アリとキリギリスの小さなお話
真面目なアリは夏なのにもう冬支度を始めていた。アリは知っているのだ。冬がどれほど過酷な季節であるかということを。このアリは二度も越冬してきた。だからこそ、今、何をすべきかわかっているのだ。
「アリ君、アリ君!キミはまたそうやってこの良き日を潰しているのかい?」
「お前こそまたそうやって馬鹿みたいに無計画的に遊んでいるんだね、キリギリス君」
対照的な二匹だけれど、彼らは友達。初夏に出会ってから何だかんだでよく一緒にいるのだ。主にキリギリスが一方的に押し掛けているのだが。
「アリ君。楽しめる時に楽しんでおかないと損だよ?冬支度なんて秋にやればいいんだよ」
アリは苛立った。冬支度を夏の間に行っても死にゆく仲間がたくさんいたから。それなのに秋にやればと軽々しく言うキリギリスが恨めしいと思った。
「そんなこと言うけど、お前だって早く番となるべきメスを見つけて来たらどうなんだい?どうせお前は冬まで……」
アリははっと口をつぐんだ。去年も一昨年もそれを見てきた。このキリギリスはこの春生まれたばかりである。元来、キリギリスは越冬できない生物だ。彼がそれを知るはずもない。
「そうだよ♪冬まで遊んでいるんだ!冬になったらキミのところにでも転がりこむかな?」
「お前なぁ…」
「一緒に雪、見ようね」
ケラケラと笑うキリギリスを怒る気にもなれず、アリはその日、キリギリスと遊んだ。けれどアリは心から楽しめなかった。八月ももう下旬。本当なら、キリギリスはとっくに番を見つけているはずだ。だが、このキリギリスはメスを探しに行くどころか、鳴いて呼ぶことすらしない。
「お前はどういうつもりで毎日過ごしているんだ?」
同じ仲間と遊ばず、メスを追いかけることもせず、毎日アリのところへ足を運ぶ。
「アリ君はどういうつもりで毎日過ごしているんだい?」
ニコニコ笑うキリギリスには残酷な未来は見えていないようだ。アリはため息をついて諭した。
「キリギリス君はこの春生まれたばかりだから冬は知らないよね。だけど僕は今年で三度目の冬を迎えることになる。冬がどんなものか、少なくともお前よりかは知っている」
「来るかどうかもわからない冬のために、俺はそこまで真面目になれないな」
アリはギクリとしてそれ以上は何も言わなかった。キリギリスは賢かった。馬鹿なのはアリの方だった。その日からアリは働くことをやめ、キリギリスと遊んだ。仲間から白い目で見られたが、そんなことは気にしない。そんな彼らを皆愚か者だと言った。
やがて秋が訪れた。キリギリスは相変わらずアリにべったりだった。アリも仲間のもとへ戻らず、キリギリスと今を精一杯楽しんでいた。しかし彼らに残された時間はあとわずか。そして、それは目に見えるように現れた。
「どうしたんだい?アリ君。さっきから全然食べてないじゃん」
キリギリスがアリを心配して、二匹の夕食であるコオロギの食べる手をとめる。駆け寄るとアリはその場に倒れた。
いつからだっただろうか。アリの眠る時間が増えたのは。夏のように動き回る時間が減ったのは。どうしてもっと早くこのことに気づいてやれなかったんだろうか。キリギリスは全てを悟った。
「何でだろう?お前と一緒にいようって思った時は覚えていたのに……。馬鹿がうつったのかな?」
アリのか細い声は宵闇に溶けていく。
「うん…うん……」
「僕に…三度目の冬はない」
キリギリスは最期の声だとわかっているのに葉っぱの布団に潜り込んだ。これ以上はもう何も聞きたくない。別れたくない。それは意識が朦朧とするアリから見てもよくわかった。
「キリギリス、……もうさよならみたいだ。お前と過ごす時間、嫌いじゃなかった」
「……え?」
かすかにアリが何か言ったのが気になって、バッとアリの側へ寄る。
「……大好…だよ、キ……ギス」
「アリ君?……アリ君っ!!」
真面目なアリは死んだ。愚かなキリギリスよりも先に逝ってしまった。いや、本当に愚かなのは誰だろう?
一匹残されたキリギリスは、ふふ…と寂しく笑った。
「だから言ったじゃないか、アリ君。真面目に冬支度なんかしたって、冬を迎えなけりゃ意味がないって」
やがてキリギリスも絶命した。それは雪の降る日のことだった。