期末試験
長かったこの一週間も、ついに明日で終わりだ。一つの学期という区切りを締めくくるお祭りのような騒がしさ、それでいて不安と緊張、そしていつになく真剣な生徒達が織りなす時間。世間ではそろそろお盆とか言う休みに入るはずなのに、そのギリギリまで我が大学は授業だ。他の学校の友人が遊ぼう遊ぼうと言ってくるが、完全無視。あらゆる邪念をシャットアウトして、私達は目の前に立ちはだかる大きな、大きすぎてもはや抗う術もなく立ちつくす事もある“単位”という壁にかじりつく。まるでそうしていれば、いつか穴が開いて向こう側にいけるかのように。“不可”という絶望から抜け出せるかのごとく、私達はあらゆる手段を用いて、ある時はよじ登り、またある時は切り崩す。目指すはただ一つ、不の無い世界――。
とまぁ、仰々しい戯言はこのぐらいにして。そんな訳で、残るテストはあと三つ。
*
「ふぅ、ここまではなんとかなったわ……」
二年前期期末試験週間、最終日。選択の岩石学の授業と、一般教養科目の歴史の授業はなんとかなった。あと残すは、必修の堆積学の授業のみである。
「しかし最後、これがなかなか油断できない。気を抜くな、さざらぎよ」
「ういーっす」
「って、なんでまたしーなは軍師みたいな言い方になってるのよー」
周りの生徒が
「んで、ところでさ。ドリーネとウバーレの違いってなんだっけ?」
「ウーライト……。こんなん出るのか?」
というテスト前にありがちな用語の最終確認をしている最中でも、私達のいつものノリは変わらない。ちなみにドリーネもウバーレもカルスト地形、石灰岩が侵食を受けて出来た地形、の一種であるが、ドリーネが複数繋がった大きなものがウバーレと呼ばれ……って、これ昨日の必修の地形学の方ではないだろうか……。
「れか、意外と余裕そうね」
ウーライトってなんだっけ、と私が必死になって思い出そうとしている間にも、彼女達の会話は続く。テスト前とは言え、周りの情報よりも友人の会話の方が優先度が高いので、諦めて其方に耳を傾ける。悪い癖だと自覚はあるが、まぁ緊張してガチガチになるよりはいいだろう。
「まぁねー。昨日彼氏と猛勉強したから☆」
その絶妙のタイミングで、麗華のこの台詞だ。現在交際三カ月。乗りに乗った楽しい時期なのはよく分かるが、さりげない惚気が、ぐさりと心に突き刺さる。特に、この中で唯一彼氏なしの詩衣菜には、大ダメージだったようで。
「……くそ、リア充爆発しろ」
何やらぶつぶつ呪詛を吐きながら、頭をガンガンと机に打ちつけている。まぁこれもいつもの光景、ではあるのだが……。
「し、しーな! そんな事したら頭から単語が抜けてくよ!」
「落ち着いて、どうどう」
効果が抜群にも程がある。私と千波で何とか思いとどまらせる。
「……そうだな。試験が終わったら、存分に嘆く事にしよう」
『いやそこまで引きずるなし』
頭を打ちつける行為は止めたようだが、それでもまだショックから立ち直れないらしい彼女に、流石に三人でつっこんだ。
「いつもの事じゃんか~」
自分でまいた種を自分で回収するこの流れも、もはや日常と化している。確かに詩衣菜の過剰なまでの反応は面白くもあるのだが、それではここにいると身が持たないと思う。何せ、同学年学科内女子八人中、七人に彼氏がいるのだ。ほぼ毎日のように、やれデートに行ったやれ家に行っただのこんなメールが届いただの電話をしただの、話題は尽きない。それでも、毎回何かしらの傷を受けている姿はもはや律儀としか言いようがなく、彼女の性格を表しているような気がしなくも無いのだけれど。
「むぅ」
頬を膨らませ、納得がいかなそうな表情をしているものの、何とかこれで一連のバカな会話は終わった。続いて、最終確認をしようとプリントに目を落とそうとしたら、
「あと三分だよ」
千波にそう言われ、先に準備をしてしまう事にする。筆箱、色鉛筆、スケールプロトラクターという分度器と定規が一体化したようなもの、を出した所で、血の気が引いた。
「あ、三角定規忘れた」
持ち物リストの最後に書いてあったので、見落としてしまったらしい。どうしよう、と焦りかける私に、
「スケールプロトラクターあれば大丈夫じゃね?」
まぁ落ち着けと声をかけてくれたのは麗華である。まぁ確かに、と思い直し、大人しく私は鉛筆削りを取り出した。
何故、テストの持ち物に三角定規という単語が出てきたのか。どうして私は色鉛筆を削っているのか。気にしてはいけない。それが私の学科、理学部の中でも特にマイナーな地学を扱う所の宿命なのである。
「さて、そろそろ始めるよー。関係無い物はしまってー」
普段は必ず五分遅刻してくる教師も、この日ばかりは開始時刻よりやや早めにやってきた。ガラガラ、と戸を閉める音と共に、生徒達も喋るのを止め、覚悟を決めたようにノートやプリント類を鞄の中にしまった。いよいよだ。
「全員、問題と解答用紙はいきわたったなー。では、始め!」
紙を勢いよくめくる音を合図にして、二年前期、最後の戦いが幕を開けた。
「はい、じゃあそこまで。筆記用具を机の上に置いてー」
教師の非情なかけ声と共に、今までうるさいぐらいに鳴っていたカリカリという、答えという名の文様を書きなぐる音が、一斉に止んだ。
「あー、終わった終わった」
解答用紙が回収され、ばらばらと立ち上がる生徒達。出来が良かったのか、切り替えが早いのか、他の皆は次々に帰り支度をしている。
「どうしよう、全然書けなかった……」
そんな中、座ったままの私。結論から言えば、まぁそういう事になる。自分なりに勉強はしてきたつもりだったのだが、やはり足りなかったようだ。そりゃ基本的な用語ぐらいは書けただろうが、記述問題があんなに多いとは思わなかった。地形図の読みとりも、出来たかは微妙である。
「まぁ、一応救済措置もあるから大丈夫じゃない?」
そんな悩める私に、励ましの声をかけるのは先程取り乱していたはずの詩衣菜である。流石に切り替えたようで、いつもの調子が戻ってきている。
「だと良いんだけどね……」
それでも不安はぬぐえない。何より、救済措置がある事は確かにとてもありがたいのだが、その為に呼び出しの為、学籍番号が掲示されるのは嫌だった。あれじゃ、誰が落ちかけているのか、同学年ならばもはや一目瞭然である。どれも一つ一つは些細な事かも知れないが、それらは複雑に絡まり合って私の体を縛り付けていた。
「そんな事より!」
相変わらず明るいのは麗華だ。疲れ知らずの元気なお嬢様は、目をらんらんと輝かせている。とくればもう、この後は決まったも同然だ。
「そだねぇ。やりますか」
『今日は食べよう!』
過ぎた事をいつまでも悔やんでいても仕方が無い。仲間の声で鎖は解き放たれた。そう、それよりも今は、この開放感を存分に味わおうではないか。
学科の女子全員を誘って行うは、もはやテスト終わり恒例のお菓子パーティ。そこで私達は、思う存分はっちゃけた。一人暮らしをしている詩衣菜の部屋に押し入り、近所のスーパーでお菓子や飲み物を仕入れてどんちゃん騒ぎ。大学の寮なので隣からの苦情も、夜でなければそこまでこない。学業、将来、恋愛……etc。普段は話せないような立ち入った事を、雰囲気と勢いに任せて次から次へとぶちまける。ストレス解消、一番の息抜きである。
こうして、多分一応テストを乗り切った、はずの逆木さんなのであった。
期末試験、こんな大袈裟に書いてしまいましたが、学生にとっては死活問題ですよねって事で。
次話は幕間として、お菓子パーティの様子でも書こうかと思っています。