまう。
「おい、芙蓉…?!ちょっと、放せって…おい」
戸惑う晋揶の声を無視してとにかく走る。
家まで半分まで来たところで芙蓉は息切れで喉から血の味がして吐き気がしていた。
「大丈夫か?」
当然だが晋揶は余裕そうで困った顔をしていた。
「どこに行こうとしているんだ?家か?急ぎか?」
芙蓉はその言葉に息を上げながら何度も頷いた。
「ほら」
晋揶は芙蓉をおぶるようにして走り出す。
「うう…お父さん速い…」
「鍛えているから当然だろう。これで鈍足だったらデッドリィ=ポイズン逃すだろうが」
当然といえば当然だがと思いつつ芙蓉は呼吸を整えて何とかこの状況でもいいから説明をしようと晋揶に声をかける。
「お、と…お父さん…速度を落とさず聞いて…というかもう、全速力で走って聞いて…」
「…は?」
今の時間はおおよそ五時半。約束まで三十分。家に着くまでにその時間は消費されてしまうのではないかと不安になる。バスはこの時間走っていないし、タクシーなんてこの辺はないし、車は恐らく家にある。走るほか無いこの状況では晋揶の足だけが頼りな訳で。芙蓉は晋揶の背中をぎゅっと力強く握り締めながら額を押し付ける。
「芙蓉?」
「最守さん…が…っ」
「……彼がどうした?」
妙な間を持って晋揶が返す。
「こっ、ころ…され…っ」
芙蓉のその言葉を聞いて晋揶が警戒心を放った。
「やられちゃう…どうしたらいいか…もう…」
「芙蓉、落ち着いて話せ。俺は走ることに専念するから返事はしない。とにかく的確に話せ」
芙蓉は頷いて深く息を吸う。さらに速度を上げた晋揶の背にしっかりと掴まって。
快から聞いた衝撃的な話。今夜、デッドリィ=ポイズンはデトックスの本部部長、最守紺を殺しに掛かる。その理由は目的そのものだから。目的自体を話するほどの時間は存在しないから省く。こればかりは誰にも譲らず的確にしとめる。それが彼、丹刻快が教えてくれたこと。
「今日…なんか…わかったから…って言っていたの…それで私…その…思わず…」
捕まえたデッドリィ=ポイズンたちが生きていることを喋ったことを話す。晋揶からは当然返事は無い。しかし場所は言っていないことをしっかりと伝える。それで今急いでもらっている理由を話す。
「六時に…電話して欲しいって…言ってしまって…。時間、無いから…お父さんに話したくて…相談したくて…勝手に…ごめんなさい…本当に…」
「いい、降ろすぞ」
晋揶の背から降りるとそこは愛するべく我が家。晋揶はさっさと中に入っていく。芙蓉もその後を追った。時計を見るともう直ぐで六時を指していた。その時、電話が鳴り響く。
「あぁ、どうしよう…、まだ話が…!」
芙蓉が困惑し、しどろもどろしていることを完全に無視して晋揶は息が整わないうちに電話の受話器を手に取った。
「心莵だ」
『…あ、丹刻と言います。芙蓉さん、いますか?』
電話越しに聞こえてくる明るい声音。晋揶は以前芙蓉が家に上げていたうちの一人だと直ぐにわかっただろう。晋揶の目が芙蓉を見る。芙蓉はその目が怖くてそこから反らした。
「いるが…」
『代わってもらえますか?』
「…デトックスの本部の入り口から南西へ百五十メートル」
「は?」
『は?』
電話の相手のハモリングしたことを恐らく芙蓉は知らない。それでも父の発言に驚いて固まっていた。
「そこに小さな噴水がある。その噴水からさらに北西へ少し行ったところに杉の木がある。大きいから恐らく直ぐにわかるだろう。そこの根元の茂みを掻き分けると色の違う草が植わっている。それが丸々取れる。後はわかるだろう、説明しなくても」
『…何故?』
戸惑った風にも聞こえるその声に晋揶はまだ軽くあがっている息を整えながら答える。
「何が正しいかなんていうのは世の中を見ているだけではわからないということだ」
晋揶はそれだけ言うと電話をなんと切ってしまった。
「お、お父さん…!?」
「説得をしたんだが出来なかった」
「え?」
突然晋揶が言い出したことで芙蓉が困惑する。
「最守紺。彼は…」
晋揶は何かを言おうとしてその言葉を止めた。それからなんでもないといって歩き出す。
「ちょっと、お父さん…!?」
「芙蓉、お前は家にいろ。俺は少し出かける」
晋揶はそう言ってさっさと家を出て行ってしまった。残された芙蓉はどうしたものか考えた結果、意を決したように走り出した。