王太子の身勝手な振る舞いから聖女を守り抜く!〜騎士団長の俺が反逆者と呼ばれても構わない〜
王宮の白銀の間は、その名の通り冷徹な静寂に包まれているはずの場所だった。だが今、この神聖な広間に響き渡っているのは、耳を劈くようなドラッド殿下の高笑いだ。
「──ははっ! 見ろ、この無様な姿を! これが国を救うと謳われた聖女の成れの果てか!」
玉座の前、冷たい大理石の床に膝をつき、肩を震わせているのはフェリエイト様だ。かつて世界を照らすと称えられた金色の髪は、連日の浄化作業の酷使により光沢を失い、今は泥に汚れたようにくすんでいる。
俺は近衛騎士団長として、王太子の背後に控えていた。握りしめた剣の柄が、ミシリと音を立てる。
俺の視線の先では、殿下が隣国の公女──真紅のドレスをこれ見よがしに揺らすセーラ公女の腰を抱き寄せ、勝ち誇った顔でフェリエイト様を見下ろしていた。
「フェリエイト。お前のような輝きを失った聖女など、我が王国の王太子妃にはもはや相応しくない。セーラのような華やかさも、魔力もない女など、王家の血を汚すだけだ」
「……ドラッド、殿下……」
フェリエイト様が、枯れ果てそうな声で顔を上げた。その瞳には、絶望と、信じがたいものを見るような悲しみが混在している。
「そんな……お言葉……。私は、北部の領地で発生した黒死病の瘴気を浄化するために、全魔力を捧げたばかりでございます……。今は、一時的に力が弱まっているだけで……」
「黙れ! 言い訳は見苦しいぞ」
ドラッド殿下は、まるで汚物を見るかのように彼女を足蹴にする仕草を見せた。
「一時的だと? その『一時的』な無能のせいで、昨日の晩餐会で私の顔にどれほどの泥を塗ったか分かっているのか! 隣国の使節団の前で、癒しの演武ひとつ満足にこなせぬ女など、我が国には不要だ」
「……あの時はまだ、歩くことさえ、ままならなくて……」
「言い訳はもういいわ、フェリエイト様」
殿下の隣で、セーラ公女が扇子で口元を隠しながら、毒のある声を被せた。
「聖女様ともあろうお方が、魔力の管理もできないなんて。殿下のお隣は、もっと強く、美しい者が座るべきですわ。そうは思いませんこと? ガルディアン騎士団長」
不意に話を振られ、俺は鉄の仮面を被ったまま冷たく応じた。
「……私は、騎士としてそこに控えているに過ぎません。公女殿下」
「ふん、相変わらず愛想のない男だ。まあいい」
ドラッド殿下は、まるでおもちゃに飽きた子供のような冷淡さで、最後通告を突きつけた。
「フェリエイト。今この瞬間をもって、お前との婚約を破棄する。さらに、聖女の称号を剥奪し、国外追放を命ずる! 今すぐこの国から失せろ」
「……っ!? 国外、追放……?」
フェリエイト様の顔から、血の気が一気に引いた。魔力を使い果たし、まともに食事も摂れていない今の彼女が国外へ放り出されれば、待っているのは死だ。
それはあまりに、残酷すぎる処刑宣告だった。
「殿下、お待ちください!」
俺は一歩、前へ出た。周囲の重臣たちが息を呑むのがわかる。
「ガルディアン、貴様……何のつもりだ。私の決定に異を唱えるというのか?」
「殿下。フェリエイト様は、この三年間、一日たりとも休まずこの国のために祈りを捧げ、浄化を続けてこられました。その献身があったからこそ、今の王国の繁栄があるのです。魔力が枯渇したのは、すべて民を救うため。それを理由に放逐するなど、騎士道にも、人の道にも反する行為です」
「黙れ! 騎士団長風情が、私の私生活にまで口を出すな!」
ドラッド殿下は顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「あんな女、魔力としての道具としての価値がなくなれば、ただの穀潰しだ。おい、近衛兵! さっさとその女を地下牢へぶち込め。明日の朝一番で、国境の森へ捨ててこい!」
殿下の命令を受け、訓練不足の近衛兵たちが、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながらフェリエイト様に近づいていく。彼女は恐怖に目を見開き、震える手で自分の体を守るように抱きしめた。
「嫌……来ないで……」
その細い腕を、一人の兵士が乱暴に掴もうとした。
「……その汚い手を離せ」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、殺気に満ちていた。一瞬で間を詰め、フェリエイト様の手を掴もうとした兵士の腕を、籠手越しに握りつぶさんばかりの力で制止する。
「き、騎士団長様!? な、何を……」
「下がれと言っている。聞こえなかったか」
俺の眼光に射すくめられた兵士は、短い悲鳴を上げて後退りした。俺はそのまま、床に崩れ落ちたフェリエイト様の前に、背を向けて立ちはだかる。
「ガルディアン! 貴様、ついに乱心したか! それは王命だぞ!」
「殿下。王命とは、民を、そして国を豊かにするために下されるもの。このような私怨に満ちた暴論、聞き入れるわけには参りません」
「貴様……! 反逆か! 騎士団長の地位を捨ててまで、その女を庇うというのか!」
ドラッド殿下の喚き声が広間に響き渡る。だが、俺の心は驚くほど静かだった。
地位? 名誉? そんなものは、彼女の流す涙一滴よりも軽い。
俺はゆっくりと振り返り、フェリエイト様の前に膝をついた。
「フェリエイト様……。怖がらせてしまい、申し訳ありません」
「ガルディアン、様……? どうして、私なんかのために……。あなたは、騎士団長として、もっと輝かしい未来があるのに……」
「未来なら、今ここにあります」
俺は彼女の汚れを拭うように、その頬をそっと撫でた。驚くほど熱い。高熱があるのだ。こんな状態の彼女を追い出そうとした男への怒りが、再び胸の中で燃え上がる。
「私は騎士団長である前に、一人の男です。そしてあの日……戦場で傷ついた俺の手を、泣きながら癒してくれたあなたに、命を捧げると決めた男だ」
「あ……」
フェリエイト様の瞳に、微かな記憶の光が灯る。俺は彼女の細い腰と膝裏に腕を回し、軽々と抱き上げた。あまりの軽さに、奥歯を噛みしめる。
「ガルディアン様!?」
「じっとしていてください。……さあ、行きましょう」
俺は彼女を腕に抱いたまま、ドラッド殿下へ向き直った。
「ドラッド殿下。いや、ドラッド。あんたに、この人を『道具』と呼ぶ資格はない。この人は今日から、俺の──俺だけのものだ」
「貴様ぁぁぁ! 逃がすな! 全員かかれ! その大逆人を捕らえろ!」
ドラッドの絶叫と共に、周囲の騎士たちが剣を抜く。だが、俺は不敵に笑って見せた。腰の重剣を引き抜き、ただの一振りで衝撃波を放ち、近づこうとした兵士たちをまとめて吹き飛ばす。
「……どけ。俺を止めたいのなら、軍勢でも連れてくるんだな」
俺はフェリエイト様を抱き直すと、茫然自失の重臣たちを割り、白銀の間を堂々と歩き出した。
「ガルディアン様……どこへ行くのですか?」
腕の中で、彼女が不安げに問いかけてくる。俺はその細い体をさらに強く抱きしめ、耳元で低く誓った。
「俺の領地、北方の砦です。そこなら、誰もあなたを傷つけない。……そこで、俺の妻になっていただきます。よろしいですね?」
「……えっ?」
フェリエイト様が顔を赤く染めるのを見届け、俺は王宮の重い扉を蹴破った。背後でドラッドの「反逆者だ!」という声が聞こえるが、もはや心地よい祝辞にしか聞こえなかった。
今日、俺は地位を捨て、名誉を捨て、反逆者となった。だが、腕の中にあるこの確かな温もりだけは、神に背いても守り抜いてみせる。
俺の、愛おしい聖女のために──。
◇ ◇ ◇
王都の喧騒を離れ、馬車と馬を乗り継いで二週間。俺たちはついに、雪混じりの風が吹き荒れる北方の防壁──鉄血の砦へと辿り着いた。
ここには王都のような華やかな薔薇も、着飾った貴族もいない。あるのは灰色の石壁と、魔物から国を守るために鍛え抜かれた無骨な兵士たちだけだ。
「……ん……っ」
寝台の上で、フェリエイト様が微かに身じろぎした。俺は椅子を引き寄せ、彼女の顔を覗き込む。王都を出た時の死人のような青白さは消え、頬にはわずかに赤みが戻っていた。
「フェリエイト様。気分はどうですか」
俺が声をかけると、彼女はゆっくりと睫毛を揺らし、その深い青色の瞳を俺に向けた。
「……ガルディアン様? 私、また眠って……。ここは、お城の地下牢では……?」
「地下牢などではありません。ここは俺の私邸、北方の砦です。もう、あんな冷たい石畳の上で眠る必要はありませんよ」
俺は傍らのテーブルに置いていた銀のカップを手に取り、彼女の唇に寄せた。中身は、領地特産の蜂蜜と滋養に効く薬草を煮出したものだ。
「少しずつ飲んでください。体の中を温めないと」
「あ……ありがとうございます。……ふふ、甘いですね」
一口飲み、フェリエイト様がふわりと微笑んだ。その、数年ぶりに見る穏やかな笑顔に、俺の胸が締め付けられる。
「何か、食べたいものはありますか? 料理番に何でも作らせますが」
「そうですね……。でも、その前に……少しお話ししてもいいですか? ガルディアン様」
彼女はカップを置くと、少し真剣な眼差しで俺を見つめた。
「どうして、あんな無茶をしたのですか? あなたは、王国の誇りでした。あのまま王都にいれば、次代の元帥の座も確実だったはずなのに。私のような、力を失った偽物の聖女のために……」
「……偽物などと、二度と言わないでいただきたい」
俺は思わず、彼女の言葉を遮るように少し強い口調で言った。彼女が驚いたように肩を揺らす。俺はすぐさま反省し、声を和らげた。
「失礼しました。ですが、フェリエイト様……。あなたが力を失ったのは、誰のせいですか? 北部の民を救うために、ご自分の身を削って、限界を超えて浄化を続けたからではないのですか」
「それは……聖女としての務めですから」
「それを『無能』と呼び、『偽物』と罵ったあの男が、救いようのない愚か者なだけです。……俺にとって、あなたはいつだって、ただ一人の気高く、尊い女性だ」
俺は彼女の手を、そっと両手で包み込んだ。以前よりもずっと細くなってしまった指先を、俺の熱で温めるように──。
「……ガルディアン様は、昔から変わらないのですね」
「え?」
「私、思い出しました。あなたが新米騎士だった頃のこと。怪我をしたあなたの手を私が治療したとき……あなたは、傷の痛みよりも、私の寝不足を心配してくださった」
フェリエイト様が懐かしそうに目を細める。
「『聖女様の顔色が悪い。俺のような兵士は放っておいて、早く休んでください』って。……あんなことを言ったのは、あの時も、今も、あなただけです」
「……そんなことも、ありましたか」
俺は照れ隠しに視線を逸らした。あの時、汚れた俺の手を慈しむように包み込んでくれた彼女の温もり。それが、俺がこの過酷な戦場を生き抜くための、たったひとつの光だったのだ。
「ずっと、お礼が言いたかった。でも、王宮では立場があって、なかなか二人きりにはなれなくて……。だから、今言わせてください。……私を救い出してくれて、ありがとうございます、ガルディアン様」
「……。俺の方こそ。ずっと、あなたをあの場所から連れ出したかった」
俺は、今まで心の奥底に封じ込めてきた想いを、少しずつ言葉に変えていった。
「王都では、誰もがあなたを奇跡を起こす道具としてしか見ていなかった。……それが耐えられなかった。俺は、あなたがただ笑って、温かいスープを飲んで、静かに眠れる場所を与えたかったんです」
「ガルディアン様……」
「ここは不便な場所です。冬は長く、春は遅い。ですが……ここなら、誰もあなたに聖女としての義務を押し付けない。……ただのフェリエイトとして、俺の隣にいてはくれませんか?」
俺がそう告げると、彼女の瞳から大粒の涙が溢れ、俺の手の上に落ちた。
「……いいのですか? 私、もう奇跡なんて使えないかもしれません。何の役にも立たないかもしれないのに……」
「役になど、立たなくていい」
俺は彼女を包み込むように、強く、しかし壊さないように優しく抱きしめた。
「貴女がここにいて、息をしている。俺にとっては、それ以上の奇跡なんてこの世に存在しない。……誰が君を否定しても、俺が君の価値を証明し続ける。一生をかけてだ」
「……っ、はい……。私、あなたの側にいたいです。ガルディアン様……」
彼女が俺の胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣き始めた。三年間、誰にも甘えられず、ただ削り取られるだけだった彼女の魂が、今ようやく解き放たれたのだ。
俺は彼女の背中を優しく叩きながら、心の中で自分に言い聞かせた。もう二度と、この女性を泣かせはしない。
もしドラッドが、あるいはこの国が、彼女を再び連れ戻そうとするならば──。
その時は、俺の全戦力を以て、この国を焦土に変えてでも守り抜いてみせる。
「フェリエイト……。俺の、愛しい人」
窓の外では吹雪が荒れ狂っているが、俺たちの間には、かつてないほど穏やかで、熱い春が訪れようとしていた。
◇ ◇ ◇
平穏な時間は、長くは続かなかった。フェリエイトを連れ出して一ヶ月が過ぎた頃、砦の斥候から「王都軍、接近!」の報が入った。
俺はバルコニーから、北の街道を埋め尽くす金色の旗印を眺めていた。ドラッド殿下が率いる近衛騎士団。実戦経験の乏しい、見かけ倒しの軍勢だ。
「……ガルディアン様。やはり、来てしまったのですね」
背後から、フェリエイトが不安げに声をかけてきた。彼女は俺が贈った厚手のウールショールを羽織り、白磁のような指先で手すりを握りしめている。
俺は振り返り、彼女の肩を優しく抱き寄せた。
「案ずることはありません。あのような軟弱な軍勢、この砦の門を潜らせることさえしませんよ」
「でも、相手は王太子殿下です。もし戦えば、あなたは本当に、大逆人として歴史に名を刻まれてしまう……。私のために、そこまで……」
「フェリエイト」
俺は彼女の目を見据え、わざと不敵に笑って見せた。
「歴史など、勝者が書き換えるものです。俺が勝てば、俺は『暴君から聖女を救った英雄』になる。……それだけのことです」
「ガルディアン様……あなたは、本当に強いのですね」
彼女が少しだけ安心したように微笑む。その笑顔を守るためなら、神の裁きすら恐ろしくはなかった。
砦の正門前。俺は黒鉄の愛馬に跨り、数千の王都軍と対峙した。軍の先頭で、派手な装飾を施した白馬に乗っているのは、相変わらずのドラッド殿下だ。
「ガルディアン! 貴様、よくも私の聖女を盗み出したな! 今すぐフェリエイトを差し出せば、貴様の首を撥ねるだけで許してやろう!」
ドラッドの怒鳴り声が、冷たい空気の中で反響する。相変わらず、彼女を一人の人間ではなく自分の所有物だと思っているらしい。
「お言葉ですが殿下。彼女を『ゴミ』と呼び、国外追放を命じたのは貴方だ。捨てたものを、必要になったからと拾いに来るのは、王族のすることではありませんな」
「黙れ! あれから国中の結界が消え、魔物の被害で民が騒ぎ始めているのだ! その女がいなければ、私の治世に傷がつくではないか!」
その言葉を聞いた瞬間、俺の血管が怒りで沸騰した。民のためでも、彼女への謝罪でもない。ただ、自分の治世の傷を隠すためだけに、彼女を連れ戻しに来たというのか。
「……貴様。どこまで彼女を侮辱すれば気が済むのだ」
「何だと?」
俺は剣を引き抜き、切っ先をドラッドへ向けた。
「彼女は、お前の失策を埋めるための道具ではない。……そして、この砦にいるのは聖女ではない。俺の妻だ。自分の妻を、ゴミを捨てた男に明け渡すほど、俺の騎士道は安くないぞ」
「狂ったか、ガルディアン! 全軍、突撃だ! 裏切り者どもを一人残らず血祭りにあげろ!」
ドラッドの号令で、王都軍が地響きを立てて動き出す。だが、俺は片手を挙げ背後に控える北方騎士団に、静かに命じた。
「お前達! 王都の温室育ちに、本物の戦場がどんなものか、教えてやれ」
「「「おおおおおっ!!」」」
地鳴りのような咆哮が、王都軍の突撃を圧倒した。北方騎士団は、日夜魔物と命を奪い合っている狂犬たちだ。規律正しく、しかし獲物を屠るためなら手段を選ばない。
「ひっ、何だ、この圧迫感は……! 退くな! 前へ出ろ!」
ドラッドが叫ぶが、近衛兵たちは怯え、足並みが乱れている。そこへ、我が騎士団の精鋭が雪崩れ込んだ。
「ガルディアン! 貴様、本当に反逆するつもりか!」
「反逆? 違いますな、殿下。これは害獣駆除だ」
俺は馬を走らせ、目の前に立ち塞がる近衛兵の剣を、ただの一振りでへし折った。そのままドラッドの目の前まで肉薄し、彼の喉元に剣を突きつける。
「なっ……! 待て、待て! 私を殺せば、貴様の一族は皆殺しだぞ!」
「一族なら、俺一人だ。……殿下、あんたは大きな勘違いをしている」
俺は剣を引かず、さらに冷たい声を絞り出す。
「あんたが恐れるべきは俺じゃない。……あんたが虐げ、踏みにじった彼女が、どれほどの怒りを秘めているか。それを思い知ることになるぞ」
「何を……馬鹿な……。あんな女に、何ができるというのだ!」
ドラッドが震える声で叫んだその時──。
砦の頂上から、信じられないほどの純白の光が天を貫いた。戦場にいたすべての人間が、その神々しい輝きに目を奪われた。
俺は確信した。彼女の力が戻ったのではない。俺への愛と、俺が与えた安らぎが、彼女の内に眠っていた真の奇跡を覚醒させたのだ。
「……フェリエイト」
俺は誇らしく、その光の源を見上げた。
さあ、ドラッド。あんたが捨てた価値が、どれほどのものだったか。今、その身に刻んでやる。
◇ ◇ ◇
砦の最上階、天に最も近い場所から放たれた光は、吹雪混じりの灰色の空を真っ二つに割り、戦場を白銀の世界へと塗り替えた。
俺は馬上で、その光の源を見上げた。そこには、俺が贈った純白のドレスを身に纏い、神々しいまでの輝きを放つフェリエイトが立っていた。
「……フェリエイト様。やはり、あなたは……」
その姿は、王都にいた頃のような悲劇の聖女ではない。凛として、自分の意思でその力を振るう、一人の誇り高き女性の姿だった。
「な、なんだ……この光は!? あの女、魔力は枯渇したはずではなかったのか!」
ドラッドが顔を引きつらせ、盾にするように近衛兵の後ろへ隠れる。その無様な姿に、俺は冷笑を向けた。
「殿下、言ったはずだ。あんたは彼女を道具としてしか見ていなかった。だが、愛され、慈しまれることで咲く奇跡もあるのだ」
「ふざけるな! そんな道理があるか! おのれ、あの光……目障りだ! 射ろ! あの女を射ち落とせ!」
狂乱したドラッドが絶叫する。数人の近衛兵が、震える手で弓を構えた。
「させるか!」
俺が馬を蹴り出そうとした瞬間、空からフェリエイトの声が響き渡った。それは以前のような消え入りそうな声ではなく、戦場すべてを包み込むような、澄んだ、そして力強い声だった。
『……もう、やめてください、ドラッド殿下!』
放たれた数本の矢が、彼女に届く前に光の壁に跳ね返され、粉々に砕け散った。
『私は、あなたの所有物ではありません。国を守るための便利な装置でもありません。私は……私を愛し、必要としてくれる人のために、この力を使いたい!』
「黙れ! 聖女の分際で私に説教をするな! 返せ、その力を国に返せ!」
「往きなさい、殿下」
俺はドラッドの鼻先に剣を突きつけ、静かに言い放った。
「彼女はもう、あんたの言葉など聞いていない。聞こえるのは、あんたの醜い欲望の断末魔だけだ」
フェリエイトが両手を広げると、彼女から放たれる光がさらに強まった。だが、それは破壊の光ではない。戦場に満ちていた殺意や憎しみ、そして兵士たちの恐怖を、穏やかに溶かしていくような慈愛の波動だった。
「な、なんだ……剣が、握れない……」
「戦うのが……馬鹿らしくなってきた……」
王都軍の兵士たちが、次々と武器を落とし、その場に膝をついていく。中には、あまりの温かさに涙を流す者さえいた。
「き、貴様ら! 何をしている! 立て! 戦え!」
「無駄だ。彼女の奇跡は、人の心にある良心を呼び覚ます。……あんたのように、それを持たない者には、ただの毒に等しい光だろうがな」
俺は馬を降り、逃げ出そうとするドラッドの襟首を掴んで、地面に叩きつけた。
「ぐはっ!? 離せ、無礼者! 私はこの国の王太子だぞ!」
「王太子? 聖女を虐げ、民を危険に晒し、私利私欲のために軍を動かした男がか。……あんたが守ろうとした治世は、今この光の中で完全に崩壊したんだよ」
俺は空を見上げた。光の中に浮かぶフェリエイトと目が合う。彼女は俺を見て、優しく微笑んだ。その瞬間、俺の胸の中にあった、王都への、ドラッドへの、そして自分自身の過去への煮え繰り返るような怒りが、嘘のように消えていった。
「ガルディアン様……」
光の粒子と共に、フェリエイトがゆっくりと地上へと降りてくる。俺は吸い寄せられるように彼女に歩み寄り、その手を取った。
「……見事な奇跡でした。フェリエイト」
「いいえ。これは、あなたが私にくれた力です。ガルディアン様が私を信じて、愛してくれたから……私は、自分を取り戻せました」
彼女の手は、もう冷たくなかった。命の熱を帯びた、確かな温もりがそこにあった。
俺たちは、泥の中に這いつくばって震えるドラッドを見下ろした。もはや、彼に王太子の威厳など欠片も残っていない。
「殿下。あんたの負けだ。……さあ、兵を連れて王都へ帰るがいい。そして、自分が何を捨てたのか、生涯かけて後悔するんだな」
ドラッドは呪詛の言葉を吐こうとしたが、俺の背後に控える北方騎士団の、そして自分自身の兵たちの冷ややかな視線に気づき、言葉を失った。
戦いは終わった。血を流すことなく、ただ一人の女性の祈りによって──。
俺はフェリエイトを抱き上げ、砦の兵士たちに向かって高らかに宣言した。
「見たか! 彼女こそが真の聖女であり、そして今日、この日から──俺の生涯唯一の妻となる女性だ!」
「「「おおおおおおおおおっ!!!」」」
北方の荒野に、地鳴りのような歓声が響き渡る。俺は腕の中の彼女を、誰にも渡さないと誓うように、より一層強く抱きしめた。
◇ ◇ ◇
戦いから数ヶ月。北方の地を覆っていた厳しい雪が解け始め、岩肌の間から小さな名もなき花が顔を出し始めていた。
王都からは、ドラッド殿下が廃嫡され、辺境の修道院へ永久幽閉されたという知らせが届いた。代わって王位を継承することになった第二王子からは「どうか王都に戻り、再び騎士団長として国を支えてほしい」という、懇願に近い親書が何度も届いている。
だが、俺は今、その最高級の羊皮紙を暖炉の火にくべていた。
「……ガルディアン様? また、王都からの手紙を燃やしてしまったのですか?」
背後から、クスクスと鈴を転がすような笑い声が聞こえる。振り返れば、そこには薄桃色のドレスを纏ったフェリエイトが、温かい紅茶の入ったトレイを持って立っていた。
王都にいた頃の、あの悲痛な面影はもうどこにもない。頬は健康的な赤みを帯び、瞳は春の陽光を浴びた湖のように輝いている。
「あんなものは、ただの紙切れだ。今の俺にとって、この砦の薪以上の価値はない」
俺は椅子から立ち上がり、彼女からトレイを受け取ると、そのまま彼女の腰を引き寄せた。
「きゃっ……。もう、ガルディアン様。お茶がこぼれてしまいます」
「こぼれたら、また淹れればいい。それよりも、今はこうしていたい」
俺は彼女の項に顔を埋め、その柔らかな香りを深く吸い込んだ。石鹸の匂いと、彼女自身の甘い香りが、俺の荒んだ心を一瞬で解きほぐしていく。
「……本当に、いいのですか? あなたのような英雄が、こんな何もない北の果てで一生を終えてしまっても。新王陛下は、あなたの復職を強く望んでいらっしゃいますのに」
フェリエイトが、少しだけ不安そうに俺を見上げる。その瞳に映っているのは、騎士道に殉じる俺への遠慮か、それとも俺を失うことへの恐怖か──。
俺は彼女の顎を指先で持ち上げ、逃げられないように視線を固定した。
「フェリエイト。俺はあの日、王都を捨てた時に誓ったはずだ。俺の騎士道は、君を守るためだけに存在すると。……英雄? 騎士団長? そんな呼び名は、君の夫という肩書きに比べれば、塵に等しい」
「夫……ふふ、まだ聞き慣れませんね」
彼女が照れたように視線を泳がせる。その仕草ひとつひとつが、俺の独占欲を激しく煽る。
「……足りないか? ならば、何度でも教えてやろう。君は俺の妻だ。誰にも、神にさえも譲るつもりはない」
俺は彼女を抱き上げ、そのままバルコニーのベンチへと運んだ。春の柔らかな風が、彼女の金髪を優しく揺らす。
「ガルディアン様……最近、少し過保護すぎませんか? 砦の外に出るのにも、必ず護衛がついてきますし……」
「当然だ。君のその輝きを、不逞な輩に見せたくない。……できることなら、この砦の奥底に隠して、俺だけが眺めていたいと思っているくらいだ」
「まあ! それでは、まるで監獄のようではありませんか」
「ああ、そうだ。俺の愛という名の、一生出られない監獄だ。……嫌か?」
俺が耳元で低く囁くと、フェリエイトは顔を真っ赤にしながらも、俺の首にそっと腕を回してきた。
「……いいえ。あなたの腕の中という監獄なら、私は喜んで終身刑を受け入れます。……大好きですよ、ガルディアン。私を救ってくれた、私の騎士様」
「……っ」
その言葉は、どんな魔法よりも強力に俺を縛り付けた。俺は抑えきれない情動のまま、彼女の唇を奪った。
深く、熱く。これが、俺にできる唯一の返信だった。
王都がどうなろうと、世界がどう変わろうと知ったことか。地位も名誉も、誇り高き反逆者の称号と引き換えに捨て去った。
手に入れたのは、この腕の中に収まるだけの、小さくて温かな奇跡──。
「愛している、フェリエイト。君のいない天国より、君のいる地獄を選ぶ。それが俺の忠誠だ」
「ふふ、地獄なんて言わないで。ここは、私たちの楽園ですもの」
微笑み合う二人の上に、北方の遅い春の陽光が降り注ぐ。
最強の騎士団長から、一人の女性を愛し抜く反逆者へ──。
俺の選んだ道に、一片の後悔もなかった。二人の物語は、この砦の石壁に深く刻まれ、永遠に紡がれていく。
おしまい
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたなら★やいいねで応援していただけると嬉しいです。
ブクマや感想をいただけたら……最高です!




