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暴れん坊公爵令嬢、王都の悪を斬る  作者: 江合 花果


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2/2

街角に散る涙、悪徳貴族を討て(後編)

 調査には三日かかった。


 ローズとして動いた三日間で、ケルナー商会の実態が見えてきた。


 商会の取引先を当たると、男爵家だけではなかった。過去二年で、納品を意図的に滞らせた相手が四軒。そのうち三軒は、その後ひっそりと問題が「解決」していた。解決の内容については、誰も口を割らなかった。


 ただ一軒だけ、老いた薬種商の主人が、酒の勢いを借りて話してくれた。


「娘を……差し出したんだ。あの男に。そうしたら翌日から商売が元通りになった」


 主人は笑っていた。笑うしかない、という顔で。


「娘は今どこに」


「知らん。知りたくもない」


 私は手帳に書きながら、静かに怒りを飲み込んだ。


 帳簿の流れはセドリックが調べた。ケルナー商会は独立した商会に見せかけて、実態はガイウスの道具だ。そして彼は常に「本人の意思」という形式にこだわり、証拠を残さない。


 手帳を閉じたとき、セドリックが静かに言った。


「男爵が倒れたそうです。それと——今夜、教会の前でエリナ様とルカ殿が話しています。見に行った方が良いかもしれません」


 王都外れの小さな教会の陰に着いたとき、二人はまだそこにいた。


 石畳の上で、エリナがルカと向かい合っている。ルカは両手でエリナの手を握り、必死に何かを訴えていた。声は届かない。しかし唇の動きで分かる。


(行かないでくれ、と言っている)


 エリナは俯いて、首を横に振っていた。


 ルカがまた何か言う。今度はエリナが顔を上げて、泣き笑いのような顔で答えた。


(お父さんが倒れた。もう時間がない)


 ルカの顔が歪んだ。しかし彼には何もできない。平民の騎士見習いに、伯爵家の次男と渡り合う手段がない。権力も、金も、後ろ盾も、何もない。


 エリナがルカの手をそっと外した。


「俺が、俺が何とかする……っ、だから待ってくれ……!」


 エリナが振り返らずに歩き出した。肩が震えていた。


 ルカがその場に膝をついた。石畳の上に、崩れ落ちるように。両手を地面につけて、下を向いた。


 私は黙って見ていた。

 隣でセドリックが、静かに拳を握った。


 しばらくして、私は口を開いた。


「セドリック」


「なんですか」


「あの二人を見て、何か思いましたか」


 セドリックは少し間を置いた。


「……力のない者が、正しいことをしようとしても、できない場面がある」


「そうです」


「それが」


 彼はまた少し黙った。


「……不快です」


 私は頷いた。


「だから私は動きます。それだけのことです」


 セドリックは答えなかった。ただ、拳をゆっくりと開いた。


 翌朝。


 白薔薇亭の前に着くと、ルカがいた。


 騎士見習いの制服のまま、蒼白な顔で扉を睨んでいた。拳を握って、それでも中に入れずにいる。身分の壁が、見えない形で彼の前に立ちはだかっていた。


「ルカさん」


 私が声をかけると、彼は弾かれたように振り向いた。


「あんたは……! エリナはまだ中に——」


「今から行きます。中に入ったら、エリナさんを外に連れ出してください。あなたにはそれだけやってもらえれば十分です」


 ルカが私をしばらく見た。それから、強く頷いた。


 白薔薇亭の個室は広かった。

 そして想像より、人数が多かった。


 壁際に取り巻きが十人、ずらりと並んでいる。体格の良い男ばかりだ。ガイウスは何かを予期していたのか、部屋全体が示威の空気に満ちていた。


 ガイウスは中央の椅子に座り、足を組んでいた。その前にエリナが立って、震えた声を絞り出していた。


「……約束を、守っていただけますか。男爵家への商いには、今後は障害が出ないようにしていただけると——」


「約束?」


 ガイウスが首を傾けた。芝居じみた仕草だった。


「確かに言った。言ったが……あれはいつの話だったかな」


 エリナの顔色が変わった。


「随分と時間が経ってしまったな。あの約束の期限は、とっくに切れているんじゃないか?」


 壁際の取り巻きたちが、くすくすと笑った。


「そんな……っ」


「お前が早く決断していれば良かった話だ。グズグズしていたのはお前だろう」


 エリナの膝が折れそうになった。


「お願いします……っ、父が、父が倒れていて、このままでは家が……お願いします、ガイウス様……」


 エリナが床に膝をつこうとした、その瞬間だった。


「膝をつく必要はありません」


 私はエリナの肩を後ろから支えた。


 ガイウスが眉を寄せた。


「何者だ、貴様」


「王都報知の記者です」と私は言った。「ケルナー商会が男爵家への納品を意図的に滞らせていた記録、伯爵家との帳簿上の繋がり、過去二年で同様の手口を使って泣き寝入りさせた家が四軒——全て揃っています。本日の会話の記録も含めて、記事にします」


 室内が静まり返った。


 しかしガイウスは脅えなかった。ゆっくりと立ち上がり、口の端を上げた。


「庶民の記者が何を書こうと、握り潰せばいい」


 取り巻きたちの笑いが戻ってきた。


「新聞社ごと潰すことも難しくはない」


 ガイウスの目が部屋の扉に向いた。一瞬だけ、警戒の色が浮かんだ。


「……憲兵でも連れてきたか?」


「いいえ」と私は言った。「今日はこの二人で来ました」


 ガイウスの表情が、すうっと変わった。警戒から安堵へ。そして安堵から、冷たい計算へ。


「……そうか」


 彼はゆっくりと室内を見回した。十人の取り巻き。たった二人の侵入者。答えは明白だ、とその目が言っていた。


「ならば話は簡単だ」


 声が低くなった。


「お前たちさえいなくなれば、この話は最初からなかったことになる」


 取り巻きたちがざわめいた。

 しかし誰も動かなかった。


 私は魔法道具をゆっくりと外した。茶髪が黒に戻る。緑の瞳が黒に戻る。


「庶民ではありません」


 室内の空気が、凍った。


「アルバート公爵家が娘、ローゼ・アルバートと申します。父は宰相のエドワード・アルバート」


 取り巻きの一人が「嘘だ」と呟いた。しかしその声は震えていた。別の一人が後退りした。壁際の男たちが互いに顔を見合わせ、足が止まった。


「宰相の……娘……?」


「公爵令嬢……?」


 ガイウスの顔が、みるみる引きつった。唇が震えた。目が泳いだ。


 しかし次の瞬間、奥歯を噛んだ。


「……関係ない!」


 怒号が飛んだ。


「令嬢だろうが何だろうが、ここで何があったか証言できる者がいなくなれば——やれ! やってしまえ!」


 取り巻きたちは動かなかった。


「……ガイウス様、しかし公爵令嬢に手を出せば——」


「うるさい! お前たちは俺の命令を聞けばいいんだ! やれと言っている!」


 怒鳴られた取り巻きたちが、渋々動き始めた。覚悟を決めたというより、主人の命令に逆らえないという顔だった。


 私は鞄から木剣を取り出した。


「ルカさん」


 私は背後に向かって言った。


「今です」


 ルカが動いた。


 エリナの手を引いて扉へ向かう。行く手を塞ごうとした取り巻き二人が前に出た。しかしルカは止まらなかった。


 最初の男の腕を外側から跳ね上げ、体ごとぶつかって押しのける。二人目が掴みかかってくる腕をかいくぐり、肩で弾いた。騎士見習いとして鍛えた体が、迷いのない突進で二人を突破した。


「エリナ、走れ!」


 二人が扉から飛び出した。


 残った八人が、私とセドリックを取り囲んだ。


「セドリック」


「はい」


「全員、生かしたまま」


「承知しています」


 私は木剣を正眼に構えた。


 最初の一人が正面から突っ込んできた。

 大柄な男だ。体重を乗せた突進で、そのまま押し潰すつもりだろう。しかし私は動じなかった。踏み込んでくる足のリズムを読んで、踏み出しの瞬間に半歩だけ右へ体をずらした。


 男の突進が空を切る。通り過ぎた瞬間、木剣の柄を男の後頭部に打ち下ろした。


 鈍い音がして、男が前のめりに崩れた。


 二人目が右から来た。腕を伸ばして掴みかかってくる。私はその腕を内側から木剣で跳ね上げ、がら空きになった脇腹に剣先を突き込んだ。


「ぐっ……!」


 男が呻いて腹を抱えた。そのまま膝をついたところに、木剣の平で肩を打つ。男が横に倒れた。


 三人目が「この女……!」と怒鳴りながら背後から組みつこうとした。


 気配で分かった。


 私は振り返らずに木剣を後ろ斜め下に流した。踏み込んでくる男の足が木剣に引っかかり、体勢が崩れる。前のめりになったところを横に向き直り、木剣を横一文字に振った。


 胴を薙いだ衝撃で、男が横に飛んだ。倒れた先に、さっき崩れた一人目の男が重なった。


 三人、片付いた。


 四人目が横から掴みかかってきた。体格が良い。腕の太さだけで人より一回りは大きい。しかし大きい分、重心が高い。


 私は懐に飛び込んだ。


 木剣を脇に抱えたまま低く潜り込み、男の腰に密着する。両手で腰帯を掴み、腰を落として持ち上げた。合気道の腰投げだ。


 男が宙を舞って床に叩きつけられた。


 畳み掛けるように手首を取り、関節を極める。


「いっ……たぁ……!」


「動かなければ折れません」


 男が動くのをやめた。


 五人目が腰の短剣に手をかけた。柄を握った瞬間、私は木剣を鋭く一閃した。手の甲を打ち据える。


 短剣が床に落ちた。


「っ……いてぇ……!」


 怯んで手を引いた男に、私はそのまま踏み込んだ。木剣の柄頭を男の顎先に当て、真上に押し上げる。体重ごとのけぞった男の足を払い、床に落とした。


 後頭部が石床を打つ鈍い音がした。男は動かなくなった。


 これで五人。


 残り三人はセドリックが相手をしていた。


 六人目が正面から殴りかかる。セドリックはその拳を外旋させながら半歩踏み込み、相手の肘を極めた。骨が軋む音がして、男が悲鳴を上げた。そのまま引き倒して床に押さえつける。


 七人目が剣を抜いた。


 セドリックが静かに向いた。男が踏み込んで斬りかかる。セドリックは身体を半歩外にずらして刃をかわし、剣を持つ手首を掴んだ。捻りながら踏み込み、肘を極める。剣が床に落ちた。そのまま腕を取って引き倒し、うつ伏せに押さえつけた。


 八人目が後退りした。壁に背をつけて、もう動く気がない。


 セドリックが静かにその男を見た。それだけで、男は座り込んだ。


 八人が床に転がるまで、二分もかかっていなかった。


 ガイウスは逃げようとした。

 部屋の奥の窓に向かって走った。しかしセドリックの方が速かった。


 窓の前に回り込んだセドリックが、ガイウスの胸倉を掴んで壁に押しつけた。ガイウスの背中が壁に叩きつけられ、足が浮いた。


「離せ……っ、離せ……!」


 セドリックは答えなかった。ただ静かな灰色の目でガイウスを見ていた。感情のない目だった。それがかえって恐ろしかった。


 私はゆっくりとガイウスの前に立った。


「……な、なんだ、何が望みだ……っ、金か、地位か、言え……!」


「どちらも結構です」


 私は静かに言った。


「ケルナー商会を使った商取引の妨害、意図的な経済的圧力による強制、過去の被害者への同様の行為。本日の会話の記録と合わせて、全て宰相府に提出します。伯爵家への調査も同時に入ることになるでしょう」


「っ……父上が黙っていない……! 伯爵家を舐めるな……!」


「ご心配なく」


 私は微笑んだ。


「伯爵閣下への報告書も、既に別便で用意しております。まずはご家族に知っていただくのが筋かと思いまして」


 ガイウスの顔が、白くなった。


 父親への報告。それが何を意味するか、彼は分かっている。外からの制裁より、家からの制裁の方が厳しくなることを。


「やめ……っ、やめてくれ……! 父には、父には言わないでくれ……!」


 声が上ずった。さっきまでとは別人の声だった。


「ただの記者だと思っていたのに……公爵令嬢が……なぜこんな……っ」


「理不尽に泣かされている方がいたので」


 私は淡々と答えた。


「それだけのことです」


「そんな理由で……っ、そんな理由で俺が……!」


「自らの意思で動いたまでです」


 最後にそれだけ言った。


「あなたがお好きな言葉でしょう?」


 ガイウスの唇が震えた。目に涙が浮かんだ。恐怖か、屈辱か、後悔か。おそらく全部だろう。


 壁に押しつけられたまま、彼はただ震えていた。


 

 白薔薇亭を出ると、秋の風が頬を撫でた。

 エリナとルカが、茶館の前で待っていた。


 私たちの姿を見たエリナが、駆け寄ってきた。ルカも続く。二人が並んで私たちの前に立ち、深く頭を下げた。


「助けていただいて……本当にありがとうございました」


 エリナの声が震えていた。


「ルカさんが突破してくれたから上手くいきました」


 ルカが顔を上げた。目が赤かった。


「俺なんて……あんたたちがいなかったら、何もできなかった」


「あの夜、諦めずにいたでしょう」


 私は言った。


「エリナさんが最後まで完全には諦めなかったのは、あなたが石畳の上で膝をついてまで引き留めようとしたからです」


 ルカは何も言えなかった。ただ唇を結んで、もう一度深く頭を下げた。


 エリナが隣で、ようやく笑った。


 私はそれから、少し声のトーンを落とした。


「ひとつだけお願いがあります」


 二人が顔を上げた。


「今日ここで起きたことは——」


 私はエリナの目を見た。


「何も、なかったことにしてください」


 エリナが首を傾けた。


「それは……」


「公爵令嬢が記者に化けて歩き回っているなどという話は、王都の笑い話にもなりません。それに」


 私は少し間を置いた。


「まだ、終わっていないので」


 エリナとルカが顔を見合わせた。


 まだ終わっていない。その言葉の意味を、二人は深くは問わなかった。ただ、目の前に立つ黒髪の娘が、今日一日だけの話をしているのではないと、感じ取ったのだろう。


「……分かりました」


 エリナが静かに頷いた。


「今日のことは、胸の中だけに仕舞います」


 ルカも頷いた。言葉はなかったが、その目が答えていた。


 セドリックが横から静かに付け加えた。


「くれぐれも」


 一言だけだった。しかしその低い声に、二人が背筋を伸ばした。


 男爵家の屋敷に着いたのは、夕刻近くだった。


 エリナとルカだけが中に入り、私とセドリックは門の外で待った。


 秋の日が傾いて、石畳が橙色に染まっていた。王都の夕暮れは早い。


「令嬢」


 セドリックが静かに言った。


「なんですか」


「次の取材とは」


「……少し気になることがあって」


「またですか」


「またです」


 セドリックが小さく息を吐いた。


 しばらくして、屋敷の二階の窓に明かりが灯った。

 カーテン越しに、人影が見えた。


 布団の上に起き上がった人影と、その傍に寄り添う小さな人影。寄り添う影が、大きな影の手を握った。大きな影が、小さな影の頭に手を置いた。


 窓の外まで声は届かない。

 それでも分かった。


 エリナが、父に伝えている。大丈夫だと。もう終わったと。


 男爵の人影が、ゆっくりと動いた。娘の手を、両手で包むように握り返した。


 それだけだった。それだけで、十分だった。


 帰り道、王都の大通りに夕暮れの人波が流れていた。


 仕事帰りの職人、買い物籠を抱えた主婦、笑いながら走り回る子供たち。いつもと何も変わらない、王都の夕方だ。


 私はその景色を歩きながら見渡した。


(良いざまぁでした。今日は満点です)


(それに——この街はやっぱり、こうでなければいけない)


「セドリック」


「なんですか」


「この街、好きですか」


 セドリックが少し間を置いた。


「……嫌いではありません」


「私は好きです」


 大通りの向こうで、子供が転んで泣き出した。傍にいた母親が駆け寄って、抱き上げた。子供がすぐに笑った。


 私はそれを見ながら、歩き続けた。


「この街がこうであり続けるために動く、それだけのことです」


 セドリックは何も言わなかった。


 しばらくして、彼は静かに口を開いた。


「令嬢」


「なんですか」


「次回からは、全ての行動を事前に書面で提出してください」


「検討します」


「今週も、先週も、先々週も、同じことを言いました」


「よく覚えていますね」


「……覚えています」


 セドリックは、それ以上何も言わなかった。


 王都の大通りに、穏やかな風が吹いた。

 今日も、どこかで誰かが笑っている。


 それで十分だった。

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