前編
第一章
この世界のどこかで桃色の球体、黄色の球体、青色の球体が黒い球体を取り囲むように暗い海の底で呟かれていた。
「この黒の悪魔を封印してからこれで何万何千日目?」
「分からない。だが、俺たちはこいつを封印するのが使命、それだけだ」
「僕たちはこの脅威を世に出さないようにするためにいるんですよQさん」
「気が遠くなるわね」
その四つの球体に新たな灰色の球体が接近する。
「なんだ?!」
黄色の球体が即座に感付くが、相手の俊敏な速さに黒い球体を囲んでいた陣形を崩され、黒い球体は海面へと上昇していく。
「まずいわ」
「あの悪魔を世に出しては!」
灰色の球体から音声が放たれる。
「お前ら全員も俺の野望を壊されないためにも逆に俺がお前らを封印する。何百年と長い間ご苦労なこった」
突如として現れた灰色の球体から光が放たれる。その光に成すすべなく桃色、青色、黄色の球体は光に飲まれてしまう。
「くっ!」
「……」
「わわっ!」
「じゃあな。ジョーカーを封印せし、三体のホムンクルス」
それぞれの球体は石に変えられ、灰色の球体の力によって暗い海の底から打ち上げられた。
「これで俺の理想が叶う。何百年の恨みを晴らすために……」
「今日は良い天気だなぁ」
雲一つない大海原にブイを浮かべ、大海に吹く風に自身の金髪をなびかせ、獲物である魚を今かと待ち構える少年がいた。
「今日は大漁だな。おっ?」
ピンと海からの獲物に反応して少年に教えるように竿はしなる。
「よっと! 活きが良いな」
釣り上げた魚に満足気に持ってきた入れ物に入れる。中にはこれまでに釣った魚達が元気よく顔を覗かせている。
「今日はこれぐらいでいいかな」
少年は大海原に釣りをするために先程から乗っている小型乗用船にエンジンを入れ、乗用船の命が吹き込まれた事を確認して、アクセルを入れる。
「いやっほう!」
少年は勢いよく動く乗用船に器用な運転捌きで自分の家である島へと向かった。
とある島に何一つ不自由もなく暮らす少年カイト・バックスは今日の夜ご飯のおかずである魚を釣り終え、カイトの住むケアル島に帰ってきた。
「ただいまー! 母さん! 今日も大漁だったぞ! 俺のおかげだな!」
カイトは得意げの顔で母親に渡す。
「あらあら。こんなに釣れたの? 今日は豪勢に出来そうね」
釣りをしていたカイトの母親、アミタは入れ物に大量に入った魚を確認して、息子の功績を褒めた。
「今日の夜ご飯はいっぱい食べられそうだね」
口に溜まった涎を飲みこみ、嬉しそうに言う。
「ふふ。楽しみにしててね。そういえばグレイ先生がさっき島に来たわよ?」
「グレイ先生が? やばっ。宿題を提出する日だ!」
そう言ってカイトは台所から自分の部屋へと駆け上がる。
「えーと宿題宿題……」
グレイ先生はこの島に定期的にカイトを含めた子供たちの勉強を教える教師として短い時間だが、ほぼ毎日のように来ている言わば学校の先生のような存在なのだ。
「あったあった。んーまーこのくらい大目に見てくれるよな」
あまり書いていないノートを拾い上げて、その辺の筆記用具を集めて部屋を出る。
「いってきます!」
母親に一声掛け、家のドアを開き、島の中央の広場へと走る。そこには先に来ていた子供達がグレイ先生を相手にたくさんの行列を作っていた。その行列に並ぶ前にカイトはグレイ先生に一声掛けようと最前列の方へと駆け寄る。
「グレイ先生こんちはー。ってあれ、なんか疲れてるみたいですね?」
カイトの挨拶に並んでいた子供たちの採点に目を配っていた顔を上げる。
「おや? カイト君か、こんにちは。疲れてるように見えますか? 多分船旅に少し揺られてたのでしょう。それで、ちゃんと宿題はしてきましたか?」
「も、もちろん!」
「それは楽しみですね。では列に並んで順番まで待ってくださいね」
「はーい」
軽い会話を済まし、列の最後尾へと歩いていく。
「やっ。カイトも宿題?」
列に並んでいた女の子がひょいっと顔を出す。
「おーナギサか。ああそうだよ。この前出された数学と国語を」
ナギサと呼ばれる女の子はこの島で育ち、昔からカイトとよく遊んでいた子。ナギサは並んでいた列から抜け出し、後ろに並んでいた子に譲り、カイトと共に最後尾へと歩く。
「数学と国語ねぇ、カイトって勉強がほんとに苦手だよね?」
「うるさいなぁ! 出来なくても死なないよ!」
嫌味を言うナギサに図星を突かれる。こんな勉強をやっても何も身に付かないと思っていた。
「ま、それで人間の価値なんて分からないと言えばそうだからねー」
ナギサは威張るように言う。ナギサに関してはカイトとは正反対で勉強が良く出来る。
「ナギサは全教科得点良いですもんね。羨ましい限りですよ」
ナギサはカイトと十四歳の同学年で今までの教科全て、満点に近い点数を取っている優秀な生徒だった。
「まぁね。カイトとは違うからね」
「チクチク嫌味言うなぁ」
ナギサの言う事に終始むっとしていたが、この流れもじゃれ合いみたいなもので別段嫌っている訳でもないし、むしろ友達だからこうも言えると言った感じだ。そう言い合っている内にカイトの前にさっきまで多くの子供達が並んでいた列が少なくなり、グレイ先生が目の前に映る。
「ではカイト君。宿題を見ましょうか」
「お、お願いします」
受け渡されたノートをパラパラとめくり、赤ペンで採点を付けていく。
「んー……。ん? これ途中じゃないですか?」
全然書いていないノートに疑問を持つグレイ先生は質問する。
「すいません。分からなくてやってないです……」
頭を掻きながらカイトは正直に言った。
「うわっ、なんも書いていないのと同じね」
後ろから横やりを入れるナギサ。
「さぼった罰として宿題を増やします。今度はこの続きと新たな宿題をやるように、いいですね?」
グレイ先生からきつい申告を受け、その場に倒れこんだ。
「ひどい……」
「ちゃんとやればこんなことにならなかったんですよ。では次はナギサさんですね」
「はい。お願いします」
ナギサはいつも話す調子とは違い、優秀生徒の見本ような振る舞いをしていた。
「……。はい。いつもいつも優秀ですねナギサさん。このままなら将来楽しみですね」
グレイ先生は採点を終えたノートをナギサを褒めながら渡す。
「優秀なんてそんなことないですよ」
ナギサは猫を被ったような声で返答する。
「いえいえ。これは本当ですよ。この調子で頑張ってくださいね」
グレイ先生は採点、次の課題プリントを配布していつものように早々と帰り支度をする。
「ではカイト君、今度はちゃんとやるように。今日から少し、私の研究が忙しくなるので来れる日が少なくなるので大目に出しましたからね」
「そうなんですか……。はーい……」
グレイ先生は慌ただしく船着場に向かった。俺はその見送りをしようと後ろから追いかける。
「じゃあまた今度! グレイ先生!」
カイトは大きく手を振り、グレイ先生に挨拶する。その声に気付いたのか、先生はこちらに手を振り、船に乗った。
「さてと……。宿題減らさないとだな……」
船着場を後にしようと体を逆に向かせようとした時、この島の左側、大海原を向かった先にある孤島の上空に飛来物が落ちてきた。見えた時には孤島に落ちた衝撃でドンと大きな音がカイトのいる島まで響いた。
「なんだあれは?!」
カイトの後ろで叫ぶ島民をはじめに続々とその飛来物の不時着に興味が集まる。すると大人何人かが集まり、あの孤島を見に行ってくると言って、船を出す準備をした。
何人かの大人に先程別れたグレイ先生が指揮を取り、色々と指示を仰いでいた。
「あれ? グレイ先生? どうしてここに?」
カイトの存在にグレイ先生は気付き、カイトに説明する。
「さっき船を出そうとした時に、そこの孤島に飛来物が落ちた音を聞いて、船を出した直後だったので引き返してきたんです。何か珍しい物が発掘できれば研究出来ていいかなと思いましてね。そうだ、カイト君もあそこの調査に行きますか? 君の運動能力が役立つ時があるかもしれません」
グレイ先生の言うとおり、島育ちというのがあって運動能力は抜群に良いとグレイ先生に褒められたのだ。その運動神経を生かす時が来る。カイトは飛来物の興味は勿論あったので二つ返事で了承する。
「うんうん! 行く行く!」
「それじゃあちょっと話を入れてきますから少し待ってて下さい」
程なくして、船の出航がかかり、グレイ先生、カイト、大人数人を乗せた船が動き出す。
十分くらいの遊覧を経て、孤島に船はたどり着く。人間の手が全くと言っていいほど届いていない場所で、人の踏み入りを拒むように木々が多い茂っている。
「何が起きるか分からないからな。気を引き締めて行くぞ」
男の一人が声を上げ、船を次々と降りる。降りた場所から孤島にの中心を向かう為に多い茂った木々をどかしながら一歩一歩進んでいく。最後尾から続いていたカイトは途中、少し木々の少ない獣道が通っているのを見つけた。
カイトはその事を大人たちに言わず、飛来物の発見の第一人者として目立とうと、隠れてその道に外れていった。獣道を道なりに進むと木々に覆われ、よく見ないと分からないように、目の前にぽっかりと空いた洞窟を見つける。いなくなってバレる前に急ぎ足で洞窟に入った。
中は思ったほど暗くなく。少し歩いた先には以前まで誰かが住んでいたのだろうか、門のように佇む両扉の片方だけが洞窟と先の空間を仕切るようにあった。完全に錆び付いた扉は開閉という役目を果たさず、苔に覆われた片扉しかないそのドアの横を抜けると、開けた場所がカイトを迎える。
そこは大きい岩、小さい岩がそこら中に飛び散り、中には岩の破片なのか見分けが付かない程の錆びた欠片が地面に転がっていた。空間の天井には大きな穴が空き、太陽の光が大きく差し込んでいた。
「ここは?」
辺りを見回すと洞窟のいびつな形は消え、壁も整備された状態で残り、人の手が入ったような造りになっている。その空間の中央に散らばる石とは違う色で地面にめり込んで鎮座している物を発見した。
「まさか飛来物?!」
期待を胸にそれにカイトは近づく。地面に突き刺さった飛来物は、石版のようなもので、四角い石になにやら人のような絵柄が描かれており、加えて石版からどうやって発しているのか分からないが太陽の光に呼応するかのように薄く、、桃色に発行していた。
「な、なんだこれ?」
その石版の神秘さに心が奪われる。誰が何のために、そしてこれが飛来物とすればどうやって? 自分の中で色々が疑問が交錯する。考えている内に洞窟の外から人の声が聞こえてくる。
「――イト! カイト!? どこにいんだ?!」
さっきの男の人の声。この空間と石版に気を取られ、我を忘れていた。そういえば島民の人と来てるんだった……。
石版に心を奪われた時間がどれほど時間経ったのか分からないがその呼びかけに答える。
「俺はこっちだー! 今行く!」
一度合流するためにその場を後にし、来た道を戻り、大人達を探した。
「カイト! お前一人でどこ行ってたんだ。あんまり一人でうろちょろすんな」
大人の一人は開口一番に叱る。その件にカイトは謝り、代わりにカイトは洞窟で飛来物と思われる物を発見したと皆に伝え、飛来物に続く道へと案内した。
「へーこんなことに洞窟がなぁ。洞窟というより、通路に思えるな」
大人の一人が感想をこぼす。確かに今まで洞窟と思って進んだが、今こうやって冷静に歩くと所々の壁から石材の様な物が苔の下から覗かせている。この孤島に不自然に出来た洞窟は色んな所から神秘的なオーラを滲み出していた。最後の片扉しかない場所に差し掛かると男は言った。
「こんなところに扉が? それにこの扉なんか描かれているな。」
よく見てみると確かに何かが描かれていたのだが、片方しか無いせいか、全体像が現れてこない。
その扉を避け、カイトたちは石版が地面に刺さったまま鎮座している空間に出ると、ここへ来た全員が小さな感動の声を上げる。
「これが落ちてきたやつかっ!?」
男の一人が小岩やら何やらの破片を蹴りながら子供の様にそれに近づく。
「待って下さい。私が見ます」
男が集団から離れて石版に触れようとするのを静止させる声が響く。その声の主、グレイ先生だ。
「何か人間に脅威をもたらす物かもしれません。慎重に行きましょう」
そう言って飛び出した男を止め、グレイ先生は石版から少し離れた場所から観察を始めた。
カイトはさっき見た石版とは違う事に気づく。あの時見た記憶では、太陽に照らされ、桃色に光り、人の絵柄が描かれていた。しかし、今は輝きもおろか、絵柄も消えていたのだ。その不思議な現象をグレイ先生に伝えた。
「ふむ。それは不思議ですね。もしかすると太陽の光に反応していたんでしょうか? しかし、今は太陽が雲に隠れて分かりませんが、そんな光が照らされている時だけ、この石版のようなものに絵柄が描かれるとは考えにくいです。見間違いをしたのでは?」
信じて取り合ってくれないグレイ先生に必死に説明する。
「でも見たんだ。ピンク色に光っててそれで石版に人のような絵柄が描かれていたのを」
「ただの思い過ごしでしょう。ご覧、今じゃただの一枚岩にしか見えないです。 それになんも脅威も感じられない。また、価値があるようなものでも人間に害を及ぼすようなことも無いでしょう。これ以上の散策は不毛です」
そういってグレイ先生は大人達に説明した。この島にきた大人達はなんだ、と各々は不満を残して早々に船へと向かって行った。
「さ、カイト君行きましょう。少し疲れているんじゃないんですか? 今日はゆっくりと睡眠を取って、いっぱい出した課題をやりましょう」
忘れていた多大な提出物があることをカイトはうんざりした顔をする。帰る途中、最後に石版を見ようと振り返る。それは何も発さず、ただ地面に刺さっている石。やはり一回目に見た光と絵柄は見間違いだったのだろうか。
カイトたちは船に乗り込み、収穫を得ない無人島ツアーを終えて、島に帰ってきた。そこに飛来物がなんなのかと島の人達が押し寄せていたが、グレイ先生が無価値なものと教えると島民はがっかりしたように散り散りに去って行った。
「おっ? カイトー! どうだった? 無人島は?」
そこに噂を駆けつけた一人、ナギサがカイトに興味津々に話しかけてきた。
「なんもなかったよ。あったのは只の石」
「えー。つまんないの。なんかすっごい宝石でも落ちて来たと思ったのに〜」
「それ以外何もなかったからね。俺の見た中じゃ、宝石みたいなもんなんか一つも無かったよ」
「そっかぁ。そういえば話変わるけど、カイトこれから暇? ちょっと付き合って欲しいことあるんだけど……」
もじもじと話すナギサに俺はどきっとする。眩い茶色の髪の毛をポニーテールのように後ろで束ね、元気いっぱいを表現した彼女の顔から想像付かない、リンゴのように頬を赤らめて、うるっとした瞳を合わせて上目使いで言ってきたのだから。
「え? それは……?」
「……。ハメられた」
ナギサの家の畑では野菜を育てていて今が実りの時期! と言えばすることは一つ。
「いやーちょっと今回は豊作でね。いっぱいできちゃったから収穫するのが大変で……」
「そうですか」
「なぁに怒ってんの? さてはなんか別の事期待してた?」
ナギサは手を休め俺にちょっかいを出してくる。
「んなっ! そんな訳ないだろ! ほらよ!」
カイトは収穫した野菜が入ったカゴを渡す。
「またまたぁ。顔を真っ赤にして正直だね」
「うるさい! 早く収穫するぞ!」
ナギサに巧みな色仕掛け(?)に騙されて大量にあった野菜等の収穫を終えると、すっかり空は夕焼けの色に染まり、綺麗なオレンジ色でこの島を彩った。
「ふぅー。ほんとに沢山あったね。お礼に少し貰って行って良いよー」
ナギサはカゴにたくさん入った野菜等の食材をドカッと足を広げていたところに置いてきた。
「そうじゃなきゃ割に合わないよ」
「私に騙された事?」
「どっちも!」
ごめんごめんと平謝りをするナギサからバイト料とも言うべきか、カゴに入った食材を担いで家に向かった。
夕方のオレンジ色から夜の暗さへの移り変わりは早く、重たいカゴを担いで家に帰る頃には辺りが暗くなっていた。
「ただいまー! あー疲れた」
「おかえり。あら? こんなに野菜が、ナギサちゃんの所の?」
「そうだよ。今日収穫の手伝いで頼まれてね。それがすごい量のなんの」
「今日は魚といいカイトのおかげで夜ご飯は凄いもの出来そうね。あと少しで出来るから、お風呂に入っちゃいなさい」
「はーい」
カイトはナギサの畑の手伝いによって汚くなった体を洗い流す為にヘトヘトの体を動かして風呂へと入った。
「今日は色々あったなぁ」
最も今日の隕石による飛来物、本当にあれは幻だったのだろうか。俺は風呂に浸かりながら色々考えた。
「ご飯出来たわよ。上がってらっしゃい」
母さんの合図に返事を交わし、お腹の減りに考えていた事を全て持っていかれ、直ぐに風呂から上がった。
豪勢な夜ご飯をモリモリと食べ、家族との団らんが終わってドップリと夜の静けさを醸し出す。時刻は九時、眠くはなかったが自室に入って、ベッドに横たわった。
「うーん。明日もう一度あの島に行ってみようかな」
カイトはあの石版が頭に引っかかっていた。あの輝き、そして絵柄の模様は間違いなくあった。見間違いではない。
色々とベッドに横たわりながら考えているとふとした拍子で見た窓の外に一本の線が見える。それは夜空の色とは違う。目を凝らして見ないと分からない程の微かな線、上体を起こし、窓に体を乗り上げる。その線は飛来物が落ちたあの孤島の方角から空に向けて垂直に伸びていた。
「あれ……は?」
カイトは何かを直感する。急いで服を着替えて、ライトを持ち、下に降りていく。
「あら? どこかお出かけ?」
「うん。ちょっと散歩、腹いっぱい食べたから消化してくる」
「そう。あんまり遅くならないようにね」
「うん。行ってきます」
カイトは母親に会話を交わして、外に出た。そして小型船に乗り込み、夜の大海に踏み出した。
第二章
走らせること数分、カイトはあの光を頼りに孤島を目指し、小型船を動かしていた。
目標となる孤島が目の前にどんどんと押し寄せ、視界に全体を捉えていたのが段々と島の一部しか見えなくなる程に近づいてきた。目の前に浜辺しか見えないところで船のスピードを落とし、浜辺に小型船を停泊させ、ライトを片手に島に降り立つ。
昼間に来たよりも夜の静けさがこの島の不気味さを演出し、より一層の暗黒さを出していた。
ライトを頼りに茂った森の中にカイトは入っていく。
暗い。怖い。ライト一つでやってきたカイトは恐怖に駆られ、情けない腰つきで歩く。ガサッと木々が揺れるだけで高い悲鳴を上げて、腰がすくんでまともに歩けない。その弱々しい腰つきで洞窟があっただろう獣道を通り、洞窟を見つける。昼間は感じなかったが夜に見ると、何か住んでてもおかしくない横穴を前にビクつく。カイトは深呼吸をして心臓の高鳴りを整えて、意を決して中に入る。
洞窟の道なりを慎重に歩いていると、向こうの方から人の気配を感じる。
「人? 誰かいるのか?」
カイトはその場に座り込む。こんな誰もいない孤島に誰が? 四つん這いで這うように前へ前へと相手の正体を掴むために気づかれないように音を殺して進む。
錆びた扉を目前に人がいない事を確認しながら慎重に扉を抜けると、ひらけた空間は月に照らされ、幻想的な雰囲気を表していた。ひらけた場所にくると人の気配が消え、カイト以外の人の気配を感じなくなっていた。まわりの小石や破片が風に煽られ、コロコロと転がるぐらいしか物音はない。
勘違いで終わったカイトは、周りを一応警戒するように見渡しながら昼間に見た石版に近づく、小さく桃色に輝く石版、そして人の形が施された模様がやはりあった。
「やっぱり……。見間違いじゃなかったんだ」
カイトは自分の見た記憶が間違いではなかったことを確認する。その石版の前に座り込み、石版と対話するように話しかける。
「なんかこの石版、不思議だよな。良く分からないけど力を感じる。そんな感じが……」
不意にその石版にカイトは触れる。すると触れた場所に亀裂が入る。
「え?」
カイトの言葉を遮るように亀裂が休むことなく入っていく。その亀裂の隙間から光が漏れる。夜の暗さの中、突然の光にカイトは腕で顔を伏せた。次第に光が徐々に薄れていく。 伏せていた顔を上げるとそこには有り得ない事象に驚きを隠せず、カイトは思わず後ずさりしながら立ち上がった。
「この子は……?」
石版が鎮座していたそこに石版が消え、代わりに少女が倒れていた。ライトを照らし、よく見ると、光に照らされて反射するかのように綺麗な桃色の長い髪とライトが照らす光の円にすっぽりと収まるぐらい小さく丸まった華奢な体に薄いピンク色を基調としているが、そのピンク色の派手さを前面に押し出さない、静謐な色合いのドレスに身を包んでいる。まるで人形のような作り物に近かった。カイトは少女に向けたライトを逸らすと、少女の傍らにカードが二枚落ちていた。そのカードを取ろうと近づき、彼女を起こさないように静かに拾い上げる。
「これ、なんだろ?」
一枚はカードの四隅にハートとダイヤの柄のようなものが施され、中央に大きく《Q》と細く掘ってあり、その背景に剣のようなものが二本書かれているものだった。そしてもう一つの方は白い背景に棒立ちをした灰色の人が描かれていて、加えて右手から伸びる棒のようなものを持った絵が簡単に記されているだけの質素なものだった。
そのカードに気を取られていると、彼女は寝起きに不意に出るような小さな声をあげた。その声にカイトは驚き、持っていたカードの一枚を落としてしまい、彼女の元に落ちる。そしてもう一枚を慌てて隠すようにポケットに乱暴にしまう。
「んっ……。ここは……? そうか私たち……」
独り言のように一人で話している。彼女に少し興味があったカイトは謎の少女に対して恐怖があるものの、意を決して彼女にライトを向ける。
「――っ!? だ、誰? まさかもう?!」
彼女はライトの光に驚き身構えた、カイトはすぐさまライトを逸らし、彼女と面と向かうようにしゃがむ。
「ごめん。ちょっと驚かせたかな? 俺はカイト。君に何する訳じゃない。君はどっから来たんだ?」
相手の警戒を解くように優しい口調で話した。彼女は本能的に敵じゃないと分かったのか、少し警戒を解き、まだ敵か味方か分からない俺に対して、慎重に言葉を選んでいるのか、遅い反応で質問に答える。
「……私は《Q》。過去にこの世界で起きた大きな封戦の果てに長い間、敵を封印してきたホムンクルス」
「ホムン……クルス? 封戦?」
カイトは聞いたことない言葉にぽかんとする。
「ホムンクルスというのは錬金術によって作り出された人間にほぼ近い生体のこと。そして私たちは人間の過ちによって作り出された《ジョーカー》を倒す者として生み出された」
レンキンジュツ? ジョーカー? この子は何を言っているのか理解が出来ない。
「あなたは? もしかして《ジョーカー》の手先? ならばこんな飯事に付き合っている程、私は暇じゃないわ。まだ力が存分に出ないけど、あなたぐらいならさっさと沈められる」
少女は警戒心を上げたのか、身構える。その動作にカイトは静止させる。
「待て待て! 俺は敵じゃないし、ジョーカー? っていう奴の手先でもない。普通の十四歳の子供だ」
必死の弁解に少女は身構えた腕を下ろした。どうやら分かってくれたらしい。
「子供……? そう、だったらすぐに私との接触を避けた方いい。でないとあなたも巻き込まれてしまう。――っと、喋り過ぎたわね。私は行かなきゃ。どなたか分からないけど起こしてくれて感謝するわ、人間の子よ」
少女は服に付いた汚れを落とし、その場に落ちたカードを拾い上げ、立ち上がる。
「あら? ここにもう一枚……。まさか生きて――! ……いや、何百年後の世界に選ばれた人など、生きている訳が……」
一人、彼女は何かを呟く。そして少女はふらっと倒れていた場所から一歩一歩歩みだした。おぼつかない彼女の歩みを静止するかのようにカイトは彼女の後を追おうとする。
「ちょっと待って! 俺はまだ君に聞きたいことがっ……!」
地面が揺れる。それはカイトが叫ぶ声のせいではないことは確かだ。その振動に孤島にいた生物がギャーギャーと喚き、飛んでいく。彼女はその島のざわめきから何かを感じ取るようにさっきの歩く速度からスピードを増して、コツコツとヒールの音を鳴らし、出口へと歩いていく。この部屋と通路を繋ぐところで一旦、少女は足を止め、こちらに体を向ける。
「……。ごめんなさい。本当に私は行かなくてはならないの。あなたとここで優雅におしゃべりの時間を設けている時間はないわ」
彼女は踵を返してその場から走り出した。
「え? おい! 行くってどこにっ!」
急いで少女の後を追いかけた。少女を追いかけた先には停泊させていた小型船がある浜辺に出る。何故か消した船のライトが付いている。
「まさか……?」
その予想は的中した。エンジンの音と共に船がこの夜の海にまさに出ようとしていた。
「待てって!」
船の向きを動かしている間にカイトは浜辺から小型船に走った。船が浜辺から遠のく間一髪、運転席の横に付いているちっちゃなサイド船を掴み、水上を動く船に翻弄されながらも離されまいと強くしがみ付いた。
「ちょっとあなたどうしてここにいるの?」
運転席に座るさっきの少女は常識外れな事を言っていたが、そんな事よりもまず海に投げ出されそうなこの状況を打破することにカイトは必死に体を動かした。サイド船を掴んだ腕に力を込め、上体を起こし、そのまま腕の力で上体を上げ続け、そのままズルッと体がサイド船に入った。
「はぁはぁ……それは……俺の台詞だよ! 人の小型船奪って何を言ってんだ!?」
猛スピードで船を飛ばす少女に精一杯の文句を投げた。
「これあなたのだったのね? 悪いけど少し借りるわ」
「もう借りてるよ! こんなに急いで君はどこに行くつもりだよ!?」
「近くの人家があるところ。運が悪ければ《ジョーカー》が迫っているかもしれない」
少女は猛スピードで掛ける小型船を操作しながら周りを見渡している。
「じゃあこっちだ。俺に変われ!」
少女の持つハンドルを無理やり掴む。その反動で小型船がグラグラと傾く。
「ちょっと危ないわ!」
「急いでるんだろ!? 土地勘は俺のが詳しいはずだ! こんな真っ暗じゃ何も見えないだろ!?」
カイトは少女に説得しながら波にうねりにバランスを奪われる小型船の体勢を器用に直す。
「――そうね。とにかく近くの人家に向かって!」
彼女はハンドルから手を離し、後部座席に移動する。そのタイミングで俺は握ったハンドルを持ったまま、猛スピードの中、運転席を跨いだ。
「しっかり掴まってろよ!」
カイトは後ろの彼女にそう伝えて、さらにスピードを上げた。
島から孤島に向けて十分程掛かった距離を三分足らずで着かせる。
「無理やり止めるぞ!」
浜辺の近くで急ブレーキをかけ、ハンドルを横に倒し、船体を大きく横に倒してスピードを減速させる。少女はそんな無茶な急停車に有無言わず、まだ停船せずに動いていた小型船から飛び降りる。その子から思ってもない驚異の脚力にカイトは目を疑ったが小型船の停止に意識を集中させて、浜辺の砂が船に触れるか触れないかの絶妙な距離で止まる。いつも船を操縦していた技術の賜物だ。
完全に船が停止した浜辺は海のさざ波だけが響き渡り、聞く人に安らぎを与えるような音色を奏でている。
「はぁはぁ……。」
遅れて横転した船を起こして、ライトを少女の方に向けて、大きくジャンプした少女の位置に走って少女に話しかける。
「近くの人家と言えば俺が住んでるここだけど。何も起きていない見たいだけど……」
「聞こえる、あなたは早く逃げなさい。ここにいてはいけない、生きたければ遠くに」
少女は手を耳に掛け、目を閉じて言う。
「待ってよ。君はどうするんだ?! その《ジョーカー》って言う奴を一人で倒そうと?」
「そうよ。だからあなたは今は逃げることを考えればいいのよ。それであなたはいいの。あとは私がやるから」
全てを任せてと言う彼女にカイトは正直に引き下がらずに言う。
「君みたいな小さな女の子を置いて行けない! だったら俺も君の手伝えることをするよ!」
「その言葉、有り難いけれど、後に後悔するわよ」
俺は少女の言葉の意味が汲み取れなかった。その訳を聞こうという行動を起こす前に俺の耳に聞きなれないアップテンポの曲が耳に入って来る。
――〜♪〜♪
さざ波に紛れ、小さな音で聞こえてくるのは軽快で明るいポップな曲。
「これは?」
先程から浜辺から遠くに見える島の民家を見たまま立っている少女はすっとこちらを向き、カイトに向けて指を指した。その指の先はカイトに向けた訳ではなく、カイトの後ろにいる嫌な気配が立ち込める相手を指しているとカイトは感じた。
「来たわ。あれが《ジョーカー》よ。これが最後の警告よ。逃げなさい」
「嫌だ、僕はこれでも頑固だ」
カイトも背中に重い空気を感じながら、同じ海の方を振り返った。そこには空中に人のような形した影が前輪の車輪が大きい二輪車に跨り、片手にはコウモリ傘を携えている。その姿は道化師のピエロのようだった。
相手は何する訳ではなく、段々と近づき、後方のライトに照らされて、ピエロ特有の不気味な笑みを浮かべ、軽快なポップな音楽を小さく鳴らしながら俺たちを上から見透かすように見下ろしていた。
「これが……」
相手は空中に浮遊する自転車のペダルを漕ぐのを止め、目の前で静止する。
「襲ってこない……?」
「まだ動きが不完全なのね。なら、まだ活路はあるわ」
少女は自分の胸に手をあてる。その手には孤島で見たカードが二本の指で挟まれ、彼女の胸部の前でカードは光りだす。赤と桃色の光が彼女の体を覆う。包まれた彼女は薄いピンク色のドレスに色が加わり、赤と桃色の煌びやかなドレスに変わり、二本の剣が少女の前に現れ、彼女は双剣を手に取る。
「はっ!」
彼女は間髪を付けずに目の前のピエロに問答無用に切りつける。相手は自転車のサドルに立ち、コウモリ傘を巧みに使い、斬撃を踊るように受けてはかわしていた。少女の体から想像も出来ないスピードで相手に立ち向かう。それは人間の肉体では出来ない程の速さで、
「すごい……。なんだこれは?」
カイトはその目の前に迸るいくつもの斬撃の火花に圧される。自分がこの場に入る余地なんてなかった。一人の人間が少女相手に何か手伝うなんてする相手ではないと直感がそう呼びかける。
「カイト……?」
突然カイトに話しかける声に振り向こうとしたが、足がもつれてかっこ悪くその場に倒れ込んだ。仰向けに倒れた拍子で話しかけてきた相手が目の前にひっくり返って見える。
「ナギサっ?! どうしてこんな所に?」
カイトは倒れたままナギサに言った。
「えっ? 私は散歩の為に……。それに前のあれは……?」
「――そこの子を逃がせっ!」
この場に招かれていないナギサの存在に気づいたのか、ピエロのような相手と競り合っている少女はカイトに向かって言う。
「ナギサっ! 逃げろ!」
カイトは少女の警告に被せてナギサに強い口調で放つ。
「えっ? でもっ――」
「逃げるんだ! 早く!」
「カイトはっ!? それにあれはなんなの?!」
ナギサはカイトの先で起こっている事態に指を差す。
「今は言えない。後で話す! だから今はここから走って後ろを振り向かず逃げる事だけをっ!」
ピエロは少女を強引に吹き飛ばし、その間にピエロはカイトの方に向けて手の指を向ける。指の先端に野球ボール程の大きさの黒い球体が現れる。その球体からはただならぬオーラを放っていた。
「まずいっ! 二人ともあれに触るな!」
浜辺に打ち伏せられた双剣を持つ少女は起き上がりざまにカイト達に警告する。その言葉が届いたのか分からない。ピエロの指からその黒い球体が離れ、二人に向けて襲い掛かる。
カイトは言う事の聞かない体を上げようとするが、腰に力が入らずに情けなく倒れたままに身動きが取れない。黒い球体はカイトの体の上を過ぎ、ドンと鈍い音を発した。
「ナギサ!」
ナギサは胸に黒い球体にぶつかり、その衝撃に倒れる。ナギサの体内に入り込んだ黒い球体はナギサの体を蝕んでいるようでナギサは痛みに耐えきれず悲鳴を上げる。
「あっ……! ああっ! 痛い痛い痛い!」
「しっかりしろナギサ!」
カイトはズルズルと体を引きずり、ナギサに寄る。痛みが超越して悲鳴を上げていたナギサの体はパタリと動きが止まる。
「ナ……ギサ?」
カイトはナギサの頬を手で撫でる。カイトの内から外へと怒りが込み上げ、カイトの周りに光が纏わる。
「あれはっ……!?」
少女にはその光に見覚えがあった。昔の封戦にあった運命の人と同じ……。カイトを包んだ光がカイトの着ている服装を変え、白いモーニングコートのような衣装に換装する。
ピエロのような相手はその眩い光を遮るように指先から黒い球体を呼び起こす。放たれた黒い球体がカイトを襲う。
「カイト!」
少女は叫んだ。
カイトは押し迫る黒い球体に右手を伸ばす。その右手に握られている棒を振り、カイトを覆うように透明にほど近いピンクの色したバリアが黒い球体を止める。
全ての球体を止め、消滅したのを合図にカイトは棒をさらに振り、少女に叫ぶ。
「知識が入ってくる! これはそういうものだったのか。俺が手伝う理由があったな。さぁQ。お前の力を見せてやれ!」
少女は桃色の髪の毛を風になびかせ、浜辺から大きくジャンプする。
「力が湧いてくる! これが眷属から受ける力! これなら……。」
少女の剣が相手のパラソルを弾き、もう一つの剣でさらに相手に突き立てる。
「今だ!」
カイトは棒を上にあげ、少女が剣を振り下ろすのと同時に下に振り下ろした。
「はぁああ!」
相手の体に斬撃が走る。少女を振り払おうとするピエロの腕をひらりとかわして少女は綺麗にカイトの隣に着地する。錆びついて動かなくなった歯車が無理やり動いたような軋んだ音がピエロの体から流れる。
「やったか!?」
ピエロはすぐさま自転車に腰を下ろし、パラソルを開く。勢いよく回転するパラソルに吸い込まれるようにピエロはこの場から消えた。
「待て!」
さっと少女はカイトの前に腕を広げ、前に進むのを止める。
「無駄よ。今深追いは禁物。それよりもこの子を」
カイトは後ろに倒れるナギサに手を掛ける。
――息はしている。相手の攻撃によって衣服が破れた肩に刻印が浮かびあがる。
「これは……?」
「《玉戯の種》。それはジョーカーによって埋められ、刻印が出てから一週間程で、理性を失い、全てを壊すだけの殺戮者化するもの」
「そんな……。この刻印から逃げられないのかよ!?」
「一つだけ、それは種を植え付けた親、すなわちジョーカーを倒すこと」
「――助けたければ一緒に戦えと……?」
「強制はしないわ。ただカイトが居ずに私が勝てるような相手ではない」
カイトは苦渋の選択を叩き付けられる。こんな悪夢から逃げ出し、この島で恐れながら過ごすか、それともナギサを助け出す為、危険な相手に果敢に挑むか、
「時間は待ってくれないわ。決断を、そしてこの子の為にも……」
少女は剣をナギサに突き立てる。それはこのまま放れば殺戮者として這い回ることを恐れて先に処分をしようという暗示の表れ、カイトはその突き立てた剣を払う。
「俺は……戦う、この先どんな脅威があろうともQと一緒に戦うことを約束する」
「そう。その言葉に後悔しないことね」
突き立てた剣は消えていき、同時に彼女の服の鮮やかさも薄れ、最初の薄いピンク色のドレスに変わっていった。それと同じくしてカイトを包んでいた白いコートが消え、元の服装に戻る。
「とにかくをナギサを診療所に連れて行かなきゃ」
カイトはナギサを慎重に抱きかかえ、浜辺を去る。
「じいちゃん! 起きてっか?! 俺だ! カイトだ!」
島の唯一の診療所のドアをうるさくを鳴らすカイトの前に、初老の老人が何事かとドアを開けた。
「なんだカイト。こんな夜更けになんじゃ? 腹でも壊した――訳ではないみたいだの」
カイトの背中に弱り切ったナギサが老人の目に入る。
「話を聞こう。中に入りなさい」
診療所の初老の医者は、ナギサの体に負ったすり傷を治療し終え、カイトがこれまでの経緯の話しを聞きながら、揺り椅子に座る。
「そうか、ワシがまだ大陸で学生をしていた頃、それに似た文献を読んだことがある。あれは若い頃に小耳を挟んで興味が向いて調べたことだったか」
ベッドに寝かせたナギサの体に刻まれた刻印を見て、カイトと少女に目を配らせながら話し始めた。
この世界は昔、大きく栄えた文明があった。それは錬金術。
錬金術とは土から金に変えるという目標を元に、物をモノに変える術のことである。その中で無の物から人間を作り出す。未だかつてなかった術式が行われていた。長い研究の結果、一人の錬金術師によってその生成は成功したのだ。人間とほとんど変わらない、名はホムンクルスと名付けた。しかし、その偉業は長くは続かなかった。生成したホムンクルスが暴走を起こし、突然民衆を襲う殺戮マシーン、《ジョーカー》として全世界に飛び交ったのだ。
その暴走を止める為に錬金術師は知恵を絞り、新たなホムンクルスを生成した。それらにK、Q、Jと名付け、暴走したジョーカーに対抗するための力を備えた。
それが《スート・カード》。このカードに刻まれた武器を手に三人のホムンクルスを《タクト・ディーラー》と呼ばれる指揮棒を携える三人の勇士である人間を眷属として共に行動させ、ジョーカーを封印させるための《封戦》が始まった。
結果は成功というべきか、封印が成功した時、ジョーカーは最後の力で大陸三分の一を消し去ったのだ。大量の殺戮に加えて、人間が住む大陸を消したジョーカーは三人のホムンクルス達と共に海底に沈んだ。それを境に錬金術という技術は廃れ、歴史から名が消えて行った。
「それからの記述は残されていなかった。儂も疑心暗鬼に調べていた事であったからまさかこんなファンタジーのような話が本当にあったとはな……。今でも信じておらん」
揺り椅子に座りながら、二人に失礼と一言断りを入れてパイプ煙草に火を付ける。
「その文献どこで見たんですか」
カイトは身を乗り出し、老人に詰め寄る。
「昔の事だからあまり覚えていないが、船の定期便で渡れる大陸の図書館にでもその情報があるんじゃないかの?」
「この人類の滅亡が掛かっている。それにナギサの命も、どんなに小さな情報でもいい、俺はやらなければならない。俺にしか出来ないんだ」
そのカイトの真っ直ぐな意見に老人は立ち上がり、一つの封筒を手に取り、カイトに助言をした。
「ふむ、今は二十三時か、深夜の定期便が来るころだ。それに乗って大陸を目指すと良い。それに乗ったら町一番の図書館に行ってみるといいだろう。その封筒は勇敢な少年に送る旅の祝いだ。持っていけ」
封筒の中には二枚の乗船チケットが入っていた。
「本当は夫婦で大陸に旅行と思っていたが、老人の楽しみよりも全世界の人類の明暗の方が大事だ。勇士カイトよ、この世を暗黒に包む敵を倒してこい。生き過ぎた老人の願いだ」
「分かりました。俺はその願いを叶える。ありがとうじいちゃん、行ってくる。ナギサの事をよろしく」
そう言って立ち上がるカイトに老人は付け加えるように言う。
「最期に一つ、親にはこの事には触れずに人生の旅でもしてくると言いなさい。いきなり人類の滅亡の話しをしてもややこしいだけだ」
「分かったよ。行こう、Q」
小さく頷く少女と共に二人は老人に感謝し、診療所を後にした。そしてカイトは最後に会話になるかもしれない親の元に歩みを進める。
「電気が付いている。まだ起きてたのか?」
カイトはQに少し待っててと、残して自分の家のドアを開ける。
「あら、遅いわよカイト。どこまで行ってたの?」
母親アミタは帰りの遅いカイトを心配して待っていたと説明する。
「ごめん。でも母さん、散歩してる時に色々と考えたんだ」
首を傾げる母親にカイトは診療所の老人の言いつけを守り、適当な理由を交えながら少し自分探しに出ると言った。
「そう、カイトもそんな年になったものね。いいわ、お父さんにも言っておくわ」
「ありがとう。もう行かなきゃなんだ。俺、帰って来たときには大人になって帰って来るよ。」
「随分急なのね。でもカイトがそう決めたなら何も言わない。頑張ってね」
「ありがとう母さん……。ありが……」
カイトはこれからの戦いで母親に会えなくなる事を考え、耐えきれず涙ぐむ顔を見せまいと乱暴にドアを開けて外に出て行った。
「行っちゃったわ……。何があったのか分からないけれど、カイトもお父さんに似て思った事に真っ直ぐね」
カイトは少女を連れて走った。平穏な島暮らしには長くは戻れない。いやもしかすれば永遠に……。
「はぁはぁ、うっ……! げほっげほっ!」
少年に重く圧し掛かる運命に耐えきれずカイトはその場に嘔吐する。
「カイト。あなたはまだ若い。そんなに思い悩むな。こうなってしまったのは私と会ってしまった事だ。直ぐにそのカードを渡せばあなたはまた元の生活に戻れるわ」
全ての運命を背負った少女、Qはカイトに手を伸ばしてそう告げた。
「俺の意志は……もう固まっている。俺は逃げない。ナギサの為にも俺はこの世界を守る!」
「……そう。私は運命に指し定められたマスター、カイト・バックスに就くホムンクルスとしてあなたの手となり足となり、この身を預ける。共に殺戮者、ジョーカーを倒す事を目的に」
二人は共に意志を固め、手を取り合い、深夜の最終定期便が来る船着場へと向かった。
第三章
乗務員にチケットを見せて、指定された部屋へと向かう途中、ポケットに入れていたカードを見ていた。以前は只の灰色の人のような絵柄だったものが、色が描かれ、カイトが来ていた白いコートに身を包み、タクト・ディーラーと呼ばれる棒を構えている。
「《スート・カード》。俺を守り、戦うためのカードか」
「それはホムンクルスの攻撃を最大限に引き出すために、人間の力を供給するための物。もちろん人間を守る為に防御に徹する事も可能にする錬金術の賜物。そして《タクト・ディーラー》は人間からホムンクルスへ力を飛躍的に上昇させるもの。逆にホムンクルスが攻撃を受けると人間にその衝撃が伝わる諸刃の指揮棒」
隣のQは淡々と説明する。
「へぇーこうして聞くとなんか俺、選ばれるにして選ばれた人材のように思えるな。レンキンジュツとか聞いたことなかったけど」
「それは万人の人が扱えるほど簡単なものではない。言えばカイトは私の?選ばれた人″だったから」
「選ばれた……!?」
突然女の子にそんなこと言われて焦るカイト。
「じゃ、じゃあこの船に乗る前に俺がこの島で平穏に暮らす事を選んでQにカード返していたら……?」
焦りを隠すように顔を真っ赤にしてカイトはQに質問した。
「そうなったら人間の力無しで私は戦わなければならなかった。存分な力が出ず、大きな力の前に成す術なく」
徐々に声が小さくなっていくQ。やはりホムンクルスとは言え、人間に近い女の子、恐いとか感情があってもおかしくない。
「……」
カイトは顔を真っ赤にしながらQの手をとる、今までは意識をせずにしていたから良かったものの今は意識をせざるを得ない。
「だ、大丈夫だ。俺が付いてる! だからQは思う存分戦えば良い。それでいいだろ?」
「カイト……。顔が赤いわ?」
「おっ! ここだここだ!」
「ちょっと、引っ張らないで」
カイトはQの言葉を遮るように今日泊まる部屋を見つけ、ドアを開けた。
「うっひょーすっげぇ! ふかふかのベッドだ!」
高級ホテルような部屋内にテンションが上がるカイトを尻目にコツコツと洗面所に入っていくQ。洗面所にはバス、トイレ別はもちろん洗濯機と乾燥機が完備されていた。
「どうしたQ?」
「服が汚れたから洗うわ。ついでにシャワーも」
「シャワー……」
カイトは頭の中でピンクの妄想が始まる。Qはその妄想を余所に一枚壁を隔てた向こうの洗面台で布が擦れる小さな音を出している。
「あ、あの……Qさん? 俺もちょっと汚いから入りたいなぁ、なんて……」
「私、お風呂に入るから、覗かないように」
「はい」
パタンと洗面所の扉が閉まった。カイトは今までのピンク色の妄想に終焉を告げられ、虚しくなった。
「外の空気でも吸ってくるか」
部屋のカギを持ってドアを開けて外に出る。
「……うーん」
少し歩いた先にある甲板で腕を伸ばし精一杯の背伸びをする。
「潮風が気持ちいいな。……っふわぁあ」
大きな欠伸がでる。今は〇時を回り、一般人ならばもう寝ていてもおかしくない時間だった。
「あら? こんな若い子がこんな船にねぇ。どこのお坊ちゃまかしら?」
後ろから聞こえる声にカイトは振り返る。甲板のライトに照らされ、人が現れる。赤い短髪の髪の毛を潮風に乗せて、大陸で流行した服装を着た今どきの女の子だった。
「君は?」
「私? ちょっとした気まぐれな旅行者よ。悪い輩とかと絡んでないわ」
そう言って彼女はカイトの隣に近づき、手すりに身を預ける。
「ねぇ、率直に聞くけどあなたこの世界に昔、錬金術があったの知らないかしら?」
謎の少女に尋ねられる。こんな今どきの女の子にそんな事聞かれると思っていなかった。まさか、この子は? ただ、まだ名前も分からない彼女を警戒してカイトは知らないと答える。
「そう? なんか知ってそうな顔していたけど気のせいかしら? 何か隠してる?」
「な、なにも隠してない。俺は知らない」
「そうかしら?」
ずいっと彼女は顔を近づけた。その接近した女性に焦りカイトは寄った顔を離させようと相手の体を押した。
「えっ?」
「あっ――」
彼女はバランスを崩し、手すりに寄っかかっていた体が仰け反り、船から海へと落ちていく。
「君!」
カイトは瞬時に手を伸ばすが時に遅く、不注意で押してしまった事に後悔する。しかし、その落ちていく彼女の体が光る。
「J!」
彼女の声にバンと大きな音と共に一人の青年が現れる。その青年は長い槍を振り、彼女に向かって伸びていく。その伸びた槍を掴んだじ彼女を今度は大きく引き、青年は彼女を思いっきり引き上げる。甲板に見事着地する彼女を見てカイトはほっとするが、彼女はカイトにずかずかと詰め寄る。
「信っじらんない! 女の子を船から突き落とすなんて何考えてんだか! しかもただの一般人に見られるし……。最悪ね」
すごい形相で罵倒を叫ぶ彼女にさっきの青年がカイトに槍を突き立てる。
「嬢、殺すか?」
「ええ、バレないように最後は海にでも投げればいいわ」
命の危険を感じたカイトは二人の言葉に割って入る。
「待って待って。もしかしてホムンクルスとその使い手? だったら俺もそうなんだ。ほらほら」
ポケットから殺されまいと慌ててスート・カード取り出す。それを見た彼女は青年に手を下ろす。その動作に青年は小さな光を伴い、槍をしまう。
「あなたがホムンクルスの使い手? 嘘でしょ? こんな子供が使い手とか冗談も程々にしてよ」
彼女の高笑いが甲板に響く。
「嬢、うるさいと人が来るぞ。」
「ああ、ごめんなさい思わず笑っちゃってね。とにかくあなた、ちょっと来なさいよ」
「え? ちょっと待ってよ!? 俺は部屋に」
「あらあなた。船から突き落とした女の子の言う事聞けないの? 仮にも殺そうとしたのよ?」
「それは……」
「はーい決まり。お姉さんの言う事聞きましょうね」
ずるずると引きずられながらカイトは彼女の部屋へと連れて行かれた。
「カイト・バックス。ケアル島に住んでてある時、孤島に落ちた石版を触れてQという子に会った。それでいいのね?」
カイトは頷く。
「ジョーカーとも接触有りだったのね。子供の癖に結構やるのね」
「君も子供じゃないか」
「私? 失礼ね。これでも十七歳よ。あなたよりも三歳上な・の。あーもう! こんな子がQの眷属ってどういうことなのかしら。J?」
「俺には分からん。全ては運命の定め」
呆れた彼女に冷静なJと呼ばれる二人にこれまでのQとの事、そして知っている事を吐き出させるためにカイトに尋問をしていた。
「そろそろそっちの事も教えてくれてもいいんじゃないの? 俺が知ってんのはここまでだ」
「私の名前はアカネ・シャムル。ピチピチの十七歳よ。まぁカイト君のようなお子様には私の美貌に気づかないでしょうけど」
直感でカイトはこの女は性悪だと感じた。
「なんか思ったでしょ?」
「え? いやいや! 滅相もない」
「ふーん? で、こっちの茶髪美少年が私のホムンクルス《J》、またの名を《ジャガ・ランス・バルジル》よ。まさに美女と美男子ね。恋人同士が絵になるでしょ?」
アカネはJに近寄り、Jの頬をさする。
「嬢、俺はホムンクルスだ。恋愛等に興味が無い。俺たちはジョーカーを倒す事を胸に抱き、この場にいる」
「あら? 釣れないわね。でも人間とほぼ同じなんだから一緒のようなもんでしょ」
「今は関係ない」
「御堅いこと。で、カイト君。あなたのホムンクルスは? 近くにいるんじゃないの?」
目の前の劇みたいなやり取りが済んだのかカイトに話しかける。
「ああ、自室で風呂に入ってる」
「お風呂? 随分なホムンクルスなのね。Jとは大違い」
目を瞑って壁に体を預けていたJは片目を開き、彼女を睨む。その目線に気づいてないのか、そのままカイトに話しを続ける。
「そんなホムンクルス見てみたいわね」
「連れてこいって言うのか?」
「そうねぇ。どの道、三人のホムンクルス、三人の選ばれし人間が集まって戦うのだから仲良くしないとね」
仲良しようとしてないのはアカネではないかという事は胸に留め、アカネに言われた通り、和平の戦いの為にQを連れてくる事にした。
自分の部屋に戻ると、ベッドの上にちょこんと座るQがいた。その姿はいつものドレスは着ていなく。薄い肌着の様なものを着ていた。
「ご、ごめん!」
カイトは顔を背けた。
「いい。カイトがいてもいなくとも同じ行動を取っていた。それにあともう少しで乾燥が終わる」
カイトは男として見られてないのだろうか? と少し落ち込んだ。洗面台の方から軽快な音にQは立ち上がり、音が鳴った洗面台に行き、乾燥させていた服に着替えた。
「それで、何か慌てているようだったけど」
「そうそう! 新たなホムンクルスと会ったんだ。この戦いに挑む二組目の」
「それは中々な出来事ね、その人たちは?」
「今自分たちの自室にいるよ」
カイトはQの手をとり、外に出ようとする。今は自然と手を取ったがやっぱり気にするとなんかぎこちない。そんな邪念を振り払い、アカネが待つ、部屋へと行く。
アカネの部屋に行く途中でカイトはJの別の名があったことを思い出し、Qに聞いてみる。
「なぁQ。君にさ、Q以外の名前って無いの? なんかQって呼びづらいと思ったんだけどさ」
ピタッと彼女は足を止める。指を口元に置き、考えているようだ。記憶の巡りが終わったのか口から指を離し、Qは言う。
「《クオリア・ユーデリ・ラブル》。私を作った人間がそう言っていた」
「へぇ。じゃあ今度からクオリアって呼ぼうかな。それで良いかな?」
「カイトの好きなように。私はそれでも構わない」
「そっか。じゃあクオリアで」
そんな話に花を咲かせていると、甲板に二人の人影があった。
「おっそいわね。タラタラとするのはこういう時だけにしてよね? 戦闘中なんかもっての他よ?」
甲板に居た人物、アカネとJだった。カイト達の戻りに痺れを切らしたらしい。
「キャー!? その子がQ? 可愛い! 人形のようだわ!? 涎が垂れそうね」
連れていたクオリアを見て、アカネは悶絶していた。その人間の使い手にクオリアは自分のドレスのスカートの裾を少し摘まんで、小さく会釈し、アカネを通り過ぎ、Jの元へと歩いた。
「久しぶりね。J」
「久しぶりだなQ。何百の封印をし続けたあの記憶が蘇る」
「そうね。でも覚えている? その封印が何者かによって阻害されたことを」
「いや、俺は覚えていない」
「そう、何か知っているかと思ったけど残念ね。ところでKは見たの?」
横に首を振るJ。
「そう。早急に探さないと手に負えなくなる」
「ああ、早くに見つけないと」
二人のホムンクルスが話している姿が何か似合っていてアカネが行っていた美女と美男子というのはこの二人のように見えた。
「ああ。私がQの眷属になりたかったわ……」
ぼそっとアカネは呟いた言葉が離れたJに聞こえたのか、Jはこちらを見てきた。
「Jがこっち見てるぞ」
「嫉妬焼き坊やね。可愛いところがあるわ」
「絶対そういうんじゃないと思う……」
四人の顔合わせが終わり、大陸に着いたら落ち合うということでそれぞれの部屋に戻った。カイトとクオリアは二つあるベッドをそれぞれ使い、寝る前の雑談をしていた。
「なぁクオリア。QとJで二人がここで揃ったけど最後のKの居所は掴めたのか? 人間側じゃ何もないまま話が終わってしまったけど」
「さっぱり、と言った所ね。あのKの事だから心配はないとは思うけれど」
「それならいいけど」
まだ分からない今のKをひとまず置いて、沈黙が流れるのに耐えず、カイトは話す。
「クオリアの昔の使い手ってどんな人だったの?」
「……そうね。まるでカイトのような人だったわ」
クオリアが言う事にカイトは照れる。
「最もカイト程の幼さは無かったけれど」
「そう……。でも似てるって結構すごいね。何か選ばれる共通点、ていうのがあるのかな?」
「どうかしら。Jの前の人間は自分語りが多かったわね。あのアカネ・シャムル以上に
」
「まんまだな」
くだらない雑談ではあったが、飛来物が落ちた今日から連続してカイトに襲った数々の問題に疲れていた体を休めるには十分の癒しの時間だった。
「そろそろ寝ましょう。時間も限りがあるし、明日は早いわ。ここでおしゃべりをして睡眠を削るのは体に悪いわ」
「それもそうだね。なんだかんだたくさんやったからな今日は……。じゃあお休み、クオリア」
長かった一日を終え、カイトは深い夢の中へと旅立つ。寝静まったカイトに向けてクオリアは独り言を呟くように言う。
「カイトには直接言わなかったけれど、あなたには昔の人間と違う物を持っているわ。純粋で真っ直ぐな心、それは昔の過ちを再び起こさない動力になるはず。期待してるわ、勇士カイト・バックス。あなたの意志が後悔しないことを。おやすみなさい……」
第四章
船の汽笛が大きく鳴り響き、大陸に着いた朝の合図を知らせる。
「ふわぁああ……。良く寝た。あれ? クオリア?」
横のベッドに寝ていたクオリアの姿が消えていた。ぐしゃぐしゃになっている布団がただ置かれているベッドがそこにあるだけ。
「ここにいますが」
クオリアはベッドの向こうから手を上げ、ベッドに這い上がる。
「随分寝相が悪いね」
「何故、こんなに寝相が悪いのか、私も聞きたいわ」
眠い目を擦り、体を起こし、二人は到着した大陸へと新しく一歩を踏み出した。これから起きる出会い、発見に幸あることを信じて、
「着いた―! ここが大陸の貿易の町か! 島よりも大きい!」
「当然よ。あんなちんけな島と私の生まれ故郷を比較に入れないでちょうだい」
後ろから髪の毛が完全に溶かしきれていないアカネが後に続く。
「ここ、生まれ故郷なの? 随分大きな町に住んでんだなぁ」
「だからこんなハイセンスな服をもお洒落に着こなしているのよ」
彼女の服装は巷では人気なのかもしれないがド派手な色合いにカイトは目がチカチカしていた。
「そう……なんだな。都会人のセンスは島民の俺には分からないや」
「でしょうね。じゃ、こんなとこで油売ってないで行くわよ」
スタスタとカイトの前を歩くアカネにカイトは行き先に着いて尋ねる。
「あの、どこに向かってるんですか?」
「それはあんたが決めるんでしょ? 何かあるからここに来たんじゃないの?!」
理不尽の叱責はこの事を言うんだろうとカイトは錬金術の情報を知りえる前に一つ学んだ。
「とりあえず町一番の図書館に行きましょう。そこで錬金術の過去の歴史を集めたいので。でも町一番の図書館が分からないのでアカネさん、道案内お願いします」
カイトはアカネに道案内を頼むと仕方ないわねと吐いて先頭を仕切った。しかし、アカネは少し歩いてはしきりに辺りを見回すのを繰り返すばかりで一向にそれらしい建築物が見当たらない。それを見たカイトはアカネに疑問を持ちながら言う。
「アカネさん……。まさか迷ってます?」
「うるさいわね! 私がこの街を網羅してるとでも!? そんな甘ったれた事言わないで! 私だって万能じゃないのよ!」
何故か怒られるカイトに後ろからJが肩を叩き、いつもの事だと諭してくる。
「はぁあ、やんなっちゃうなぁ」
とにかくこの町を知らないカイトは近くにあったお店に入り、簡単な事情を説明して、図書館への道を集めた始める事にした。
「錬金術……? あーそういえばこの近くに住んでいる学者さんが歴史に詳しいからその人に聞いたら何か分かるんじゃないか?」
とある店の店員さんが図書館ではないが有力の情報を持っていたことに感謝し、無駄に買い物をしているアカネを引っ張り、教えられた場所へと行く。
「ここぉ? なんか物騒な雰囲気ね。こんなところに歴史が詳しいお方なんて住んでそうにない気がするわ」
「質素ね」
「ああ」
クオリア、Jもアカネの言葉に続いて辛辣な意見を一言添える。
アカネの言うことはあながち間違いではなかった。なぜならば、郊外に少し離れたところに外観に手を余り加えず、ガーデニングという概念がないほど殺伐とした景観に、これと言って突出したものがない打ちっぱなしのコンクリートが置かれているような家が一軒あるだけのものだった。
「ここまで着飾らない所が学者の見本かも知れない」
カイトは苦し紛れの褒め言葉を言うと、アカネはただの無趣味か無愛想でしょ。と毒気を吐く。何を言っても付け入る言葉がないので、カイトは玄関のインターホンへと歩いた。
「……。居ないのかな?」
「居留守の可能性も捨てきれないわね。……あら? 扉が空いてるわね?」
「入るつもり!? いくらなんでもそれは止めようよ」
「少しくらいならばれないわ。なんでも図々しさは要求されるわ。ね? Qちゃん?」
「あなたがした行動に後悔をしないのならば。私は肯定も否定しない」
「ハァ……」
「いつかは味方が付くと良いな。カイト」
Jは勝ち目がないカイトに励ましの言葉を送る。
アカネは多数決で決まった重いドアを開けた。
「ふわぁお。玄関から広い部屋に本棚がお出迎えね」
開けたドアの先には大きな部屋が来る人を迎え、円形に囲まれた部屋の壁に張り付くように大きな本棚が壁に沿って陳列されている。壁が本棚と言うべき程の蔵書で埋め尽くされていた。色んなものが雑然と散らばっている訳ではなく、部屋の中央には黒く、貫録がある机が一つ、その手前に白のソファと机が置かれている無機質なものだった。
「外観と言い、内観もセンスが無いわね」
蛍光色をふんだんに使った服を自分では着こなしていると言うアカネは、このモノクロで統一された感性に文句を付ける。
「まぁそれで人格が否定しきれないよ」
「随分とここの家主に肩を持つわねあんた」
アカネはカイトに突っかかる。
「別にそういう訳ではないはないけど、最初から人を否定するのはという意味だよ」
「あらそう」
「……。何しているんですか?」
突然の第三者の声が後ろから囁かれる。
「ひゃあ!?」
「うわっ!」
「……J、気づいてた?」
「……まぁな、気配は先程からあった」
後方から家主らしき人の声に二人の人間は声を上げ、二人のホムンクルスは腰が据わって驚きもしていなかった。
「ここの住人に断りもなく入っていく不届き者がいると思っていたら……カイト君ではないですか?」
「グレイ先生!? ここグレイ先生の家!?」
「はい」
グレイ先生はカイト達の不法侵入に怒りを見せずに、端的に説明する。
「あなたがここの家主さんですか?! 私、アカネ・シャマルと言います! 私の止めを無視して進むカイト君に呆れながらも、私もこの素晴らしい家に住んでいる人は誰だろうと気になって……。カイト君のお知り合いなんですか!?」
アカネの急な寝返りにカイトは引け目を感じる。
「すみませんグレイ先生。俺達、ちょっと調べものをしてて、街中のお店で詳しい人がここの付近に住んでると言ってたので来たんです」
「なるほど。こんな玄関越しもなんですからどうぞお上がり下さい。何もないですが」
グレイ先生はそう言って、この大きな部屋のソファに案内し、グレイ先生はお茶を取りに奥に消える。
「あの人、中々なイケメンね。ワンチャンあるわ」
アカネはグレイ先生に惚れたのか、さっきから猫の皮を剥がさない。カイトが島でよく見るグレイ先生は服装等も色がある物を好まず、この家のようにパッとしないのだが、そのクールさ、謎さが知的な匂いを放っている印象だった。
「お待たせしました。急なものだから粗茶しか出せないのですが」
そう言ってグレイ先生はお茶を人数分運んでくる。
「あ、手伝いますよセーンセイ! こういうのは可愛い女の子のお仕事なんですよ?」
「え? あ、すみません。お手数かけます」
グレイ先生はアカネの強引な振る舞いに戸惑いを隠せない。ようやく落ち着いたところでグレイ先生はカイト達に聞く。
「それで、カイト君達は何を調べる為にここへ?」
その質問にカイトは答える。
「錬金術、ってグレイ先生は知っていますか?」
「錬金術……」
この言葉を聞いたグレイ先生は間を置いてから神妙な顔つきで続けて話す。
「ええ、知っています。過去の錬金術の過ちも、それは私が専攻する歴史学でも触れました」
「じゃあ、話が早いです! その錬金術について……」
「駄目だ!」
重い空気が張り詰める空間。耳にキインと耳鳴りが生じる。カイトの言葉を遮るようにグレイ先生は大きく言葉を発する。いつも誰に対しても敬語なグレイ先生が目を開き、突然と口調が強くなる。
「錬金術は、素人に扱えない禁術。お前らにそんな高等な技術に対して何が分かる! お前らはそのまま指を咥えていれば良い」
「先生……?」
ハッとグレイ先生は息を吸い上げ、深呼吸をする。しばらくすると正気が戻ったように元の優しい顔に戻った。
「――すみません、取り乱しました。今のは忘れてください。それで、どのような話しでしたっけ」
カイトは余りにの豹変ぶりに一瞬目を丸くしたが、グレイ先生の穏やかな表情を見て、安堵し、カイトは間を置き、錬金術の事、そしてこの世界の真相を告げる。
「ジョーカー。その名も調べて出てきました。なんでも大量に殺戮するホムンクルスのようですね。しかし、何百と封印された魔物です。世界を破滅させるには十分な力が無いでしょう」
カイトは割って入る。
「でも! そんな殺戮マシーンがこの世にいるだけで不安じゃないですか!?」
スッとグレイ先生は立ち上がる。立ち上がったグレイ先生の表情は穏やかな中に安心を持たせるような顔をしている。
「カイト君、この世界もそのような殺戮者に早々と白旗を掲げてみすみす逃す程、弱くないです。もう世界は動いていてもおかしくはない。安心してください。あなた達がそんな躍起になって何をしたところで……」
「それは分からないわ」
お茶を音を立てずに上品に飲むクオリアが突然グレイ先生の言葉を遮る。
「この子たちは潜在能力がある。あなたがこの錬金術について調べていたなら《六重奏の封戦》について知っているはず」
カイトとアカネはその単語に疑問の種を植え付けられた。グレイ先生はその疑問を汲み取るかのように説明する。
「六重奏の封戦……。ええ、知っています。ジョーカーを封印した三人のホムンクルスと三人の人間の戦いがまるで音楽を奏でているように見えた事からその名が付けられた。それが今なんの意味を持つのです……?」
「この子たちはその選ばれた奏者。そして私たちQとJはそのホムンクルス」
「――まさか!? この世に? しかもこんな幼い彼らが……」
グレイ先生は立ち上がっていた体勢から力なくソファにもたれ掛る。そしてグレイ先生はカイト達に話しかけた。
「……私の杞憂でしたか。そしたら最後にこれを」
グレイ先生は机に向かい、引き出しからある一つの封筒を渡された。それは封蝋がされていて、厳重に施されていた。
「それには図書館の見取り図が入っています。それと錬金術について調べるとなると、入るには特別な会員カードがないと入れないので特別に私のカードを使用してください。それとお節介の様ですが、調べる際に重要な文献がピックアップされたメモも一緒に入れておきました」
「ほんとですか!? ありがとうございます! さすがグレイ先生」
「これで私たちは先に進めるわね。ありがと! グレイ先生!」
アカネはグレイ先生に投げキッスをする。その行動にグレイ先生は苦笑いする。
「じゃあ俺たち早速行ってきます。グレイ先生ありがとうございます」
アカネたちは玄関口と向かってる間、カイトはソファを離れた際に、感謝の意味を込めたお辞儀をする。
「カイト君、一つ聞いていいですか?」
お辞儀をするカイトにグレイ先生は尋ねる。
「はい?」
「ジョーカーが復活した事……。あなたはどう思っているんですか?」
グレイ先生の真剣な眼差しがカイトの目に突き刺さる。曖昧な答えを許さない。そんな訴えを持った瞳に、カイトは応えるように口を開く。
「……先生にまだ言ってなかったですけどジョーカーが復活した時、ナギサがジョーカーの攻撃を受けて今、島の診療所で生死の境を歩いています」
「ナギサさんが!? まさか……」
グレイ先生は愕然としている。自分の受け持った生徒だったのだから無理もないだろう。
「本当です。――それで俺は決意したんです。ジョーカーが復活したことに何も思いません。でも、ナギサを助けるため、そしてナギサのような犠牲をこれ以上出さない為に島の人、そして大陸に住む全員を救うのは俺たちなんだと……」
カイトは玄関に向かう三人に目を配りながら言う。
「そして選ばれた勇士の人間として、この大きな使命に後悔を残さないように何百年と使命を受け続けたクオリア達と共にここで終止符を打つ為に、俺は戦いを誓ったんです」
グレイ先生はカイトの意気に圧倒される。それは今まで島での交流で見てきたお調子者のカイトが、自分よりも幼いのに一つの人生の分岐点に真向に立ち向かおうとするその姿によるものだった。
「そう……ですか。私はカイト君の事、まだまだ子供だと思っていましたが、私が知らないだけで成長していたんですね」
「それも先生のお陰ですよ」
カイトはその言葉を最後に玄関口へと向かう。
「私も後悔しない選択を臨めばよかった」
グレイ先生は呟く。玄関に向かったカイトにその声は届かず、最後に玄関の前で大きく手を振って去って行く。
「私も……」
グレイの声が切れる。この部屋にいるもう一人の気配がこの広い部屋を包む。
「何言ってんだ人間。お前は俺を作り出してそんなこと言える立場じゃないだろ? 最も、俺がジョーカーを復活させてしまった事が唯一の失敗だったもんな」
もう一つの気配にグレイは睨み付けるように見る。
「その声はA……?。――ぐわぁ!」
グレイは誰かに持ち上げられたように空中に体が浮かぶ。グレイを持ち上げる一つの気配はグレイの前に姿を表す。
「そんな殺意を向けるな主人様よ? 直にお前には最後の仕事をしてもらう。俺の有終の美を飾る、良い最期をな! ははは!」
グレイの首を持ち、大人を軽々と持ちあげるAと呼ばれるのは、悪魔に従える小さなデビル、といった言葉が似合う姿をしていて、灰色のオーラを体から放ち、自らの体を小さな羽で宙に浮かせ、Aはグレイを持つ手を離してその場に倒れ込むグレイを見て、高笑いをあげる。
「なぁグレイ。トランプってカードゲーム知ってるか?」
Aは突然、人が遊戯に使うカードゲームについて触れる。
「知っている。それがなんだ?」
「トランプの中にはジョーカーが二枚入っている時があるだろ? 色の付いたジョーカーと色の付いていないジョーカー。意味が分かるか?」
Aは薄ら笑いを見せながらグレイに問題を突きつける。
「それがどうした? それを答えたら私を開放するのか?」
Aはグレイの胸倉を掴む。
「なぁ主人よ、俺は質問したんだ。解答しようという意思はないのか?」
胸倉を掴む手に力が入って来る。グレイはその質問に分からないと答えると、Aはグレイを投げるように放す。
「例えば、色の付いているジョーカーが燃えれば一枚消える。だが、ジョーカーが一枚消えたところで遊ぶに問題ない。だが、色の付いているジョーカーが消えれば色の付いていないジョーカーが必然的に表に現れる。それは世界を支配するジョーカーの代行が入れ替わった事を意味する」
Aは浮いていた所から倒れているグレイの目の前に現れる。
「つまり、ジョーカーを乗っ取り、この《エージェント・ジョーカー・ルール》がこの世界を支配するって事だよ。あの生き遅れたホムンクルスを殺し、勇士と呼ばれる人間共を葬れば、俺に楯突くカードはいない」
Aは笑い声を抑え、続けて言葉を連なる。
「さて、全ての計画が完成する前に力の差と言うものをあいつらに教えてやろう」
Aの体が大きくぶれていき、その場にいたAは忽然と姿を消した。
「カイト君……。頼む……。手紙に気づいてくれ……」
「……」
「どうしたの? クオリア?」
図書館に向かう為に駅に来たカイト達に、遅れて歩くクオリアが足を止めている事にカイトが気づく。
「いえ、何か嫌な感覚が過ぎっただけ、少し列車の中でJと話をしたいわ」
「……? 分かった。俺たちは近くにいない方が良いかな?」
「そうね。ホムンクルス同士でしか分からないこともあるわ」
「じゃあ個室チケット二つ取るよ」
駅員に二つの個室チケットを要求し、チケットもらう。
「えー? あんたとずっと二人? こんな美女と釣り合わないお子様となんか乗ってても楽しくなんかないってもんじゃない」
盛大に愚痴を垂れるアカネにカイトは扱いが慣れたのか、クオリアがそうしてくれと言っていると言って黙らせた。列車の個室エリアに入り、二人一組少し離れた部屋にそれぞれ入室した。
「それでQ、俺になんの話だ?」
「ええ、あなたの察知力なら気づいてたでしょう。あの学者のいた家にあった気配」
二人は座るや否や言葉を交わす。二人の中で感じたあの家の重い空気。クオリアは桃色の長い髪の毛をたくし上げ、ハートとダイヤの飾りゴムでポニーテールの様に束ねる。
「Qも気づいていたのか、あれほどの重い空気だ。普通の人間ならばそうそうは気付かないが、ホムンクルスの俺たちには気づくか」
体のラインが強調され、筋肉質という訳ではないが、座った際にずれた引き締まった筋肉が映える服の乱れを直し、襟に小さくクローバーの刺繍が入ったジャケットを脱ぎながら話すJ。
「その重い気配、私たちが封印していたジョーカーの復活があった時と同じような気配に思えたのだけど違うかしら?」
「……確かに、言われてみればそうかもしれない。石版に変えられる直後にそんな奴と戦っていた記憶が微かにある」
「何者かそこまでは覚えてはないのね。私も覚えてないから何も言えないけれど」
列車が大きな汽笛を鳴らして発進する。
「ただ一つ言える事はある」
Jはその汽笛が鳴り終わり待って言う。
「俺たちK、Q、Jの他に新しくホムンクルスが生成された事。それはジョーカーが復活する最近の事だ」
今まで寡黙だったJは饒舌に舌を回す。
「私たち以外の?」
「そうだ。俺たち旧型ホムンクルスを改良した、最新鋭の新型ホムンクルス」
「成程、その予想は一理あるわね。それにジョーカーの動きも未だに無い事が一つの要因ね」
一度、クオリアとカイトが戦ったあの島以外、ジョーカーの行方は不明、尚且つこの世界で猛威を振るっている情報も一片たりとも流れていないことに二人は疑問を感じていた。
「だとすれば」
Jは腕を組み、結論を付ける。
「ジョーカーの封印を解こうとした誰かが存在し、ホムンクルスを生成、そして海中に眠る俺たちの封印を破り、ジョーカーを復活させる」
続けてクオリアが答え合わせをするかのように続きを言う。
「そしてジョーカーの力を操る為、ジョーカーを捕まえ、あるいは吸収し、この世界を支配しようとこの世界の裏で時を待っている」
クオリアの推察にJは頷き、最後に例えの話しを持ち出す。
「色の付いたジョーカーを殺し、新たなる支配者、灰色のジョーカーが頭を擡げ、この世界を牛耳じようと画策する」
「……無粋ね」
クオリアは、この愚行をする相手に一言送るように吐き捨てる。
「相手が時を伺っている間にKを見つけなければならないわね」
クオリアの言葉にJは直ぐに言葉を放つ。
「その必要はない」
Jは何か知っている口ぶりでQの不安要素を拭うかのように口を挟む。列車の個室に隔ててある通路からコツコツと靴の音を響かせて歩く音が聞こえてくる。
「来たな。三人目のホムンクルス」
Jの言葉と共にQとJのいる部屋の扉がスっと開けられる。
「ねぇ? アカネさん。そんなイライラしないでよ。クオリアとイチャイチャしたかった気持ちは分かるけどクオリアがそうしてって言ったんだからさ」
カイトはむすっとするアカネを宥めるように色々と説明するが、子供のように頬を膨らませ、発進しない窓の外を見ている。
「ああもう、最悪よ! なんでこんな窮屈な場所に運命的な出会いもなく列車に乗らなきゃいけないの?! せめてあんたが年と顔があれば良かったのに!」
無茶苦茶な要求にため息が出るカイトにアカネは言う。
「早くこんな使命を晴らして普通の人間として人生を送りたいわ」
アカネはいつものトーンを落とした声で言う。彼女の手はいつもの強気な態度とは裏腹に震えている。一人の女の子が突然の運命に死が付きまとう枷をはめられ、世界を救うという重い圧力を支えるには十分な人選ではないことはカイトにも痛い程伝わっていた。
「大丈夫だよ。俺たちとは違って今まで戦ってきたホムンクルスがいる。それに俺たちには他の人間には無い力がある。それはジョーカーを倒すために与えられた力。俺たちはその力でジョーカーに屈せず、倒せば良い。簡単な事だろう?」
カイトの言葉を珍しく静かに聞くアカネ。
「偉くまともな意見を言うのね。グレイ先生の入れ知恵かしら?」
「俺が感じる本心だ」
「お子ちゃまな癖に」
「うるさい」
列車から大きな汽笛を鳴らし、止まっていた列車がゆっくりと動き出す。
「あ、動き出したよ。そんなに遠くないところにあるから少しの間、我慢してくれ」
「ふん、列車降りたら嫌という程Qちゃんに抱きつくから」
「クオリアが良いと言えばね」
少しの沈黙にドアをノックする音が響く。
「はい。クオリア達かな?」
カイトはノックの音に返事を返し、ドアを開ける。扉の先にいたのは灰色のフードを被り、カイトよりも身長が高く、顔の半分を隠して口の中に入っているガムを鳴らしている人が立っていた。その人物はガムを風船のように膨らまし、カイトの前でパンと弾ける。
「あの、どちら様?」
カイトは不信な人物に顔が強ばる。顔を隠している人物はニヤリと笑い、着ていた上着のポケットから何かを取り出す。その動作にカイトは反応し、後ろに下がり臨戦態勢を構える。
「おっと、そんな身構えるな少年。私は敵ではない」
ガムを噛む人物の口からグレープの匂いを振り撒きながら言う。声の高さから予想すれば女性の声にあてはまる。ちらりと見える瞳は鋭く、澄んだ青い瞳が覗いている。
「三人目の奏者、と言えば大体察しが付くかな?」
カイトはその単語に反応する。
「奏者? あなたがホムンクルスの使い手の?」
「そうだ。それにほら」
上着のポケットからカイトが持っているのと同じカードが見える。
「それはスート・カード……。じゃあ本当に。――でもホムンクルスは?!」
カイトの言葉を置いて、その人物はカイトが座っていた椅子に座る。
「Kは今向こうで二人の再開に仲良くやっているんじゃないかしらね? まぁ、立ち話もなんだし、座ってゆっくりと列車に揺られながら話そうじゃない?」
その人物はカイトとアカネを見て、立っているカイトにポンポンと隣の空いている座席を叩く。
「私の名を言ってなかったわね。私はリオネ。リオネ・ローウルフ」
アカネは相手の名前を聞いた瞬間、窓に向けた視線をリオネに向ける。
「ローウルフ? あなた、もしかして昔から伝わるこの世の最後の錬金術師?」
「あら? その名を知ってるの? 服装だけを見たらただの流行に乗るだけの頭空っぽの若い女の子だと思ったわ」
カイトはアカネに毒を吐くリオネに少しばかり感心する。
「錬金術師? 今この世にいたんですか? てっきり昔の事件で消えたって聞いたから、いないと思っていましたよ」
カイトは情報の知識に遅れるように二人の会話に入り込む。アカネは驚きの表情を浮かべながらカイトに説明する。
「あんた新聞とか見てないの? どんだけ隔離された島なのよほんとに。良い? 錬金術がなくなったのは表向き、それに私たちがホムンクルスを従えることが出来るのは、あんたが知らない間に何百年の歳月を流れた血筋。言えばそれだけでも奇跡なのよ。そしてこのローウルフ一族が錬金術の術を知る、唯一の錬金術師」
アカネは語弊を招く事をなくすように弁解を付ける。
「今、私は錬金術師の血筋と言ったけど本当に錬金術が使えるわけじゃないわ。何も知らないで何か作れと言われても私でも無理」
「つまり、あなたたち二人は血が通ってホムンクルスを操れても、術そのものは扱えない中途半端なものよ」
「そんな事実が? でも俺の両親にはそんな血筋があるとは……」
カイトの言葉を汲むようにリオネは話す。
「そんな何百年の歴史を遡って家計を知る人なんてそうはいない。たまたまあなたに錬金術師の力があったという歴史が描いた軌跡の巡り合わせ。でも頑張れば錬金を会得することは可能かもしれないわね?」
そう言ってリオネはタバコを取り出す。吸った煙を窓の方に向かって吐いた煙がアカネに少しかかる。
「タバコの割に嫌な臭いが無いのね? それにあんたいくつよ? 私とそうも変わらない気がするけど」
「錬金術によってそういう弊害を無くしているから、それにこう見えて二十歳は超えているから安心して」
そういうリオネはタバコを吸う。フードを下ろした銀髪の髪が光るようになびいて、科学者のようなフード付きのコートを羽織り、黒のホットパンツを履き、細い足のラインをさらにトランプのスペード柄をあしらった黒のタイツによってシュッと引き締まったラインに魅せている。
「何をそんなに見ているのかしら? もしかして煙草に興味? あなたには煙草は早いわね」
放けているカイトにリオネは指摘する。
「いえ違います、なんでもないです……」
「それであなた達はこの列車で図書館に行くのかしら?」
唐突にリオネは二人の行き先をずばりと当てる。
「何故その事を?!」
カイトは驚きを隠せず口に出る。
「それは秘密。その行動はある人の行い、全てを知り得ることになりそうね」
「それはどういう……」
カイトが言いかけた時、扉が静かに開かれる。
「三人目のホムンクルスが揃ったわ。ここに人間もいるはずだけれど」
クオリアがドアの前に佇む。カイトの奥に座る女性リオネと目を合わせ、それ以上は告げずにパタンと扉を閉めた。
「さてそろそろ着くわね」
窓から見える大きな建造物が立っている町に向かって列車は、駅にへとスピード減速させ、六人の旅路の役目を果たすように汽笛を鳴らす。
「さぁ、行こう」
カイトはそう言って、二人に促し、向こうにいるクオリア達を呼びに行った。扉を開けるとそこには青いスーツを着た子供のような男の子がクオリア、Jと話しているように見えた。
「この子がK?」
カイトの質問にクオリアはこくりと頷く。
「三人目のホムンクルス、《キングス・ダブル・オーバー》」
クオリアの説明と共にその少年は座っていた椅子から降り、被っていたキャスケットを外し、カイトにお辞儀をする。
「これは奏者の方、お初にお目にかかります。三人のホムンクルスの一人、Kです。この度はジョーカーの復活を機に何百年と続く封戦にお力を分けて頂き、こちらホムンクルスも尽力を尽くしてジョーカーの封殺し、この世に平和をもたらすことを約束します」
Kの畏まった挨拶にカイトは戸惑うが、Jに普通の対応で良いと言われ簡単な挨拶を交わす。そして後ろから黄色い声が叫ばれる。
「キャー! 美少年! これよ! 私が求めていたのは! ああ美しい……」
アカネはカイトをどかしてKの元に擦り寄る。Kは無表情ながらも少し、面倒な雰囲気を醸し出している。
「嬢、それくらいにしないと列車が動くぞ」
Jの言葉にそれぞれ皆が列車から降り立った。
駅を抜け、駅から続く大きな通りの先に、大きな建造物が六人の旅路を迎えていた。
「それにしてもでかいな。俺の島くらいあるんじゃないかな?」
「そのあんたの島換算、どうにかならないの?」
アカネがカイトの感想に首を突っ込む。カイトはふと、こんなやりとりどこかで何度もしていた事を思い出す。
「ナギサ……」
カイトは小さく呟き、突然と顔を俯くカイトにアカネはバツが悪くなったのかカイトに言う。
「何よ。いきなり落ち込んであんたらしくないわね」
アカネはぶっきらぼうに放つ。
「いや。島にいた時、アカネさんみたいな人が友達でいて、いつも一緒だったんだ。その子が今、不運にもジョーカーの攻撃を受けて、苦しみと闘っていることを考えてたらちょっと」
カイトは突然口から自然に漏れた思い出話の最後に、なんでもなかったように皆に振舞う。
「ジョーカーから? 助かる見込みはあるの? あるなら私たちが出来る事ならやらないでもないわ」
「普通の人間か? その子は」
リオネが二人の会話に入る。カイトはそれにはい、と返事をする。
「玉戲の種、もう植えていたか……。カイト、早くしないと取り返しが付かない。事を早くに付け、ジョーカーを倒す手立てを考えなきゃね」
会話に入れないアカネはどういうことか説明することを強要している。
「ジョーカーを倒す。それだけだ。アカネさんにはそんくらい簡単な方がいいでしょ?」
「馬鹿にしてんの?」
「してませんよ」
「ふーん。まぁいいけど。それとその子の無事を祈って私の事、呼び捨てで良いわよ。なんかあんたに『さん』付けされると虫唾が走るわ」
「なんだよそれ言い方悪いなー」
「そういうことだから。これから『さん』禁止」
アカネは照れくさそうに早足で先に歩いて行った。それを追うように五人は図書館へと向かった。
第五章
図書館内は市内を歩く人の波のような鬱蒼とする人混みは無く、まばらにパラパラと文字の迷路に入っていくように集中して読んでいる人がいる程度。
カイトは渡された封筒を手に取り、固く封蝋された入れ物から中身を取り出す。そこにはグレイ先生のカードとカードを使うために用いる紹介状。そして図書館の見取り図に文献メモ。グレイ先生が言ってた通りのものが封入されていた。
「あれ? まだ何か入ってる」
カイトは薄く入っていた紙を取り出し、皆の目に入るように見せる。
「なになに? 《六つの書物が同時に知恵を開く時、時を超え、この世界の真実への道が開かれる。この答えを解く者、この世界の破滅の阻止をする勇士達の武運を心より願う。グレイ・ジェスター》。だって、何よこれ?」
アカネが読み上げたメモにそう書かれていた。
「グレイ・ジェスター? その名前、ウチの研究所にいた人の名前ね」
リオネは呟く。その事実にカイトは突っ込んだ。
「リオネさん、グレイ先生と知り合いなんですか?」
「知り合い……そうね。私のおじいさんがやっていた研究に加わっていた人よ。まぁ、私達の研究と言えば錬金術なのだけど。話したことはあったわね」
リオネの話す顔に少し曇りが掛かっているのをカイトは感じる。その事に触れようかした所にクオリアから話しが進む。
「つまり、グレイが錬金術について学んでいた事実に結びつく。J、これは列車で話していた事に繋がるわね」
クオリアがJと目を合わせる。Jはそのクオリアの言うことに腕を組みながらそうだなと、言う。
「ビンゴね。」
クオリアが一言、パズルのピースが組み合った事を意図する言葉を放つ。
「クオリア、どういう事?」
「まずはグレイが示唆する場所に行きましょう。ここでは人目に付くわ」
クオリアはカイト達を先導し、グレイが示した見取り図のある地下三階へと降り立った。そこは頑丈な扉が迎え、近くにカードキーを差す装置が備えられていた。
カイトは、グレイから借りたカードを使い、重く強固な扉が徐々に開いていく。
「こんな図書館があるなんて凄いのね」
アカネは文明の発展に感心している。
「昔に錬金術が発展したような世界だもの。何度か私もここを利用させてもらっているし、このくらいの建造物が一つや二つあってもおかしくはないわ」
リオネはアカネの言うことに付け足すように呟く。重い扉は完全に開き、その先に待ち構える大部屋へと入る。
そこは蔵書の宝庫と言うべきか、壁に埋め尽くされた本が所狭しと並び、あらゆる場所にも本棚が設置され、生涯ここで本を読んでも読みきれない程の書物が六人を迎えた。
重い扉は六人が通ったことを確認したように大きな音を立てて閉まっていく。この階に人の影は感じられず、この空間には大量の本と三人の人間、三人のホムンクルスしかいない事を入口に設置されている地下三階の見取り図に付いている生体センサーが知らせる。
「職員がここに人がいるかどうか探すの大変だもんな……」
カイトは子供のような感想をこぼす。アカネはその感想に同意したのか、小さく頷く。
「この大部屋に私たちしかいないなら都合がいいわ。クオリア……だったかしら? さっきの話しの続きを」
リオネはクオリアとJに促す。その合図に列車でクオリアとJが推測した話しを四人に話し始めた。その話しを聞いたカイトは突っかかる。
「まさかグレイ先生が黒幕……? そんな訳が無い! あのグレイ先生が……!」
「あなたがグレイに慕っていることは分かるわ。これは悪魔で推測、グレイが黒幕とは決まっていないけれどその線が一番濃厚なのも事実」
「グレイの家に来たとき、俺は、俺たちとグレイの他が放つ、圧倒的な気配があった。それは何百年と続いた封印を解除するため現れた奴と似た……な」
Jが付け足すようにグレイの家で感じた気配についても重い口調で話す。
「そんな……。嘘だろグレイ先生……」
カイトはその場に倒れこむ。
「悪魔で推測なんでしょ? だったらまだグレイ先生が犯人か分からないじゃない。そもそも確証がないわ」
アカネはグレイの肩を持ち上げるように反論する。
「嬢、その答えを見つけるためのここだろ?」
Jはこの敷き詰められた本棚に向かって指を差す。
「この中に答えが……?」
カイトはJの言葉に一縷の希望を持つ。
「さっきの見取り図を、そこにグレイが示す何かがあるのかもしれないわ」
クオリアは答えの真相を急ぐようにカイトに促す。カイトはその要求に見取り図を開いた。そこにはここの見取り図をコピーしたもので、所々に丸く囲っていた。
「この丸は?」
リオネは丸について指摘する。
「多分この辺りにグレイ先生が言う文献があるんじゃないかな?」
カイトは簡単に答え、もう一つの文献が纏められたメモを取り出す、それと同時にあの一文添えられた紙がくっつく。
「この一言添えられたこれも意味があるんじゃないかな?」
カイトは言う事にクオリアはあのメモに書かれていた言葉を紡ぐ。
「六つの書物が同時に知恵を開く時、時を超え、この世界の真実への道が開かれる」
「六つの書物? 失礼ですが、見取り図と文献のメモを拝借します」
カイトはKの頼みに見取り図とメモを渡す。Kはその二枚を見て、五人に話す。
「この見取り図には六つの印があります。それに六つの書物、これがこの六つの印を指すんじゃないでしょうか? 僕の憶測上の話ですが」
五人は見取り図を見る。確かにと声を上げる。
「同時に知恵を開くというのがミソね。ということは全員が同時に手に取れってことかしら」
アカネが呟いた事にリオネは賛成の意見を言う。
「それは無いにしろ、やってみる価値はありそうね。……丁度、六人いるものね」
「こんな凡人の知恵に賛成をするのね」
アカネはリオネに噛み付く。
「あら? 凡人の意見は時に研究をしている頭の固い人間に開けた道を敷く時もあるわよ。希にね」
リオネはその嫌味に華麗に反論する。
「じゃあその線で本を同時に取ってみよう」
カイトの言葉に見取り図に付いた丸の場所に付き、同時に取る作戦を立てる。一人一人が別のタイミングで取ることを防ぐため中央の調べ物に使う小屋の場所から天井へと伸びる柱に付いたデジタルの時計が丁度十一時を示すのを合図に手に取ることにした。
「グレイ先生は俺たちに何を伝えようとしたのか……」
カイトは目的の場所へと歩いている時に呟く。
「ナギサ……あと少し。あと少しだ」
カイトは目的の場所に付き、示された書物を探す、事前にコピーしたものを全員に配布し、それを基にそれぞれが目的の書物を探した。
「薬草大全……。あった。これか」
カイトは目的の物を見つける。見つけたことを合図するように指を鳴らす。その音で見つけたことを表すようにしていた。時間はまだ二分ある。
「皆見つけられたかな?」
まず見つけられないことには意味なかったが、徐々にパチンと静寂なこの大部屋に鳴り響く。
「五、六。これで全員、よし」
デジタル時計は残り十秒を刻む。
「二、一、0!」
十一時、全員は指定通りにその本を引き抜く。シンと静まり返る部屋は、一層と図書館の貫禄を出している。
「……。うわっ!」
大部屋が開いた時のように轟音がこの部屋に響く。カイトはその本を手に音の鳴る中央に走る。その音に他の皆も中央に集まっていた。
「見て、階段よ」
アカネは中央の小屋の下に置かれた机が離れ、階下に続く階段を指を指す。
「この先にグレイ先生が言う真実が?」
カイトは意を決して、全員の顔を見合わせ、階下へと足を踏み入れた。
階段は思っていたよりも長く、等間隔に付いている小さな明かりを頼りに慎重に降りる。
「ほんっとに謎が多い図書館ね。こんな地下深くに何があるっていうの?」
アカネは見えない先に愚痴を垂れる。
「嬢、静かにしろ」
Jはアカネの文句を止めるように言う。
「あーもう! 不愉快ね」
先頭を歩くカイトの前に最後の階段が見えた。
「皆、階段の終わりが見えた! あと少しだ!」
その言葉にアカネはカイト、クオリアと続く二人を急かすように掛ける。その言動にクオリアは呆れた顔をしていた。
六人が降り立った地下は先ほどの大部屋と同様、広い空間があった。しかし、上の階のように本が陳列されておらず、だだっ広い空間の真ん中に机が設置されていて、その机の両端に青い炎が光の役目を果たし、その向こうには大きな装置が設置されていた。
「なんだここ? 研究所? 図書館の地下に?」
「……あの装置匂うわね」
アカネは手前の机に目もくれず向こうにある装置に興味が向く。向こうにある物体は遠くから見ても巨大と分かるもので、中央には人が入れそうなカプセルが空中に浮いている。さらに、両端のパソコンのモニターが付いている装置から伸びるいくつものの太い管が、カプセルを支えるように接続されている大きな機械が鎮座していた。
「そうね、何か研究していたと言ってもおかしくはないわね。例えそれがホムンクルスの事でも」
リオネは呟く。
「本当にグレイ先生がホムンクルスを!?」
カイトは逃げようのない事実に愕然とする。
「――! 皆さんこちらに!」
先を歩いていったホムンクルス達は手前の机に置いてある書物に目を落とし、Kは三人に呼びかける。Kの口調に危機感を感じ、三人は急いで机の下に駆け寄る。
「これは……」
カイトはその色褪せた書物に言葉を失う。
「《ジョーカープロジェクト》、だそうね」
クオリアが端的にタイトルを読み上げる。
カイトは書物を慎重に開くとそこにはタイトルと同じように人語で書かれていないわけではなかったのだが、文字が頭に入ってこず、内容を把握するのに無理が生じる。
「それ、内容が記された紙に特別な物で書かれているのね。貸して、錬金術を少しやっている私なら分かるかしら」
その書物をカイトはリオネに渡し、解読を任せる。ペラペラと一枚一枚流し読みをするリオネを見て、読める事が手に取るように分かる。
「簡単に見て分かった事を言うけど、ジョーカーの生成、方法、そして生成を始めてから完成までの日誌……。結構普通に読めるわね……。――え?」
最後のページを開いた瞬間、リオネはその書物を乱雑に机に放り投げ、その書物から逃げるように後ろに下がりながら両手を口を塞ぎ、目を見開いている。その形相に五人は恐怖を感じた。
「リ……オネさん?」
「……はぁはぁ。見れば分かるわ。多分最後のページは誰でも見れる、いや見せようとしているのかもしれない」
リオネが言う事に唾を飲み込み、五人は書物を開き、最後のページを開く。
(――っ!)
書物から暗黒の光が漏れる。すると目の前に映像が流れ始める。
それは何百年の前にジョーカーの生成に携わってきた研究者の一人の視点を軸に、自分がそこにいるかのようにリアルに映し出される。
走る音が最初に聞こえ、その後に両扉で構える何か絵が書かれた鉄扉が、目の前に見えてくる。その人物は急ぐように両扉を思い切り開ける。飛び込んできたのは部屋には色んな機材が並んでいて、試験管やらと実験道具が立ち並ぶ部屋の景色が広がっていた。
部屋の左右に倒れている人を映し出していた視点が部屋の中央に向き、目の前にはジョーカーと思わしき二メートルを超える身長を持つピエロのような人物が研究者の一人を頭を持ち上げて軽々と浮かせていた。
「――やめろジョーカー! 言う事を聞け! 聞こえないのか!? 命令だ!」
その言葉に反応を示さないジョーカーは助けを求め、叫んでいた研究員の頭を無慈悲に握り潰す。
(――うっ!)
カイトはその鮮明に映される無残な光景に吐き気を催す。そんな気も無視するかのように映像は続く。
「ジョーカー! やめるんだ! さもなければ貴様のコアを潰す! これは脅しじゃない!」
(――コア?)
カイトの耳にその単語が聞こえる。研究者視点から見えるジョーカーの額に反射して見える結晶が埋め込まれていた。
(あれがジョーカーの原動力か!?)
そう思ったときに映像の視点は少しの景色を残し、暗くなる。見える景色を察するにジョーカーの手が研究者の顔を掴み、さっきの研究者同様、宙吊りになっている状態だった。
「やめろ……。お前が人を殺すプログラムを埋め込んだ覚えはっ――」
隙間から見えた、ニヤリと歯を剥き出すジョーカーの顔が最後にブツリと切れた。
「――っは! はぁはぁ……」
カイトの瞳にさっきまでいた部屋が映し出される。カイトが辺りを見回すと、カイト同様に息を切らして目を見開き、ここにあらずの形相をしている。
「皆っ!? 今のは?」
全員が声を発するカイトを見やる。
「ある研究員が残した最後の映像だろうな。確かに、見た記憶を映像化して記録する錬金術はあった」
先に見たリオネはそう答える。
「今のはジョーカーが暴走を始めた時のって事か?」
カイトはさらにリオネに疑問を投げつける。おそらくは、とリオネは静かに返した。
「こんなものをこれまで残して何がしたいんだ!」
カイトは憤りを誰にもぶつけられる事が出来ずにドンと目の前にあった机にぶつける。叩いた拍子に机に付いていた薄い引き出しが少しズレた事に気付く。その引き出しを開けると、最近書かれたものと思えるほど綺麗な薄い一冊のノートが入っていた。
「今度はなんだ? 今度は何を俺たちに見せるんだ!?」
怒りがこみ上げるカイトを宥めるようにクオリアが寄り添う。
「駄目、そんな感情を剥き出しにしては。もし戦いであれば相手のペースに囚われるわ」
クオリアは優しくカイトに説いた。その言葉にカイトは頭を冷やすように深呼吸を始め、そのノートと向き合うために気分を落ち着かせた。
落ち着きを取り戻したカイトはノートをゆっくりと開く。それは人間の手によって書かれた日記だった。
最初のページには、このノートが記す内容が挙げられている。
「錬金術の軌跡、ホムンクルスの生成法、そしてホムンクルスの完成を辿る工程、眷属としてのホムンクルスの運用……?」
されにめくると、一ページ完結の研究記録らしく、最後の行に書いた人の名が書かれている。そこには最もカイトが知る人物の名前が書かれていた。
「グレイ・ジェスター……? やっぱり先生が……」
ここまでグレイ先生がそのような事をしていないと信じて疑わなかったカイトに確証とも言える真実がここに記されていた。
「これでチェック・メイトだな」
Jは追撃の如くカイトに言い放った。
「あの先生が……。信じ難いけどジョーカー復活の黒幕と決まってしまえば私も――」
「待って! この最後の方に新たな名が出てる……」
カイトはアカネの言葉を遮って全員が向ける牙の注意を引いた。カイトが見た文章はこう書かれていた。
――実験を始めて数ヶ月この研究所に来たのが十八歳、ローウルフ一族からの後押しを受けてそれから三年の歳月でここまで来た。ここで私の研究、ホムンクルスの生成に成功する。名前は昔のホムンクルスように《A》と名付ける。Aは行儀が良く、従順に私の言う事を聞いた。これで障害がなければ錬金術は世界的に認められ、またこの世に便利な文明が息づく事になる。
「グレイの記録ではホムンクルスを作ったと記されているが、ジョーカーの復活を目的としたものではないな」
リオネはノートの記録を見て、疑問を見つける。さらにページを進めると、順調にホムンクルスを従え、安全性、信頼性について事細かく書かれていた。それはジョーカーという昔の恐怖を払拭させるために、グレイ自らが錬金術を行い、ホムンクルスを慕う事で、便利な世の中にするという目的で生成されたものだと読み進めていく内に気付かされる。
読んでいた途中でグレイが書いたと思われる筆跡が走り書きのように雑なものに変わる。
「ここからなんか文字が雑だ……。何かあったのか?」
――研究は失敗した。私には原因が分からない。もしこの記録を見る人物がいるとすれば、最後に私から知っている全ての情報をこのノートに記す。そして《A》が持つ、野望をどうか打ち破ってくれたまえ――。
次のページには《A》と呼ばれるホムンクルスの情報が記載されていた。所々人間の血液のような物が染み付き、最後の文章は書いている途中に腕を掴まれたのか、書いていたペンの軌跡がそのまま紙に引いていた。
「ここにいたのか、手間を取らせるな人間と旧型ホムンクルス共」
新たな声に全員がその声がする大きな装置のカプセルを見る。そこには先ほどまでいなかった灰色のオーラを放つ小さな悪魔のような姿をしている影がカプセルの上に座り込んでいる。
「お前は!? それに何故ここにいる!?」
カイトはその影に向けて言う。
「おいおい、質問をズラズラと言うな。俺は《A》。かの有名な新鋭錬金術師、グレイ・ジェスターによって生成されたホムンクルス」
「お前がっ!?」
カイトはこの事件の元凶となる相手に怒りが込み上げる。
「おっと待てって選ばれし奏者よ。ここは一つ俺の理想を聞けって」
「お前の言う事を聞いてられるか!」
カイトの体から光が漏れる。その光に続くように五人それぞれが自分が放つ光に包まれていく。
Qは両手に剣を持ち、以前のような煌びやかなドレスに身を包む。
Jは長い三叉槍を構え、早さを重視した服装で相手を睨みつける。
Kの手に何もない空間から大斧が現れ、小さな体から予想できない力で斧を軽々と片手で縦横無尽に振り回す。
そしてカイトは白、アカネは赤、リオネは黒を基調としたスーツとドレスに身を包み、《A》との臨戦態勢を整えた。
「いやいや。一瞬でそこまでの攻撃態勢を揃えるとはお見事だな、だが――」
ふっとカプセルに座っていた影は、三人のホムンクルスの間に突然と現れる。反応が遅れる三人にAは回し蹴りを食らわす。QとKはその速さに追いつかず、力の大きさに吹き飛ばされる。Jはどうにかその速度に追いつき、槍を盾に身を防いだ。
「ほう? お前中々やるな」
ニヤリと笑うAは、残ったJに手刀を入れる。
「――ぐうっ!」
相手の手刀をJが槍で防ぐと同時にアカネは大きな重圧に耐える。その力を支えるためにカイトとリオネはアカネを支える。
重くのしかかった手刀を槍で止めるが、力が及ぼずJは吹き飛ばされる。その吹き飛ばされたJによって来る衝撃がアカネに直に伝わる。
「キャア! ――痛ったいわね! 何してくれんのよ!」
アカネは相手の攻撃に血が上り、タクトを前に突き出す。その動きに吹き飛ばされたJは地に着地したと同時に三叉槍を相手に向けて猛然と突き刺す。
「ふっ」
Aはニヤリとしたままでその攻撃を片手で受ける。重い衝撃がこの空間を歪ませる波動を伴い響く。
カイトはタクトを上方に上げ、そのまま振り下ろす。その動きをなぞる様にして壁にめり込んだクオリアはAに向かって高くジャンプし、双剣をAの頭上に振り下ろす。
「はっは!」
その攻撃をもう一つの腕で止める。だが、上からの重撃にAの足は少し地面にめり込む、さらにリオネは前に出したタクトを力いっぱい横に振る。Kは持っていた大斧の形を変え、大きな大剣に換装し、そのままAのガラ空きの体にぶちあてる。
「ぐうっふ!」
「効いたか!?」
カイトは相手の怯みにタクトを下から上へと振り上げる。クオリアは呼応するように、頭上に振り下ろしたまま、Aの体をガリガリと削った剣を地面に付く手前で剣を逆に構えてそのまま振り上げる。
「ぐっ――?!」
空中に浮いたAに対して、アカネは体が前に飛ぶ勢いでタクトを突き出した。
「いっけぇぇぇぇぇ!」
Jは空中に浮いたと同時に後ろに後退し、Aに向かって三叉槍を構え、そのまま勢いを付けてAに向かって直線に飛ぶ。
そのロケットのような速さに、宙で身動きが制限されるAはモロにダメージを受ける。
「――っ!」
声にならない言葉を残し、そのままカプセルの頭上を過ぎ、壁にめり込む。
「これで――?」
向こうの土煙が晴れる。そこには首を鳴らしてさも平気そうな状態でめり込んだ壁に座る。
「なってねぇ……。なってねぇなってねぇなってねぇ!! お前らやる気あんのか? そんなんで奏者、ジョーカーを封印をするなんて舐めた口を開くなよ?」
Aはめり込んだ壁から小さな羽を使い、カプセルの上へと移動する。カプセルの上に足を付けると思いきや、その地点から目にも止まらぬスピードでJにタックルする。そのタックルが油断したJに当たり、Jとアカネはその場に立っていた場所から程遠い壁の方へ飛ばされる。
Aはさらに体当たりの反動で浮いた体を即座に床と平行な態勢になるように捻り、腕だけの力で地に付いた手の平で地面を蹴り、放物線を描きながら体を高速回転させてKに向かってかかと落としを繰り出す。
高速回転した遠心力を存分に得たAのケタ外れの一撃がKを襲う。その一撃を大斧で支えて耐えるKに対し、Aはかかと落としの態勢から重力を逆手に取り、体が地面に落ちる力を利用して、かかと落としをした右足を支点に振り子の様に体を振って、Kの腹部に拳を喰らわす。その攻撃にK、リオネ共々、腹部に激痛を伴いその場に倒れこむ。
Aの攻撃の手は休むことなくKの近くにいたQに対し、Kに拳を与えた逆の手で地面を掴み、逆立ちした状態から腕の力で高くジャンプし、Qに向かって両手をハンマーの様に振り下ろす。その攻撃を上手くQは横に避けるが、避ける事を予想し、そのハンマーの形のまま下部から上部へとQが避けた方向に向かって振り上げる。その攻撃をQは咄嗟に腕で防御するが、振り上げた力に負け、Qとカイトは空中に放り出される。
この三人のホムンクルスを一時的な戦闘不能に陥れるのに十秒掛からずにAは次々と圧倒的な力で踊るように相手を沈めた。
「お前らには失望した。こんなことならお前らを泳がさず、さっさと殺せば良かったんだな」
「な……なんだと?!」
地面に叩きつけられた態勢から弱々しくカイトは言った。
「あーつまらん。さっさとジョーカーの下に行ってあいつを吸収してこの世界を頂くか。今日の夜が楽しみだな。じゃあな、非力な勇士共。この世界を救えず、俺に楯突いた事を後悔すると良い」
Aの姿がブレていき、姿が完全に消える。
「待て! ――っくそ!」
カイトは逃げられた事に嘆きを吐く。Aの気配が完全にこの空間から消えた。
「あいつ、俺たちの攻撃を全く効いてなかった……? それにあの速さと力は尋常じゃない……」
「傷が少し付いた程度、かしらね」
クオリアは受けた攻撃に受身を取り、なんとか追加ダメージを避けたが、腕に受けた衝撃で軽い痣ができていた。カイトはそれを見て心配の言葉を掛けるカイトにクオリアは直ぐに治ると言い、刃こぼれした剣を見て、相手の強固さを知った後に剣を収め、元の服装に戻った。
その他のアカネ、リオネもダメージ受けた割に大丈夫そうではあったし、JとKは油断していたと謝罪をするくらいだったので大きなダメージはなかった。
「ダメージがそこまで大きくなかったものの、あいつにも傷を与えられなかった……。それどころか一方的に殴り倒されるだけ……。こんなんで世界なんか……」
カイトの弱音をアカネは聞きたくないのか、大声で被せる。
「ほんっとにあのAって奴! 人の事見下して腹立つわね! あいつの生意気な顔面を思い切り引っ叩きたいわ! この怒り、今度会ったら全身全霊かけてぶつけてやるわ! ねぇカイト!?」
「え? うんそうだなアカネ……」
その言葉に力なく答えるカイト。
「なんなの?! そんな元気ないの困るんだけど。あんたが一番活発でなきゃ、皆が困るわよ!」
アカネの言葉を聞いてカイトは四人の顔を見合わす。
「カイトは私に言ったわ。『どんな事でも逃げない』と、そうよね?」
「俺はお前の事を高く見過ぎていたのか? カイトがこの程度で打たれるほど弱くないはずだ」
「僕もカイトさんにはこのまま弱気になって欲しくないです……。なので元気をだしてまたAとジョーカーを倒す算段を立てましょう!」
三人のホムンクルスに勇気づけられ、カイトは落ち込んでいた心を揺さぶられる。そしてリオネはカイトの方に歩み寄り、崩れた態勢のままのカイトと目線を合わせるようにしゃがみ込み、
パシン、とカイトの頬に平手打ちを入れる。
「――!? 何するんですか!?」
「あんたがここで弱音を吐いてここで挫折するならすればいいわ。ただ、残された人が全員に過酷な戦いが待ち受けていることを胸に深く刻んでカードを捨てればいいわ。さぁあなたはやるの? やらないの?」
「俺は……」
カイトは心の中で大きく揺さぶられるこの感情、クオリアと二人だった時から最後に五人と共にジョーカーを倒すことを決意したあの日……。
「――ナギサ……」
カイトはジョーカーによって命の危険を晒されている島の唯一の友達が頭に過ぎる。
「そうだ。俺はここでクヨクヨしている暇じゃない」
ゆっくりとカイトは立ち上がる。
「俺はこの世界の為、そして島に暮らす父ちゃんに母ちゃん、そしてナギサのために俺はやらなきゃいけないんだ」
「皆ごめん、俺はここで諦めるところだった。皆がいたから俺は……」
「調子が戻ったみたいね」
リオネはカイトの志が戻ったことに安堵する。
「ま、私はこいつがここで諦めるようなやつだと思っていなかったけどね」
アカネはカイトをいつものような冗談ぽく言う。
「あなたは馬鹿そうだからいつでも同じのような感じするけども」
リオネはアカネに毒舌を吹っ掛ける。
「なんですって?!」
リオネとアカネのいつもの降っ掛け合い見て、カイトは普段の調子を取り戻していた。
「とにかく、グレイ先生が悪に手を染めた訳じゃなくて良かった」
リオネと言い合っているアカネがそうねとカイトに言う。
「だけどグレイじゃないと分かったとしてもAがどこにいったのか見当が付かない。それに今日の夜に何かが起こるととも言っていたわね」
リオネはAの企みに触れる。居場所も分からない相手をこの世界から探すのは非常に困難……。
「待てよ? あの書物の最後のページにあった映像……」
カイトはあの映像を思い出す。カイトの言葉にクオリアは反応する。
「カイト、あの映像に私も記憶がある。あの扉、そしてあの部屋の空気」
「もし、あそこがジョーカーが作られた場所と言うならジョーカーがあそこを根城にしているんじゃないのか? そしたらそこに向かうAもいるはず」
カイトは賭けとも言える事を五人に話す。
「皆、これは一種の賭けだ。ジョーカーの動きを止めて拘束するにしても、何か大掛かりなことを大陸でやっていればいずれは目に付く。俺の可能性の話しだけど誰もいない無人島でやればスムーズに出来はしないか?」
カイトは五人に話す。アカネはその意見に更に付け加えるように言う。
「そういえばあんたんとこの島の名前って言うんだっけ? その島の名前、ジョーカーに消された大陸の名前と同じなのよね。それに、あそこの島付近も歪な孤島しかないし」
「ケアル島? 確か私も聞いたことあるわね。錬金術が一番に発展したのもその大陸でもあったわね」
アカネ、リオネの言葉にさらに可能性は上がる。もしあの書物の映像がクオリアと出会った場所とすればジョーカーが生まれた場所としてジョーカーをそこに安置するのではないか、そして何よりカイトの島から近いとしてもほぼ無人島のあの場所なら何をしてもバレないだろう。
「決まりだな。急ごう」
カイト達は図書館を出て、Aのいるであろう、カイトの産まれ育った島の孤島に向かう。全ての思いをぶつける為、そして何百年前に起きた悲劇を起こさないために。