エピローグ
あの後、私は上機嫌で家に帰り、安らかに眠った。
そしてあれから、史空ちゃんの姿をぱったりと見なくなった。最初は、私のシフトが減ったせいだと思っていたのだが、試しに他の人にも聞いてみると、そういえば見かけていないという返事が返ってきた。気になったので尋ねてみたら、なんとあれから一週間ほどで辞めてしまっていたらしい。
「どうしてなんですか?」
「さぁ、聞きそびれてしまってね……」
なんでも、ある日気が付いたら上司の机の引き出しの中に、そっと“いままでありがとうございました”と書かれたメモと共に、契約書が返されていたらしい。それ自体は少し寂しいとは思ったが、あまり感傷に浸る訳でも無かった。合わなければ辞めれば良いと、その人にはその人のやり方があると、今は分かっているから。
ただ一つ、心残りがあるとすれば。
――史空ちゃんに、お礼言いそびれちゃったな。
「ま、いつかまた会えるでしょう」
何となくだが、そんな気がした。彼女とは絶対、またどこかで会えると。そしてその時に、出来れば合わせて聞いてみよう。
“貴女は一体、何者なんですか”、と。
*
それから数カ月後。桜の咲く季節となり、私は無事に三年生になれた。……もっとも、それと単位を取れているか、はたまた取りこぼしたかは、また別の問題ではあるのだが。まぁ、過ぎた事を悔やんでも仕方が無い。これから挽回すれば良い。まだ大丈夫、まだ。
そんな訳で、今日も私は実験三昧の日々を送っている。楽しいのは楽しいのだが、何分慣れない事ばかりなので、覚える事も山積みだ。しかしそんな中でも、私達は私達。
「カラオケ行きたい」
どんなに密なスケジュールであっても、たまに暇が出来ればとことん遊んでしまうのである。
「良いねー」
「よし、行こう。これから」
「これから!?」
「まぁ良いけどさ」
このやり取りもいつもの事だ。急なかかわらず、それでも何人かは集まってしまうのが面白い所だと思う。
「逆木は?」
「行きたい、ものすごく行きたい。けど」
嬉しいお誘いをされ、気持ちが揺れかけるも、頑張って断る。
「ごめん。今日バイトなんだー」
「あれ? 今日も?」
「週一にしてもらえたんじゃなかったの?」
「臨時で入れられちゃってさー」
あはは、と笑う私に、友人達は眉をひそめる。
「……それ、なんか前と同じパターンじゃない?」
「そしたらまた戦えば良いしー」
「懲りないねぇ」
「懲りませんとも」
明るく笑う私。それを見た友人達は、何かを感じ取ってくれたのだろう。それ以降、何も言わずに温かく見守ってくれた。
結局、結果としては何一つとして変わっていないかもしれない。だが、何もしないで後悔するよりは、がむしゃらにでも足掻いてもがいた今の方が、良いと思う。途中まで方法こそ間違っていたかもしれないけれども、でも気持ち自体が間違っていた訳じゃない。それに、最後にはしっかりと話し合いで解決する事が出来たのだから。
ただ、要は気の持ちよう次第なのかもな、と思えるようになったのは、立派な心境の変化だろう。その証拠に、バイトも楽しくとまではいかないが、嫌々では無くなってきているし、ストレスが軽減されたからか、以前のように無闇に彼氏に突っかかる事も無くなった。
だから変わってないと言えばそれまでだが、それでも、着実に何かが変わり始めているのだろう。
「ん、今日はあっちから行ってみよう」
たまには気分転換に道を変えようと、いつもとは違う方向に曲がる。何となくその方が、良い事があるような気がしたからだ。しばらく行くと、少し小高い所に出る。そこに広がるのは、美しく咲き誇り舞い散る、薄紅色の淡く温かい光景だった。風に舞い上がる花弁は、踊るように空へと上っていく。
――私も、こんな風になれたのかな。
半年にわたって続いた戦争も、最後は美しくしめようではないか。
「逆木明由美、見事勝利!」
拳を天高く突き上げる。吹き抜ける風は、もう春だ。
これにて、逆木の武勇伝は完結となります。
長い間お読みいただき、ありがとうございました。